2024年12月4日(水)
何度か訪れている「狭山市立博物館」で開催中の、『狭山市制施行70周年記念事業企
画展「写真でみる狭山市の70年」と「児童文学作家 土家由岐雄(つちやゆきお)展」』
のリーフレットを入手したので、観覧に行くことにした。
西武池袋線下り電車に乗り、10時50分に稲荷山公園駅で下車した。
南口改札を出て踏切を渡り、北口改札前の通りを少し進んで「県営 狭山稲荷山公園」の
正門を入る。
右手の木はイタヤカエデだろうか、きれいに色づいていた。
「狭山市立博物館」に行く前に、やはりいつも来たときに回る「狭山市営 稲荷山公園に
向かうことにして、園内を一周するジョギング・ウオーキング用の園路を北に向かう。
春先には花見客で賑わう、沿道のソメイヨシノは枯れ枝に。
公園の北東側出口を出て、柑橘の実る戸建て住宅地を抜けて狭山市浄水場の配水塔横を
進む。
稲荷山公園の西端から入り、すぐ先の展望台へ。
展望台のそばに立つ木
西方から北方の展望が開けていて、奥多摩から奥武蔵や奥秩父方面、さらにはるか北に
は上州三山のひとつ赤城連峰も望まれた。
西方に東京、埼玉、山梨の3都県境で東京都の最高峰 雲取山↓(2017m)が。
奥秩父方面、大持山、小持山と日本二百名山のひとつ武甲山など。
武甲山
外秩父の2つのピーク堂平山と笠山 堂平山↓ 笠山↓
関東平野の北端に広がる上州三山のひとつ赤城連峰
展望台のみで折り返し、わずかに咲く花を眺めながら戸建て住宅地を抜けて、狭山稲荷
山公園の北東端付近に戻った。
周遊する園路近くにある大きなプラタナスは、もう少しで葉が落ちそう。
遠足に来たらしい小学生高学年と思われるグループが、昼食をしようとしていた。
周辺のモミジやカエデ、クヌギなどの彩りを眺めながら園路を西方へ。
中央部のT字路を右折し、さらに西方に向かい緩やかな上り坂へと進む。
T字路際の花壇も、いまは花がわずか。
坂を上がると園路は左(南方)へとカーブする。
カシやクヌギなどの黄葉
ススキの群落があり、たくさんの穂が風になびいている。
園路の南西端付近まで進むと、目的地の狭山市立博物館が現れたが、壁面などの塗装工
事中のよう。
北側の芝生広場には何かのグループの姿が。
館前道路際に掲示の企画展のひとつの掲示
11時42分に、狭山市立博物館に入館した。
1階受付の背後にある円形の『舞い舞いホール』で、企画展『写真でみる狭山市の70
年』と、『児童文学作家 土家由岐雄展』の一部を開催しているが、撮影禁止。
右手の「写真でみる狭山市の70年」については、折込リーフレット内面の一部で、そ
の狙いや展示の概要を。
ホールの左手が「児童文学作家 土家由岐雄展」のイントロ部分のよう。折込リーフレッ
トから土家由岐雄のプロフィールや狭山市との関わりなどを。
2階の企画展示室の入口横に展示の土家由岐雄の机。
これのみ撮影可能で、会場内はやはり撮影禁止。
もらった出品目録から展示内容の一部を紹介すると、額入りの童句の色紙、10歳台の
頃の写真、幾つもの童話集や長編童話の冊子、「かわいそうなぞう」に関する下書き原稿
や、それを紹介した秋山ちえ子の小冊子、童句集の数々、関わりのあった方々の色紙など、
あわせて93点が出展されていた。
私は、土家由岐雄という児童文学作家については全く知らなかったが、訪れたことがあ
る市内の智光山公園に童句の碑があること、第2次大戦の戦時体制で処分されることにな
った「かわいそうなぞう」が多くの児童などに読み継がれていること、晩年は狭山市内に
住んで市民に童句造りを広めるなど大きな影響を与えたことなど、いろいろ知ることがで
き、ゆっくりと観覧して理解を深めることができた。
企画展の観覧後、何度も観覧している常設展示室にも入り、ざっと一巡した。目につい
た展示をいくつか。
1階のエントランスホールに戻ったら、土家由岐雄の童句の色紙や最近開催されたらし
い「第九回 童句コンクール入選作品」が展示されていたのに気付く。
ほかに、土家由岐雄が執筆の絵本を多数出版したという「栄晃社の絵本」や土家由岐雄
の色紙、狭山市童句研究会の会報なども。
12時55分になったので、1階入口横にあるレストラン「稲荷山カフェ コメと茶」
に入る。
「ほたて貝のクリームソースパスタとアップルジュース」(1,130円)を注文して昼
食に。
13時30分に狭山市立博物館を出た。館前のドウダンツツジの紅葉。
東側の狭山稲荷山公園の駐車場沿いには何本かのクロガネモチがあり、たくさん実が目
につく。
園路沿いのクヌギなどの彩りを眺めながら公園の南側園路を東進して、正面入口から狭
山稲荷山公園を後にした。
いまは無人の稲荷山公園駅へに戻り、3時45分発の池袋行き準急電車に乗る。
了
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何度か訪れている「狭山市立博物館」で開催中の、『狭山市制施行70周年記念事業企
画展「写真でみる狭山市の70年」と「児童文学作家 土家由岐雄(つちやゆきお)展」』
のリーフレットを入手したので、観覧に行くことにした。
西武池袋線下り電車に乗り、10時50分に稲荷山公園駅で下車した。
南口改札を出て踏切を渡り、北口改札前の通りを少し進んで「県営 狭山稲荷山公園」の
正門を入る。
右手の木はイタヤカエデだろうか、きれいに色づいていた。
「狭山市立博物館」に行く前に、やはりいつも来たときに回る「狭山市営 稲荷山公園に
向かうことにして、園内を一周するジョギング・ウオーキング用の園路を北に向かう。
春先には花見客で賑わう、沿道のソメイヨシノは枯れ枝に。
公園の北東側出口を出て、柑橘の実る戸建て住宅地を抜けて狭山市浄水場の配水塔横を
進む。
稲荷山公園の西端から入り、すぐ先の展望台へ。
展望台のそばに立つ木
西方から北方の展望が開けていて、奥多摩から奥武蔵や奥秩父方面、さらにはるか北に
は上州三山のひとつ赤城連峰も望まれた。
西方に東京、埼玉、山梨の3都県境で東京都の最高峰 雲取山↓(2017m)が。
奥秩父方面、大持山、小持山と日本二百名山のひとつ武甲山など。
武甲山
外秩父の2つのピーク堂平山と笠山 堂平山↓ 笠山↓
関東平野の北端に広がる上州三山のひとつ赤城連峰
展望台のみで折り返し、わずかに咲く花を眺めながら戸建て住宅地を抜けて、狭山稲荷
山公園の北東端付近に戻った。
周遊する園路近くにある大きなプラタナスは、もう少しで葉が落ちそう。
遠足に来たらしい小学生高学年と思われるグループが、昼食をしようとしていた。
周辺のモミジやカエデ、クヌギなどの彩りを眺めながら園路を西方へ。
中央部のT字路を右折し、さらに西方に向かい緩やかな上り坂へと進む。
T字路際の花壇も、いまは花がわずか。
坂を上がると園路は左(南方)へとカーブする。
カシやクヌギなどの黄葉
ススキの群落があり、たくさんの穂が風になびいている。
園路の南西端付近まで進むと、目的地の狭山市立博物館が現れたが、壁面などの塗装工
事中のよう。
北側の芝生広場には何かのグループの姿が。
館前道路際に掲示の企画展のひとつの掲示
11時42分に、狭山市立博物館に入館した。
1階受付の背後にある円形の『舞い舞いホール』で、企画展『写真でみる狭山市の70
年』と、『児童文学作家 土家由岐雄展』の一部を開催しているが、撮影禁止。
右手の「写真でみる狭山市の70年」については、折込リーフレット内面の一部で、そ
の狙いや展示の概要を。
ホールの左手が「児童文学作家 土家由岐雄展」のイントロ部分のよう。折込リーフレッ
トから土家由岐雄のプロフィールや狭山市との関わりなどを。
2階の企画展示室の入口横に展示の土家由岐雄の机。
これのみ撮影可能で、会場内はやはり撮影禁止。
もらった出品目録から展示内容の一部を紹介すると、額入りの童句の色紙、10歳台の
頃の写真、幾つもの童話集や長編童話の冊子、「かわいそうなぞう」に関する下書き原稿
や、それを紹介した秋山ちえ子の小冊子、童句集の数々、関わりのあった方々の色紙など、
あわせて93点が出展されていた。
私は、土家由岐雄という児童文学作家については全く知らなかったが、訪れたことがあ
る市内の智光山公園に童句の碑があること、第2次大戦の戦時体制で処分されることにな
った「かわいそうなぞう」が多くの児童などに読み継がれていること、晩年は狭山市内に
住んで市民に童句造りを広めるなど大きな影響を与えたことなど、いろいろ知ることがで
き、ゆっくりと観覧して理解を深めることができた。
企画展の観覧後、何度も観覧している常設展示室にも入り、ざっと一巡した。目につい
た展示をいくつか。
1階のエントランスホールに戻ったら、土家由岐雄の童句の色紙や最近開催されたらし
い「第九回 童句コンクール入選作品」が展示されていたのに気付く。
ほかに、土家由岐雄が執筆の絵本を多数出版したという「栄晃社の絵本」や土家由岐雄
の色紙、狭山市童句研究会の会報なども。
12時55分になったので、1階入口横にあるレストラン「稲荷山カフェ コメと茶」
に入る。
「ほたて貝のクリームソースパスタとアップルジュース」(1,130円)を注文して昼
食に。
13時30分に狭山市立博物館を出た。館前のドウダンツツジの紅葉。
東側の狭山稲荷山公園の駐車場沿いには何本かのクロガネモチがあり、たくさん実が目
につく。
園路沿いのクヌギなどの彩りを眺めながら公園の南側園路を東進して、正面入口から狭
山稲荷山公園を後にした。
いまは無人の稲荷山公園駅へに戻り、3時45分発の池袋行き準急電車に乗る。
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