あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

草軽電気鉄道廃線跡を歩く(群馬)

2009-10-31 21:41:08 | カントリーウオーク
 2009年10月25日(日)




 宿泊した嬬恋村三原の逢友荘の玄関先で記念撮影後、昨夜ごちそうに
なったスッポンの養殖場を見せてもらう。

 2つの水槽に、長さ30㎝前後のスッポンがたくさんうごめいていた。宿の
ご夫妻とワンちゃんに見送られ、8時35分に逢友荘を後にした。

 万座・鹿沢口駅のバスターミナルに行く前に、過半数の人が群馬銀行そば
の交差点際から草軽電鉄の廃線跡をだという細めの道路を確認に回る。

 確かに、緩やかなカーブは鉄道の廃線跡と知れる。地図上の道路が終わ
る辺りで、ヘヤピン状に折返す道路を少し戻り、さらに上のバス道路へ。

 このあたりが草軽電鉄ではスイッチバックになっていて、高台の岩井堂方
面に向かっていたという。

 バス道路を下って吾妻川を渡り、万座・鹿沢口駅前のバスターミナルに行
き、9時36分発草津温泉行きに乗る。先ほど確かめたバス道路である県道
59号を上がって岩井堂の先の湯窪バス停で降りた。

 バスはこの先も草軽電鉄の廃線跡を拡張した車道を上がるのだが、この辺
りは車の交通量が多いので、われわれは左手に残る旧バス道路を歩くこと
にする。

 紹介が遅れたが、草軽電気鉄道は大正15年(1926)に軽井沢~草津間
の全線が開通した軽便鉄道。「カブトムシ」の愛称で親しまれた電気機関車
デキ12形が、浅間山麓を平均時速15㎞というのどかな速度で客貨混合列
車を牽引し、地元客や避暑客、湯治客などに利用された。

 しかし年間利用客は、終戦直後の昭和21年(1946)の46万人をピーク
に、その後は減少し、台風被害で鉄橋が流されたり線路の寸断などもあり、
昭和37年(1962)1月31日に、最後まで残った上州三原~草津温泉間が
廃止された。

 今回、この最後の区間の大部分を歩こうというのが、担当のMさんの企画
である。

 湯窪バス停からは、草津温泉まで全コースを歩く早足グループと、途中の
谷所(やとこ)まで歩いて、後はバスで草津に向かうゆる足組とに分かれた。
以後は、早足グループの足どりである。

 もとはバス道路だったので舗装されてはいるが、バスのすれ違いは難しそ
うな細い道が北に向かって緩やかに上がる。松やカラマツなどもあるが、多
くは広葉樹林下、ほどよく色づいている。

 しかし今日もどんよりとした曇天で陽が差さず、紅葉の彩りはいまひとつ
なのが惜しまれるところだ。


 右側の樹林が開けた辺りからは、東側対斜面の紅葉が眺められる。沿道
には、ミズナラやホウノキ、黄葉のガマズミ、ダンコウバイ、実を付けたマユ
ミなどの木々が確認できた。


 ところどころに現れるモミジが鮮やかな彩りを見せる。

 石津原まで上がると、高原キャベツがあったのだろうか収穫後の畑が現れ、
その上の石津には民家がかなりある。

 集落の終わる辺りで廃線跡を走る県道59号のバス道路に合する。合流
点に地元生産農家の直売所があり、白菜やカボチャ、山芋、柿、山栗など
を安価で販売していた。

 今井川の橋を渡ってヘヤピン状に回り込むと緑が一杯の牧草地が広がり、
その背後に紅葉の彩り鮮やかな斜面が開けてきた。

 気持ちよい展望が広がるのでここで小休止とする。キャベツ畑もわずかだ
が残っていた。

 少し先には、かなり広い花豆の畑があり、収穫期を迎えて褐色の彩りを見
せている。


 赤川の橋を越えると、さくの続く西武の別荘地の間を抜けるが、別荘らし
い建物は見あたらない。そのまま進むと確認できぬ間に廃線跡と分かれて
前口へ。

 草津カントリークラブ関連のものかと思われる建物のそばの、大きなモミ
ジが鮮やかな彩り。


 ザゼンソウ公園入口横を過ぎて中原集落に入る。沿道のモミジもよい彩り。


 再び廃線跡である県道59号に合し、谷所(やとこ)集落は旧道を回る。長野
原町から草津温泉に上がる国道292号に出た。

 車の交通量が多く、そば処などの店が幾つか並んでいる。県道59号との
交差点に12時11分にに着き、この先進む廃線跡の砂利の敷かれた土道
に入って昼食にした。


 上空のガスが少しずつ下がり、食事を終える頃からポツポツ雨が落ちて
きた。雨具を着けたり傘を差したりして12時35分に出発する。

 この先、草津までは5㎞余り、上り道なのだが廃線跡だけあり等高線に
沿うようにカーブが続き傾斜は緩やか。色づいた広葉樹林の下の気持ちよ
い落ち葉道である。


 「熊出没注意」の標識があるが13人でにぎやかに進むので、熊も引っ込
んでしまうだろうと思われる。

 林道を横切る所には、「むかし道(電車道コース)案内図」があり、少し先
の落ち葉の間に、思いがけず枕木が見つかった。


 ほぼ平坦になった辺りで右カーブしたら、50mくらい前方に黒い動物が
立ってこちらを見ている。

 どうやら熊ではなくカモシカらしい。近づいたら右側の林にゆっくりと入って
行った。


 Mさんの廃線跡シリーズで、ずいぶんあちこちを歩いたが、このような林
間の道は始めて。しかも傾斜が緩やかなので歩きやすく、たっぷりの落ち
葉を踏みしめながらのウオーキングが楽しめるお勧めコースだった。

 ガスがかかった一角を抜け、2つ目のU字状のカーブのある一ノ沢から
三ノ沢を通過、大きな岩ノ下を回ると間もなく林が終わり、本白根農場の
交差点に出た。標高は1,196あり、手が冷たく感じられる。


 人家が増え、真っ赤なドウダンツツジの生垣を巡らした家の横を通過、
マンションだろうか、高層の建物も現れた。

 草津温泉街の入口に小公園があり、その隅に「草津温泉駅跡」の標石が
あった。ここが終点だったと分かり記念撮影をする。


 本町で国道229号に入ってすぐ先で右の旧道へ。14時15分にJRバス
草津温泉駅に着いた。

 谷所からバスで来たゆる足組みも、少し前に着いたばかりらしい。14時
30分発のバスでJR吾妻線の長野原草津口駅まで行く。15時12分発高
崎行き電車で帰途についた。

(天気 曇後雨、距離 2㎞(宿~廃線跡確認~万座・鹿沢口駅)+14㎞
 (湯窪~JRバス草津温泉駅)、地図(1/2.5万) 上野草津、歩行地 群馬
 県嬬恋村、草津町、歩数 29,200)、

コメント (2)
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浅間山天明大噴火の跡を歩く(群馬)

2009-10-30 22:52:26 | カントリーウオーク
 2009年10月24日(土)

 カントリーウオークグループの秋の1泊例会にて群馬県嬬恋村(つまごいむら)
を歩いた。初日のコースは、天明3年(1783)の浅間山大噴火により埋没した、
旧鎌原(かんばら)村周辺である。



 JR大宮駅に8時30分に集合、9時03分発アーバン号に乗り、高崎駅に10
時14分に着く。私は、JR八高線経由で10時38分に到着し、皆さんと合流
した。

 10時49分発吾妻線直通大前行きに乗り換え、新政権が中止を表示して話
題の八ッ場(やんば)ダムで沈む長野原町川原湯温泉付近の、見ごろの紅葉
や工事中の道路の橋脚などを車中から眺めながら通過し、12時27分に万座
・鹿沢口駅で下りた。

 どんよりとした曇り空。標高は800mを超えていて気温は15℃以下かと思わ
れ、動かないでいるとうす寒い。

 駅の南面は、5名の人名が奪われたという昭和41年(1966)7月30日の大
崩壊の跡を復興したという、垂直に近い大がかりな壁面が異様な様相を見せて
いる。

 13時11分発軽井沢行きバスに乗り、その崩壊地の上部にあたる鎌原観音
堂前で下りた。まず、そばにある嬬恋郷土資料館を観覧することにする。

 資料館のメイン展示は、天明3年の浅間山段噴火に関わるもの。

 ボランティアガイドのYさんの説明を聞きながら、大噴火の様子、そしてその
大噴火により一瞬に流れてきた土石なだれにより壊滅した鎌原村の惨状の様
子、奇跡的に助かった93名が村を再建する経過などを、写真や地図や資料、
発掘された家具や農具、寺の住職の手記などを見ながらご説明いただくなど
して、1時間ほど観覧する。

 そばにあるその鎌原観音堂は、かやぶき屋根の本堂、鎌原村が開かれたと
きに村の祈願所として、大同元年(806)の創建と伝えられ、現在のお堂は
正徳3年(1713)の建立という。


 そばのかやぶきの建物には、噴火で助かった93人の方々から7~8代の子
孫という方が数名詰めておられ、参拝者にお茶や漬け物などを接待して下さっ
ていた。


 観音堂前の石段は現在15段だが、大噴火当時は50段あり、途中まで避難
に駆け上がったが土石流に飲まれて命を失った2人の被災者が、昭和54年
(1979)の発掘調査で発見されたことを、先ほどの資料館で聞いたばかり。
その惨状に思いをはせながらご冥福をお祈りした。

 すぐ南側で、鎌原集落を南北に貫く通りに出て北に向かい、鎌原神社に行く。

 鳥居の横に「鎌原の郷蔵(ごうぐら)」と呼ばれるかやぶき屋根の小さい建
物がある。ききんの時のためにヒエなどを貯蔵した備荒貯穀が目的の建物で、
天明3年の大噴火から5年後に建てられたものらしい。


 社殿の背後に大きなケヤキなどが立ち、紅葉の彩りがよい。左手前には、
集落の人たちの会合に使うのだろうか、やはりかやぶき屋根の建物がある。

 神社の東側に抜けて、集落を北に向かう。イチイの木があちこちにあり、鈴
なりの実が鮮やかな彩りを見せる。

 摘んで口に入れると甘いが、種には毒があるようだ。

 畑には花豆が実り、畑の隅にはカシワバアジサイに似た花がドライフラワー
状になってたくさん残っている。ハマナスの実も色づいていた。


 集落を北に抜けると田園地帯。まだ収穫前の田んぼもあり、黄金色の彩り
が広がる。集落の方をふり返ると、曇天に少し霞んだ浅間山が望まれる。

 ところどころに色づく広葉樹の紅葉や、ススキなどを眺めながら高原台地を
緩やかに下る。北西には、雲に隠されそうな万座の山並みが高く伸びている↓。


 畑も多いが多くは収穫後、でも林が近づいた辺りには、嬬恋村特産の高原
キャベツの畑が残っていた。


 間もなく林に入るというところで、今日のメンバーの記念撮影を。


 背後には、天明の大噴火とはうって変わって静かな浅間山が…。


 まだ緑の葉も残るが紅葉もあり、陽が差せばもう少し色鮮やかになるだろ
うと思われるのが少し残念。しかし車を気にせず落ち葉道を歩けるのが嬉しい。


 林を下って行くと、行く手に生田の集落が見えてきた。

 吾妻川の支流際に下ってその流れに沿って集落を進む。道路際のモミジが
色鮮やか。


 吾妻川右岸とJR吾妻線に並行する車道に出て少し行くと、今回のウオー
キングの目的である草軽電鉄の嬬恋駅跡の説明板があった。

 当時この駅周辺には、発電事業所、タクシー、運送店、商店、旅館、カフェ
ーなどがあって賑わっていたこと記され、若山牧水は「みなかみ紀行」で
この駅前旅館に泊まった思い出を書いているというが、いまはその面影は
見られない。

 スマートな建物の嬬恋交番の前のモミジも、きれいな色を見せていた。
吾妻川沿いの桜並木の紅葉も見ごろである。

 万座・鹿沢口駅のそばまで戻って吾妻川を渡る。こちら側が嬬恋村の中心、
三原の家並みが並び、郵便局や銀行、高校や小中学校などががある。

 その西南端に近い高台にある、今日の宿、逢友荘に16時45分に着いた。

 宿はスッポンの養殖をしており、夕食の膳には珍品、スッポン料理も並べ
られた。

(天気 曇、参加 17人、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 大前、歩行地 群馬
 県嬬恋村、歩数 10,600)
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奈良市内から京都国立博物館へ

2009-10-29 18:07:02 | Weblog
今日も好天で温か。午前中は、奈良市内の新薬師寺と白毫寺を拝観し、さらに奈良市写真美術館にて入江泰吉氏の万葉集にちなむ写真展を見た。
JR奈良線で午後、京都まで行き、京都国立博物館にて開催中の、日蓮と法華の名宝展を観覧した。
京都駅17時29分発の東海道新幹線の車中からの投稿、写真は、京都国立博物館。
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奈良国立博物館の正倉院展を観覧

2009-10-28 21:58:53 | Weblog
朝、大津市の雄琴温泉を出て、京都経由で奈良市内へ。
午後、奈良国立博物館の正倉院展を観覧する。
入場まで30分近く待ち、館内も大変な混雑。でも、天平時代などの数々の逸品が見られた。
そのあと、常設の仏像群なども見て館を出る。
次に、奈良女子大に行き、国重要文化財の記念館を見た。
日が傾いてきたので、近くの商店街をのぞき、今日の行程を終え、新大宮のビジネスホテルに入った。
写真はありません。
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比叡山坂本の日吉大社へ

2009-10-27 20:25:23 | Weblog
本日は、東京駅から東海道新幹線にて京都まで来て、湖西線にて堅田駅下車、予定の法事を昼過ぎに済ませた。
そのあと、湖西線にて近くの比叡山坂本駅まで行き、全国3000余社の山王さんの総本宮である日吉大社に参拝した。
国宝の東本宮、西本宮など400年を越える歴史ある社殿が10数個並んでいた。
添付写真は、西本宮。
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奥日光 刈込湖・切込湖(栃木県)

2009-10-26 22:01:26 | ハイキング
 以前にも投稿しましたが、明日から3日間、法事などで関西へ出かけます。
そのため、パソコンからの投稿は30日(金)まで休みます。

 今日2回目の投稿は、3週前の平日に出かけた奥日光のハイキングレポ
ートです。

===============================

 2009年10月7日(水)


 
 雨で1週間延期して開催された平日の山行、参加者8名は2台の車に乗り、
青梅のKさん宅を7時50分に出発した。

 圏央道から関越自動車道に入り、上里SAで休憩、沼田ICで下りて国道
120号、沼田街道に入る。

 間もなくの、「望郷の湯」と呼ぶ日帰り温泉のある道の駅白沢で2度目の
休憩をする。地元産品の直売場もあり、野菜などがどれもも安いので、それ
ぞれがかなりの買い物をした。

 尾瀬への玄関口、鎌田周辺には色づいたリンゴ畑が多く、直売所が幾つも
並んでいた。

 左下に丸沼を過ぎれば間もなく金精トンネル、トンネルを抜けると栃木県と
なり、湯本温泉の湯の湖湖畔まで下る。湖畔の紅葉は見ごろである。


 少し戻って刈込湖への登山口近くの駐車場に車を置き、今回のチーフリー
ダーNさんから挨拶があり、11時55分に出発した。




 道標の横から登山路に入ると間もなく、ほかでは見たことのないかなり大き
なカラマツが2本立っていた。


 対斜面や目の上に色づく紅葉を眺めながら緩やかに上がって大岩のある
小峠で休憩する。


 その先は下り道。ダケカンバの多い一帯の先は、ヒノキ、コメツガ、アスナロ
などの針葉樹林が増える。


 木の階段を幾つか下りて砂浜のある刈込湖の西岸に下った。


 刈込湖とこの先の切込湖は、南側にそびえる三ツ岳(1944.8m)の噴火に
より出来た湖。

 静かなたたずまいの湖畔、北岸には黄葉、紅葉が多いが↓、南岸は針葉樹
に覆われ紅葉の彩りは乏しい。


 13時を過ぎているのでここで昼食とし、湖を眺めながら弁当を広げる。

 標高は1,640mほどあり、歩いているときにはさほどでなかったが、休んで
いると体が冷えて寒さを感じる。

 刈込湖を背にして記念撮影をして、その先の切込湖に向かう。



 南岸の少し高みに付いた針葉樹林下の道を東へ、地図上では二つの湖は
つながっているが、渇水期のため水面は、わずかながら離れていた。

 切込湖の東端まで行き、引き返すことにする。

 そのまま先に進めば、光徳キャンプ場や光徳牧場への道が伸びている。

 往路を戻り、刈込湖の昼食地上で小休止。来るときにはかなり下ったので、
その先の針葉樹林帯は、かなりの上り道と思われたが、何度も休憩をとって
ゆっくりと進んだので、案ずるより楽に小峠に上がった。

 さらに南へ伸びる三つ岳西側山腹の斜面を戻ると、樹間から湯の湖の一端
が見えて来た。


 ところどころの色づくモミジも眺めながら進んで、16時5分に駐車場に戻った。

 16時15分に帰路につく。金精峠の近くまで上がると、往路では山ろくしか
見えなかった男体山が、夕闇迫る姿を見せる。


 鎌田付近から先ではやや渋滞となり、沼田市内ものろのろと進み、とっぷり
と日が暮れた。

 沼田ICからの関越自動車道に入り、赤城高原SAでKさんの車と分かれた。
私は往路同様Nさんの車に便乗させてもらう。

 関越道は順調に走り、埼玉県内に入ると予報通り雷雨となる。西武新宿線
入曽駅には19時32分に着き、隣の新所沢駅から歩いて20時過ぎに帰宅
した。

【コースタイム】刈込湖登り口P11:35~55ー小峠12:30ー刈込湖西端(昼食)
 13・10~45ー切込湖東端上14:10~15ー刈込湖西端上14:37~45ー小峠
 15:28~35ー刈込湖登り口P16:05

(参加 8人、天気 晴、地図(山と高原地図)日光 奥鬼怒・奥日光、距離
 6㎞、標高差(累積) 約620m、歩行地 栃木県日光市)
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八ッ場ダム予定地周辺を通過(群馬)

2009-10-26 12:00:04 | Weblog
 今日、10月26日(月)の朝日新聞朝刊(東京本社版)1面に、いま話題
の八ッ場(やんば)ダム予定地の紅葉の写真が、3面には「一から分かる
八ッ場ダム計画」が掲載されました。

 一昨日、10月24日と昨日、わがカントリーウオークのグループでは、この
八ッ場ダム予定地の上流、群馬県嬬恋(つまごい)村を歩いてきました。

 そのレポートは別途とし、24日の往路、JR吾妻線車中から通過した八ッ場
ダム周辺の景色を撮ってみたので、2,3紹介します。



 ダムで水没する、川原湯温泉周辺の紅葉。曇天なので色はいまひとつです
が、ちょうど見ごろでした。紅葉の間の建物が、温泉街の建物です。


 前原国土交通大臣や、関東1都5県の知事などが視察に訪れて紹介された
工事中の橋脚周辺。4年前にこのあたりを歩いたときには、影も形もありません
でした。

 ダムが出来ると、下の橋や土地が水没することになるのです。




 通過する車中で、木々の間から途切れ途切れに見えた景色を撮り、電線や
電車のガラスの反射が移り込むなど見苦しい写真ですが、ニュース性を考え
てあえてご紹介することにしました。
 
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草軽電鉄廃線跡を歩く

2009-10-25 15:29:45 | Weblog
カントリーウォークの仲間で、群馬県嬬恋村三原付近から草津温泉まで、昭和37年に廃止になった草軽電鉄の廃線跡を歩いた。
曇天のち雨となったが、道沿いの紅葉、黄葉が見頃。たっぷりともみじを眺めながら、かさこそと落ち葉道のウォーキングを楽しんだ。
帰途のJR吾妻線からの投稿です。
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週末と来週は不在に

2009-10-23 21:41:21 | Weblog
 明日24日(土)~25日(日)は、カントリーウオークグループの1泊の例会
で、群馬県草津温泉の近辺に出かけます。

 そのため、その前に溜まっていた原稿づくり2つを片づけるために集中して、
当ブログへの投稿も3日間出来ませんでした。

 ようやく今日2つとも終えましたので、明日から出かけてきます。現地から
は出来ればモブログで投稿したいと思いますが、携帯電話の電波状態とか、
仲間との時間に取られるとかで、投稿出来ないかもしれません。
 
 レポートは帰宅後、投稿しますが、来週も3日間出かける予定があるため、
来週末以降になるかもしれません。しばらくの間、ご猶予下さい。 
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カントリーウオーク大麻生(埼玉)

2009-10-19 22:23:13 | カントリーウオーク
 レポートが後先になりましたが、今日は、先々週の土曜日に歩いた、カントリ
ーウオークの報告です。

================================

 2009年10月10日(土)



 2年ぶりに本土に上陸した台風18号が通過して2日後の土曜日、第177
回例会を開催した。集まった19人は5組に分かれ、10時20分に昔ながら
のたたずまいを残す大麻生(おおあそう)駅を出た。

 
 ==三ヶ尻観音から文化創造館へ==
 
 北に向かい、国道140号の手前、住宅地の間を流れる大麻生用水沿いに
西へ少し進んで、国道に面した大栄神社へ。

 ケヤキ、カシなどを背にした趣ある社殿、右手背後にご神木の背の高いニレ
が枝を広げていた。


 すぐ先の宝蔵寺は本堂の修理中。境内に、明治13年(1880)に大麻生小
が、この地で開校したことが記されていた。

 故障した遮断機の修理をせず、道路上に線路マークをした秩父鉄道の踏切
を渡る。押切橋の下を西に抜けると、ほぼ刈り入れを終えた田園地帯。

 広々とした田んぼの向こうに外秩父の山並みが広がる。

 河川敷の大麻生ゴルフ場を見下ろす荒川左岸堤防を少しと、養護学校の北
を回り、川原明戸にある開放的な境内の明道寺に入る。

 応永年間(1394~1428)の開山で、本堂は嘉永7年(1854)の再建。
本堂内陣は、極彩色の精巧な彫刻に彩られていた。墓地には、江戸末期に
栄えた酒造業・青木氏の珍しい酒樽の形をした墓石があるというが見落とす。


 再び秩父鉄道の北に出て、柿の実る強戸集落を抜けると田園地帯の向こう
に観音山の緑が広がり、その山ろくを目指す。田んぼでは、コンバインで刈り
取りをしていた。


 観音山の山ろくにあるのは、三ヶ尻(みかじり)観音と呼ばれる龍泉寺。関東
弘法大師や、新四国八十八か所、忍(おし)観音霊場、関東ぼけ封じ観音霊場
などになっていて、どっしりとした山門や、石造の真新しい観音立像、大きな本
堂や観音堂などが、遠くからも目についた。

 境内は約5000㎡とのことで、本堂は昭和9年(1934)の改築、観音堂は
延享4年(1747)、仁王門は天保3年(1832)の建立という。天保2年、幕末の
志士・渡辺崋山が逗留し、三ヶ尻領を踏査してその記録を書物にしたらしい。


 観音堂は極彩色の精巧な木彫が施され、天井画も色鮮やか。高台にあるの
で南側の田園地帯や、南西から西方の山並みなどの展望がよい。

 境内には渡邊崋山腰かけ石があり、背後の観音山は、県のふるさとの森に
指定されていた。

 三ヶ尻集落を東北に向かい、上越新幹線の高架下を抜けると、熊谷の地酒
を醸造する私と同姓のG酒造がある。

 土曜で酒蔵の見学は出来ないが、社長夫妻が居られたので名刺を交換して
銘酒を購入、後から来たグループも含め、何人かが熊谷ゆかりの銘酒「直実」
(なおざね)などを購入した。

 広い車道に出て北へ、若木だが大きな実の付いたツバキ畑の横を進み、秩
父鉄道武川駅とJRの熊谷貨物ターミナルを結ぶ、貨物専用の秩父鉄道三ヶ
尻線の北にある、昼食地の「熊谷文化創造館さくらめいと」に、12時30分に
着いた。

 昼食場所の屋上へ、エスカレーターで上がる。防風ガラスに囲まれているが
360度の展望、熊谷郊外の家並みや田畑、秩父や上州方面の山並みなどが
望まれる。

 少し霞んでいて遠望が聞かないの残念だが、地上で昼食をするのは、例会
でもはじめてのことだった。

 ==久保島や運動公園を抜ける==

 13時30分、全員で午後のコースに向かう。熊谷西高の北側から田園地帯
に出て東へ。刈り入れの済まぬ黄金色の田んぼも残り、さわやかな秋風が心
地よい。


 久保島集落に入り、久保島神社で小休止する。ムクの大木が大きく枝を広げ、
黒い実が落ちている。大きなイチョウもあった。


 南に進んだ白林寺の本尊は薬師如来とのこと。庫裡(くり)の前に、檀家の方
が奉納した格好良い銘石の庭石が幾つも並んでいた。

 集落の南側は熊谷運動公園、野球場や陸上競技場、軟式野球場などが緑の
木々の間に広がる。公園の一角で休憩して記念撮影をする。


 上越新幹線の南に回り、後田集落の西にある、こんもりとした木々に覆われた
国史跡の宮塚古墳へ。

 方台の上に円墳のある上円下方墳と呼ぶ珍しい形の古墳で、ほぼ完全に保
存された全国的にも数少ない貴重なものだという。

 ゴールは秩父鉄道でひとつ東の駅、ひろせ野鳥の森駅に15時45分に着いた。
4年前の2005年3月に開業した秩父鉄道で一番新しい駅。駅舎は木のぬくも
りを生かし、設備はバリアフリーになっているという。 

(参加 19人、天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 三ヶ尻、歩行地 熊谷市、
 深谷市)
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