あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

平成最後の春に咲く花と新緑

2019-04-29 18:53:56 | 所沢だより
 2019年4月29日(月)

 平成も明日で最後、当ブログでは社寺などの歴史的情報以外は西暦で表示していますが、
この10日ほどの市内ウオーキングで見かけた、平成最後の春の花と新緑を紹介します。

 市内中心部を東西に流れる東川(あずまがわ)沿いの、庭の広い民家にはシダレモモが
10本近くあり毎年見事な花を見せてくれますが、今年も同様でした。



 


        

 別の日に撮ったもの


 そばの東川沿いに同じ頃咲いたヤエザクラ


    

         

    

 どこにあったか忘れたが、ツツジとボタンのよう。


 西武新宿線航空公園駅東口から北に延びる市道沿い、気持ち良いケヤキ並木の新緑。
     



     

 あちこちに咲くハナミズキ


    

     

     ツツジもたくさん咲いているので、どこで撮ったのかな?
    

         
     
 畑にはショカッサイが


 麦畑の向こう、東川沿いに並ぶクヌギの新緑


     

      緑町中央公園の新緑
     

          緑町の住宅で咲きだしたシャクナゲ
         

             

 西武池袋線小手指(こてさし)駅南口近くの市道沿い、真っ赤なツツジの植え込み。






    

 花いっぱいのハナミズキ


    

 近くの民家で咲き出したモッコウバラ。


         

 令和になっても、まだしばらくは春の花が楽しめそう…





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京都の非公開文化財 冬の特別公開寺院などへ③ 八坂神社から建仁寺と智積院へ〈後半〉

2019-04-27 18:27:04 | 京都を歩く
 2019年3月15日(金)
 =八坂神社から建仁寺と智積院を特別拝観〈後半〉=

 建仁寺の3つの塔頭寺院の特別拝観の観覧を終えて北側の四条通へ。

 昼食場所を探しながら四条大橋を渡り、阪急河原町駅そばの京都マルイのビルに入り、
7階レストラン街の元祖オムライスの店「北極星四条河原町店」でオムライスの昼食をし
た。


    
 ちなみにオムライスは、大阪にある「北極星心斎橋本店」が1925年に考案したのだ
という。

 13時45分頃店を出て、バスで京都駅前まで行くが、帰りに予約してあった上り新幹
線まで時間があるので、もう1か所特別公開の寺院に回ることにして、バスを乗り換えて
東山七条バス停で下りた。

 今回最後の特別公開寺院として訪ねたのは、真言宗智山派総本山の智積院(ちしゃくい
ん)である。

 智積院は全国に約3千の末寺があり、そのなかには成田山新勝寺(なりたさんしんしょ
うじ)、川崎大師平間寺(へいげんじ)、高尾山薬王院を始め、高幡山(たかはたさん)
金剛寺、大須(おおす)観音宝生院(ほうしょういん)の別格本山があり、壇信徒数は約
30万人にのぼるという。

     
 バスを下りた東大路通から入った境内は広く、正面の金堂に延びる参道沿いには、八重
のモモが見ごろで何本も咲き競い、サンシュユも花を開いていた。
          


 境内中央部の拝観受付で受付を済ませ、最初に西側突き当たりの講堂に入り、奥に続く
大書院や宸殿(しんでん)などを一巡する。












 宸殿では、特別公開の堂本印象作の「松桜柳(しょうおうやなぎ)の図」など色鮮やか
な障壁画を拝観する(撮影禁止なので、以下3点は特別公開ガイドブックから)。

 堂本印象「松桜柳の図」


 堂本印象「婦女喫茶図」

 
 長谷川等伯「楓図」(国宝)


 ほかの場所は撮影可能だったので、幾つもの障壁画や庭園の様子などを。


     









     



     

         





























 その後、東側突き当たりにあるコンクリート造りの金堂↑や、その右手の明王殿(みょう
おうでん)へ。

 金堂は昭和50(1975)年の再建で、明王殿は護摩道場、祈祷所であり、不動堂と
も呼ばれているよう。

 金堂の前には、慶長6(1601)年に徳川家康の外護を得て智積院を再建したという、
玄宥(げんゆう)僧正像があった。
     

 明王殿


 16時を過ぎたので智積院を出て、バスで京都駅に戻る。京都駅発17時32分のひか
り530号で帰途についた。  





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京都の非公開文化財 冬の特別公開寺院などへ③ 八坂神社から建仁寺と智積院へ〈前半〉

2019-04-26 22:21:57 | 京都を歩く
 2019年3月15日(金)
 =八坂神社から建仁寺と智積院を特別拝観〈前半〉=
 
 京都・四条大宮のビジネスホテルで7時半過ぎから朝食をして、8時50分にホテルを
出た。


 四条大宮駅から阪急電車で終点の河原町まで行く。今日の主目的は建仁寺(けんにんじ)
の特別拝観だが、拝観は10時からなので、その前に近くの八坂(やさか)神社を訪ねる
ことにした。


 四条通を東へ、四条大橋で鴨川を渡る。


 通の南側に南座↑を見て進み、祇園(ぎおん)交差点を渡れば八坂神社の山門がある。



 山門を入り拝殿に参拝し、境内を一巡する。八坂神社は全国の祇園社の総本社で、厄除
け祈願と商売繁盛の神社。7月の祇園祭は1200年の伝統ある祭礼で、豪壮華麗な山鉾
(やまぼこ)巡行などで知られている。


 境内の一隅に、御神水と美容水が流れ出ていた。



 ほかに、美を象徴する神という三神の女神を祭る美御前社↑、健脚祈願のための神馬
舎↓、幾つもの大きな掲額が並ぶ横長の建物などが目についた。


 山門を出て四条通を少し戻り、南に延びる祇園町南側地区へ。

 この通りは京都市の「歴史的景観保全修景地区」に指定されており、1階に格子戸と赤
ちょうちんが、2階にすだれを掛けた家並みが続き、祇園情緒あふれた町並みだ。






 祇園通りの突き当たりに臨済宗大本山建仁寺の北門があり、10時10分に着いた。

 建仁寺は、建仁2(1202)年に臨済宗の開祖、栄西(ようさい)により創建された
臨済宗建仁寺派の大本山。禅寺の格付け制度である五山制度のもとで京都五山の第3位と
なったという。


 国重要文化財の方丈は、慶長4(1599)年に安芸の安国寺から移築され、枯山水庭
園、国宝で俵屋宗達作の「風神雷神図」があることで知られている。

 今日は、建仁寺の塔頭(たつちゅう)寺院の中で冬の特別公開中の霊現院(れいげんい
ん)と両足院(りょうそくいん)、そして正伝永現院(しょうでんえいげんいん)の拝観
が主目的である。
     
   
 北門を入り、案内所のそばにある白壁に囲まれた鐘楼と中央部に立つ法堂(はっとう)
の間を進み、最初に境内東側中央部の両足院へ。
     
 両足院では、桃山時代の絵師・長谷川等伯の「水辺童子図」や「竹林七賢図屏風」↓、
伊藤若冲〈ちとうじゃくちゅう〉の「雪椿雄鶏図」などが特別公開されていた(撮影禁止
なので特別公開ガイドブックから)。
 

          「雪椿雄鶏図」
          

   
    七類堂天谿氏の道釈画(水墨画の中で道教と釈教=仏教の教義や画題を描くもの)
          


     
 それらの拝観とともに、約300坪あるという桃山時代の枯山水庭園と書院前の池泉庭
園も拝観できたので、それらを紹介する。










 庭園の一隅にはサンシュユが咲いていた。


 両足院の南西側には、「栄西禅師茶碑」と「平成の茶苑」がある。建仁寺開祖の栄西禅
師は、建久2(1192)年に宗(中国)からお茶の種子を持ち帰ったとか。

 平成の茶苑は、茶が将来して800年を記念して植樹栽培したという。


 南端近い宝生池と勅使門↓の東側を左折する。


     
 建仁寺専門道場への道を進んで、一休禅師や今川義元も修行した「五山文学」の最高峰
の寺という、次の特別公開の塔頭寺院・霊現院に入る。
     


 霊現院では、南北朝時代の肖像彫刻の傑作という「中厳円月(ちゅうがんえんげつ)坐
像」や、その胎内仏で湛慶作の「毘沙門天立像」、さらに今川義元、織田信長、千利休、
細川幽斎の筆書状などが公開されていた(撮影禁止なので特別公開ガイドブックから)。

      中厳円月坐像
     

           毘沙門天像
          

     狩野山楽筆「布袋像」
     
  
           方丈にある茶室
          

 この塔頭寺院の庭園は狭く、特段見るべきものはなかった。

 戻り道で再度西側の三門と放生池などを眺め、最初に入った北門を出た。

 次の特別拝観の建仁寺塔頭寺院・正伝永現院は建仁寺最北部にあり、細い道路を北進し
て東北端の表門から入った。




     
 織田信長の弟で大名茶人の織田有楽斉(うらくさい)と熊本藩主細川家の菩提所で、表
門を入ると有楽斎↑や近親者の墓、細川家歴代の墓地↓などがあった。


 特別公開は、狩野山楽(かのうさんらく)の金碧障壁画「蓮鷺図(れんろず)」、「織
田有楽斉画像」、「鍾馗図(しょうきず)」、2013年に奉納されたという元首相・細
川護熙(もりひろ)氏の障壁画などの寺宝が展示されていた(一部撮影禁止なので特別公
開ガイドブックから以下に)。

 「蓮鷺図」
 



      「織田有楽斎画像」
     

           「鍾馗図」
          

 ここも庭園は撮影できたので、唯一撮影可能だった細川護熙氏の作品「知音」とあわせ
て紹介する。
     







 細川護熙画「知音」(一部)

 細川氏が陶芸をされることは知っていたが、障壁画も描かれるとは知らなかった。





 13時近く、正伝永現院を出た。(続く)

 




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京都の非公開文化財 冬の特別公開寺院などへ② 北野天満宮と妙心寺の塔頭寺院へ〈後半〉

2019-04-25 20:47:45 | 京都を歩く
 

 2019年3月14日(木)
 = 北野天満宮と妙心寺の特別拝観〈後半〉 =
  
 午前中に北野天満宮の参拝を終えて近くで昼食後、北野白梅町駅から13時20分発帷
子ノ辻(かたびらのつじ)駅行き嵐電北野線に乗る。


 13時25分に妙心寺駅で下車した。

     
 アンティークな小物をたくさん飾る店や、たくさん花鉢の並ぶ民家前を進み、妙心寺の
北総門を入り境内に戻る。


 午後は、今回の旅の目的地の一つ、妙心寺内の三つの塔頭寺院の非公開文化財特別拝観
である。
     
 ちなみに妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山で、1342年に花園法皇の開山で、離宮
萩原殿を改めて寺とされたの始まりとか。

 室町初期に一時中断し、再興後、応仁の乱で再び焼失したが後に再建され、名僧が出て
寺運は盛んとなり、室町後期から江戸初期に塔頭が相次いで建てられ、地方へも勢力を広
げた。末寺は3500余あり、臨済宗各派中最大という。

 特別拝観の最初は、北総門を入ってすぐ右手の天球院(てんきゅういん)へ。
     
 天球院は、岡山藩主池田光政兄弟が、大伯母天球院のために寛永8(1631)年から
4年かけて建立したとのこと。

 国重要文化財の方丈(ほうじょう)は、玄関とともに江戸時代を代表する禅宗方丈建築
で、方丈内部を飾る障壁画は狩野派の絵師、狩野山楽(かのうさんらく)と山雪(さんせ
つ9の代表作として名高いという。
     



     

 今回は、その山楽・山雪の絢爛豪華な障壁画が公開されたが、撮影禁止なので、「非公
開文化財特別公開ガイドプック」掲載の写真でその一部を紹介する。

 「梅に遊禽図(ゆうきんず)」


 「竹虎図」
     
 山門から玄関までと、方丈から望む庭園は撮影可能。13時35分から14時まで拝観
した。


 続いて妙心寺境内中央部にある鱗祥院(りんしょういん)へ。
     
 鱗祥院は、寛永11(1634)年に徳川三代将軍家光が、乳母である春日局(かすが
のつぼね)の冥福を祈り、現在の花園高校付近に建立したのが起こりのよう。

 幕府から寺領200石を与えられ、歴代住職は黒衣のまま江戸城白書院の出入りを許さ
れたとか。明治30(1897)年に現在地に移転されたという。




 御霊屋(おたまや)には、小堀遠州作と伝わる春日局座像が安置されている〈特別公開
ガイドブックから〉。
         


 また方丈(ほうじょう)には、春日局と親交のあった絵師・海北友松(かいほうゆうし
ょう)の息子、友雪(ゆうせつ)により描かれた「雲竜頭」↑↓「山水画」「瀟湘八景・西湖図」
などの水墨画が描かれていた〈特別公開ガイドブックから〉。


 それらや、春日局が家光から賜った「百椿図(ひゃくちんず)屏風」が特別公開されてい
たがやはり撮影禁止。

 方丈に安置されていた本尊・宝冠釈迦如来と阿難尊者、迦葉尊者像〈特別公開ガイドブ
ックから〉



 御霊屋と方丈を巡った後、サンシュユや白梅、紅梅など咲く庭園も拝観した。








     

     
 妙心寺境内の中心部にある仏殿や三門などの西側を進み、通年公開の退蔵院横から境内
南端に進む。






     


 勅使門↑の北側を回り、最後の特別公開の塔頭である龍泉菴(りょうせんあん)へ。
     
 龍泉菴は、妙心寺四派のひとつ「龍泉派」の本庵。文明13(1481)年に、室町幕
府の管領(かんれい)だった細川政元が開基として景川宗隆(けいせんそうりゅう)が創
建した。


 景川は妙心寺中興開山の雪江宗深(せっこうそうしん)の弟子の一人で、「禅は景川」と
いわれた高僧とか。その後の妙心寺発展の礎となった四派本庵のなかで最初に創建された
由緒ある塔頭寺院だという。

 江戸時代に建てられた方丈は、妙心寺山内塔頭寺院中でも最大規模のよう。平成11
(1999)年の開祖500年にあわせて日本画家・由利本出(ゆりもといずる)氏が描
いた100面に及ぶ障壁画が納められていた。


 今回それらが公開され、案内人の説明に従い幾つもの建物を回り、たくさんの種壁画を
順次拝観した。

 建物を回りながら、松など豊富な植栽の庭園も順次眺める。
















          









     







 ほかに、狩野探幽「観音・竜虎図」↑〈特別公開ガイドブックから〉、谷文晁「秋山出屋
図」、長谷川等伯「枯木猿猴図」など寺宝も特別展示されていた(撮影禁止)。


 これで妙心寺塔頭の特別拝観を終え、15時35分に南総門を出た。東側にある昨夜宿
泊した花園会館に戻る。


 預けた荷物を受け取り、売店で土産物を求める。館内の食事処「花ごころ」に入り、今日
の妙心寺の三つの塔頭でもらった「京の冬の旅」スタンプラリーの接待品の抹茶と和菓子
をいただいた。
    

 花園会館を後にして、もう一度妙心寺境内を北総門から抜ける。妙心寺駅から帷子ヶ辻
行き嵐電北野線に乗る。
     


 帷子ノ辻駅から嵐山本線に乗り換え、終点の四条大宮駅に17時頃着き、近くのビジネ
スホテルに入る。

                      

                              (歩数 13,500)





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京都の非公開文化財 冬の特別公開寺院などへ② 北野天満宮と妙心寺の塔頭寺院へ〈前半〉

2019-04-24 18:26:24 | 京都を歩く

 1日目のレポートからしばらく間が空いてしまいましたが、京都の非公開文化財特別観
覧の旅のレポートを再開します。

========================================

 2019年3月14日(木)
 = 北野天満宮と妙心寺の特別拝観〈前半〉 =
 
 京都・洛西にある臨済宗妙心寺派のお寺のホテル、花園会館で7時前に起床した。8時
からホテル1階の京料理「花ごごろ」で朝食をする。

 不要荷物を預けて、9時20分に花園会館を出た。今日は、広い妙心寺境内にある三つ
の塔頭(たつちゅう)寺院の非公開文化財の拝観が主だが、その前に、昨日京都文化博物
館で美術工芸品などを観覧している北野天満宮を参拝してくることにした。

 東西約450m、南北約530mほどある広い境内に、46の塔頭があるという妙心寺
の南東端から入り、北に向かって幾つかの塔頭の間を進む。
     
 ちなみに、妙心寺には「院」の名の付く建物が幾つもあるが全て個別の寺院で、それを
「塔頭」あるいは「塔頭寺院」と呼び、46の塔頭があるという。

 塔頭寺院 衡梅院の山門、本堂は重要文化財のよう。


 衡梅院の東側にある蓮池


 蓮池の東側、塔頭寺院 養源院の唐門


 妙心寺中央部の法堂(はっとう)


 近くの妙心寺経蔵


 法堂の西側、妙心寺鐘楼


 妙心寺仏殿と法堂(奥)


 南端中央の妙心寺勅使門

 
 仏殿の前にある妙心寺三門


 鐘楼の北西の塔中寺院 霊雲院


 妙心寺大庫裡の北側 塔頭寺院大通院の庭園
 
 ちなみに大通院には、開基の土佐国藩主山内一豊とマツ夫妻の廟があるという。

 大通院の西の塔頭寺院 春光院


 春光院の先から北総門への道

           
 北総門に近い塔頭寺院 金牛院の庭



 北総門↑を出て、北進して嵐電(らんでん)北野線の龍安寺(りょうあんじ)駅に着き、
10時24分発北野白梅町行き電車に乗る。


 終点の北野白梅町には3分で到着した。
 

 東に延びる今出川通を進み、北野天満宮前には10時43分に着いた。


 一の鳥居を入った右手に、満開の紅梅が目に入る。


 その先のアカマツは、創建当時からあるというご神木「影向松(ようごうのまつ)」。
       
 菅原道真が肌身離さず持っていた仏舎利が、死後に大宰府(だざいふ)から飛来してこ
の松にかかったと言われているよう。

     
 さらに何本もの松やサンシュユの咲く参道を進んで二の鳥居前へ。

 左手前にあった観音堂に参拝することにした。本堂と手前の礼堂(らいどう)がつなが
れた複合形式の建物とか。

 17世紀前期(本堂)と元禄期(礼堂)の建築様式をよく留めていることから、京都市
指定有形文化財になっている。


 近くの東向観音堂境内の別の建物前には「大峰登山五拾五度供養塔」が立ち、その建物
の背後には「菅公御母君 伴氏廟」の大きな五輪塔があり、そばのシキミが開花していた。
     

         
  
 二の鳥居を入り、左手の梅苑に咲く幾つもの梅の花を眺めながら進む。梅苑は有料だが、
花は梅林に入らなくてもよく見える。



 三の鳥居を入ると参道には露店が並び、正面が堂々たる楼門。左手には近年建築されて
真新しい文道会館が目に入る。



 楼門の先や梅苑など、幾つもの梅が花を競って咲く。
     

 境内いたるところに牛の石像があり、何れも朱や白の首飾りをかけている。
    

     
     

 花咲く梅を眺めながら進むと、回廊で拝殿と結ばれている重要文化財の三光門(中門)
があり、勅額は後西天皇の御宸筆(ごしんぴつ)という。


         


 三光門を入り、正面の拝殿に参拝した。拝殿の左手前には樹齢400年以上とみられる
御神木の紅梅・飛梅(とびうめ)が鮮やかな花を見せ、相対して右手前には飛松と呼ぶ松
の古木が立っている。


     
 伝説によれば、菅原道真が九州・太宰府に左遷されるときに家の庭木たちと別れを惜し
み、桜は悲しんで枯れてしまったが、松と梅は菅公を慕って空を飛んだとのこと。

 梅は一夜のうちに太宰府まで行き着いたが、松は途中、摂津の国板宿(神戸市須磨区板
宿)で力尽きてそこに根をおろしたのだとか。


 拝殿の右手から背後に回り、左手の方に一周する。こちらにも何本もの紅梅白梅が花を
競い、朱塗りの地主神社など幾つかの摂社が祭られていた。






         

 西北端の社殿の周囲には、幾重にも積み重なったおびただしい数の合格祈願絵馬が奉納
されている。


 秋の紅葉で知られる「史跡御土居の紅葉」碑の横を進み、三光門を去る。



 宝物殿↑前を通り楼門を出て、参道から一の鳥居を抜けて正午頃、北野天満宮を後にした。


 往路を戻り北野白梅町駅に向かう。民家に鉢植えの花がいっぱい飾られ、見事な花ばか
りだった。


 その先、紙屋川の橋の手前にあったた小さなパスタの店「紙屋cafe」に入り、「ペスカ
トーレ」と呼ぶ特大有頭エビと魚介類のトマトソース料理(1250円)を注文し、昼食
にした。
     

    

                                    〈続く〉





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第34回 小手指ハナミズキまつり(埼玉・所沢)

2019-04-21 17:49:53 | 所沢だより
 もっと長引くかと思ったのですが、幸い、ギックリ腰の回復が早かったので再開します。

========================================

 2019年4月21日(日)

 正午過ぎ、買い物を兼ねた市内ウオーキングで、西武池袋線の小手指(こてさし)駅北
口に回ったら、毎年この次期開催されている催し「第34回小手指ハナミズキまつり」が、
昨日と今日の2日間、北口のハナミズキ通りで開催されていました。


 小手指駅北口広場のハナミズキは、まだ満開には少し早そう。

 駅前から北に延びるハナミズキ通りは、今日は10時から17時まで歩行者天国です。


 駅に近いところでは、地元消防団が団員募集を兼ねて子どもたちへのサービスを。


 その先あたりから、かなりの人で賑わっていました。



 地元の青果店


    
      所沢の特産品のひとつ、狭山茶で造った抹茶たい焼き
 
 地ビールも


 はるばる岩手県陸前高田市からのホタテ焼


     
 金魚すくいならぬ、スーパーボールすくいというのがあるのですね。


 小手指一丁目交差点から、駅の方向をふり返ってみると。


 同じ場所から反対の北側は


 交差点から西に延びる通りのハナミズキは、かなり見ごろになっていました。


 今日は3回、この子どもみこしを練り歩くようですが、いまは休憩中。


 シルバー人材センターも出店していました。


 こちらは竹炭など、竹材の加工品のよう。

 
      その辺りのハナミズキは、まだ咲き始め。
     

 歩行者天国の北端近くの賑わい。


 所沢の郷土芸能、重松流祭囃子(じゅうまりゅうまつりばやし)保存会の演奏。


     

 折り返して駅の方向に向かいます。


      交差点の東側、西友付近のハナミズキ
     

     




 帰路に通過した住宅地の中の、桃木窪(もものきくぼ)公園の白花ハナミズキは、かな
り咲きそろっていました。
 





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腰痛のため少し休みます

2019-04-20 15:54:38 | Weblog
 2019年4月20日(土)

 今週は3日ほど留守にしていて、帰宅後の昨日は庭の一部の掘り起こしとしたところ、
軽いギックリ腰となりました。

 そのため、パソコン用の椅子に座る時間が長いと痛みが強くなるので、投稿予定の原
稿もあるのですが、少し休みます。また数日後ご覧ご覧下さい。
コメント (2)
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武蔵浦和から写真クラブの作品展へ(埼玉・さいたま市)

2019-04-13 21:55:26 | ウオーキング
 2019年4月9日(火)

 毎年この時期に開催され、カントリーウオークグループのメンバーのNさんが参加され
ている、写真クラブの作品展の観覧にさいたま市へ出かけました。

 JR武蔵野線・埼京線の武蔵浦和駅に11時に着きました。駅の建物の2階部分から見
下ろす東側ロータリーでは、2本のソメイヨシノがほぼ満開です。


 下に降りてもう一度眺めます。


 北に延びる「花と緑の散歩道」の両側にはソメイヨシノのが続き、さくら祭りの幕が掲
げられていました。


     
      もう満開を過ぎていますが、まだ結構見ごろ。
          

    





 「花と緑の散歩道」が終わり、跨道橋で車道を越えて北側の別所沼公園へ。


 公園内は淡い新緑が始まっていました。


 公園の南西端近くにあるヒヤシンスハウス。春分の日の翌日の3月21日(土)付朝日
新聞東京本社版朝刊「天声人語」で紹介された建物です。


 その西側に、珍しい桜が咲き出していたので回ってみました。ウコンと呼ぶ桜です。
     

    

        

 少し北側の広場の横には背の高いソメイヨシノが咲き残り、その先には若木のシダレザ
クラが並んでいました。






         

 東側の別所沼沿いを、幼稚園児が散歩にやってきました。


 芽吹きがかなり進んできたケヤキなどの広葉樹。


 別所沼の北岸で咲くヤマブキ


 湖岸のメタセコイアも芽吹きが始まりました。


 東側の台地に上がって県庁の北西端付近まで進み、北に進んでさいたま市役所へ。


 庁舎の東側のケヤキなど




 市役所構内にあるこの「さいたま市民ギャラリー」が、目的の「写真クラブうらら」の
作品展会場です。


 
 さっそく入館して、Nさんなどメンバー5人が各々4~5点出展された作品を拝見しま
した。









 撮影地は、市内のほか、東北から富山県、鹿児島県屋久島に至るエリア、さらに中国、
パキスタンなどでしたが、ほとんどが美しい風景写真でした。


 さいたま市役所構内の、比較的若木のシダレザクラはまだ咲き始め。
    

        

 市役所と道路を挟んだ東側の自衛隊の事務所構内のヤナギ
     

 東側にはヤエザクラらしいのが咲き出しました。


         

 その東側は知事公館で、邸内のソメイヨシノもまだかなりの花を。


 中山道との交差点まで東進して中山道を南へ進み、駅近くの西側にあるシダレザクラで
知られる実蔵院へ。


 シダレザクラはもう葉桜でした。


 JR浦和駅西口広場のケヤキなど。


 12時48分に浦和駅に着き、上り電車で帰路につきました。





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成田国際空港の一部 半世紀前は三里塚御料牧場、そして今も(千葉・成田)

2019-04-12 14:52:59 | アーカイブ
 2019年4月12日(金)

 ちょうど50年前の今日、昭和44(1969)年4月12日(土)、私は、現在は成
田空港になっている成田市三里塚(さんりづか)の宮内庁下総(しもうさ)御料牧場に出
かけました。

 この年、成田に新しい国際空港の建設が始まるということで、当時花見の名所だった三
里塚の御料牧場へ、最後の花見ハイキングに行くことにしたのです。

 当日の短い日記には以下のように記されていて、モノクロ写真も数枚残っていたので、
日記の間に挿入します。

 『7時起床、花の見頃の三里塚牧場へ出かける。日暮里駅10時頃の急行に間に合わず、
途中2か所乗り継ぐ。12時15分に成田駅からバスに25分乗って牧場に着く。
         


 天気は快晴で花(桜)もまさに満開。広々した牧場のところどころにある区切り道は、
車が通るとホコリになるが、緑の草とたくさんの桜。






     


 奥の、羊や豚、ニワトリ、牛など家畜のいる方は、人も少なく松の古木やいろいろな木
もあり、気持ち良い。

 牧草地で昼食してあちこち回り、16時過ぎに帰途につく。あと半年で新国際空港工事
となり、この桜も最後。まったく惜しい場所だ。帰宅は20時過ぎ。』

 なお、交通費は 池袋~日暮里~成田(国鉄)250円、成田~三里塚(バス)50円。
ほかに、成田の名物、米屋のようかんを買っていましたが、100円と150円でした。

 写真を貼ってあったアルバムには、前日の4月11日の新聞(何新聞か不明)に掲載さ
れた『三里塚牧場ハイキング この夏限りのコース』という記事もありました。

 現在と比べるとかなり活字が小さくて読みにくいですが、以下がそれです。



 話は変わり、半年前の昨年(2018)10月12日(金)、海外旅行に行くのに朝の
空港バスでは空港の集合時刻に間に合わないので、空港近くのビジネスホテルに前泊した
のですが、その際、成田国際空港の第1ターミナルビルのコンビニ・ミニストップで弁当
などを購入しました。

 帰宅後、そのときもらったレシートを見て、おや! とビックリしました。店の住所が、
「成田市三里塚御料牧場1番地1」になっていたのです。
            
 50年近くなるのに、あの三里塚御料牧場の名が残っていたとは思ってもいないことで
した。

 ネットで調べてみると、同じ第1ターミナルビルのコンビニ各社とも同様でした。

 さらに調べたら、第1ターミナルビルの住所はやはり当時のままになっていることが分
かりました。

 第1旅客ターミナルビル 成田市三里塚字御料牧場1番地の1



 近年は、市町村合併や住居表示変更などの際に、全く新しい地名に変えてしまう例が多
く、その土地の歴史などが忘れ去られてしまいがちですが、成田国際空港のように歴史的
な地名を残しているというの貴重であり、このままいつまでも続けてほしいものです。





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桜が見ごろの妙正寺川、神田川沿いから雑司ヶ谷鬼子母神へ(東京・新宿ほか)

2019-04-11 21:42:48 | 江戸・東京を歩く
 2019年4月7日(土)

 埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第262回例会に参加した。今
回も前月と同様に都内で、集合は西武新宿線の下落合(しもおちあい)駅。


 妙正寺(みょうしょうじ)川の行方を確かめ、あわせて川と坂道を楽しもうという企画
である。10時10分にスタートした。

 北口を出て線路を渡り南へすぐ、神田川の西側にある「せせらぎの里公苑」に入る。東
京都下水道局落合水再生センターの北側上部に造られた公園で、ソメイヨシノがまさに見
ごろ。



 シダレザクラやチューリップなども咲き競う。



 北向きから東方へとカーブする神田川の両岸もソメイヨシノの花に覆われている。カー
ブの終わる辺りで神田川を離れた。


 下落合駅東側の踏切を北に抜け、西から流れてきた妙正寺川が、都道8号・新目白通下
の暗渠(あんきょ)に入るところを確かめる。
     


 新目白通りを横断し,正面の斜面にある東長谷寺(ひがしはせでら)の薬王院へ。
         
 広い境内は植栽も豊富。早くも咲き出したボタンがあり、ミツバツツジやドウダンツツ
ジ、シャクナゲなどが花開き、モミジの若葉も気持ち良い彩りを見せる。
     



 東側に接した「下落合野鳥の森」もモミジなど新緑が豊富で、ヤマブキが花いっぱい。


 東側すぐ先には氷川神社があり、ケヤキなどが新緑の彩りを見せる。


 次の交差点で新目白通を渡り、西武新宿線の南側へ。神田川の橋を渡り、右岸近くの住
宅地を少し進み、数本のソメイヨシノの咲く宮田橋公園で小休止した。


 住宅地や東京富士大前から東電の変電所北側に回る。


 商店や食堂、喫茶など並ぶ賑やかな「さかえ通り商店街」を進み、JR山手線と西武新
宿線の下を東に抜けると高田馬場駅前である。


 西武線の高架下沿いに進んで神田川右岸に出て、川沿いを東進する。
     
 右岸の橋際などにはソメイヨシノがあちこちに咲き、新目白通と明治通が交差する高戸
橋へ。


 橋から上流を望むと、左に神田川が、右に暗渠から出た妙正寺川がひとつになる合流地
点だった。


 ここは、早稲田方面からの都営荒川線の線路が新目白通から右カーブして明治通に回り、
北に向かう地点でもある。


 目白通を都電学習院下停留所際まで進み、東へ少しで氷川神社へ。


     
 東側正面の鳥居近くには、上部を切られた古木のソメイヨシノが、そしてヤマブキとボ
ケが混じりあって咲いていた。


 すぐ先の交差点際は、御府内八十八ヶ所29番と豊島八十八ヶ所41番札所で真言宗豊
山派の南蔵院である。

 「名作怪談乳房榎ゆかりの地」の標識もあり、本堂はコンクリート造りの2階部分。

 花の寺と呼んでもいいようで、境内にはクリスマスローズ、シャガ、スイセン、何種も
のチューリップや見慣れぬ花も咲き競う。
    

         

    

 数本のソメイヨシノも見頃で、境内は緑と花に満ちあふれていた。
     


 そばの交差点際に『「山吹(やまぶき)の里」の碑』の説明板が立ち、そばに古い石碑
がある。
     
 この辺り新宿区山吹町一帯は、太田道灌が鷹狩りの際に雨にあった時の故事にちなむ場
所のひとつで、山吹の里はほかに荒川区町屋(まちや)、横浜市金沢区六浦(むつうら)、
埼玉県越生町(おごせまち)などの説があることも記されていた。碑は貞享3(1686)
年造立の供養塔を転用したものだという。


 南側の神田川の面影橋(おもかげばし)際に出て、両岸をソメイヨシノが咲き競う左岸
沿いの遊歩道を進む。
         

 川沿いに、新宿区の地場産業である染色の伝統を伝える「東京染(そめ)ものがたり博
物館」があり、週末は休館日だが花どきなので今日は開館していた。

 ここは、東京染小紋(そめこもん)と江戸更紗(さらさ)を中心に、染色の技法や作品
を語り継ぎ、粋でモダンな感覚を織り込んだ工房活動を紹介している新宿区立のミニ博物
館(入館無料)。

 先頭グループは行ってしまったが入館して、型紙や絵柄の本、染小紋や江戸更紗の製品
の数々、そして直売品などを観覧した。




 次の橋で神田川から離れてひとつ北側を並行する道を進み、途中のコンビニで飲み物な
どを求める。後ろ足に飾りを付けた大きな亀が、路傍を歩いていてビックリ。
    

 その先の角の東北側が、今日の昼食地の「文京区立肥後細川庭園」。12時35分に着
いた。

 幕末、ここは肥後熊本藩54万石細川家の下屋敷、抱え屋敷で、明治15(1882)
年からは細川家の本邸だったところ。昭和36(1961)年に都立公園として開園し、
昭和50(1975)年に文京区に移管されたという。


 正門を入ると、松聲閣と呼ぶ建物が目に入る。中門の先には大池と呼ぶ池があり、周辺
には趣ある松や灯籠などが配され、背後には豊富な樹林が広がる。





 モミジやケヤキなどがやわらかな新芽の彩りを見せ、その中にソメイヨシノが花を見せ
ていた。

 昼食の場所を探しながら松聲閣↑横から池の北西側斜面に上がる。展望のよい一角にシー
トを広げ、眼下の池や周辺の新緑などを眺めながら乾杯して昼食とする。







 ゆっくりと展望とおしゃべりを楽しみ、記念撮影して14時に公園を出た。




          
 公園の東南端から、北に延びる急坂、胸突坂(むなつきざか)を上がる。東側は関口芭
蕉庵で、西側には大イチョウの立つ水神社が祭られていた。
          

 肥後細川庭園に続く西側斜面上部は永青(えいせい)文庫で、南北朝時代から現在に至
る歴代細川家約700年に収集された細川家の歴史資料や文化財、近代日本画、中国の考
古品、陶磁器などを収蔵しているという。

 都道8号・目白通に出て西へ、永青文庫に接して「和敬塾」がある(門からの眺め)。

 首都圏の大学で学ぶ男子学生のための学生寮で、海外からの留学生を含め500名が共
同生活を送っているようだ。

 西側の坂が幽霊坂で、和敬塾の建物沿いに今度はこの坂を下り、肥後細川庭園の入口際
に戻る。

 その先、目白台一丁目の住宅地を鍵型に進み、次の豊坂(とよさか)を上がる。坂下に
豊川稲荷神社があることから名付けられたようで、坂を上がった目白通の交番際で小休止
した。通りの北側は日本女子大である。

 次の小布施坂(おぶせざか)は通過し、すぐ先はV字状に分かれた日無坂と富士見坂だ
が、左側の細くて階段もある日無坂(ひなしざか)を下った。


 坂下の高田一丁目を西進して往路で訪ねた南蔵院際まで進み、最後の宿坂(しゅくざか)
を上がる。
     

 中ほどで横断する十字路の北西側は、「目白(めじろ)不動」で知られる金乗院(こん
じょういん)である。

 中世この辺りに関所があったことから「宿坂」と呼ばれるようになったと思われ、天保
7(1836)年出版の「江戸名所図会(ずえ)」には、金乗院や「宿坂関旧址(しゅく
さかのせききゆうし)」が描かれているという。

 金乗院の創建は天正年間(1573~92)と考えられ、当初は中野・宝泉寺の末寺だ
ったが現在は護国寺の末寺とか。

 コンクリート造りの本堂の右手にある目白不動堂には、目白不動明王が祭られ、「目白」
の地名発祥の地である。

 
          不動堂に祭られた目白不動明王
         

 目白不動明王は、江戸守護の五色不動(青・黄・赤・白・黒)の中で随一として名高く、
目白の号は寛永年間(1624~44)に3代将軍徳川家光の命によるといわれているよ
うだ。

         
 本堂前に寛文6(1666)年造立の倶利伽羅(くりから)不動庚申塔が、南側ソメイ
ヨシノの下には寛政12(1800)年造立の鐔塚(つばづか)がある。


     
 金乗院本堂と目白不動参拝後、宿坂を上がり、目白通を横断して鬼子母神の表参道を進
む。都営荒川線の雑司ヶ谷(ぞうしがや)駅横を通過して、雑司ヶ谷鬼子母神(きしもじ
ん)境内へ。

 雑司ヶ谷鬼子母神は、天正6(1578)年、稲荷の森といわれた当地に村の人々が堂
宇を建て、近くの東陽坊に祭られていた鬼子母神像を祭ったのが始まりのようで、鬼子母
神堂は国の重要文化財に指定されている。


 細い参道の両側にはケヤキの高木が並び、淡い若葉を見せていた。お堂の左手前には、
樹齢600年以上、幹周8m、樹高30mで、都の重要文化財のイチョウの古木が目に入
る。
     

 ここが今日のゴール、15時46分に散会した。帰路はJR目白駅と池袋駅方面へと分
かれた。

 桜が見頃の妙正寺川と神田川沿い、肥後熊本細川家下屋敷の面影残す回遊式の肥後細川
庭園、そして神田川左岸沿いの由緒ある坂道の上り下りと、都心とは思えぬ変化に富むウ
オーキングを楽しんだ。

(参加 13人、天気 快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万)、東京西部、歩行地 
 新宿区、文京区、豊島区、歩数 16,100)





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