2009年11月18(水)(第2日)
==四尾連湖から釜額へ==
昨日の冷たい雨が上がって晴天となった。朝食前に I さんと、周囲1.5㎞
の四尾連湖(しびれこ)を時計回りに一周する。左の建物が宿泊した水明荘。
まだ湖面には陽が差し込まぬが、湖の周囲は紅葉が見ごろになっていた。
宿泊した水明荘の主、Kさんと一緒に記念撮影をして、2人のお孫さんに
も見送られ、8時前に出発する。湖岸にも太陽が差し込み、紅葉の彩りが鮮
やかになった。
湖の南面を回って少し上がると、りっぱな針葉樹に囲まれた子安神社が
ある。これから下る四尾連集落の氏神で、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
が富士山噴火の折に来て、子供を産んだといわれる安産の神社だという。
本殿には、安産を祈って奉納した、穴の空いたひしゃくが幾つも並び、毎年
10月にはお神楽が奉納されるという大きな神楽殿もある。
境内には、建久4年(1193)、源頼朝がこの地で鷹狩りをして休んだ際に
使った、ヒノキのはしが育ったといわれ、「四尾連のリョウメンヒノキ」と呼ぶ、
2本の大ヒノキが立つ。
南側の四尾連集落に向かって下る道は、最近は歩く人がほとんどいない
ようで、少し荒れていた。四尾連集落は、標高790m前後の南斜面にあり、
南側に、色づいた広葉樹の山並みが広がる。
集落を出た斜面に湧水が湧き出ていて、「浄身石」と呼ぶ出生児に似た
石がある。木花咲耶姫が富士の噴火から逃れて四尾連湖に向かう途中、
この石に座って身を清め、無事出産したのだという。
藤田(とうだ)に向かって下る車道も南方が開け、周辺の斜面とあわせて
紅葉の彩りが楽しめる。
藤田集落を抜けて500mほどで、左への旧道へ。少し進むと、富士川沿
いの谷間に続く集落が見下ろせる。
堀切(ほつきり)集落に近い車道に出て、ヘヤピンカーブのところを3度ショ
ートカットし、集落最上部の大明寺に下って小休止する。
この辺りは地図上に桑畑マークが多いが、寺の付近にも、まだ養蚕に利
用しているらしい桑畑が残っていた。
市川三郷町最南端の堀切集落を抜け、少し下ると身延町、その最奥の小
集落も堀切である。
樋田川の右岸に沿って次の久保集落まで下る。消えかけた「総合食品
宮下屋」の看板があったが、店は閉店していた。奥様がおられたので、
最近の近辺の様子を聞く。
店の前に、柿の皮が干してある。「たくわん漬けに入れると甘くなる」と言
われた。
集落の南端から樋田川の大正橋を渡り、東側の大山集落に向かう。1車
線の車道は、等高線に沿うように短いカーブを繰り返して、少しずつ上がっ
て行く。
久保からは直線距離で1㎞ほどだが、標高差は約340mあり、50分かけ
て標高700m近い大山の小集落に上がった。
集落上部の稜線にある神社の方に向かって少し進むと、紅葉の稜線の上
に、雪を被った富士山の上部が姿を見せていた。
思いがけずの絶景に上ってきた甲斐があったと喜び、ここで昼食をするこ
とにする。稜線上の小道に腰を下ろし、水明荘で用意してもらったおにぎり
を広げた。
食べ終わった頃、われわれと同年配くらいと思われるご夫婦が上がって
きた。すぐ先の別宅に来たという甲府市にお住まいのNさん。
数本ある柿の木はみな、見事な鈴なり。その中の1本の甘柿をとりなさい
と、竹ざおを貸してくれた。
I さんと、さおを使って落とし、20個くらいいただいた。
Nさんに、上小磯(うえこいそ)までの下り道を教えていただき、神社の
手前の炭焼小屋の右横から、紅葉樹林下の山道に入る。
ところどころにモミジが、鮮やかな彩りを見せる。Nさんの話では、昔は馬
も通った街道だと言われたが、現在はほとんど利用者がないようで、踏み
跡は細くて分かりにくい。
ヒノキ林のところまで下ると、斜面が崩れていて、道がはっきりしない。
間違えたかと少し戻るが、ほかに道はない。もう一度戻って先を探すと、か
すかな踏み跡があり、上小磯に下ることが出来た。
さらに下って三沢川沿いに出て、芝草から水船へと進む。水船の旧道沿い
に神社と寺のマークがあるが、見つからなかった。
水船橋に下って三沢川右岸に回り、道(どう)集落の高台にある慈観寺に
上がった。
甲斐百八霊場の第97番で、経蔵には一切教六千巻が納められていると
いう。朱塗りの鐘楼と、そばのモミジが、鮮やかな彩りを競っていた。
モミジと鐘楼に目を奪われて気づかなかったが、庭には県内でも有数の
桜の古木があり、三沢川の川岸の桜とともに、春には周辺一帯が桜の花で
埋まり、山里の風物詩として大勢の人が訪れるようだ。
車道を越えて三沢川の橋を渡り、南側の尾根を上がる落ち葉道へ。太陽が
西に傾き、右手の広葉樹林の紅葉が映える。この道は良く踏まれていて、
分かりやすい。
稜線上の三差路に出て、右折して西に向かって緩やかに上がる。左に道
が分かれていたが稜線上を進んだら神社があり、通過予定の丸畑集落より
行き過ぎたらしい。
下の道を戻ったら、木喰上人(もくじきしようにん)ゆかりのお堂らしい、四国
堂というのがあった。
さらに戻ったら集落へ行く道に合し、その方に向かう。標高480~500m
付近の高地にある集落に、木喰上人生家があり、木喰記念館になっていた。
ちなみに、木喰上人は享保3年(1718)にこの地で生まれ、各地の寺を
遍歴して修行後、常陸国の羅漢寺で木喰戒を受け、日本全国を回って56歳
までに、独特の力感有る庶民的な1000体の木彫仏を残している。
先ほど通過した四国堂は、木喰上人が日本回国の旅から帰って建立した
ものらしい。
家並みが途切れた十字路の上の見晴らしのよい場所に、「木喰の里微笑
館」がある。だがこの日は休館日で、入れなかった。
往路で見つけられなかった永寿庵がないか、探しながら往路を少し戻った
ら、細い急な石段が見つかり、その上にあった。
上がると、民家のような簡素な平屋と、「五智如来像安置所」と記された小
さい保管庫のような建物がある。
永寿庵は、日本回国から戻った木喰上人が修復し、五智如来を彫刻して
堂内に納めたという。やはり山梨百八霊場の一つだが、建物の様相からは、
そうとは見えない質素なたたずまいだった。
集落の東端、四国堂のそばまで戻り、常葉(ときは)川沿いの国道に向かう
車道をどんどん下り、古関(ふるせき)集落の南西端に出た。太陽が西の山に
隠れ、冷えてきた。
常葉川を挟み国道300号と並行する右岸の旧道を進む。集落の外れ近
くに、この日初めての商店があり、酒などを販売していた。
釜額(かまびたい)民宿入口バス停のところで国道入口に分かれ、支流沿
いに進む。釜額集落が近づいたところに、「赤い水」と呼ぶ赤茶色の岩肌か
ら流れ出る湧水があった。
集落の入口には、「釜額散策道案内図」があり、この道が古い街道である
ことを示す関所跡も記されていた。
民宿案内板もあり、小さい集落ながら15軒ほど記されていた。だが宿泊
した「民宿なか」のおかみさんの話では、現在は2軒だけとか。廃業した民
宿のひとつに、「本陣」の名もあった。
その「民宿なか」は、集落の一番奥にあり、専用の吊り橋を渡って入る。
かなり暗くなった16時半に着いた。
民宿のご夫妻は陶芸をされているとか。地元産のものだけを使った、家庭
的な料理が盛られた夕食の容器は、すべておかみさん手作りの味わい深い
ものばかりだった。
【コースタイム】四尾連湖畔・水明荘7・58ー四尾連集落西端8・45ー藤田の
西・旧道入口9・18ー市川三郷町・身延町境10・07ー久保・旧宮下屋商店前
10・25~32ー大山(昼食)11・29~12・00ー上小磯12・54~13・02ー慈観寺
13・45~55ー稜線上の三差路14・29ー木喰の里微笑館15・00~05ー古関
バス停15・47~50ー釜額民宿入り口バス停16・04ー釜額・民宿なか16・30
(天気 晴、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 市川大門、精進、歩行地 市川
大門町、身延町、歩数 39,400、標高差 -408m、標高差(累積)
約2,900m)
==四尾連湖から釜額へ==
昨日の冷たい雨が上がって晴天となった。朝食前に I さんと、周囲1.5㎞
の四尾連湖(しびれこ)を時計回りに一周する。左の建物が宿泊した水明荘。
まだ湖面には陽が差し込まぬが、湖の周囲は紅葉が見ごろになっていた。
宿泊した水明荘の主、Kさんと一緒に記念撮影をして、2人のお孫さんに
も見送られ、8時前に出発する。湖岸にも太陽が差し込み、紅葉の彩りが鮮
やかになった。
湖の南面を回って少し上がると、りっぱな針葉樹に囲まれた子安神社が
ある。これから下る四尾連集落の氏神で、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
が富士山噴火の折に来て、子供を産んだといわれる安産の神社だという。
本殿には、安産を祈って奉納した、穴の空いたひしゃくが幾つも並び、毎年
10月にはお神楽が奉納されるという大きな神楽殿もある。
境内には、建久4年(1193)、源頼朝がこの地で鷹狩りをして休んだ際に
使った、ヒノキのはしが育ったといわれ、「四尾連のリョウメンヒノキ」と呼ぶ、
2本の大ヒノキが立つ。
南側の四尾連集落に向かって下る道は、最近は歩く人がほとんどいない
ようで、少し荒れていた。四尾連集落は、標高790m前後の南斜面にあり、
南側に、色づいた広葉樹の山並みが広がる。
集落を出た斜面に湧水が湧き出ていて、「浄身石」と呼ぶ出生児に似た
石がある。木花咲耶姫が富士の噴火から逃れて四尾連湖に向かう途中、
この石に座って身を清め、無事出産したのだという。
藤田(とうだ)に向かって下る車道も南方が開け、周辺の斜面とあわせて
紅葉の彩りが楽しめる。
藤田集落を抜けて500mほどで、左への旧道へ。少し進むと、富士川沿
いの谷間に続く集落が見下ろせる。
堀切(ほつきり)集落に近い車道に出て、ヘヤピンカーブのところを3度ショ
ートカットし、集落最上部の大明寺に下って小休止する。
この辺りは地図上に桑畑マークが多いが、寺の付近にも、まだ養蚕に利
用しているらしい桑畑が残っていた。
市川三郷町最南端の堀切集落を抜け、少し下ると身延町、その最奥の小
集落も堀切である。
樋田川の右岸に沿って次の久保集落まで下る。消えかけた「総合食品
宮下屋」の看板があったが、店は閉店していた。奥様がおられたので、
最近の近辺の様子を聞く。
店の前に、柿の皮が干してある。「たくわん漬けに入れると甘くなる」と言
われた。
集落の南端から樋田川の大正橋を渡り、東側の大山集落に向かう。1車
線の車道は、等高線に沿うように短いカーブを繰り返して、少しずつ上がっ
て行く。
久保からは直線距離で1㎞ほどだが、標高差は約340mあり、50分かけ
て標高700m近い大山の小集落に上がった。
集落上部の稜線にある神社の方に向かって少し進むと、紅葉の稜線の上
に、雪を被った富士山の上部が姿を見せていた。
思いがけずの絶景に上ってきた甲斐があったと喜び、ここで昼食をするこ
とにする。稜線上の小道に腰を下ろし、水明荘で用意してもらったおにぎり
を広げた。
食べ終わった頃、われわれと同年配くらいと思われるご夫婦が上がって
きた。すぐ先の別宅に来たという甲府市にお住まいのNさん。
数本ある柿の木はみな、見事な鈴なり。その中の1本の甘柿をとりなさい
と、竹ざおを貸してくれた。
I さんと、さおを使って落とし、20個くらいいただいた。
Nさんに、上小磯(うえこいそ)までの下り道を教えていただき、神社の
手前の炭焼小屋の右横から、紅葉樹林下の山道に入る。
ところどころにモミジが、鮮やかな彩りを見せる。Nさんの話では、昔は馬
も通った街道だと言われたが、現在はほとんど利用者がないようで、踏み
跡は細くて分かりにくい。
ヒノキ林のところまで下ると、斜面が崩れていて、道がはっきりしない。
間違えたかと少し戻るが、ほかに道はない。もう一度戻って先を探すと、か
すかな踏み跡があり、上小磯に下ることが出来た。
さらに下って三沢川沿いに出て、芝草から水船へと進む。水船の旧道沿い
に神社と寺のマークがあるが、見つからなかった。
水船橋に下って三沢川右岸に回り、道(どう)集落の高台にある慈観寺に
上がった。
甲斐百八霊場の第97番で、経蔵には一切教六千巻が納められていると
いう。朱塗りの鐘楼と、そばのモミジが、鮮やかな彩りを競っていた。
モミジと鐘楼に目を奪われて気づかなかったが、庭には県内でも有数の
桜の古木があり、三沢川の川岸の桜とともに、春には周辺一帯が桜の花で
埋まり、山里の風物詩として大勢の人が訪れるようだ。
車道を越えて三沢川の橋を渡り、南側の尾根を上がる落ち葉道へ。太陽が
西に傾き、右手の広葉樹林の紅葉が映える。この道は良く踏まれていて、
分かりやすい。
稜線上の三差路に出て、右折して西に向かって緩やかに上がる。左に道
が分かれていたが稜線上を進んだら神社があり、通過予定の丸畑集落より
行き過ぎたらしい。
下の道を戻ったら、木喰上人(もくじきしようにん)ゆかりのお堂らしい、四国
堂というのがあった。
さらに戻ったら集落へ行く道に合し、その方に向かう。標高480~500m
付近の高地にある集落に、木喰上人生家があり、木喰記念館になっていた。
ちなみに、木喰上人は享保3年(1718)にこの地で生まれ、各地の寺を
遍歴して修行後、常陸国の羅漢寺で木喰戒を受け、日本全国を回って56歳
までに、独特の力感有る庶民的な1000体の木彫仏を残している。
先ほど通過した四国堂は、木喰上人が日本回国の旅から帰って建立した
ものらしい。
家並みが途切れた十字路の上の見晴らしのよい場所に、「木喰の里微笑
館」がある。だがこの日は休館日で、入れなかった。
往路で見つけられなかった永寿庵がないか、探しながら往路を少し戻った
ら、細い急な石段が見つかり、その上にあった。
上がると、民家のような簡素な平屋と、「五智如来像安置所」と記された小
さい保管庫のような建物がある。
永寿庵は、日本回国から戻った木喰上人が修復し、五智如来を彫刻して
堂内に納めたという。やはり山梨百八霊場の一つだが、建物の様相からは、
そうとは見えない質素なたたずまいだった。
集落の東端、四国堂のそばまで戻り、常葉(ときは)川沿いの国道に向かう
車道をどんどん下り、古関(ふるせき)集落の南西端に出た。太陽が西の山に
隠れ、冷えてきた。
常葉川を挟み国道300号と並行する右岸の旧道を進む。集落の外れ近
くに、この日初めての商店があり、酒などを販売していた。
釜額(かまびたい)民宿入口バス停のところで国道入口に分かれ、支流沿
いに進む。釜額集落が近づいたところに、「赤い水」と呼ぶ赤茶色の岩肌か
ら流れ出る湧水があった。
集落の入口には、「釜額散策道案内図」があり、この道が古い街道である
ことを示す関所跡も記されていた。
民宿案内板もあり、小さい集落ながら15軒ほど記されていた。だが宿泊
した「民宿なか」のおかみさんの話では、現在は2軒だけとか。廃業した民
宿のひとつに、「本陣」の名もあった。
その「民宿なか」は、集落の一番奥にあり、専用の吊り橋を渡って入る。
かなり暗くなった16時半に着いた。
民宿のご夫妻は陶芸をされているとか。地元産のものだけを使った、家庭
的な料理が盛られた夕食の容器は、すべておかみさん手作りの味わい深い
ものばかりだった。
【コースタイム】四尾連湖畔・水明荘7・58ー四尾連集落西端8・45ー藤田の
西・旧道入口9・18ー市川三郷町・身延町境10・07ー久保・旧宮下屋商店前
10・25~32ー大山(昼食)11・29~12・00ー上小磯12・54~13・02ー慈観寺
13・45~55ー稜線上の三差路14・29ー木喰の里微笑館15・00~05ー古関
バス停15・47~50ー釜額民宿入り口バス停16・04ー釜額・民宿なか16・30
(天気 晴、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 市川大門、精進、歩行地 市川
大門町、身延町、歩数 39,400、標高差 -408m、標高差(累積)
約2,900m)