あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東山の辺の道⑫ 栃木から佐野へ(栃木)〈前半〉

2013-09-30 17:49:14 | 関東山の辺の道
 2013年9月28日(土)

 好天で爽やとかの予報なので、昨年5月以来の私のオリジナルウオーク、関東平野の外
縁を反時計回りに歩く「関東山の辺の道」の、第12回目を実施した。

 スタートは、栃木市市街の中心部を北西に抜けた栃木市運動公園入口バス停。栃木駅8
時45分発ふれあいバス寺尾線出鶴(いづる)観音行きに乗り、9時2分に着いた。

 県道をまたぐ野中歩道橋のそばから西へ少し、赤津川の手前の関口金属横の交差点を南
に向かう。西方に大平山(おおひらさん)が望まれ、刈り取り後の田んぼでもみ殻を焼く。




 その先のビニールハウスには、栃木の特産イチゴの苗が育っていた。


 前方に小さな独立峰の錦着山(きんちゃくさん)が近づき、山上に独特の塔が見える。


 県道75号を越えて真っ直ぐ進む道はなく、県道を東に少しで県道309号へ右折し、
南側から錦着山に上がる。


 山頂には、戊辰・西南(ぼしん・せいなん)両役における戦死者を祭る護国神社があり、
その左手に標高80.5mの三等三角点がある。一帯は錦着山公園になっていて、栃木市
街をはじめ、やや霞む筑波山や眼下の家並みなどの展望がよい。


 下から見えた塔は時計塔のようだがいま時計は無く、そばに、旧海軍軍人ゆかりの栃木
市海友会の石碑が二つ並んでいた。



 薗部町三丁目の住宅地を南下し、自然堤防にキバナコスモスの咲く赤津川の高橋を渡る。
対岸の薗部町四丁目の路傍にも、たくさんのコスモスが咲き競う。


 廃業したらしいSIIと呼ぶ工場跡地前の山すそを進むと、「関東ふれあいの道」の石
標が立っていた。近くの栃木農業高の正門前にもふれあいの道の道標がある。


 大平山(おおひらさん)神社へ向かう車道のそばに、山門、鐘楼、大本堂ともに新しい
日蓮正宗の信行寺があり、本堂前にサルスベリの古木が、参道には梅の古木が並んでいた。



 車道を横断して南へ、栃木市斎場や野球場の横を抜けると田園地帯となり、黄金田の向
こうに霞む筑波山が望見できる。


 JR両毛線の線路が近づき、下皆川の上坪集落に入った。

 堂々たる本堂の光盛寺↑の隣は、この辺りで唯一の造り酒屋、大平酒造。明治初期の創
業で、清酒国龍は越後杜氏(えちごとうじ)の伝統技法により仕込んだもの。


 特別純米酒や辛口の本醸造酒、20年以上貯蔵した秘蔵の古酒などを販売している。



 家並み続きの中坪集落の長楽寺↑は、平屋で民家風のつくり。境内は、若いシダレザク
ラ数本など庭木が豊富。小さいお堂に金剛菩薩など、古い石仏が並んでいた。


 下坪の小集落から大平山麓の林間の土道に入ると、「大平山登山口」の標柱が立ち、山
へ向かう石段が伸びている。傍らに東山道のハイキングコース案内板も立っていた。


 大平山から晃石山(てるいしさん)の南麓を走る下都賀広域農道を横断して、中山
(143m)の北側を回る関東ふれあいの道の土の道に入る。ブルーベリー畑を過ぎると
林間となり、日射しが遮られひんやりと涼しく気持ちよい。



 広域農道に出て、二つの潅漑用水池の間を池上集落へ。


 「みそ」と書かれた蔵の横を通過して真っ直ぐ進むと、大平山山麓の大中寺(だいちゅ
うじ)。11時57分に着いた。


 老杉の並ぶ参道、ゆるやかな石段の両側にアジサイが続く。山門を入り、大中寺の七不
思議の一つ、正面の油坂は上がれず、右手から回って大本堂に参拝。拝殿屋根下には、精
巧な木彫が施されていた。


 大中寺は延徳元年(1489)に再興され、小山家、越後の上杉家に守られ、のち徳川
幕府からは曹洞宗天下大僧録(てんかだいそうろく)という高い位を与えられた。上田秋
成の「雨月物語」の七不思議の伝説でも知られているという。


 本堂の東側に、七不思議の一つの大杉が立ち、そばにこれも七不思議の一つ、かやぶき
屋根の不開の雪隠(あかずのせっちん)が残されていた。



 本堂の下、木造地蔵菩薩半跏像を祭る地蔵堂のそばのベンチで昼食にした。


 12時39分に境内を出て、集落の中ほどから西側の道に回り、弁天島のある池の横で
広域農道に出る。少しだけ回った旧道に、かやぶき屋根にトタンを被せた民家が残る。


 この辺りから先、西山田の集落周辺はブドウ畑が広がり、広域農道の両側には個人のぶ
どう園が続いている。


 大平山と晃石山の間のパラグライダースタート地から飛んだパラグライダーが、ゆっく
りと下りてきた。


 幾つかのぶどう園には、車で来た人達がブドウ狩りしたり、出店で買い物する人が見える。


 (続く)




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山里探訪会講座で「大河紀行 荒川」を聞く(埼玉・所沢)

2013-09-26 17:53:07 | 所沢だより
 2013年9月25日(水)

 雨模様の午後、新所沢公民館で開催された山里探訪会の第8回講座に参加しました。


 今日の演題は「大河紀行 荒川」、講師は紀行作家の伊佐 九三四郎(いさ くみしろう)
さんです。

 伊佐さんのお名前は、ハイキングガイドなどの著者として以前から知っていましたが、
お話を聞くのは初めてです。

 私も、カントリーウオークの仲間と、1994年から足かけ4年かけて荒川(隅田川)
河口から源流の真ノ沢まで歩いたことがあり、今日のテーマは大変興味深いものでした。



 前半の1時間は、埼玉県の中央部を西から南東に貫いて東京湾に注ぐまでの地図を見な
がら、ポイントになる地の歴史や産業、宗教、氾濫への対応、歩いて感じたことなど、源
流から河口までの荒川にまつわる幅広い話をされました。

 それらお話の中で、メモしたポイントの幾つかは以下のようなものです。

 伊佐さんは昭和25年頃から奥多摩や奥秩父の山を歩かれ、いつかは源流から河口まで
歩きたいという考えておられたが、なかなか機会が得られなかった。

 荒川というのは、その名の通り氾濫を起こしたりする荒れ川、暴れ川で、全国では青森
から沖縄まで36本もある。

 過去の氾濫を知る場所としては、秩父の長瀞の持田氏宅と樋口に寛保2年(1742)
の大洪水の水位を示す印や「水」と刻まれた石があり、現在の水位よりかなり高いことが
分かる。

 荒川上流の真ノ沢が荒川源流点になっているが、最初の1滴の落ちる甲武信ヶ岳
(2,475m)からは5㎞ほど下ったところ。国土交通省の荒川起点碑はさらに下流で、
ここから河口までは173㎞あり、国内の河川の長さでは15番目になる。

 秩父湖の下流にある御岳山は、木曽の御岳山と関係が深く、木曽御岳の王滝口というの
は、秩父の大滝ゆかりの名。

 鉢形城は3,000の軍勢で3万以上の敵と戦い、持ちこたえた。

 川本付近の荒川には、以前かなりの数のコハクチョウが来ていたが、餌(え)づけを止
めたので近年は数が少なくなっている。

 熊谷付近から、かつての荒川は利根川に注いでいたが、江戸の洪水を防ぐために入間川
の流れに付け変える西遷を行い、一方、東京湾に入っていた利根川は東遷して銚子に流す
ようにした。

 鴻巣付近は川巾日本一として知られ、約2.5㎞あるが、ふだんの流れは細い。鴻巣市
ではこれにちなみ、川巾ウドンを売り出しているが、幅がありすぎて味は?。

 川島町は川に囲まれているので大水被害が多かった。現在は輪中(わじゅう)とよぶ集
落を囲む高い堤防で守られている。また、ここでは「すったてうどん」よ呼ぶキュウリの
付いたもりうどんが知られていて、こちらの方がおいしい。

 荒川に流入する入間川は、飯能の西川材で知られ、たびたび大火のあった江戸の復興に
欠かせない材木は、荒川を経て江戸に入った。
 
 さらに下流の新河岸川も、江戸との舟運が栄えた。

 戸田は、戦前中止された東京オリンピックが計画された際から、競艇場を造る計画があ
り、反対も多かったが、1964年の東京オリンピックの際に競艇場も造られ、それが現
在では、同種の国内ギャンブル施設の売り上げでは日本一だという。

 東京の洪水対策として近年出来たのが彩湖。これらのお陰で荒川の氾濫が減り、氾濫に
よる肥沃な土が枯れたのと、帝都復興用にこの地の壁土が大量に採取されたために、田島
ヶ原のサクラソウは見る影もなくなった。

 明治43年(1910)の大洪水を機に、東京を水禍から救うため、北区岩渕付近に本
流(現在の隅田川)の流れを分流する荒川放水路(現在は荒川という)を造ることになり、
当時でも大変な規模の住宅や学校などの移転、鉄道の付け替えなどを行った。

 その工事を指揮したのは、パナマ運河の工事を経験した青山 士(あきら)で、岩渕に
残る赤い水門が当時のもの、青い水門はその後の新しい水門である。

 青山 士は大変謙虚な人で、工事終了後、犠牲者の氏名を刻んだ慰霊碑を水門のそばに
自費で建立したが、自分の名はどこにも記してない。

 荒川河口には東京ゲートブリッジが建設されたが、歩き終えた日はちょうど橋の開通日
で、橋に上がって歩いて来た長い道のりをふり返った。

 まだほかにも、たくさんは話されましたが、メモした主なもののみ紹介しました。

 休憩後の後半には、歩いた行程で撮った写真をまとめたスライドを上映しながら、それ
らの説明をされ、私も過去に歩いたときに見たり訪ねたりしたところが多く、大変興味深
く拝見しました。

 蛇足ながら私たちが歩いたのは、1994年5月から1997年7月まで12回13日、
隅田川のかちどき橋から源流の真ノ沢と股の沢との分流点付近まででした。流域より迂回
したところもあり総歩行距離は232㎞、使用した2.5万分の1地形図は18面です。

 会場の後方には、写真や荒川の立体パノラマ地図、伊佐さんの著書などが展示されてい
ましたが、撮り忘れたので、並んでいた著書の幾つかを以下に紹介します。

 「大河紀行 荒川」白山書房、「武蔵野の散歩みち」山と渓谷社、「幻の人車鉄道」河
出書房新社、「東京江戸を歩く」実業之日本社、「奥多摩奥武蔵の山々」実業之日本社、
「モロッコの風」白山書房など。

 ちなみに、荒川は埼玉県の中央部を流れ、長さ日本一の利根川は埼玉県北部から東部へ
と県境を流れていますが、埼玉県内にはほかにもたくさんの川があり、県の総面積に対す
る河川の占有面積は日本一となっています。

 それらたくさんの川を丹念に歩かれたのが、今日の講座を開催した山里探訪会の代表、
飯野治(よりじ)さんで、飯野さんは、埼玉の川沿いの道75コースを紹介した「埼
玉の川を歩く」という図書を、昨年8月にさきたま出版会から出版されました。

    

 まえがきで飯野さんは、「水辺では、街道や山道とも異なる自然の躍動や生命力に心癒
やされ、河川をたどりながら周囲の景観を楽しむと同時に、その土地ならではの歴史的事
物から過去の思いをはせると心躍るのである」と記されています。




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東武越生線沿線の田園地帯と鎌倉街道をカントリーウオーク(埼玉)

2013-09-24 21:55:42 | カントリーウオーク
 2013年9月23日(祝・月)

 8月を休んで2か月ぶりの、カントリーウオークグループの第206回例会が開催され
た。集合地は東武越生(おごせ)線の武州唐沢駅。集まった14人は3組に分かれ、10
時5分にスタートした。

 == 越辺川北側の田園地帯を東へ ==

 
 駅東側の踏切を渡って武蔵越生高校の前を通過し、高校の横を流れる毛呂川(もろがわ)
の左岸沿いを北進する。

 流れにはたくさんの小魚が泳ぎ、自然堤防の両岸には草がよく繁茂し、その中にヒガン
バナやイタドリの花が彩りを添える。

 交通量の多い県道30号バイパスに出た。合流点の上流で越辺川(おっぺがわ)の越生
大橋を渡りバイパスを横断して田園地帯を東に向かう。


 刈り取り前の黄金田のあぜや、田んぼに沿った流れ沿いにも、ヒガンバナがそちこちに
花を見せる。


 西北方をふり返ると、越辺川上流の谷間に外秩父の名峰、笠山(837m)などが望ま
れる。


 500m余り田園地帯を進んで北側の箕和田集落に入り、素朴な社殿の稲荷神社前で小
休止した。


 集落の北側にある、みのわだ湖に向かって小さい流れに沿って上がると、堤防直下に10
数本のコブシの木があり、初めて見る握りこぶしのような赤い実が、たくさん付いている。


 広葉樹に囲まれた静かな湖の奥の方では、何人かの釣り人が糸を垂れていた。


 東側台地上に広がる目白台の新興住宅地に上がる。地図上は主要道路だけだが、すでに
住宅がたくさん立ち並び、旗を立てて売り出し中の住宅も何棟もある。


 ガスタンクの手前の道路を南下して、めじろ公園の西側を回る。台地下の西戸集落に入
り国津神神社へ。


 社殿の左手に「山本坊の芭蕉の句碑」というのがあった。



 ハギの咲き出した集落を東に抜け、県道343号を横断して再び越辺川の北に広がる田
園地帯に出る。


 ひとつの田んぼに10数個のかかしが立ち、刈り入れ前の田んぼもあるが、はさで稲を
干す田、収穫を終えてひこばえの伸びた田んぼなど、まちまちである。






 川角リサイクルプラザの大きな建物前を通過して越辺川を渡る。


 すぐ先の大類グランドの横に、「鎌倉街道上(かみつみち)」の表示板が立つ。グラン
ドに入ると、日本プロ野球名球会のメンバーが来たときの、サインが刻まれた記念碑があ
った。


 野球場の北側にある東屋(あずまや)に12時15分に着き、昼食とする。


 そばの何本かのイチョウの下にギンナンがたくさん落ちていて、食前にビニール袋に収
穫する人も。

 == 鎌倉街道を南下して一本松駅へ ==

 ミーティングをして記念撮影を終え、13時25分に大類グランドを後にする。

 野球グランド横のイチョウも、ブドウの実のようにギンナンが鈴なりだ。


 グランドの西側を走る鎌倉街道上道を南に向かう。この辺りは平地林や畑が多く、街道
らしい雰囲気を残している。2002年5月の「鎌倉街道上道歩き」で通過したところだ
が、その時の参加者は、今日は私を入れて4人だけ。

 県道39号を横断してすぐ先に、黄色とブルーの民家が見えた。当時、ネコをたくさん
飼っているという奥さんに会い、お話を伺った家。KさんとMさんが声をかけたら留守番
の方が居られ、現在も27匹のネコを飼っているとのことだった。


 近くにはかなり広いソバ畑があり、秋ソバが花盛り。


 「彩の国の基金」により整備したという広葉樹林を抜けると建物が増え、県道114号
に出ると、その先、鎌倉街道は途切れる。

 県道を東へ少しで葛川を渡り、火の見やぐらの横から市場集落に入り、市場神社で休憩
する。

 小さめの社殿のそばにイチョウの古木が立ち、下に堅めのギンナンがたくさん落ちてい
る。ここでも数人が、ビニール袋へ収穫する。

 集落を東南に抜けて田園地帯へ。こちらは田のあぜにひときわたくさんのヒガンバナが
咲き競い、その一角でもう一度記念撮影をする。


 この辺りの田んぼは、すでに収穫を終えたところがほとんどだ。


 地図上では畑だったところが造成されていて、同じスタイルの民家が10数戸並んでい
る。高麗川の森戸橋を渡った先でも、養護老人ホームの建設が始まっていた。

 くねくねした旧道を少し、田んぼの中のY字路の桜の下に、吉原地蔵と呼ぶ地蔵堂があ
る。


 江戸中期、行き倒れの僧が吉原の遊女の霊を慰めるために巡ってきたがここで亡くなり、
村人が吉原の遊女の霊と僧を祭ったのだという。


 その先の田んぼではオナガが鳴き、コサギやアオサギが飛ぶ。側溝にはタニシの殻がた
くさん見られる。

 萱方集落に入ったY字路には、朱の布を巻いた鍛冶屋地蔵尊が祭られていた。


 東武越生線に平行する県道74号を横断し、ゴールの一本松駅に15時20分に着いた。

(参加 14人、天気 曇、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 越生、歩行地 越生町、
 毛呂山町、坂戸市、鶴ヶ島市、歩数 20,000)



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台風一過、富士山や東京スカイツリーなどを望む

2013-09-17 21:30:21 | 所沢だより
 2013年9月17日(火)

 各地に大きな災害をもたらした台風18号が足早に北海道東部に抜け、今朝は紺碧の青
空が広がりました。

 1964年10月10日、東京オリンピック開会式の日の朝も、今朝のような抜けるよ
うな青空だったなと、ふと思い出しました。

 この青空なら、富士山も遠望できると思い、すでに何度か紹介したわが家に近い西武池
袋線の線路際に向かいました。

 まずは、西武線をまたぐ跨線橋に上がると、南南西に大山(1,252m)が望まれ、
写真には見えませんが、その右には丹沢山塊が続いていました。


 西に目を向けると、奥多摩の目印、大岳山(1,267m)や御前山(1,405m)、
御岳山(929m)などが一望できます。


     大岳山             御前山        御岳山(奥の院)


 その西方には奥多摩の鷹ノ巣山(1737m)、少し低くなった奥多摩の山並みの向こ
うに、東京都最高峰で日本百名山のの雲取山(2,017m)が遠望できました。

      鷹ノ巣山                 雲取山   


 跨道橋を下りた北側の畑には、御岳山から授かってきた畑の守り札が立っています。


 少し東側の線路際に回ると、期待通りの富士山がバッチリ。まだ冠雪はしていません。




 市内ウオーキングの途中、市役所の8階に上がってみました。食堂があり、南側と北側
は広い窓なので展望が得られます。


 南側眼下は所沢航空記念公園。公園の中央にある放送塔の右手遠くに、東京スカイツリ
ーが見えました。


 その右手には、新宿副都心と思われる超高層ビル群が。


 ここからは、電線などの邪魔者のない大岳山や御前山がはっきりと見られます。




 でも、富士山はその右手、窓にぎりぎりのところなので、撮ることは出来ませんでした。
 




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台風18号とピアノリサイタルとあかね雲

2013-09-16 21:28:28 | 所沢だより
 2013年9月16日(月・祝)

 敬老の日の今日は、早朝から台風18号の影響で雨と風が心配されましたが、幸い所沢
では大きな被害はなかったようで、昼過ぎには雨も上がり風も弱まりました。

 でも関西や北陸をはじめ、広範囲に水害や突風被害などがあったようで、被害にあわれ
た方にはお見舞い申し上げるとともに、早く復興されますようお祈り申し上げます。

 台風襲来で開演できるのか心配したのが、今日午後3時から行くことにしていた、所沢
市民センターミューズでの、「牛田智大(うしだともはる)ピアノ・リサイタル」でした。



 牛田智大さんのことは、8月30日朝のNHK総合テレビの「あさイチ」で知りました。

 1999年10月生まれでまだ13歳ながら、2008年の8歳の時から5年連続でシ
ョパン国際ピアノコンクール in ASIAで1位受賞、昨年の第16回浜松国際ピアノア
カデミー・コンクールにて最年少1位入賞などで注目され、昨年3月には、日本人ピアニ
ストとして最年少の12歳でCDデビューするなど、その活躍ぶりが知られていたようで
すが、私はこの番組で初めて知り、番組中での素晴らしい生演奏と、インタビューでの少
年ながらしっかりした話しぶりに惹かれ、いつか演奏を聴きたいと思ったのでした。

 ところが、その日の午後、偶然に見たテレビ埼玉の番組で、今日、所沢市民センターで
演奏会があると知り、さっそく翌日、チケットを求めて待っていたのです。

 でも台風18号の接近で、朝の風雨の模様ではリサイタルが中止になるのではないかと
心配でしたが、実施されると知り、雨も上がった15時近く、市民センターミューズの大
ホール・アークホールに入館しました。


 チケットは3月から発売していたので、入手できた席は1階の最後部近い席でした。で
も演奏を聴くには十分で、およそ2時間の素晴らしい演奏を楽しむことが出来ました。

 開演中は撮影・録音は禁止なので、これは開演前に撮ったもの。

 17時ころの終演後、ダイエーに回って買い物をして歩いて帰路につきました。

 西武池袋線西所沢駅近くまで戻るころには夕暮れが迫り、台風一過の夕焼け空が望まれ
ました。信号や電柱、電線などが目障りですが、あかね雲の幾つかを撮ってみました。













 18時を過ぎて暗闇が迫ってきた頃、帰宅しました。




 ちなみに、牛田智大さんのことは、こちらのサイトをご覧下さい。



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続カタツムリ歩行 西武国分寺線 鷹の台駅(東京)

2013-09-15 22:02:21 | カタツムリ歩行
 2013年9月15日(日)

 台風18号の影響で大雨が予想され、家を出た時はかなりの雨脚でしたが、続カタツム
リ歩行の第7回例会に出かけました。

 集合地は、西武国分寺線の鷹の台駅。この雨で、参加者は事務局のDさんご夫妻のほか
は3人のみ。少し雨脚の衰えた10時5分に駅をスタートしました。

 線路際を南に少しで、東西に流れる玉川上水沿いの左岸の緑道に入り、上流の西に向か
います。

 緑道には、あちこちに水たまりがあり、除けながら進みました。

 太いクヌギの木に、大きなコブが…。



 近くの枝を見上げると、ゴンズイの実がまさに落ちそう。


 緑道の北側、民家の玄関先にシロバナマンジュシャゲが咲き出していて、緑道沿いの下
草の中にも、ヒガンバナがあちこちで、もうすぐ咲きそうに花芽を伸ばしていました。


 雨に濡れてしっとりとした彩り。


 こちらの民家の庭先には、レモンの実が大きく育っています。


 緑道の真ん中に立つ桜の古木から、したたり落ちていた流れ。樹液なのか水なのか分か
りません。


 緑道の横に、「玉川上水オープンギャラリー」と呼ぶ小スペースがあり、玉川上水の植
物や花などの写真と絵が掲示されていました。


 近くに咲くのは、ダイモンジソウの仲間でしょうか…。

 一緒に歩いたjunjunさんから、センニンソウと教えてもらいました。

 ゴツゴツした木の根。


 600m余り進んで、いこい橋を渡って南に向かうことに。


 橋から見下ろす玉川上水の流れは、雨でいつもより水量が増えていました。


 北町3丁目の新興住宅地の間を南下して、五日市街道近くまで進んだのですが、街道沿
いの民家の手前で道が途切れ、戻って北町5丁目交差点から東側の畑の中の通りへ回りま
した。

 畑の中にトウガンかと思われる瓜が下がっていて、隣のゴーヤーもりっぱな実がいっぱ
いでした。


 近くの畑は、カリフラワーかキャベツの若株が広がっています。雨は小降りになってき
ました。


 正午近く、五日市街道近くにあった北町地域センターでトイレを借り、昼食の場所もお
借りできないかと受付の方にお願いしたら、快く2階の集会コーナーを貸して下さり、雨
に濡れずに昼食をすることが出来ました。


 食事を終えた頃には、思いがけずに雨が上がり、青空が少しずつ広がってきました。

 すぐ南側、五日市街道に面した妙法禅寺に入ります。


 本堂の前のサルスベリが、まだよい彩りを残しています。


 境内南西端に、「川崎・伊奈両代官謝恩塔」が立っていました。

 江戸時代の武蔵野の新田開発の頃、凶作などで開発が進まず農民の餓死者が続出してい
たのを、武蔵野新田の世話役、川崎平右衛門が救助の食料や養老金を与えるなどして新田
の安定を図り、その後に代官になった伊奈半左衛門も、さらに養老金制度を勧めるなどし
て、武蔵野の開発が進んでので、武蔵野新田八十数か村の村民達が感謝の結晶として、寛
政11年(1799)に、この碑を建立したと記されていました。

 五日市街道を横断した南側に竹炭を造る小工房があり、それを販売する仮舗の上に、こ
のような表示が。年齢の区切りによる、お祝いの呼び方です。


 道路の斜向かいは、関東では珍しい黄檗宗(おうばくしゅう)の鳳林院。りっぱな本堂
です。
 

 境内にあった、大きな樽を活用した毘沙門堂。酒樽か味噌樽、あるいは醤油樽?。



 境内の一隅に、陶器製の大きな水がめがたくさん並んでいて、スイレンなどの水草が茂
り、幾つかのかめには、最近は見ることの少ないメダカが泳いでいました。


 鳳林院の道路を挟んだ西側は小公園で、今日の雨で出来た水たまりでハトが水浴びを。


 五日市街道を東へ、次の信号のある交差点の先、北町の愛宕神社が今日のゴール、13
時7分にゴールしました。晴天となり、予想外に気温が上がり少し蒸し暑くなりました。

 愛宕神社は、徳川幕府が武蔵野に新田を開発したとき、旧榎戸新田の氏神様として享保
10年(1726)8月に、この地に創建されたとのことです。

 社殿の左手に、幹回り4.32mというご神木の大ケヤキが立っていました。


 さらに五日市街道を東へ、200mほど進んで北に折れ、水車通りを鷹の台駅に向かい
ます。両側は畑が続きますが、西側はほとんど樹木畑でした。


 そのまま進んで玉川緑道へ。往路では水たまりがたくさんでしたが、いまは陽が差し込
んで乾いてきました。


 スタートした鷹の台駅には、13時38分にゴールしました。

 今日は始終、激しい雨を予想していたのですが、途中から青空も見えるようになり、履
いてきた長靴が要らないくらいになり、幸いでした。

 でも、明日は関東にも台風18号が接近して大雨の予報。災害の出ないことを祈ります。

 (参加 5人、天気 雨後晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分
寺市、小平市) 
 



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関東百駅巡礼歩行 関東鉄道常総線 水海道駅(茨城)

2013-09-12 22:05:30 | 関東百駅巡礼歩行
 2013年9月10日(火)

 関東百駅巡礼歩行の第98回は、あの猛暑のピークだった8月10日(土)に実施され
たが、私は法要で参加出来ず、ひと月遅れて一人で訪れた。

 スタート地は関東鉄道常総線の水海道(みつかいどう)駅。地図は前回にやまさんから
もらってある。

 10時50分にスタート、まずは駅前の観光案内所に入って常総市のパンフレットを入
手し、駅前から北へ、宝町の商店街に向かう。

 今日は休業日なのか、閉じた店が多い。宝町会館のそばに、かなり背の高いりっぱな火
の見やぐらが残っていた。


 県道330号に出て西へ、すぐ先の十字路で折り返して広い通りを南に向かう。

 みらいみそという店の先で、ひとつ西の細い通りに回る。県道357号を横断すると市
立図書館があり、構内に旧水海道町役場だった二水(にすい)会館と呼ぶ和洋折衷の建物
が移築されていた。

 大正12年(1913)に建てられたもので、国登録文化財になっている。

 西に回り込んで再度県道を横断し、北へ向かう上り坂の横の水海道天神社に入る。菅原
道真を祭り、後村上天皇の時代(1339~67)の創建。

 現在の本殿は永禄9年(1566)の再建のよう。

 本殿の南には、一の日と六の日に開かれる「六斎市」の守護神とされる、「一六(いち
ろく)神社」の小さい社殿がある。

 天神社の前には青銅製の撫牛(なでうし)が座り、祈りを込めて撫でると身体健全にな
るという。


 坂を上がって水海道一高の北側を入ると、広い境内の報国寺。大本堂の前のサルスベリ
がきれいな彩りを見せる。


 鐘楼はどっしりしとした造り。境内の西隅に、古い石仏が100体近く並んでいた。


 西側にある愛宕神社の横を進んで、鬼怒川の豊水橋のそばまで行く。手前の三差路際に、
レンガ造りの古い建物が残る。「五木宗(ごきそう)レンガ蔵」といい、幕末から明治に
回漕業を営んでいた五木田家のもの。

 明治15年(1828)の建造で国登録有形文化財。近年に改装され、現在は五木宗関
連資料などの展示やギャラリーとして活用されているという。

 道路を挟み、鬼怒川に面した小さいエリアは観水公園。鬼怒川の眺めを見下ろせる東家
といすがあり、「水海道遊泳会発祥之地」碑が立つていた。



 橋桁を塗装工事中の豊水橋の、上流側歩道を渡る。このところ雨が多かったので流れは
豊富で、左岸の新八間堀川水門の北方はるかには筑波山が望まれる。


 橋を渡り終えてすぐ北側の河原集落に入り、右岸堤防沿いを進む。民家の柵際に、縞模
様のまん丸い柑橘が実っていた。


 集落の北端にあった安養寺へ。正応元年(1288)の創建で、寛文年間の鬼怒川改修
工事で現在地に移され、江戸時代には朱印地となったとか。南側の不動堂は、霊験あらた
かな厄除(やくよけ)不動として信仰されているという。


 本堂前のシダレザクラは「称名桜(しょうみょうざくら)」と呼ばれ、推定樹齢300
年の古木である。


 本堂の北側には、西国、秩父、坂東を合わせた百観音石像が並んでいた。


 西に向かい、台地上の古い住宅地を進み、前原集落の北西端にある池のほとりに下る。

 「けんちの苑」の看板があり、「水辺周辺には、環境省の絶滅危惧1類に指定する貴重
な生物の生息が確認されている」と記されていた。

 池には紅白のスイレンが咲き残り、カルガモの姿も見えた。


 池の西側を北進して谷津集落に上がり、三差路際にあった「明星菴」と記されたお堂の
濡れ縁を借りて遅い昼食とする。

 陽の当たる道路はやや蒸し暑いが、日陰は風が通りしのぎやすい。

 通りの西には、かやぶき屋根にトタンを被せた古い民家が残っていた。


 お堂から折り返すように南西に少し進むと、地図上にはない不動院があり、境内は公園
のように広くて開放的。


 地図上の標高18.8m三角点を探したら、不動堂と並ぶ不動会館のそばのモミジの下
に、三等三角点が見つかった。


 境内北側の三差路を西へ、県道134号に出たところに、石塚酒店の古い建物が残る。


 この辺りは報恩寺集落、その名の寺は、すぐ北にあった。

 報恩寺は、建保2年(1214)に親鸞聖人二十四輩の第一弟子、性信房(しようしん
ぼう)の創建とされ、親鸞聖人の旧跡として知られているという。


 本堂は文化2年(1806)の造営で、境内の幹回り4.22mの大イチョウや、西本
願寺門主御手植杉などが目についた。

 県道を北へ、水海道豊岡郵便局のある次の三差路を右折して豊岡小の前を通過すると、
やわらかな彩りのソバ畑が広がろ。

 横曽根の十字路を左折して、すぐ北にある法性寺(ほうしょうじ)に入る。法性寺は、
永徳2年(1382)に聖商上人の開創、聖商上人は浄土宗の開祖、法然上人から数えて
七代目の継承者で、教団の基礎を固めた重要な人物という。

 本尊の如意輪観音は、子育て・安産の守本尊として知られ、「横曽根の観音様」と呼ば
れて多くの信仰を集めているとか。

 本堂をのぞくと、茨城県有形文化財の木造如意輪観音座像が拝観できた。

 集落の北側に、結城街道三社のひとつという諏訪神社が祭られ、境内は杉木立に覆われ
ている。


 神社の横を北進し、国道354号バイパスである水海道有料道路下を抜ける。周辺には
水田があるがほとんど刈り入れが終わり、わずかに残る有料道路手前の田で、収穫の準備
をしていた。



 花の咲き出したソバ畑の横を過ぎて飯沼集落に入り、東京芝の増上寺の別院で、関東十
八檀林のひとつという弘教寺(くぎょうじ)へ。

 応永21年(1414)の創建、第十世了学の時代に徳川家から莫大な寄進が寄せられ、
堂塔を再建したとか。

 了学が導師を努めていたことから家康の孫娘、千姫(せんひめ)の菩提寺となり、遺言
や遺骨の一部が納められた墓所があり、遺愛の品々が寺宝として納められているという。


 寺には旧水海道市文化財という鐘楼や山門、教蔵、絵画や扁額、工芸品などが多く、落
ち着いたたたずまいの広い境内の中で、幹回り7.53m、樹高33mという大杉が目に
ついた。境内西南隅には、八幡宮が祭られている。


 門前を南東に向かい、台羽生集落の十字路を南進する。十字路際の電柱にノウゼンカズ
ラが絡まり、独特の景観を見せる。


 水海道有料道路に出て、下流側に付けられた歩道で水海道大橋を渡る。橋からは、豊水
橋よりはっきりと筑波山が望まれた。


 料金所の手前で道路下をくぐり、北側の左岸堤防下にある諏訪神社に寄る。天和3年
(1683)に、先ほど寄った横曽根の諏訪神社から分霊したもので、鬼怒川水辺の安全
と流域住民の安住のために信仰を集めて来たという。


 県道354号に出て有料道路を横断し、北水海道駅に15時28分に着いた。ホームは
一面だけ。15時34分発上り1両の気動車で水海道駅に向かった。

(天気 晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 水海道、歩行地 常総市、歩数 歩数
 計故障)


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1964年の東京オリンピック 思い出のきっぷ

2013-09-09 20:51:36 | アーカイブ
 2013年9月9日(月)

 日本時間の昨日、8日朝、2020年のオリンピックとパラリンピックの開催都市が
東京に決まりました。

 東日本大震災の復興も半ばであり、福島原発の汚染水の処理も東京電力任せで一向に
安心、安全が見通せない状況の中で、7年後とはいえ大丈夫なのだろうかと気になり、
イスタンブールにでも決まる方が良いのではないかと思っていたのですが、再び東京で
開催されることになり、ちょっと複雑な思いです。

 それはそれとして、1964年の東京オリンピックのときの、きっぷなどがあるはず
と思い、しまい込んである段ボールを開けて探してみたら、幾つか見つかったので、ご
覧いただくことにしましょう。

 まずは10月10日の開会式の入場券。

 これは家族5人の名前で応募した中の1枚が運良く当選し、バックスタンドの中央付
近で快晴の青空の下、見ることが出来ました。

 10月15日に駒沢バレーボール場でのバレーボールの入場券。

 この日は見に行った記憶がありません。もしかしたら、せっかく購入しながら仕事で
行けなかったのかもしれません。

 10月18日に国立競技場で行われた陸上競技の入場券。

 雨の中で競技が行われ、走り幅跳びや3000m障害などを見たように思います。

 これらの入場券が入っていた封筒。


 こちらは、東京オリンピック用に特別に発行された電話番号簿。定価100円です。

 サイズはA5判で150頁。日本語、フランス語、英語の3か国語で記載。

 電話番号簿の中のある頁。大会会場の電話番号が記されています。


 英語で記され頁。

 左側の広告頁にある、これらカメラを当時使われた方も居られたのではないでしょうか。

 オリンピック会場への最寄り駅行きの、国鉄の特殊往復乗車券。
 
 千駄ヶ谷駅前にある東京体育館や、メイン会場の国立競技場などに行く場合に便利。 

 これも国鉄の記念急行券。東京から301㎞以上に利用できるので、東京~名古屋間
や東京~仙台間などに使えました。買っただけで使ってはいません。


 記念切符も何種類も発売されましたが、とりあえず見つかったのはこの5円切手。


 開会式の9日前、10月1日に開業した東海道新幹線の記念切手。
 

 オリンピック前に開催された競技会の入場券も残っていました。

 これは、1964年なのか1963年なのか分かりませんが、1964年9月の記録
帳を見たら記されてないので、1年前の1963年9月のようです。

 東京オリンピックの体操競技というと、男子の小野選手や遠藤選手が活躍したのが思
い出されます。


 ところで、2020年の東京オリンピックの会期は、7月24日が開会式で8月9日
まで、パラリンピックは8月25日から9月6日までが予定されているようですが、今
年のような猛暑も予想される1年で一番暑い時期。どうしてこのような時期を選んだの
でしょうか。

 今日の日本気象協会のサイトでも気象予報士の方が指摘しており、前回のように10
月開催の方が良いように思われますが…。

 日本気象協会の該当ページ




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雪のある風景 スイス・ゴルナーグラート展望台から

2013-09-05 22:01:18 | スイス旅行
 2013年9月5日(木)

 昨夜から今日午前中にかけて、所沢でもたびたび雷鳴が聞こえていて、アメダスのデー
タによると44.5㎜の降雨があったようです。お陰で庭もすっかり湿り、草花やわずか
な庭木も息を吹き返してくれそうです。

 でも正午過ぎから青空が広がり、また蒸し暑さが戻りました。

========================================

 スイスの雪のある風景、今回は、日程としては少し戻りますが、昨年5月29日(火)
にスイス西南部のマッターホルンを望む観光地ツェルマットから、登山電車で上がった
3,000mを越えるゴルナーグラート展望台からの、マッターホルンなどの大展望です。

 山麓のツェルマット駅から終点のゴルナーグラート駅(標高3,086m)までには、
途中4つの駅があり、ラックレールのついた登山電車で次第に高度を上げて行きます。

 3つめのRiffelberg駅(2,582m)を過ぎた辺りからの登山電車から望まれるマッタ
ーホルン(4,478m)は、かなり尖ったピークを見せていました。


 ゴルナーグラート駅に着きました。すぐ前の展望台からは南面の大展望が広がります。
左がモンテローザ↓(4,634m)、右はリスカム↓(4,527m)のよう。

 正面にクレンツェ氷河が望まれ↑、その流れは右にカーブして下っています↓。


 やや右手に見えるマッターホルン。


 周辺の山並みを幾つか。






 左の双耳峰はカストール(4,223m)右はポリュックス(4,092m)。

 
 登山電車とは別に、リフトも幾つか見られました。


 上空を航空機が通過中。


 駅のそばにある教会。


 レストランのある建物の外の椅子に座って、ゆっくりと雄大な展望が楽しめます。




 ヨーロッパ第2番の高峰、モンテローザ(4,634m)をもう一度。






 こちらはロープウェイの山頂駅でしょうか…。


 駅より一段高いところにあるホテル周辺からの展望は、さらに360度に広がります。


 ゆっくりと大展望を楽しみ、眼下に見えるゴルナーグラート駅に下って帰路につきました。


 それにしても、登山技術が無くても3,000mを越える高地に登山電車で容易に上がり、
4,000mを越える高山や大規模な氷河が間近に眺められるのが、スイス観光の素晴らし
いところです。



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雪のある風景 スイス・クライネシャイデック駅周辺

2013-09-01 18:36:51 | スイス旅行
 2013年9月1日(日)

 8月30日(金)から今日までのこの週末、また猛暑がぶり返し、私の外歩きはせいぜ
い1時間半が限界。今日も、5㎞ほどのウオーキングで何度顔の汗を拭いたことか。帰っ
てシャワーをしてやれやれでした。
 
 夕方になって雲が増えて雷鳴も聞こえてきましたが、どの程度降ってくれるのか、各地
で大雨の災害も出ているようですが、こちらではおしめりがほしいところです。

 というわけで、今日も涼しさを少しでも感じてもらえればと、昨年のスイス旅行での雪
の見える風景です。

========================================

 昨年6月1日(金)は、スイス中部の町インターラーケンから、登山電車を乗り継いで
標高3,450mのユングフラウヨッホ駅まで上がったのですが、あいにく雲が広がり、
期待のアイガー、メンヒ、ユングフラウといった4,000m前後の山並みは見られません
でした。
 
 以下の写真は、途中の登山電車の乗換駅、クライネシャイデック駅(2,061m)で
の往路の乗り換え時間と、昼食をした帰路での駅周辺の展望です。












 氷河の末端でしょうか…


 帰路、駅構内のレストランで昼食後、外に出て背後の高台からの眺め。






 駅周辺も、ときどきガスに包まれます。




 少しの時間でガスは上がって来ました。


 眼下にハイカーらしい姿も。


 アイガーに伸びる壁面のよう。


 クライネシャイデックから下る、ヴェンゲルンアルプ鉄道の登山電車から。







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