あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

阿字ヶ浦から那珂湊まで歩き おさかな市場へ(茨城)

2015-05-31 22:24:36 | ウオーキング
 2015年5月23日(日)〈後半〉

 ひたちなか海浜鉄道の終点、阿字ヶ浦駅に10時35分に着いた。

 駅周辺に商店はなく、閑散としている。駅前の案内板に記されていたコンビニで今日の
昼食を調達することにして、10時40分に出発する。

 駅前を東へ、すぐの突き当たりに堀出神社がある。寛文11年(1671)に水戸藩主
徳川光圀(みつくに)により創建され、以来阿字ヶ浦町(旧前浜村)の鎮守として崇敬さ
れているという。


 境内に、干し芋(いも)の神様、小池吉兵衛の胸像があった。小池翁は、明治8年
(1875)この地に生まれ、甘藷の加工に着眼して弟と共に蒸し切り干しの製造を始め、
販路の開拓にも努力し、郷土の一大産業となったことなどが記されていた。
        

 私だけ神社に入ったので、みんなは先に行ってしまった。急ぎ追いかけ、坂を下ったY
字路付近で追いつく、広い通りに出たところの民家に、たくさんの鉢花が並び、きれいな
花を見せていた。
    

 次のY字路付近にコンビニがあるはず。探したら、その先の通りにセイコーマートが見
つかり、各々好みの昼食を仕入れた。

 大鳥居のある三差路に戻り、酒列磯前(さかつらいそさき)神社の境内に入る。

 参道には、樹齢300年を超えるというヤブツバキやタブノキ、さらにユズリハ、モチ
ノキ、シロダモなど、暖帯性の常緑広葉樹がうっそうと覆い被さり、県の天然記念物に指
定されている。


 酒列磯前神社は斉衡3年(856)の創建、歴代領主の崇敬も厚く、2代水戸藩主徳川
光圀は境内を大規模に拡張し、元禄15年(1702)に現在地に遷座したとか。
 

 医療、醸造、海上安全、豊穣などの神として崇敬を集め、学問の神として学業成就や合
格祈願の人も多く、近年はパワースポットとしても知られているようだ。

 拝殿正面上部に、左甚五郎作と伝わるリスとブドウの彫刻がある。


        
 境内には9代水戸藩主、徳川斉昭(なりあき)公お腰掛け石や、高額当選者が奉納した
という幸運の亀、白い神馬などもあり、奉納された幾つかの酒造会社の酒樽も並ぶ。
    

        

 常緑広葉樹の豊富な境内を南に抜ける。すぐ先に、奇妙に幹の曲がったクスノキと、ね
じれた幹の広葉樹が並び立つのが目に付いた。
      

 磯崎小の西側を南進して畑や磯崎町の民家の間を進み、斜面を下って海沿いを走る県道
6号に出る。

 この辺りの海岸は、中生代白亜紀層と呼ぶ岩礁が続いていて、この地層からは7,500
年前に生息していたアンモナイトの化石が発見されたという。平磯海岸公衆トイレと駐車
場があり、正午が近いので駐車場の隅に腰を下ろして昼食をした。

 12時23分に出発する。県道には歩道が無いので台地上の道路に戻り、さらに南に向
かう。すぐ先に太陽観測センターの建物があり、南側の3基のパラボラアンテナは太陽に
向いていた。



 この一帯平磯周辺は、さつまいもの特産地。広い畑に昨日同様ビニールで覆った畝が並
び、植え付けはこれからの畑が多い。


 一方ジャガイモ畑もあちこちにあり、こちらは白い花やムラサキの花が咲き競っていた。
        

 曇り空が少しずつ晴れて、蒸し暑くなってきた。平磯中のグランドの西南端にある標高
18.1mの2等三角点を確認し、平磯町の集落に入る。
    


 台地を下る直前にあった、津神社境内で休憩する。拝殿にも本殿にも、精巧な木彫が施
されていた。



 台地を下ると畑は消え、家並みの間を貫く旧道を進む。1㎞近く進んで海沿いの県道6
号に合した。海側の歩道を、岩礁に寄せ来る波を眺めながら行く。


 次の変則四差路際に、鯨の飾り物と「中村彝(なかむらつね)静養之地」碑が立ち、背
後には朱塗りの神社が祭られていた。


 ちなみに、中村彝は明治20年(1887)水戸生まれれの洋画家。明治44年(1911)、
新宿・中村屋の創業者、相馬愛蔵(そうまあいぞう)夫妻の厚意で中村屋の画室に住んだ。
当時相馬夫妻は、彫刻家・荻原碌山(おぎわらろくざん)や中原悌二郎をはじめ多くの芸
術家を支援している。

 私は10何年か前、信州・安曇野(あずみの)のカントリーウオークで穂高町(現在の
安曇野市)の相馬家を訪ねたことがあり、中村彝の名もその頃に知った。


 さらに海を眺めながら進み、今は人影のない「姥の懐マリンプール」の横を通過する。


 道路の反対側には、「独歩ここに療養す」と記された国木田独歩の小文の碑が立ち、そ
の先の壁面には、ひたちなか市誕生10周年記念に市内の小学生が描いた、大きな海の絵
が並んでいた。


       
 水深10mの日本一の潜水プールがあるという県立海洋高横を過ぎて間もなく、那珂湊
漁港に着いた。



 港に沿って、那珂湊港に水揚げされた地魚などの魚介類を商う店がたくさん並ぶ「那珂
湊おさか市場」があり、県内外からの客で大賑わいを見せている。14時に着き、15時
までの1時間を自由時間とする。
    

         
 どの店にも新鮮な魚介類やその加工品などが並び、その場で食べられる店も多い。それ
ぞれあちこち回って土産に買ったり、新鮮な刺身などを味わったりした。
     



 市場から駅までは、那珂湊の中心街を1㎞ほど。午前中に乗車し「関東の駅百選」に認
定されている那珂湊駅に15時12分に着く。


 15時29分発上り1両のワンマンカーで勝田駅に出て、JR常磐線で帰途についた。

〈後半の記録〉(天気 晴、距離 9㎞、地図(1/2.5万) ひたちなか、磯浜、
 歩行地 ひたちなか市、歩数 17,500)(合計距離 16㎞、総歩数 29,500)




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大洗から那珂湊へ鹿島灘沿いに歩く(茨城)

2015-05-30 22:24:08 | ウオーキング

 昨日の鹿児島県屋久島町の口永良部島(くちのえらぶじま)での噴火に続き、今夜20
時24分頃、小笠原近海を震源とするマグニチュード8.5の巨大地震が発生し、全国的
にゆれたようです。

 これからは大雨や台風の季節、日本列島はどこでも災害発生の恐れがあり、油断ができ
ません。皆さまのところにも、被害の出ないことをお祈り申し上げます。

 =======================================

 2015年5月24日(日)〈前半〉

 宿泊した大洗(おおあらい)の民宿浜野屋で5時半頃起床し、6時から近くの散策に出
た。

 海側の県道2号に平行して、クロマツの並木の中に延びる自転車と歩行者専用道があり、
それを越えて、海岸に接した海浜公園に行く。


 「津波浸水実績図」があり、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では、宿の
近くまで浸水したことが知れる。


    
 公園の空き地に、たくさんのツバナの穂が風に揺れ、大形クルーズ船の係留された「大
洗マリーナ」の近くには、ムラサキツメクサやハマナス、ハナヒルガオなどが咲いていた。


    

 フェリー発着所や「大洗わくわく科学館」の横を進み、大洗のシンボル、高さ55mの
マリンタワーの下を通過する。
      

 近くには、フェリーに積み込まれるらしい大型トラックがたくさん並んでいた。


 港中央公園の入口付近↑で折り返し、クロマツ林の遊歩道から宿に戻った。

 朝食を終え、宿の前で記念撮影をして、8時5分に出発した。


 先ほど歩いたクロマツ林の遊歩道を東へ逆行し、大洗港沿いに進む。1.5㎞ほどで遊
歩道は終わり、その先は県道2号の歩道を行く。

 県道を700mほど、左に90度カーブした交差点際に、大きな鳥居が立っていた。大
洗磯前(いそさき)神社の大鳥居である。



 鳥居の先から、松などの茂る広い境内を斜めに緩やかに上がり、拝殿前に着いた。

 東側、県道173号側から急石段を上がったところにも鳥居があり、正面に鹿島灘(か
しまなだ)が望まれる。


 大洗磯前神社の創立は古く、六国史のひとつ「文徳天皇実録」斉衡3年(856)の条
に、この神社のことが記されているとか。


 現在の本殿↑、拝殿、神門などは、享保15年(1730)の建造で、本殿と拝殿は茨
城県文化財に指定されていて、古くから家内安全、海上交通の守り神として信仰を集めて
いるという。

    
 拝殿には極彩色の木彫が施され、本殿の屋根は葺(ふ)き替えて間もないかやぶき。
 

 背後にはうっそうとした広葉樹の森が広がる。


 境内には、こんな大きな立て札もあった。


 正面の階段を県道に下ると、その先の大岩にも鳥居が望まれる。


 鹿島灘に沿った県道173号をさらに北へ。黒松林の続く斜面に、「磯節発祥の碑」が
立っていた。


 砂浜にはハマヒルガオや黄色い花、ツバナなどが咲き競い、砂浜の先にはたくさんの岩
礁が続いている。


 岩礁が消えて海水浴場沿いは大洗公園となり、波間にはたくさんのサーファーが波乗り
を楽しんでいた。


 大洗公園が終わり、県道が左カーブする突き当たりは、「アクアワールド・大洗」。

 580種、68,000の海の生物が展示され、サメの種類は日本一という。

    
 アクアワールド入口の植栽にタニウツギが咲き、県道は左カーブする。その先で左から
の車道と合し、那珂川(なかがわ)の河口に架かる海門橋を渡る。




 橋の上流で、昨日湖畔を歩いた涸沼(ひぬま)からの涸沼川が、右からの那珂川本流に
合流していた。

      涸沼川                     那珂川本流 

 橋に近い上流右岸には「かんぽの宿大洗」の大きな建物が、左岸下流には那珂湊(なか
みなと)漁港↓を見ながら橋を渡り終え、那珂湊の町中に入る。


 今日の歩きのメインコースへの乗り継ぎ口、ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅に10時8
分に着いた。


        

 10時27分発下り1両のワンマンディーゼルカーに乗り、終点の阿字ヶ浦駅に向かう。

                                     (続く)

〈ここまでの記録〉(天気 曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 磯浜、ひたちなか、
 歩行地 大洗町、ひたちなか市、歩数 12,000)




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涸沼南岸の畑作地帯をカントリーウオーク(茨城)

2015-05-29 17:20:31 | カントリーウオーク

 前回投稿から10日余りが経過したのは、5月23~24日の日間、茨城県東部へカン
トリーウオークに出かけ、中1日をおいて26~28日には奈良県に出かけたため。それ
らの行程などは順次アップします。

 =======================================

 2015年5月23日(土)

 カントリーウオークグループで毎年春に実施している1泊のカントリーウオークに、4
年ぶりに参加した。

 JR常磐線の水戸駅に10時に集合し、10時43分発鹿島臨海鉄道の鹿島神宮行き1
両ワンマンのディーゼル車に乗る。


 無人の涸沼(ひぬま)駅に11時7分に着いた。高架の線路際に2階建ての駅舎がある
が、ドアは閉まり中のトイレは利用できない。


 今回の担当のTさんからコース説明があり、11時18分にスタートした。
    

    
 駅前の標高3.6mの三角点↑を確認して東に向かい、大谷川の橋の先から林間の草道
を台地に上がる。林間のエゴノキが、花をいっぱい付けていた。
        

 林を出ると畝(うね)に黒いビニールを被せた畑が広がり、サツマイモの植え付けの準
備が進む。

 今日明日歩くエリアは茨城特産のサツマイモの生産地で、すでに植えてある畑も多い。
広いジャガイモ畑には、白い花がたくさん咲いていた。


 畑から自宅に戻る途中、車から声をかけてくれた男性に教えてもらい、抜け道を次の台
地に上がり、八神神社↓の横を下って箕輪集落東部に出る。



 ケヤキの高木の立つ民家の横から田んぼの間の農道を抜けて、涸沼南岸にある茨城県開
発公社運営の公共施設「いこいの村涸沼」に向かう。



 シジミ直売店の横を入り、いこいの村の多目的グランドやプールの横を東進して、宿泊
施設のある建物の前を通過する。


 建物の周辺は、新緑の木々と芝生の緑が豊富な広場になっている。



 さらにテニスコートや船だまりの横を回り、12時22分にグランドゴルフ場↓のそば
に着き、ゴルフ場横の階段にシートを敷いて昼食とした。


 13時7分に出発し、広いグランドゴルフ場でのプレイを眺めながら、メタセコイアの
並木を東に抜けて涸沼南岸の遊歩道に回る。
      

 東西に長い涸沼は面積9.3㎢あり、満潮時には海水が逆流する汽水湖。シジミの生産
が1999年には全国4位だったが、護岸工事などで近年は漁獲高が低下しているらしい。
フナ、ナマズなど淡水魚のほかにハゼ、ボラなど回遊魚も見られ、釣り魚の種類が国内で
最も豊富な湖沼だという。


 湖面では漁をしている小舟が見られ、湖岸近くにはジッと動かないアオサギが立ってい
た。
    

 湖面からは時々、ボラらしい魚が飛び跳ねるのも見える。湖の北側にはアシの茂る雑草
地が広がり、ウグイスやキジがしきりに鳴く。


 少し進むと、湖に入って手網で漁をしている人がいる。聞くと、シラウオを捕っている
が、今日は風向きが違うので収穫は少ないとか。
    
     すくい上げた小魚は、すぐに湖に放していた。


 1㎞余り湖岸を進んで弁天鼻と呼ぶ突端まで行き、小公園があったので小休止する。木
の下に幾つも不思議な小穴が空いていて、小学生が短い棒に疑似餌を付けて、ザリガニ取
りをしていた。

 南側の集落を進んで神明宮に上がり、集落の北側台地に抜ける。


 実の大きくなったソラマメ畑などの横を進み、田植えの終えたばかりの谷地田を横断す
る。


 次の台地への上がり口に、二十三夜塔や馬頭観音、お地蔵さんなど20以上の古い石仏
が並んでいた。


 林の横から北側の台地に上がり、標高29.2m三角点近くを通過し、少し先の木陰で
小休止した。その先にはメロンのビニールハウスが幾つかあり、ハウスをのぞくと実はか
なり大きくなっている。
    


 昭和集落の辺り、ポツポツと住宅はあるが、多くは植えて間もないサツマイモ畑やビニ
ールハウス、植え付け前の畑などが広がる。道は次第に左にカーブして東に向かい、車道
を横断するところで標高29.1m三角点を確認する。
      


 その先も広いサツマイモ畑が多く、スイカのビニールハウスのそばには、間引きしたス
イカ玉がたくさん転がっていた。
    

 田崎集落の中心部も家並みはほとんど無く、「ぶなしめじ食菌センター」の横を通過す
る。


 小さな道祖神が祭られたY字路を左に進み、和田集落に入る。鹿島臨海鉄道の高架が見
えてきた三差路際の店で、アイスクリームや飲料を求めて最後の小休止をした。


 大谷川沿いの植えたばかりの水田を横切り、鹿島臨海鉄道の高架橋下を東に抜けて下太
田集落に入る。一木神社前を通過し、16時7分に涸沼駅に戻った。


    
 ホームで記念撮影をして、16時13分発勝田行き1両のワンマンカーに乗る。今日泊
まる民宿のある大洗(おおあらい)駅には16時29分に着いた。

(参加 11人、天気 晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 磯浜、小鶴、歩行地
 鉾田市、茨城町、歩数 21,900)




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「続カタツムリ歩行」で東川口駅周辺を歩く(埼玉)

2015-05-18 11:55:46 | カタツムリ歩行
 2015年5月17日(日)

 好天となった今日は、「続カタツムリ歩行」の第24回例会に参加しました。集合地は
JR武蔵野線の東川口駅、10時5分にスタートしました。


 ゴールとは反対の南側に回り、戸塚一丁目の東側台地下の遊歩道に入ります。


 遊歩道にあったアジサイは、もう間もなく咲き出しそう。


     台地上に上がって住宅地を進むと、民家の庭先にシャクナゲが。
    

 その先にあったりっぱな本堂の西光院に入り、参拝しました。

 西光院は、天正元年(1573)に当地に来た叡雅上人により庵としたのが始まりで、
その後、文禄2年(1593)に再び上人が来た際に青竜山西光院伝福寺と号したよう。

 寛永年間(1624~44)には薬師堂や表門、客殿などが造立されて再興がなり、
以後興隆を極めたようです。

 境内には、幾つもの石像が祭られています。こちらは閻魔様のようです。
    

 広い庭は植栽が多くよく手入れされていて、その間のあちこちに石像が配置されていま
した。


 これは一葉観音で、由来は「昔中国で修行を終えた僧が帰国の途上暴風雨にあい、一心
に観音様を念じたところ、ハス葉に乗った観音菩薩が現れ、たちまち風波は治まった。
    
 順風満帆な旅を約束し、交通安全、さらに水難から守って下さる観音さまとして深く信
仰されています」とのこと。

 南東の隅の道路際には、川口七福神の弁財天堂が祭られています。


 南側の道路を横断して、戸塚三丁目の消防署の南側にある七郷(ななさと)神社へ。

 西光院は七郷神社の別当寺のようで、寛永年間の西光院再興に際しては、当社の整備も
進められたものと考えられているようです。

 拝殿内では、生まれて間もない赤ちゃんの大成を祈願した初参りの家族が…。

 境内に標高15.4mの三角点マークがあるので探しましたが、見つかりません。


 北側の車道に戻って西進します。川口市は植木の町として知られていますが、この通り
にも住宅地の中の樹木畑が目に付きました。


 東川口駅前から南に延びている広い市道を横断して、戸塚四丁目の道路際にある本行寺
に行きましたが、東側西側ともに門が閉ざされていて入れません。


 東川口駅に向かう幅広い市道は、車道の中央部と両側の歩道に街路樹があり、歩道には
短い間隔で鉢植えもあり、緑と花が多くて歩道も自転車レーンも広く、歩行者も安心して
歩けます。
    

 スタートした東川口駅に戻って北に抜けて、東川口一丁目の諏訪神社へ。

 旧戸塚村一本木組の鎮守で、日光御成(おなり)街道に面していることから、安永5年
(1776)の10代将軍徳川家治(いえはる)と、天保14年(1843)の12代徳
川家慶(いえよし)の日光社参の際には、将軍の小休所になったようです。 

 ここも標高19mの三角点があるはずですが、七郷陣神社と同様、分かりませんでした。

 県道105号を横断して西進すると、住宅が少なくなる辺りから北側にかけて、新しい
道路工事が何か所かで進行中でした。

 その一角、畑の隅に咲く白い花。


    

 畑だったのか、空き地にポツンと立つお地蔵さんと青面金剛の石像。江戸時代の造立の
よう。
    

 周辺にも、まだ若木のツツジ畑が何枚が見られました。


 東北自動車道近くまで進みましたが、春日神社は改築中だったので、その横から工事中
の広い道路を北進して、大門小の横を通過します。校庭では野球の練習中。

 道路際の金網のすき間から撮ったら、その向こうのバックネットにピントが…。    

 国道463号に出て、工場の長い建物の横の長い参道を進み、12時02分にゴールの
大門(だいもん)神社着きました。

 大門神社は、大門町の鎮守として祭られた神社で、かつては十二社権現社と呼び、明治
40年(1907)に地内の8社と近隣の村社を合祀して大門神社になったとか。

 ちなみに当地大門は、日光御成街道の江戸日本橋から4番目の宿場町で、中世から鎌倉
街道中道(なかつみち)の道筋として発展し、毎月8の日には市が立ったようです。

    
    拝殿の背後、本殿の周辺には極彩色の木彫が施されていました。
        

 境内は、クスノキやケヤキのうっそうとした木々に囲まれ、今日の暑さを忘れさせてく
れます。


 境内にある愛宕神社は、元禄年中(1688~1704)の創立で、当時大門宿に大火
ががあり、里人が計って火防の神である愛宕神社を勧請したと伝えられているようです。


 食事を終えて拝殿前で記念撮影とミーティングをして、12時40分過ぎに散会となり
ました。

(天気 晴、距離 4.6㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地、川口市、さいたま
 市緑区、歩数 9,300)


 散会後私は、東北自動車道の西側にある遠沼(とおしょう)神社と興照寺を回ってから、
東川口駅に戻ることにしました。

 国道463号を少しだけ西進して、大門郵便局の近くから住宅地を南西に入り、東北自
動車道の浦和IC付近から東北道に平行する国道122号の歩道を南下します。

 南北に走る送電線の下付近で東北道の下を西に抜けて、区画整理された差間(さしま)
一丁目の住宅地に入り、小さい流れを越えて差間中央公園の横を通過します。


 差間二丁目に回り、見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)に近い遠沼神社
に入りました。


 遠沼神社の創立時期は不詳のようですが、鎌倉時代末期から江戸時代の初期のころと思
われるとか。 もとは、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭った浅間神社でしたが、
明治40年(1907)に、差間村の稲荷社、菅原社、間宮村の大白天社、氷川社など7
社を合社して、社名を東沼神社と改称したようです。

 境内には、七五三詣での絵馬と入試合格祈願の絵馬との2つの絵馬が、別々の絵馬板に
掲げられていました。
    

 境内南西側には、悠仁親王殿下のお誕生を記念して4年前の平成23年7月に復元した
という富士山がありました。

 いつ頃造営されたのか分かりませんが、天保11年(1840)の絵馬には描かれてい
たとか。風雨で崩れてしまっていたのを、本ものの富士山の500分の1に復元したよう
で、標高8m、すそ野は30mの富士山です。

 登山口には、「参拝(賽銭を入れ二拝二泊手一拝)しない人、中学生以下の子供(親が
いても)登れません、犬もだめ罪が当たる」の立て札がありますが、私は参拝済みだった
ので登頂しました。

 山頂から見下ろした境内の眺め。


 すぐ東南には、先ほどのミーティングでIさんが紹介してくれた「鯖大師」の興照寺が
あるので回ってみました。


 境内は思ったほど広くはなく、鯖大師は本堂の手前左手道路際の、岩積みの上に祭られ
ていました。


         弘法大師が鯖を下げたお姿です。
        

 ちなみに、鯖大師は四国八十八ヶ所霊場の第4番札所にあり、その縁起は以下のような
ことです。 興照寺の鯖大師も、これにちなんだもののようですが、どのような縁でここ
に祭ったのかは分かりません。

 『今から1200ほど昔のこと、お大師様(弘法大師)がお四国をお開きに巡られた折、
ある朝通りかかった馬子に積荷の塩鯖を請われましたが、口汚くののしられ断られました。
馬子が馬引坂まできた時、馬が急に苦しみみだし、先程の坊様がお大師様と気付いた馬子
は鯖を持っておわぴし、馬の病気をなおしてくれるよう頼みました。

 お大師様がお加持水を与えると馬はたちまち元気になり、お大師様は八坂八浜の法生島
で塩鯖をお加持すると生きかえって泳いでいきました。そこで仏の心を起した馬子はこの
地に庵をたて、古今来世まで人々の救いの霊場と致して、鯖を3年間絶ってご祈念すると
願い事がかない、病気がなおり、幸福になれると、いつしか人々に「鯖大師」と呼ばれて
いるのです。』

 こちらが、徳島県海陽町にある四国八十八ヶ所霊場別格4番札所の鯖大師本坊です。


 興照寺を出て東へ、JR武蔵野線の北側を平行する車道を進み、東北自動車道の下を抜
けて、東川口駅には14時25分に戻りました。

 (総行程 9㎞、歩数 18,000)





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所沢航空記念公園のバラとスイレン(埼玉)

2015-05-15 18:22:01 | 所沢だより
 2015年5月15日(金)

 3日続きで30℃近くまで気温が上がり、日中の外歩きには熱中症に注意が必要となり
ました。

 なるべく木々の多いところを選んでの市内ウオーキングというと、どうしても所沢航空
記念公園に足が向きます。

 公園の中央部、放送塔の下にある藤棚の周辺のバラが、見ごろになっていました。


    

        

    
 わずかなエリアですが、花の色はかなり多彩です。


    

        

    

        

    

        

            



    

        

            

    

 撮っていたら、やはりカメラを構えていた人から、「日本庭園のスイレンが咲いている
よ」と教えてくれたので、行ってみました。


 赤いのは4つだけですが、よい彩りです。


        

    

        コウホネも3輪ほど開花していました。そのひとつ。
        

 バラもスイレンも、もう少しの間は花が楽しめそうです。




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出光美術館からの皇居方面の眺め(東京)

2015-05-14 16:51:57 | Weblog
 2015年5月13日(水)

 台風6号崩れの低気圧が足早に去り、東京は30℃になるという予報でしたが、28℃
台で納まったようです。

 連れ合いが今日、Sさんと出かける予定だっがのが、Sさんの都合が悪くなり、1枚余
ったという招待券で、東京・丸の内の出光(いでみつ)美術館に行き、『東洋の美 -中
国・朝鮮・東南アジアの名品-』展を観賞してきました。

 出光美術館の案内図


 JR山手線の有楽町駅の国際フォーラム口から西へ、皇居方面に向かい、丸の内中通り
を横断します。


 会場の出光美術館は、皇居お堀端を走る日比谷通りに接する、帝劇ビルの9階です。

      

 「多様な文化・伝統に根ざしつつ、多彩な美術作品を育んできた東洋の国々ですが、出
光コレクションを代表する美術作品ながら、これまでまとめて見る機会の少なかったアジ
アの国々で生み出された優品を一挙紹介します」というのが、今回の企画のよう。

 会場では、中国の原始・古代の土器や朝鮮陶磁、ベトナムやタイといった東南アジア諸
国の陶磁器を中心に、金光品や漆器、玉器などが、以下のような6章と3つの特集に分か
れて、160点余りの作品が展示されていました。

 第1章 美の誕生-原始・古代中国の陶磁器

 第2章 豪華な副葬品-漢時代の青銅器

 特集  愛くるしい動物たち

 特集  銅鏡

 第3章 祈りのかたち-中国・朝鮮の仏教美術

 第4章 青磁・粉青・白磁-高麗・朝鮮王朝時代の陶磁器

 特集  高麗茶碗

 第5章 東南アジアの名品-ベトナム・タイの青花・色絵・鉄絵

 第6章 多様な工芸品-明・清および朝鮮王朝時代の漆・玉・牙角・金属器

 館内は撮影禁止なので、当展覧会のリーフレット裏面に紹介されていた5点の作品を、
モノクロ写真ながら紹介します。

      
       粉青沙器象嵌牡丹文共蓋四耳壺  朝鮮 朝鮮王朝時代

         
          褐彩草花文瓢形瓶  タイ 15世紀
 
            
             青花秋草文壺  朝鮮 朝鮮王朝時代

        
         井戸茶碗 銘 石清水  朝鮮 帖瀬能帖時代

     
      紫檀宝石飾如意  中国 清時代

 1時間半以上かけて、紀元前5世紀くらい前の古い土器から19世紀にかけての多彩な
作品を、ゆっくりと観賞しました。

 会場のそばに休憩コーナーがあり、鑑賞後は無料のお茶などをいただきながら休憩する
ことができます。

 西側の日比谷通り側にに窓があるので、9階からの皇居方面の展望が抜群でした。

 皇居・日比谷堀の南東端付近と日比谷公園、霞ヶ関の官庁街方面


    上の写真の中央よりやや右をアップ、電波塔のあるのは警視庁、手前は法務省
      

 さらにズームアップしてみた法務省


 日比谷公園と官庁街のアップ
     

 その右手辺り


 少しズームアップ


 真ん中の道路突き当たりは桜田門
 

 皇居外苑と皇居の豊富な森。


 上のエリアの右側をズームアップすると、宮内庁庁舎や武道館の屋根が望まれます。

        宮内庁庁舎                     武道館

 皇居の森の奥、右手には高い電波塔が見えます。


 日比谷堀のすぐ向こう、皇居外苑広場に立つ楠正成像は、いつも下から眺めていました
が、ズームを利かせると、ここからは見下ろすことができます。


 ちなみに、帝劇ビルのすぐ南側は、第2次大戦の敗戦直後に進駐してきた連合国軍の司
令部のあった第一生命ビルです。マッカーサー元帥も、毎日こんな風景を眺めながら占領
政策を遂行していたのでしょうか…。

 いやいや、70年前にはこんな高層ビルはなくて周辺は焼け野原、皇居の緑もこんなに
豊富ではなかったかと思われます。

 新緑豊富な皇居周辺を眺めた後、ミュージアムショップも少しのぞいてみました。

 

 店には、美術書や美術館所蔵の作品の絵はがきなどが豊富でした。


 さて、14時を過ぎたので昼食をしなくてはと、帝劇ビルを出ました。JR有楽町駅の
方に向かおうとしたら、隣の国際ビルB1階にたくさんの食事どころがあるのに気づき、
下りてみました。
        

 目に付いたのが「鹿屋(かのや)アスリート食堂」、鹿屋といえば鹿屋体育大学が知ら
れていますが、その鹿屋大と鹿屋市、そしてバルニバービという産学官連携プロジェクト
による、「一汁一飯三主菜で美と健康づくりを担うバランス定食」のようなので、ここに
入ることに。


 このようなメニューボードがあり、この中からご飯と、5種類ずつ3組の主菜メニュー
の中から、ひとつずつお好みの品を選んで、オーダーシートに書き込んで注文します。


 このメニューを監修している、鹿屋大学の公認スポーツ栄養士、長島美央子講師の、バ
ランスのとれたお勧めメニューはこちら。
      

 14時を過ぎているので、店内はもうわずかな客でした。なお、平日昼のラストオーダ
ーは14時30分までです。


    

 私が注文したメニュー


 レシートの下部には、注文したメニューのカロリーや主要栄養素の摂取量と、一日摂取
目安が記されていました。
           

 美味しくいただき、もう多くが閉まっていたほかの店も一巡してからビルを出て、八重
洲ブックセンターや、八重洲さくら通りにある「ふるさと情報プラザ」などを回り、JR
東京駅から池袋駅に向かいました。





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トトロの森や小手指ヶ原古戦場をカントリーウオーク(埼玉)

2015-05-11 22:55:53 | カントリーウオーク
 2015年5月10日(日)

 春の連休から続く晴天となったこの日、カントリーウオークグループの例会に参加する。
集合は西武狭山線の下山口(しもやまぐち)駅。3組に分かれて10時5分に出発した。

 == 「荒幡の富士」から狭山湖堤へ ==
 
 北側を走る県道55号を東北に400mほど進み、最初に仏蔵院へ。

 仏蔵院は、山口貯水池(狭山湖)造成で湖底に沈んだ大字勝楽寺(しょうらくじ)から
移転したとのこと。狭山三十三観音霊場2番、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所73番霊場で
ある。


 緑多い境内に大株のツツジが幾つか咲き競い、正面に大きな本堂が立つ。
    

 ツツジの近くのシナノキは↓、花を終えて実がふくらんでいる。山門の近くには、モク
セイの古木が高く枝を延ばしていた。
    

 県道を少し戻って三差路を東へ、西武狭山線の踏切を越えて南進し、住宅地の横の谷間
を進むと茶畑があり、30人前後のグループが茶摘みを始めようとしていた。
 

 その横の涼しい林間を緩やかに上がって、県の「狭山丘陵生きものふれあいの里センタ
ー」に入る。



 館内で、狭山丘陵の動植物や魚などの展示を観覧後、前のベンチで小休止する。周辺は
所沢市の「荒幡富士市民の森」で、広葉樹林の新緑が気持ちよい。

 林間を少し回って稜線に出て、浅間神社の横から荒幡富士(119m)山頂に上がった。

 明治17年(1884)から32年(1899)まで、15年かけて地元荒幡村の富士
講信者や近隣の有志などが築いた人口の富士山で、後に文人大町桂月も、築山碑にそのこ
とを明記しているという。

 本ものの富士山は雲に隠れていたが、都心のビル街や所沢の中心街、小手指駅周辺の建
物群↓、西武ドームなどの展望を楽しんだ。


 南に接する西武園ゴルフ場との間を西進して住宅地に出て、V字状に折り返して住宅地
の南端まで進む。


 以前も見たが、庭先が花で埋め尽くされた住宅があった。


 その横から林間を緩やかに上がり、多摩湖(上湖)の北岸に延びる車道に出る。北に少
し下り、大塚の住宅地を西に抜け、急階段を下った次の斜面が「トトロの森6号地」。
    

        
 新緑したたる広葉樹林の間を上がり、西武園ゴルフ場の北側で小休止した。

 次のポイント、中氷川神社に回ると昼食地に着くのが遅れそう。この先も、地図上に鎖
線が狭山湖取水塔に向かって真っ直ぐに延びている東京都水道局の送水管埋設地の上を進
むことにする。


 西側に下って草付きの堤防を進む。ニセアカシヤや、ミズキなどの花がたくさん咲いて
いた。
    

 次の斜面も林間を上がり畑を横断し、さらに急降下して住宅の横を上がって畑に出る。
畑の隅のボタンやシャクヤクがきれいな花を見せる。
        

 さらに、畑の間や住宅地の間の細い斜面などを進む。ひと筋北側の住宅地を進み、西武
球場前駅近くで細い流れと西武狭山線の高架下を通過する。県道55号を横切り、上山口
の住宅地を西に抜けた。

 狭山湖堤防下の運動公園下部を北進し、堤防の北端に向かって上がる。遊歩道斜面には
ツツジの並木が続き、花が見頃である。



 12時34分に、昼食地である狭山湖堤防北端の東屋(あずまや)に着いた。そばのサ
クラの緑陰で昼食を始め、間もなく後続の皆さんも到着した。



 
 == 北野天神から小手指原古戦場へ ==

 食事と休憩を終えてミーティングをして、雲が増えて日射しが遮られて歩きやすくなっ
た13時45分、スタートした。

 車道を横断して東へ、円筒形の水道タンクの横を進む。広葉樹林が終わると狭山茶の茶
畑の斜面が広がり、新緑がみずみずしい。


 住宅が現れた辺りに藤森稲荷神社の小ぶりな社殿があり、傍らにフジの古木があるが、
花はすでに終わり若葉に覆われていた。
      

 家並みの間を少し下ると、大きな本堂が目に付く全徳院の門前に出る。武蔵野三十三観
音第12番札所でロウバイの寺として知られているが、葬儀中だったので境内には入らず、
横を通過する。


 すぐ先から小さい流れ沿いの歩道を進み、小手指公民館に寄る。住民が拠出した衣類の
チャリティバザーや写真展を開催中で、かなりの入館者である。


 北野天神前交差点から県道179号を東にすぐ、石段を上がって北野天神社に入った。

 景行天皇の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に創建し、その後、長
徳元年(995)に菅原道真五世の孫、修成が武蔵守になり京都の北野天満宮を祭り、以
後、北野天神と称するようになったという。

        
 西側の鳥居から出て、住宅地を北西に抜ける。北野中の西まで進むと埼玉県史跡「小手
指原(こてさしがはら)古戦場」碑と説明板があり、傍らのベニバナトチノキが花を見せ
る。
      

 説明板には、「元弘3年(1333)新田義貞が鎌倉攻めのためこの地に集まり、5月
11日に迎え討つ鎌倉軍と30余回打ち合うが勝敗つかず、新田軍は入間川(狭山市)に、
幕府軍は久米川(東村山市)に引いた」こと、

 背後の白幡塚(しらはたづか)は、源氏の末裔(まつえい)である新田義貞がここに陣
を張り、源氏の旗印とされる白幡を立てたという伝承がある」ことなどが記されている。


 広葉樹林に覆われた白幡塚の上には、「白幡塚」碑と二つの小さい祠(ほこら)が祭ら
れていた。


 誓詞橋(せいしばし)交差点に出て国道463号バイパスに入り、北側歩道を少し東進
して茶畑の横を北に入り、今日の記念撮影をする。


 所沢西高の南側を進み、「小手指ふるさと景観地」の広葉樹林の中を東に抜けて、ゴー
ルの西武池袋線小手指駅南口に15時47分に着いた。

(参加 15人、天気 快晴後晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地
 所沢市、歩数 21,100)



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「今森光彦 自然と暮らす切り紙の世界展」へ(東京)

2015-05-03 21:39:29 | 写真展・スケッチ展(個人・グループ)観覧
 2015年5月2日(土)

 東京・日本橋の三越日本橋本店で5月6日(水)まで開催されている「今森光彦 自然と
暮らす切り紙の世界展」に出かけました。

 この展覧会の招待券を、カントリーウオークグループのメンバー、Kさんからいただい
たのが、出かけたきっかけです。

 今森光彦さんは大学卒業後、独学で写真を学ばれ、1980年からフリーランスの写真
家になり、琵琶湖を望む田園にアトリエを構え、自然と人との関わりを「里山」という概
念で追う一方、世界各国を訪ね、熱帯雨林から砂漠まで生物の生態を追求され、広く世界
の辺境を取材し続けておられます。

 著作としては「里山物語」(新潮社)、「萌木の国」(世界文化社)、「世界昆虫記」(福
音館書店)、「里山を歩こう」(岩波書店)、「わたしの庭」(クレヨンハウス)など多数あ
り、今回の展覧会関連のペーパーカット作品集としては「魔法のはさみ」(クレヴァス)、
「むしのあいうえお」(童心社)などがあるようです。

 会場の三越日本橋本店


 来週の5月9日(土)と10日(日)は、遷座400年記念の神田祭のようで、関連のちょ
うちんなどがたくさん飾られていました。


 ライオン口の上にもちょうちんが。


 壁面の真ん中には、今森さんの切り紙の世界展ののぼりも…。


 会場は、新館の7階ギャラリーです。


 会場入口


 展覧会は、第1部 出会いの喜び、第2部 アトリエの庭から、第3章 遊びから生まれる
もの、第4章 愛しい生きものたち、の4つのパートで構成されていました。

 会場内は撮影禁止なので、例によりこの催しのリーフレットから切り出した、ほんの一
部の作品を紹介します。

 第1章 出会いの喜びのコーナーの作品「ソテツシジミ」


      「アカオビスズメ」
      

          「走るワシミミズク」
          

              「オナガガモ」
              

       第3章 遊びから生まれるもののコーナーの「お月見」
           

              「雪だるま」
              

 ポスターやリーフレットにも使われている、切り紙歳時記作品のひとつ「ハチドリとトケイソウ」         
                    

    第4章 愛しいいきものたちのコーナーの「刺の森のライオン」
    

       「走るダチョウ」
       

           「パンダの親子」
           

               「ヤマアラシとパッタ」
               

 観覧中、メインの第3章のコーナーに来たときに13時からのギャラリートークの時間
になり、今森さんから、小学生のときに切り紙に夢中になり昆虫や鳥などの切り紙に熱中
したのを、ここ20年来再び熱中してこれら作品を生み出したこと、作品のすべては大き
めのはさみで切り出していること、

 さらに、琵琶湖湖畔の森を買い取り針葉樹林から広葉樹林に変えて現在のアトリエを作
った経過、里山や熱帯雨林での撮影のこと、切り紙の材料の用紙の選定や色の重ね方、里
山への思いや地元の人の里山に対する意識の変化、動物など動きのあるものの一瞬の姿を
知る手段として、ハイビジョン映像より鮮明な4K映像をコマ撮りで見て確かめるのが有
効だということなど、幅広い話題で話されました。

   
 残りの展示も見た後、作品集などを直売しているショップをのぞき、「心地よい里山暮
らし12か月」を購入してからサイン会の列に並んでサインをいただき、写真も撮らして
もらいました。
        

 今森さんの里山などの素晴らしい写真は、何度も観覧しており、NHKテレビでの里山
関連番組などもいつも見ていましたが、切り紙の作品は昨年だったか銀座のノエビアビル
での30点ほどの作品を見ただけでした。

 今回の展覧会では、予想以上にたくさんの作品が見られ、立体的な作品とか、何色も色
を重ねた大判のカラー作品なども数多く、また単色でも動物の表情や仕草などを切り出し
たほのぼのとした作品や、ユーモアあふれる作品もあり、今森さんの動物などの確かな観
察眼、作品化するための切り紙のワザ、作品化される感性の素晴らしさなどを改めて実感
し、同行した連れ合いともども感動しました。

 ゆっくり見たので会場を出たのは14時を過ぎとなり、近くの島根料理の店「主水(も
んど)・日本橋店」で、一昨日同様に遅い昼食をしました。
    
     注文した「焼鯖がいな丼」(1,000円)

 食事を終えたらもう15時を過ぎたので、ほかに回るのは止めて帰ることにして三越本
店から地階に下り、東京メトロ半蔵門線の三越前駅に向かいました。


 三越の地階壁面には、『熈代勝覧(きだいしょうらん)』と呼ぶ長い絵巻物の模写らし
いのが展示されています。
         
『熈代勝覧』は、文化2年(1805)のお江戸日本橋を描いた絵巻で、作者は不明のよ
う。縦43.7㎝、横12m32cmに及ぶ長大な絵巻で、日本橋通に連なる問屋街とそこ
を行き交う人物が克明に描かれています。
      
 この絵巻は1999年にドイツで発見され、文化文政期の江戸の文化を知る上で貴重な
史料として注目されました。
   
 描かれた地域は、日本橋川に架かる日本橋から竜閑川に架かる神田今川橋までの南北約
7町(764m)を東から俯瞰したもので、現在の中央通りに当たるこの通りは、当時
「通町」と呼ばれたようです。


 東京メトロ半蔵門線の三越前駅から乗り、次の大手町駅で丸ノ内線に乗り換え、池袋駅
に向かいました。





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葉山の「山口逢春記念館」と「神奈川県立近代美術館」へ

2015-05-01 18:32:33 | 美術館・博物館・展覧会等の観覧
 2015年4月30日(木)

 今日は、夏日にはなりそうにないので、三浦半島西岸にある2つの美術館の観覧に出か
けました。

 横浜駅までは、西武池袋線から東京メトロ副都心線経由、東急東横線直通の電車で行き、
京浜急行線に乗り換えて、10時27分に新逗子駅に着きました。


 駅前から葉山行きバスに乗り、三ヶ丘・県立近代美術館前バス停で下車して、住宅地の
斜面を北に少し上がり、最初に「山口逢春(やまぐちほうしゅん)記念館」に行きました。

 こちらが記念館の入口

 山口逢春記念館は、日本画家・山口逢春(1893~1971)が亡くなるまでの23
年間を過ごした旧山口邸にて、逢春の日本画をはじめ、素描、模写、逢春が長年にわたり
収集したコレクションなどを展示しているほか、建築家・吉田五十八が設計した画室も当
時のままの状態で公開しています。

 現在は春季特別展として、5月31日(日)まで「山口逢春の琳派(りんぱ)研究-琳
派四百年記念によせて-」を開催中です。
      
      (特別展期間中、一般の入場料は600円)

 葉山の豊富な自然に囲まれた斜面にあり、ツツジなどの植え込みの間を上がって入館し
ました。


 館内の撮影は、作品主体に撮らなければ良いということなので、展示室などを少し撮ら
せてもらいました。展示室の方から、受付ロビーの一部を丸窓を通して眺めたところ。
    

 琳派は、桃山時代後期(1600年代)に本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と俵屋宗達
(たわらやそうたつ)が創始し、江戸時代には尾形光琳(おがたこうりん)らが織りなし
た琳派芸術で、やまと絵を基盤とした豊かな色彩と斬新な装飾性に富む造形は、後世の人
々をも魅了し、その流れは近現代の美術にも受け継がれています。

 展示室1


 中心にある一番広い展示室2の展示作品の一部。


        

 館でもらった三つ折りリーフレットに掲載の作品を、幾つか切り出してみました。

 「まり藻と花」昭和30年


    「枇杷」昭和31年
    

              「泰山木」昭和14年
              

          「南嶋薄暮」昭和15年
          

    以下の2作品は、山口逢春コレクションのよう。

    「伝土佐光吉〈十二ヶ月風俗図〉一帖」桃山時代 
    

        「三彩樹下美人俑」中国・唐時代
         

 別棟の画室には、絵筆や絵皿などが逢春生前のままに残されていました。




 別館の1階には映像コーナーガあり、山口逢春についての映像が見られます。その上の
2階は海の見える喫茶コーナーで、受付でもらった菓子と部屋に用意されている飲み物を、
海を眺めながらいただきました。


 観覧を終えて建物を出て、南面の庭を一巡りしました。


    

         このアメリカハナミズキは、花弁が普通の花より丸まっています。
        

 記念館の門を出て、「逢春こみち」と呼ぶ細い路地を東に進みました。南側の県道
207号に近づいた辺りの民家の、塀のない道路に面した庭先は、たくさんの花に彩られ
ていました。
      

 近くのお宅のツツジ。


 県道に出てほんの少し戻ると、南側が「神奈川県立近代美術館 葉山」です。


 美術館では5月8日(金)までの会期で、「ふたたびの出会い 日韓近代美術家のまな
ざし-『朝鮮』で描く」という企画展を開催中でした(観覧料 一般1000円、65歳
以上500円)。


 美術館の入り口付近(館内は撮影禁止)。


 会場は、第1章 「朝鮮」との出合い、第2章 近代「朝鮮」の風景」、第3章 近代「朝鮮」の
日常、第4章 美術グループと師弟関係、第5章 エピローグの5章に分かれ、1896年
から1950年代までの日本の画家、藤島武二、小杉放庵、長谷川朝風、小林古径、富本
憲吉、川喜田半泥子、北大路魯山人、山口逢春、前田青邨など、ほかに韓国の作家も多数
で、日韓あわせて120余人の作品が展示されていました。

 こちらも、美術館のパンフレットから切り出した作品を何枚か。

 藤島武二「花籠」1913年


    鳥居昇「老婆」(部分) 1943年
    

        高義東「程子冠をかぶる自画像」 1915年
        

    李快大「自画像」 1948-49年
    

        藤田嗣治「朝鮮風景」 1913年
        

            金重鉉「貞洞風景」 1948年
            

        結城素明「金剛山」 1926年以降
          
  
 観覧を終えたら14時を過ぎていたので、館内の別棟にある「オランジュ・ブルー」と
呼ぶレストランに入り、遅い昼食に。


 注文したシーフードカレー


 レストランからは、庭の向こうに一色(いっしき)海岸の展望が広がります。




 食事を終えて庭先を下り、ふり返るレストラン。


 構内の遊歩道を東に回ると、大きなカラスノエンドウのような花が咲いていました。
        

 隣接する「葉山しおさい公園」への門は閉じていたので、間の細道を下って一色海水浴
場の砂浜に出ました。

 しおさい公園際には、ヒルガオに似た花がたくさん自生しています。


         一色公園に咲く花
        

 クロマツの多い一色公園には、何年か前、山浦敬子さんの「アートウオークセラピー」
で訪れており、ここで昼食をしたことを思い出しました。


 一色海水浴場から北西に続く真名瀬方面の浜辺。


 一色海水浴場の南東に突き出た、「小磯」と呼ぶ小さい岬の尖端付近。


 小磯から、東側の長者ヶ崎方面の浜辺。


 小磯には、岩の上に小さな祠(ほこら)が祭られています。


 一色公園の東に接する葉山御用邸の、砂浜側の塀の下を東進しました。西の方には江ノ
島が望まれました。



 長者ヶ崎方向へ向かい、御用邸のそばの葉山公園に上がります。


 この公園にも、たくさんのクロマツが…。


 公園の西北端を出て、バスの走る国道134号に向かいます。公園に近い民家に咲いて
いたバラ。
    

 国道に出て、少し北進すると高台に神社があったので上がってみましたが、名前は分か
りません。



 すぐ先の三差路際が葉山バス停。15時47分頃に着き、間もなく来たバスで京浜急行
新逗子駅に戻り、帰路につきました。

 2つの美術館の観覧、それに2つの小公園と一色海岸巡りで歩いた距離はせいぜい2㎞
前後。でも、わが家からは1日がかりの行程となりました。
 




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