あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

西武鉄道が「牧野富太郎博士記念乗車券」を発売

2023-07-29 22:08:39 | 鉄道
 2023年7月28日(金)

 今日、午前7時から、西武池袋線の大泉学園駅、練馬駅、所沢駅それに池袋駅の4駅で、
「大泉学園駅ゆかりの植物学者 牧野富太郎博士記念乗車券」(1,000円)が発売され
ました。

 これは、現在NHK総合TVで放映中のドラマ「らんまん」の主人公のモデル、植物学
者、牧野富太郎博士ゆかりの地である西武池袋線の大泉学園駅周辺や、沿線地域を盛り上
げようと西武鉄道が企画したもの。

 牧野博士は、大正15(1926)年から亡くなるまでの30年間を大泉学園駅近くの
自宅で過ごされていて、現在は跡地が「練馬区立牧野記念庭園」として公開されており、
ここへ出かけるのに便利な乗車券となっている。

 私は10時頃、もう売り切れたかなと思いながら所沢駅に着いたが、まだ残っていて購
入することが出来た。

   記念乗車券は二つ折りの台紙に入っていて、こちらは表紙
   

      
      裏面には、牧野博士が居られた頃の地元大泉学園駅の写真など。
  



          

   
   内面、見開きの左側には牧野富太郎博士略歴と博士の写真など。
   

       右側に記念切符が挿入されている。
       

     大泉学園からの260円区間までの切符には牧野富太郎博士の肖像が。
         

           練馬からの190円区間までの切符には博士が描いた「ひがんばな」が。
                

     所沢からの290円区間までの切符は「さくゆり」
     

           池袋から260円区間には「やまざくら」が描かれている。
             

 
 ちなみに、私は牧野富太郎博士が現在の牧野記念庭園の場所にあった自宅にお住まい
になっていた頃、隣の石神井公園駅近くに初めての職場があり、亡くなられた昭和32
(1952)年1月には、その職場での仕事の一環で亡くなられたことを知ったことや、
写真の大泉学園駅が三角屋根だったことも記憶している。

 最近放映のドラマのなかで登場した食虫植物「ムジナモ」の貴重な自生地、埼玉県羽
生市の宝蔵時沼にもカントリーウオークで訪れたことがある。

 また、3度巡拝した四国遍路の途中、高知市内にある四国八十八ヶ所霊場の第31番
札所、竹林寺に巡拝する際、近くの牧野植物園園内が遍路道になっているので通過して
おり、これらのことから毎日のドラマも興味深く視聴している。

 現在の牧野記念庭園にも近年何度か訪れているが、いまはドラマに興味ある人で訪問
者も多いと思われ、さらにこの猛暑では出かける気にならないが、記念切符の有効期限
の12月31日までには再訪したいと考えている。

 なお、2017年10月に訪れたときの牧野記念庭園の様子はこちらから




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「日本史のなかの埼玉県」3月に発刊

2023-07-27 17:32:15 | Weblog
 2023年7月27日(木)

 今日ももう正午前、所沢では35℃を超える猛暑日になり、今月に入って10目の猛暑
日という厳しい暑さが続いています。

 この暑さでは外出もままならず、午前中に食品の買い物を兼ねた最小限のウオーキング
だけで、あとは室内で過ごさざるを得ません。

 そのような日々が続きウオーキングレポートも投稿できないので、今日は3月に発刊さ
れた「日本史のなかの埼玉県」の紹介です。
       

 この冊子は、埼玉県内に残る遺跡や史跡、文化財などを紹介しながら、古代から現代ま
での埼玉をふり返ろうとする企画で、山川出版社から出版されました。

 目次を見ると、「埼玉県の関連略年表」にはじまり、「はじめに」では「埼玉県の風土
と人物」が紹介され、「口絵 文化財で見る 日本史のなかの埼玉県」の項では、行田市の
埼玉(さきたま)古墳群から出土の国宝の鉄剣、吉見町の吉見百穴、ときがわ町の慈光寺
の宝物、小田原氏の重要拠点だった寄居町の鉢形城址、江戸中期の豪華な宗教建築である
熊谷市の歓喜院聖天堂、近代日本経済の父、渋沢栄一の生誕地、深谷市血洗島などが紹介
されています。

 主要部の「埼玉県の歴史講義」では、原始から古代、中世、戦国、江戸、幕末から近代、
現代へと時代に従い、「埼玉にも海があった」「東国と古墳文化」「武蔵武士の時代」、
「関東大乱と埼玉」「江戸を守る」「江戸を支える」「開国、近代への指導」「埼玉県の
誕生」「近代化の礎・渋沢栄一の足跡」「近代日本の戦争と埼玉」「産業と観光」「埼玉
県と災害」といったテーマで、それぞれに関する史跡や文化財などを知ることが出来ます。

 最後には、県内のエリア別の史跡・文化財マップ、資料編として県内の主な年中行事や
埼玉県の変遷や成立過程が記されています。

 本書により、埼玉県内には古墳が4,700余りもあること、家康が江戸幕府を開くと
きに浦和も候補地だったこと、自然災害の歴史を史跡でふり返るといったこともでき、編
者は、「この本を手に、県内のさまざまな遺跡、史跡に足を運んで、歴史という切り口か
ら埼玉のことを知ってもらうきっかけになれば嬉しい」と言っておられるようです。
 
 私は、この30年余りの間のウオーキングで県内全市町村を訪れていて、特にカントリ
ーウオークや関東百駅巡礼歩行などで、たくさんの古墳や史跡、歴史ある寺社などを訪ね
ているので、本書を読んであらためて郷土の歴史をふり帰りたいと考えているところです。

 埼玉県県内の史跡や文化財などを訪ねてみたい方は、本書を参考に興味あるところを巡
ってみてはいかがでしょうか・・・

 最近は、各市町村の観光などの紹介部門や観光協会の観光情報のサイトも充実している
ところが多く、史跡や文化財、特産品などの紹介とか、訪れる人のために地図などもダウ
ンロードできたりして、事前にさらに詳しい情報収集も しやすくなっています。

 なお、本書は山川出版社によるこのシリーズの最初の1冊目で、この夏には「日本史の
なかの神奈川県」も刊行予定のようです。

「日本史のなかの埼玉県」 水口由紀子編、B6変形判(120✕182㎝)、192頁、
 税込1,980円




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梅雨明けの日 航空記念公園の日本庭園へ(埼玉・所沢)

2023-07-23 12:30:57 | 所沢だより
 2023年7月22日(土)

 今日、関東甲信越と東北の梅雨明けが発表されましたたが、気温はそう高くはないそう
にないので、8月6日(日)が投票日になっている埼玉県知事選挙の期日前投票に出かけ
ることにしました。

 国道463号線の宮本町交差点から峰の坂交差点を経て、西武新宿線の航空公園駅をこ
道橋で越えて東口へ。駅前広場には、新しいデザインのマンホールが目に入りました。
     
 
 西北側から市役所構内へ。窓口などのある1階西側の壁面にはアサガオのカーテンが。

 
 構内にたくさん植えられている竹は、伸び伸びと葉を広げています。



 現在の期日前投票所は、ここ市役所の市民ギャラリーのみですが、告示したばかりで県
からの選挙公報も配布前なので、今日は空いていました。
     

 市民ギャラリーに接するホールに掲示の、所沢出身の幕内力士、北勝富士〈ほくとふじ〉
関の応援ののぼり。
     
 昨日まで11勝2敗で優勝戦線のトップでしたが、今日午後の取り組みで新入幕の伯桜
鵬に敗れて3敗になり、優勝争いは豊昇龍、北勝富士、伯桜鵬の3人が3敗で並び、23
日(日)の千秋楽に優勝争いをするということになりました。

 市役所駐車場の北東側に立つ知事選のパネル


 南側の航空記念公園に入り、まずはのどが渇いたので市立図書館に入って冷水のサーバ
ーでのどを潤し、公園内へ。市役所前の桜とと芝生の緑。


 日差しはあまりありませんが、訪れた市民は緑陰でひと休み。


 南に進んで、いつものように西側正門から日本庭園へ。


     
          緑はいっぱいですが、緑陰に花は見られません。
          

     


 池の縁に回ると、スイレンがかなり花を見せていました。










     
     池の東側に多いハスもわずかながら花を。




         


 彩翔邸(さいしょうてい)前のナツツバキには実が。






     

 ほぼ一巡したので、西側の正門から日本庭園を後にしました。



 門を出てすぐ南側、ムクゲがたくさんの花を。




 昨日まで全国高校野球の埼玉県大会の会場のひとつだった野球場の横から、西新井町交
差点を南へ、市街地中心部方面に向かいました。
 

 〈23日追記〉
 千秋楽の今日、北勝富士は勝って12勝3敗となり、関脇豊昇龍との優勝決定戦に望み
ましたが惜しくも敗れ、初優勝は逃したものの初の敢闘賞を受賞しました。




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梅雨明け前の7月中旬に猛暑日が7日も(埼玉・所沢)

2023-07-20 21:17:30 | 所沢だより
 2023年7月20日(木)

 今日は午後になると雲が増え、所沢の最高気温も9時台に記録した31.1℃でしたが、
昨日までの10日間のうち7日、35℃以上の猛暑日になるという厳しい暑さでした。

 今年最初の猛暑日は7月10日(月)で、38.0℃となり、全国各地のアメダス観測
地点の中で さいたま市とともに第4位という暑さ。




 この日は、福岡など九州北部は長時間の線状降水帯による集中豪雨に見舞われました。
テレビ画像は、この後を含め何れもNHK総合TVから。

 翌7月11日(火)も35.2℃の猛暑日。

 7月12日(水)は首都圏を中心の猛暑で所沢は38.0℃に。全国第6位です。


 この日、我が家の北側屋根下のミョウガを10数個収穫。


 7月13日(木)は幾分気温が下がったので、市内ウオーキングの途中で見つけた花を
撮る余裕もあったので、その幾つかを。

     たくさん咲きだしたムクゲ
     




 ヒマワリも咲いていましたが、中には暑さに参ったのかしおれ気味の一群も



 
 小さい公園の一角に咲くワルナスビ(外来種)


 これな何の実なんだろう

 
 新所沢の緑町中央公園南側の花壇には何種かの花が。

 アジサイのよう


     ヤマユリはピークを過ぎています。
     

 




 大輪ではないがヒマワリは元気


     
     咲き残るカシワバアジサイ
     

 ヒャクニチソウか


 モナルダという花のよう


 咲き出したオミナエシ


 白いユリ


 ジニア


     ペチュニア
     

    公園から南へ、緑町3丁目交差点のさらに南に進むと畑にオクラの花が。
     

 民家の塀の上には鉢植えのオニユリが


 翌7月14日(金)も幾分暑さがしのげたので、前回、前々回投稿の狭山稲荷山公園周
辺へ。

 7月16日(日)からは4日連続の猛暑日に、まず16日は39.4℃という極めて厳
しい暑さとなり、全国第3位に。ほかも関東各都県が占め、全国157の観測点で猛暑日
となったようです。






 7月17日(月・祝)も所沢は36.1℃でした。この日収穫したゴーヤ、売っている
ほどの大きさではありませんが、我が家では今年初の大収穫。


 7月18日(火)もこの画面に次ぐ38,1℃を記録して、全国第9位となりました。


 7月19日(水)も3日連続の猛暑日で、35.1℃に。埼玉県内8つのアメダスの記
録の中では唯一の猛暑日地点となりました。

 これまで埼玉県内では、熊谷や鳩山が高温の日が多かったのですが、この10日間は所
沢が一番厳しかったように覆われます。

この日は、大きさの揃ったゴーヤを収穫、右の2粒のブルーベリーも。


 以上のようにこの10日間は厳しい暑さでしたが、間もなく関東でも梅雨が明けそうで、
さらに厳しい暑さが続くと予想され、この先しばらくは皆さんともども熱中症に十分注意
して過ごしましよう。




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狭山市立博物館の「ざんねんな いきもの展」へ(埼玉・狭山)

2023-07-18 13:01:05 | 美術館・博物館・展覧会等の観覧
 2023年7月14日(金)  〈後半〉

 市営稲荷山公園でヤマユリを見た後、県営狭山稲荷山公園の東北端から公園内に戻り、
園内主要部を一周する園路を北東側から西方へと進む。







 園路の西端付近には、ヒマワリが咲き出していた。




 園路の西南端付近まで進むと、次の目的地、狭山市立博物館が近づく。


 博物館の北側は、広い芝生地になっている。


 
 11時40分頃、狭山市立博物館に着いた。現在は企画展「ざんねんな いきもの展」を
開催中なので観覧することに(入館料500円)。
  

     

 まずは、「舞い舞いホール」と呼ぶ円形吹き抜けの会場での展示を見る。



  中央部にはヘラジカの剥製が。
  


 ホールの壁面には、狭山市立地鉱山公園こども動物園提供の、「動物紹介&こぼれ話」
と呼ぶパネルが並ぶ。













  「舞い舞いホール」を囲むすスロープを2階へ上がり、企画展示室での企画展会場へ。
  

      


      反時計回りに回って観覧する。
     

  

     

  

     

  



  



     





  



  



  



     





  



  



  



  



  

  

 企画展会場を一巡したので会場を出た。


 2階の中で大きなスペースを占める常設展示室は何度も巡っているが、今回も一巡して
ザッと観覧した。会場の様子や目についた展示を幾つか。























 2階ロビーの一角、茶室横のショーケースにはクジラの骨やひげや歯を加工した作品が
少しだけ。


 12時40分過ぎにひととおりの観覧を終え、1階エントランスホールにあったほかの
博物館などの催し物のリーフレットなどをもらう。

 ホールに接して「コメと茶」と呼ぶカフェもあり、時間も頃合いなので入って昼食をす
ることにした。


 ポロネーズセット(ドリンク付き1,050円)を注文してしばらく待ち、昼食をした。



 13時30分に市立博物館を後にした。



 駅までは、狭山稲荷山公園の南東側園路を回って行くことに。 





 西武池袋線の稲荷山公園駅には13時40分頃着き、13時45分発上り電車に乗る。





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今年は少な目 稲荷山公園のヤマユリ(埼玉・狭山)

2023-07-16 21:04:02 | Weblog
 2023年7月14日(金) 〈前半〉

 今日は1日曇天の予報、猛暑からは解放されそうなので、見ごろかと思われる稲荷山公
園のヤマユリを見に行くことにした。

 西武池袋線の下り電車に乗り、稲荷山公園駅で10時27分に下車する。


 駅の北西側一帯は県営狭山稲荷山公園で、その東南端付近の金網に、「ヤマユリの小径」
への案内が。



 例年通り狭山稲荷山公園の正門を入り、桜並木の間の園路を北へ。



 少し進むと、小さめのヒマワリがたくさん咲いていた。




     園路が左カーブする辺りで、真っ直ぐ北へ延びる芝生広場の踏み跡を進む。
     


  北東端付近で公園を出て、戸建て住宅地を東進するとオニユリの咲く家が。





 狭山市稲荷山配水場の水道タンク際に出て、北へ少しで市営稲荷山公園の西端へ。


     
 少し先の大きな木の下に見晴台があり、西から北への展望が広がるが、今日は曇天で
関東平野西側から北方を囲む山並みは見られない。













 眼下の斜面中腹がヤマユリの自生地で、見晴台の下にも群生する何本かが見られた。


 見晴台の先から、ヤマユリ自生地への歩道階段を下って行く。


 少しの下りでT字路に出て、パラソル際からまずは右手の東方へ。


 このヤマユリはまだ咲き始め。


 こちらは大群だが、もうピークを過ぎていたのが残念。



 この辺りまでで折り返すことにになるが、その一角に見頃な花が咲いていた。










     

           
 
 折り返し地点から上を見るとドームのある建物が。狭山市立中央児童館の建物のよう。




 パラソルのあるT字路に戻ってさらに下り、次のT字路際にもパラソルが立ち、ヤマ
ユリなどの保全活動を続けている「稲荷山・山ゆりの会」の人が誘導されている。


     


 周辺には、ヤマユリの写真が何枚か。


 わずかの協力金を募金して花のポストカートをもらい、その先西側の園路へ。この園路
沿いが例年一番花の多いところだ。



 ツツジの株が点在する間にヤマユリが咲いていて、こちらは何れもも見ごろの感じ。
     









 ロープの貼られた突き当たりまで行って戻ったが、例年に比べて花の数が少ない感じだ
った。

 保全活動をされている方のいるT字路の右手、東北側すぐ下にはツツジが咲き残る。


     
     見晴台に向かって戻り、台の下に咲くヤマユリ周辺も一巡した。


     



     



     

          


 展望台付近からもう一度西方などを眺め、市営稲荷山公園を後にした。



 公園入口の西南側の家に咲く、繊細な花は何の木だろうか・・



 県営狭山稲荷山公園に入って芝生広場の踏み跡を戻り、大きなスズカケノキのそばへ。


 スズカケノキには、かなり膨らんできた実がたくさん見られる。

 

 近くにのアカシデかと思われる木にも、たくさんの花が。


 この先から、園内主要部を一周する園路の西側を回り、狭山市立博物館に向かうことに。
               
          〈次回、『狭山市立博物館の「ざんねんな いきもの展」へ』に続く〉
 


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新緑の越後路・下越へ③ 長岡と帰路(新潟・長岡・後半)

2023-07-12 20:59:26 | 国内旅行
 2023年5月25日(木) (長岡市内を観光後帰途へ・後半)

 山本五十六記念館を観覧し終えた後、ひとつ南側の通りには山本記念公園があるような
ので、回ってみた。山本五十六生誕の地で、生家・高野家が土地を市に寄贈したことで整
備されたよう。







     北側には胸像がある。
     


 胸像の原型はもとは全身像だったが、戦後、進駐軍に汚されるのを恐れて二分され、霞
ヶ浦(茨城県)に沈められたようだ。現在あるこの像は、その後湖底から引き上げられた
原形をもとに制作されたのだという。


 南側にあった生家は戦災で焼失したが後に復元され、無人だったが公開されていたので
入って各部屋を一巡する。




     


室内には、写真や書、自筆の手紙のコピーなど記念館で見たものも含めてかなりの展示が
あり、こちらでも貴重な記録を見るることが出来た。

            














     



     

          大きな胸像は、公園北側の胸像の原型のよう。
          


 園内にあった何本かのヤマボウシが花盛り。


     
 西側の通りを南下して長岡郵便局の角を左折して東へ、2つ目の交差点際にある今日最
後の目的地、「長岡戦災資料館」に入る(入館料無料)。






 長岡市は、昭和20年8月1日の午後10時26分から1時間40分にわたり、B29
大型爆撃機による焼夷弾投下で旧市街地の8割が焼け野原となり、1,486名の尊い命
が奪われたとか。

 当館は、数々の資料により当時の惨状と復興への軌跡を後世に伝えるために造られたよ
うだ。
     
     ここも撮影禁止なので、もらったリーフレットから展示物の一端を。


   長岡戦災資料館案内図
          

 1階の展示


    長岡市震災状況図
     


 空襲で時間が止まった懐中時計


 B29からの爆弾投下、右下は焼夷弾子弾


 炭化したそうめん


 太平洋戦争下の茶の間


     M26伝単(でんたん)投下用ケース
     

 模擬原子爆弾(パンプキン爆弾)模型


 焼け野原になった公会堂と安栄館(大手通り十字路付近)


 10分余りで観覧を終えた。時間は13時25分を過ぎたので、食事処を探しながら東
に向かう。
     
 すぐ近くに「グリルモン」という南イタリアのシチリア家庭料理の店を見つけた。
     




 空いていたので入り、スパゲッティ+コーヒーセット(2,080円)を注文する。

 美味しくて盛り付けも適量だったので満足した。


 戦災資料館前の交差点まで戻り、南下して次の大手通りとの交差点際へ。


 交差点の北東側は空き地になっていて、たくさんの草花が咲き競う。




 駅前から長岡市街の中心部を西に走る大手通りを東へ、駅に向かう。

 
 駅の近くまで戻って跨道橋からふり返る大手通り。

 今日回ったエリア



 15時前に長岡駅に入り、駅構内のお土産品街で土産物を幾つか求めた。


 コインロッカーの荷物を取り出して15時31分に新幹線改札を入る。



 15時39分発上越新幹線上りとき328号に乗る。下車する大宮駅までノンストップ
の列車だった。


 上越国境が近づき、東方には日本百名山で越後三山のひとつ越後駒ヶ岳(2002.7m)
と思われる残雪の山が。


 こちらは巻機山(まきはたやま・1967m )周辺のよう、やはり日本百名山である。


 越後駒ヶ岳には初秋に、巻機山には縦走や沢登り、尾根をたどるなど数回上ったことを
思い出す。いずれも1960年代のことである。

 1時間足らずの16時35分に大宮駅で下車した。

 大宮駅16時47分発の湘南新宿ライン逗子行き電車に乗る。乗車直前、隣線に停車中
の貨物用EH500型電気機関車。



 池袋駅に17時11分に着き、西武池袋駅発17時30分の特急ラビューちちぶ29号
に乗る。自宅には18時20分過ぎに帰宅した。                   〈完〉 




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新緑の越後路・下越へ③ 長岡(新潟・長岡・前半)

2023-07-10 22:17:51 | 国内旅行
 2023年5月25日(木) (長岡市内を観光後帰路へ・前半)

 宿泊した新潟駅前のビジネスホテルで6時前に起床した。7時30分頃から1階でのサ
ービス朝食をいただき、9時前にチェックアウトした。

 
 新潟駅の新幹線東改札を入り、9時30分発の上越新幹線上りとき314号の自由席に
乗る。



 市街地を過ぎると田園地帯に入り、西方には弥彦山をピークとする弥彦山塊の山並みが。
ちなみに、弥彦山の標高634mは東京スカイツリーの高さと同じ。


 燕三条駅を経て、9時51分に長岡駅で下車した。



 駅構内には、真夏の8月2日と3日に信濃川河畔で開催される、長岡市の大花火で打ち
上げられる大花火の大きな模型が。




 その先の観光案内所で、市内の見どころのリーフレットなどを入手した。



 構内のコインロッカーに今日も不要荷物を預け、西側の大手口へ。


     大手口の北側にも、2本の打揚花火の大筒が展示されている。
     

             
          新緑の街路樹の葉先から花が伸びていた。
          

 近くには、長岡出身の著名人のパネルも。



     駅前一帯は長岡城の本丸跡のようで、その石碑も立っている。
     

 駅の北側壁面には、「長岡今昔」と題する陶板レリーフが目につく。


     歩道に並ぶ鉢花の木桶(おけ)
     

 今日の長岡観光の目的地は、時間の関係で以下の3つとする。それは、「河井継之助記
念館」と「山本五十六記念館」、それに「長岡戦災資料館」で、いずれも駅からほど近い
ところにある。

 まずは線路沿いを北へ進み、大手口駐車場の北西側交差点を左折して、次の交差点際に
ある「河井継之助(かわいつぎのすけ)記念館」(入館料200円)に行く。


     

    



 河井継之助は、司馬遼太郎著「峠」で主人公として描かれた長岡藩家老で、幕末に西日
本各地を遊歴後、画期的な藩政改革や近代武装を断行し、諸藩が朝廷側か幕府側かで揺れ
る中で、独自の路線「武装中立」を目指したとか。

 しかし、小千谷会談で夢破れてやむなく新政府軍への徹底抗戦を決意し、長岡は北越戊
辰戦争の激戦地へと化していったという。 

     この記念館の場所は、河井継之助の屋敷跡に整備されたもののようだ。
     

 入口際だけ写真撮影が可能だったたので、それらを。まずはガトリング砲





 映画「峠-最後のサムライ」関連のパネル


     「風雲 蒼龍窟」と題する河井継之助像 
     

 さらに館内を一巡して、さまざまな改革を行って一人ひとりが個性と能力を発揮する豊
かな社会をつくろうとした、継之助の偉大な生涯の足取りを初めて認識した。

     以下はリーフレットから
     

          

             

              



 安政6(1859)年に西国遊歴した地域


 
 北側の庭の様子


     
 40分前後観覧して、受付にあった「戊辰・河井継之助ゆかりの地 ガイドブック」を
もらい、河井継之助記念館を出た。

 ガイドブックには、河井継之助が幕末を駆け抜けた地元長岡市や小千谷市、福島県の只
見町や会津若松市などゆかりの地の情報などが掲載されていて、それらをたどる旅もして
みたいが、現在の私の体力では もうかないそうにない。

 
 館前の通りを西へ、次の関東町交差点で広い通りを越えて、すぐ先にある「山本五十六
(やまもといそろく)記念館」へ(入館料500円)。


  

 館の前に、山本五十六が鎌倉在住の頃に買い求め、以後に育てたという「唐楓(トウカ
エデ)」がある。
     
 平成22(2010)年秋に、東京・南青山の旧山本邸から移植したという。

    

 山本五十六は、旧長岡藩士高野貞吉の6男として生まれ、市内の坂之上小、長岡中学校
を卒業後に海海軍兵学校に入り、その後旧長岡藩家老職の名家だった山本家を継いでいる。

 日独伊軍事同盟に断固反対したが、陸軍次官から連合艦隊司令長官となり、太平洋戦争
中の昭和18(1943)年4月18日、前線を視察中の搭乗機が南太平洋のブーゲンビ
ル島上空でアメリカ軍戦闘機に撃墜されて戦死し、元帥の称号を受けた。

 山本五十六元帥は同年6月5日に日比谷公園で国葬が行われたが、皇族・華族以外で国
葬に付された最初で戦前唯一の例だという。

 その国葬当日、私は埼玉県中央部の寒村に住む国民学校低学年児童のひとりで、校庭に
全校児童が整列して哀悼したことを覚えている。

     館内は撮影禁止なので、もらったリーフレットからその一端を。
        

 ワシントン議事堂前の山本  米国駐在大使館付武官


    パスポート
  
      
     

  

 ゆっくりと1時間余り観覧して山本五十六の生涯の足跡や生き様などを理解し、最後に
受付で半藤一利著「山本五十六」(平凡社ライブラリー・本体940円)を購入した。
         
       半藤さんも長岡中学校卒で、山本の後輩になるという。


     山本五十六記念館前の歩道や、近くに咲く花
     

                                    〈続く〉



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新緑の越後路・下越へ② 新発田その2(新潟・新発田・後半)

2023-07-08 11:09:53 | 国内旅行
 2023年5月24日(水) (新発田市内を観光後 新潟駅前へ・後半)

 新発田市役所を出て、さらに多くのシャッターが下りたアーケード街を緩やかに右カー
ブして西進する。


 カーブの先でふり返ったところ。


 通りには、りっぱな和風建築の建物も残っていた。


 市役所前から2つ目の信号の手前に、食事の出来そうなカフェを地図上に見つけていた
が、今日は定休日だった。


 その信号で右折して北へ、すぐ先のT字路際に、雰囲気のよさそうなカフェが目に付き
入ることに。
     


 店の名は「喫茶 2楽章」、その名のとおり店内にはクラシック音楽が流れ、テーブル
の横にはクラシック音楽の本が並んでいる。


     

 ランチセット(780円)も美味しくて量も高齢者にはほどよく、入って正解だった。


 ゆっくりとひとときを過ごし、13時30分過ぎに店を出た。バスの便は無さそうなの
で、連れ合いには少しきつい距離だがこの先も歩いて新発田城へ向かうことにして北東へ。

 通り沿いには、昭和の建物らしい平屋建ての住居が残っていた。


 信号のある三差路で左折して北へ、すぐ先の交差点近くには新発田市民文化会館が。



 その先北側一帯は「アイネスしばた」と呼ぶ駐車場と広い芝生広場で、防災あずまやや
防災倉庫、防災シェルターなども設けられていて、新発田市の防災拠点になっているよう。


 芝生広場の真ん中を抜けたた突き当たり一帯が新発田城で、南側の一部に堀が残り、ま
ず目に入ったのは旧二の丸隅櫓(にのまるすみやぐら)。


 新発田城の説明パネル



 堀に沿って東へ進んで表門前へ。この表門と旧二の丸隅櫓は国指定重要文化財である。




     表門から城内に入ると、正面に初代藩主の溝口秀勝公の立像がある。
     

 その近くで、ボランティアガイドの方から「新発田城の見学ポイント」という小さいリ
ーフレットをいただいた。


     

 城内で観覧できるのは、表門の2階と旧二の丸隅櫓、それに復元した辰巳櫓のみのよう。


 まずは、右手入口から表門の2階に上がってみた。












 表門の観覧を終え、東側の辰巳櫓へ。この櫓は、平成10(1998)年の初代藩主溝
口秀勝公入封400年記念事業を契機に、平成16(2004)年7月に完成したとか。


 古文書や古地図、古写真などの豊富な史料や発掘調査により忠実に復元されたようで、
内部を1階から2階へと順次観覧した。


     





     

 礎石のひとつが見えるようになっていた。



 辰巳櫓付近からは、北側の陸上自衛隊新発田駐屯地が望まれる。

 新発田駐屯地も新発田城内だったエリア。廃藩置県後に歩兵第十六連隊の兵営になり、
第2次大戦戦後、陸上自衛隊が引き継いでいるようだ。

 城内には、真っ白なヒメウツギがたくさん咲いている。


   最後に、表門の西側に残るもうひとつの国指定重要文化財の旧二の丸隅櫓へ。
      

 旧二の丸櫓は、寛文の大火から44年後の正徳2(1712)年の絵図に描かれており、
この頃までに波再建されていたと思われるよう。二の丸の北側にあったが、昭和の解体修
理で本丸の鉄砲櫓跡に移築されたので、旧二の丸櫓という名称になったという。


    


 2階に上がると、眼下には残っている掘の中央部周辺が望まれた。






     
    旧二の丸櫓を出て、表門方面に向かう.北側の一角に白いショウブ系の花が咲く。
          



 辰巳櫓付近やソメイヨシノの樹間からは北西端に、2004年に辰巳櫓とともに再建さ
れた三階櫓が望まれる。

 三階櫓は、事実上の天守に相当する櫓だが、幕府や親藩に遠慮して天守という名称は使
わず、「三階櫓」とか「御三階櫓」と呼んだとのこと。


 最上階の屋根の棟が丁字型で、各々の隅に1匹ずつ合計3匹の鯱が載るという、全国で
も唯一の櫓のよう。ただ、公開されてないので周辺から眺めるのみ。


 表門近くに、たくさん実の付いた木が目に入る。


     公開された城内のエリアは、予想より狭いわずかな範囲だった。
     


 表門から新発田城を出て、堀の南東側にあるおみやげ・お休み処の「安兵衛茶屋」へ。


   
 新発田市の観光情報発信拠点のひとつで、新発田の民芸品「金魚台輪」や銘菓などを販
売している。
     
  
 気温が上がって暑さを感じたので、カップアイスを購入したが凍っていて固いので、駅
に向かって戻る途中で食べることに。
     

     茶屋の西側には、堀部安兵衛の立像がある。
     

 今日の観光予定地はほぼ回り、15時近くなったので駅に向かうことにした。

 南側の芝生広場に戻ると、東方の雲が切れて、点々と残雪の見られる飯豊(いいで)連
峰北部かと思われる山並みが望まれる。

 帰宅後に記録を見たら、飯豊連峰縦走をしたのは1965年8月下旬の5日間。山形側
から入り、最初に宿泊した無人の山小屋では台風が通過した夜間、強風で小屋がガタガタ
揺れるのに不安を抱えながら過ごした。

 縦走を終えて新潟県側に下り、流れを見下ろし建物もない湯ノ平温泉の露天風呂で汗を
流し、東赤谷から旧国鉄赤谷線(あかたにせん)沿いを新発田へ出たことを思い出す。

 芝生広場にあったベンチで、安兵衛茶屋で買ったカップアイスを食べようとしたのだが、
まだ溶けておらず、しばらく休憩を兼ねて時間をかけて食べる。



 その間に、飯豊連峰の奥の稜線も雲間から望まれるようになり、大きな雪渓も見えた。

 
 新発田市民文化会館の南側の三差路まで戻り、往路とは反対の左手、東南方向への市道
を駅に向かう。信号のある交差点を2つ通過して、突き当たりの三差路を南へ。交差点際
にあった苔香荘という広い屋敷沿いを進む。





 アーケード街に戻って東へ、本町交差点の先でて右カーブして駅への商店街へ。







 16時30分頃、新発田駅に戻った。
 
 今日は忘れずにコインロッカーの荷物を取り出し、16時44分発の白新線上り電車に
乗る。宿泊予定の新潟駅には17時22分に着いた。

 昨日同様東口に出て、そばのガレッソと呼ぶビル4階から上のビジネスホテルに入る。

 19時近くになり、夕食の場を探して周辺を少し回る。適当なところが見つからないの
でセレッソ1階の店に入ろうかと戻ったら、出たのとは反対側に「越後秘蔵麵 無尽蔵」
というこだわりラーメン店が目に入る。
     

           
 おすすめランキングのトップにあった「涼味とろろまぜ麵」(900円)が私のお好み
に合うと思われたので入り、野菜ぎょうざ(450円)とともに注文する。


 野菜ぎょうざ



 期待通りのおいしさで、満足した。




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新緑の越後路・下越へ② 新発田その2(新潟・新発田・前半)

2023-07-06 21:17:50 | 国内旅行
 2023年5月24日(水) (新発田市内を観光後 新潟駅前へ・前半)

 宿泊した新発田市の南西郊・月岡温泉の「湯あそび宿 曙」で、5時半過ぎに起床した。

 まずは昨夜は入らなかった温泉に入って部屋に戻り、窓を開けてみると眼前の広場は濡
れていて、夜間に雨が降ったと思われた。まだ周辺の雲は低く、雨雲のようにも思われる。


 7時30分から、昨夜と同じ「茶処飲処ちゃらくてい」で和食の朝食すする。


 食事処への途中、中庭の池にはたくさんのニシキゴイが。


 9時前にチェックアウトして宿を出た。今日も新発田市内の観光予定なので、昨日と逆
行の豊栄駅に向かう9時30分発のシャトルバスに乗ることした。

 まだ少し時間があるので、月岡新湯バス停とは逆方向にある近くの足湯周辺を見てくる
ことに。


 足湯の手前に、「ふらっと」と呼ぶインフォメーションセンターの建物があり、そこに
バス停があった。
     
 よく見たら、9時27分発の新発田駅方面行きの「本田・天王号」というバスがあるこ
とが分かり、料金も豊栄駅行のシャトルバス同様の300円。

 このバスを利用すれば、豊栄駅~新発田駅間の運賃が不要になり、時間も早いと思われ
たので、シャトルバスは止めて乗ることににした。


 隣接の足湯をのぞいて見る。かなり広い足湯だが、時間は無いので浸かるのは省く。




 足湯近くのマンホールデザイン


 足湯周辺は広場になっていて、その南側に咲く花


 9時27分の定刻に発車のバスはここ月岡足湯前が始発で、途中までほ乗客はなかった。


 昨日のシャトルバスも立ち寄った羽越本線月岡駅前。



 バスは越後平野の田園地帯を抜けて、豊浦地域の集落を幾つも回りながら新発田駅方面
に向かい、9時53分に新発田駅前に着いた。
     
 シャトルバスとJR白新線経由だと、10時19分着の予定なので24分早かった。

 昨日同様に駅構内のコインロッカーに不要荷物を預けて、2日目の新発田市内観光へ。
まずは、昨日同様に駅前から西に延びる道路を少し進んで東公園に入る。


 園内東側には、「大倉喜八郎寿像 移設跡地碑」と刻まれた大きな石碑がある。

 大倉喜八郎は、新発田が生んだ大実業家。1837(天保8)に生まれ、17歳で江戸
に上がり、大倉財閥を一代で築きあげてさまざまな近代産業の育成や企業の設立に関わる
など、近代日本の発展に大きく寄与している。

 大倉喜八郎が興した主な企業や学校は、大成建設、サッポロビール、帝国ホテル、リー
ガルコーポレーション、日進オイルグループ、東京経済大学など。

 ふるさと新発田への思いも大変深く、大倉製糸新発田工場を新設したり、多くの分野に
多大の寄付をするなど、新発田の発展のために大きな功績を残したという。

 この公園は、大倉喜八郎が大正初期に寄付したもので、ここにあった大倉喜八郎像は、
平成15(2003)年からの区画整理に伴い、新発田駅前公園に移設したとのこと。

 その由緒を記した碑が大きいことからも、大倉喜八郎の新発田市への貢献度が多大だっ
たことがしのばれる。


 園内南東側には、SL D51 512号が保存展示されていた。




 公園の西側道路際には、4月29日(土・祝)から公開を始めたばかりの「蔵春閣(ぞ
うしゅんかく)」がある。

 蔵春閣は、大倉喜八郎が東京・向島の別邸の一部として1912(明治45)年に建設
したもので、渋沢栄一ら政財界の大物や海外からの賓客をもてなす「迎賓館」の役割を担
っていたよう。

 (公財)大倉文化財団から新発田市に寄贈され、大倉喜八郎ゆかりのここ東公園に移築
したという。

 6月末までは無料公開されていて、それ以降の入館料は大人500円になる。
 
 週半ばの今日もかなりの来訪者が見られたが、並ぶほどではないので入館して館内を一
巡することに。


 蔵春閣の平面図



 まずは玄関を入り1階正面の食堂1と食堂2、さらに階段を上がり三十三畳敷きの2階
の大広間などを観覧する。


     




 各部屋とも、豪華な飾りものや格天井、シャンデリア、ふすま絵、掛け軸、床面の装飾
タイルなどにあふれており、目を見張らされた。








     



     











 30分近く観覧して、11時過ぎに東公園を出た。

 昨日同様に西ヘ向かい、昨日観覧した清水園への交差点から逆方向の北へ延びる通りへ。

 通りの両側には寺院が並び「寺町エリア」と呼ばれ、流れにはコイが泳いでいる。





   左手(西側)最初の寺院は福勝禅寺で、門前には新発田重家公座像があった。
     



 境内に咲くフジのような花




      門を入って左手にあった新発田重家公廟
     


 福勝寺の斜向かい、東北側の建物は「寺町たまり駅」と呼ぶお土産カフェ。



 無料休憩も出来るので入り、展示されていたこども御輿(みこし)や休憩用和室など眺
め、2点の土産物を求めた。
     

 

 さらに北へ、最初に訪ねた福徳寺から左手2つめの寺、真宗大谷派の託明寺へ。
     
 正面に堂々たる本堂があるが、説明パネルなど無いのですぐに出た。



 少し先、反対の東側に曹洞宗宝光寺の豪壮な門が見えたので入る。

 山門は県内随一のようで、新発田市指定有形文化財である。





 宝光寺は、新発田藩祖の溝口秀勝公が開基した禅寺とのこと。歴代藩主と奥方の墓塔を
祭る霊屋があるようだが、どの建物かは分からなかった。


 境内右手には、三大将軍家光公寄進と伝えられる推定樹齢350年以上のしだれ桜があ
り、春先には多くの人が訪れるという。新発田市の保存樹木でもある。
     



 寺町通りを北に抜け、市の中心部を東西に走る通りへ。両側はアーケードに覆われてい
るが、ほとんどがシャッターを下ろして閑散としている。市の中心部でもこうなのか・・


 正午近いので、食事処を探しながら西進する。2つめの信号のすぐ先が市役所↑で、そ
ばに「新発田藩 札の辻跡」の標石が。
     
 江戸時代にはここに高札場があり、札の辻は街道の出発点で、会津街道に残る一里塚は、
この札の辻からの距離を基準にしていたという。


 近代的建築の新発田市役所に入ってみた。1階には市民の窓口のほかに、新発田の特産
品のショーケース、「エフエムしばた」(76.9MHZ)のサテライトスタジオなどがあ
った。


 エフエムしばたのサテライトスタジオ


                                   〈続く〉



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