あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

ドイツの城・Schloss Burg

2010-01-30 21:02:02 | ドイツいろいろ
 昨年8月19日(水)、ドイツ中西部のヴァンデルン(歩き旅)の4日目は、ゾー
リンゲン ブルクからGrafrathへまで歩きました。

 このヴァンデルンでは、コース途中にある博物館や動物園、古城などの幾つ
かに寄っていますが、この日は出発したゾーリンゲン ブルクのユースホステル
に近い、Schloss Burgという古城を観覧しました(Burg(ブルク)は城のこと)。

 場所は、刃物の町として知られるゾーリンゲン(Solingen)の南側に位置する
町です。

 東側から見たSchloss Burg


 城内へは、城塞(じょうさい)の2つの門をくぐって入ります。これは2つめの門。 


 真ん中は広場になっていました。その広場から見た城の建物の一部。


 広場の中には、こんな像もありました。城主の像でしょうか。


 建物は皆、石積みで出来ています。


 屋根のテッペンに、大きな風見鶏が上がっていました。


 10時の開門を待って建物の中に入り、中の展示を見て回ります。

 これは、城として機能していた頃の、この城の絵のようです。


 中世の武具なども展示されています。


 この城の模型。


 騎馬による戦場の絵。日本の戦国時代をほうふつさせます。


 城内で使われたものが展示されていました。


 食器棚や机など。


 これも古いSchloss城を描いた絵のよう。


 城内で使われた、食器類かと思われます。


 展示は幾つもの建物に渡っていて、それらを順にめぐりました。ここは一番高
い塔の窓から見た展望。


 見下ろす城の建物の一部、かなりの高度が感じられました。


 この日はこのあと、稜線の林間を上がって、ゾーリンゲンの町並みを通過し
ました。
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大阪の魅力を歩いて再発見、『なにわ快道100㎞ガイド』

2010-01-28 21:15:39 | ウオーキング
 大阪の「快道メーカー」ことKさんが、このほど、大阪の街の魅力を歩いて
再発見しようと、3本のべ100㎞のコースをつくり、それをまとめたB4版
36頁の冊子、『なにわ快道100㎞ GUIDE』を発刊しました。



 快道メーカーさんは、これまでも歩きやすい道を選んで結ぶウオーキング
コースをまとめた、『快道シリーズ』を幾つか発刊されていますが、今度は、
ほとんどを大阪市内に絞ったコースです。

 コースは3つあり、 ①淀川と大川、安治川、そして再び淀川を結ぶ「水都
コース」24㎞、 ②大阪市内の6つの低山をたどる山岳?巡礼道、37㎞、
③日本一長い、あるいは短いなど、有名無名の商店街を結んで歩く39㎞、
合計がちょうど100㎞になるという、距離にもこだわった3コースです。

 

 「水都コース」は、3つの川のリバーサイドを歩くもので、全長24㎞のうちの
20㎞が川や海辺の道とあり、車道歩きのわずらわしさのない、「快道」の名
のゆえんです。

 「山都コース」は、快道メーカーさんほかが地形図から消えた山名を復活させ
た日本最低の山・天保山など、大阪市内の低山をめぐるもの。山めぐりなのに
渡船に3回も乗るというあたりに、快道メーカーさんのユニークさが分かります。

 「商都コース」では、天神橋筋から天王寺まで、次から次へと約30もの商店
街を歩き、ゴールは、1等三角点では日本最低の堺市の「蘇鉄山」(7m)との
ことです。



 「快道」と名づけている通り、市街地でもなるべく安全、快適に歩けるコース
を心がけているとか。アクセスは、大阪市営交通や鉄道を利用しているので、
市外や他府県の人も気軽に「旅歩き」が楽しめるようです。

 コースの途中には、ミュージアムや神社仏閣、史跡などが豊富にあり、日帰
り温泉も案内してあり、寄り道や食べ歩きなどの情報も盛りこまれています。



 もとになる地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図で、これを2倍に
拡大(1万2500分の2相当)して見やすくしてあり、そのなかにポイントや
注意するところ、トイレの場所、飲食店の少ないエリアには弁当マークなど
も書き加え、だれでも迷わず、心配なく歩けるように、細かいところまで気
配りされています。

 私も機会を作って大阪に出かけ、まず「水都コース」でも歩いてみたいと
思いました。

 詳しいことや注文の仕方などは、当ブログの「ブックマーク」欄2番目の
「快道ウオーキング」に入り、「カテゴリー」欄の「なにわ快道100キロガイ
ド」をクリックするか、下記アドレスを直接クリックしてご覧下さい。

 http://oskjk.blog107.fc2.com/blog-category-28.html
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ドイツ・アルテナの電線博物館

2010-01-26 22:46:33 | ドイツいろいろ
 昨年8月15日(土)、ドイツ中西部の町・アルテナに行き、世界初のユース
ホステルであるアルテナ城や、ユースホステルの仕組みを考えついた、リヒャ
ルト・シルマンの墓などを訪ねました。

 それらのことや、アルテナの町の様子などはすでに紹介しましたが、きょうは、
アルテナ城の近くにあった電線の博物館を紹介します。

 アルテナは、古くからの産業として、電線の製造がさかんだったとのことで、
その歴史や産物などを伝えているのが、この電線博物館です。


 博物館の看板。


 ここからは館内、電話機がたくさん並んでいますが、電話が通じるには、電線
が無くてはならないことは、ご存じの通りです。


 電線を巻き取る、古い装置でしょうか。


 無造作に置かれた古い電線。


 昔の電線工場の模型のようです。


 古い工場内部を再現したものかと思われます。


 これも、電線を巻き取る古い装置のよう。


 電線で造った造形物ふたつ。




 懐かしい(というと歳が知れますが‥)蓄音機。レコードから音をピックアッ
プするには、この頃は鉄の針が使われていました。

 でも私も、このような蓄音機の音は聞いたことがありません。

 針金の加工品とクギ。


 電話線や海底ケーブルが並んでいました。


 これも懐かしい、モールス通信用の電鍵。私も最初の職場では、モールス通信
を使いました。


 電話の地下ケーブルの接続部。ドイツでは、日本のように蜘蛛の巣を張り巡ら
したような電線や電柱を見ることは、めったにありません。電話ケーブルも電線も
皆、地下に埋設されています。


 電線博物館から町の中心部に戻る途中の坂道にあった、電線のモニュメント。
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ドイツ・ゾーリンゲンの国立刃物博物館

2010-01-25 22:21:24 | ドイツいろいろ
 ドイツ中西部の都市、ゾーリンゲン(Solingen)は、刃物の町として知られ
ています。

 8日間のヴァンデルン(歩き旅)の中ほどの昨年8月20日(木)、ゾーリン
ゲン市街地の北郊にある、国立の刃物博物館を訪ねました。

 豊富な緑に囲まれたところに、博物館はありました。ここが入口です。


 入口の近くには、人間の背丈の2倍くらいの、大きなはさみの造形があり
ました。


 古い剣


 刃物だけでなく、小さい金属加工品がいろいろ展示されていて、これはスプ
ーンやナイフ。


 手前はサーベル、奥はナイフのようです。


 柄の部分にデザインの施された古いナイフやスプーンなど。


 古い絵画も展示されていました。


 こんなに何十種類もある万能ナイフは、ホントに使いこなせるのでしょうか…。


 特別コーナーでは、刃物などをモチーフにした切り絵の展示が。


 精巧な切り絵は、数十点並んでいました。


 日本刀も並んでいます。


 古いナイフや剣など。


 館内には、こんな感じの展示室が幾つもあります。


 はさみの集合体。


 何百ものはさみを集めて造った、クジャクの造形。


 なかなか興味ある刃物や刀剣、食器などがたくさん展示されています。

 ところが、ゾーリンゲンの商店街では、刃物を売っている店はひとつも見つ
かりませんでした。どうしてなんでしょうか…。
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所沢航空記念公園のロウバイ(埼玉)

2010-01-23 16:26:19 | 所沢だより
 再び冬型に戻った首都圏、好天ですが昨日今日は、やや雲が多くなりました。
今日、1月23日(土)、いつもの市内ウオーキングに出かけて、所沢航空記念
公園に入りました。



 広い園内の中ほどにあるロウバイ園へ回ってみると、数十本のロウバイが、見
ごろです。 ロウバイ園は、上の地図の中心にある緑のピンの先あたりです。




 中には盛りを過ぎた木もありましたが、色のよい枝を狙って撮りました。








 花からは、よい香りも漂っていて、来た人たちは匂いを感じながら、気持ちよさ
そうに花を眺めていました。











 私の撮っている間に、10数人の人たちが花を見にやってきて、カメラを構え
たり、周囲を回って花を観賞したりして、初春の彩りを楽しんでいました。

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ドイツ北西部ケルン市の世界遺産・ケルン大聖堂

2010-01-22 21:53:47 | ドイツいろいろ
 ローマ時代からの古い歴史を誇る、ドイツ中西部の都市ケルンは、空の玄関
口・フランクフルトからライン川沿いを走る鉄道で約2時間20分ほどにあり、人口
は約96万人の大都市です。

 南に30㎞ほどには西独時代の首都ボンが、北に30㎞ほどには日本人滞在
者の多い国際商業都市デュッセルドルフがあります。

 昨年8月24日(月)、ケルン中央駅のそばにある、世界遺産のケルン大聖堂
を訪ねました。

 双塔のある大聖堂の高さは157mもあり、駅前からでもこのように仰ぎ見なく
てはなりません。 


 この大聖堂は1248年に着工し、1880年に完成したゴシック建築のカトリ
ック教会で、内部も見るべきものが多いとのことで、入って観覧しました。

 観覧には、西側の入口から入りますが、ここはその横の別の扉です。


 入口とは反対の東側の壁面には、色鮮やかなステンドグラスがたくさん
ありましたので、その幾つかをご紹介します。


 大きさが分かりにくいかもしれませんが、いずれも高さ10mを越えるかと
思われる大きなものばかりです。






 その下には、幾つかの祭壇が設けられていました。


 キリストの像もあります。



 墓碑や棺などもありますが、どれが何か、メモしませんでしたので分かり
ません。


 広い堂内を巡って行くと、別のステンドグラスがありました。


 たくさんのロウソクが点されているのは、礼拝堂のひとつのようです。




 ともかく、ほかでは見たこともない高いいドームでした。


 観覧を終えて外に出たのですが、真下からは先端を見ることは出来ません。


 十字架のような形をした大聖堂の敷地、長い方の東西は144m、南北は
86mあるということです。
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くりはし八福神めぐり(埼玉)

2010-01-21 16:23:14 | 七福神めぐり
 2010年1月19日(火)



 日光街道の要衝として関所があった埼玉県東北部の町・栗橋は、源義経を慕
った静御前ゆかりの地でもある。旧日光街道や田園風景、利根川沿いなどに広
がる「くりはし八福神」巡りに出かけた。

 JR宇都宮線と東武日光線が交差する、栗橋駅西口を9時53分にスタートした。
今日は、好天で温かくなるとの予報である。

 改装された新しい駅とともに、駅西口周辺の道路も区画整理され、広い通りが
西に延びている。2つ目の角を左折して、まずは弁財天の迎盛院(こうじよういん)
へ。


 弁財天は小さい屋根の下に祭られ、周囲を真っ赤なコイが泳いでいた。そばに
ヘビを形どった珍しい神様の石像もある。


 南側の千勝神社境内を抜け、すぐ先のスーパー・マミーマートで昼食を購入する。

 広い通りを南へ、4月から栗橋北彩高と変わる県立栗橋高そばの交差点を過ぎ
ると、松永の古くからの集落に入る。

 松永神社の角を曲がり、東側の旧道に出て国道125号際へ。稲荷木落の流れ
に沿って、「カインズモール大利根」と呼ぶ、新しい大型集合店舗が出来ていた。

 交通量の多い国道と並行する道を500mほど進み、佐間の集落で右に分かれ
る旧道に入る。再び国道が近づいたところに、吉祥天の宝聚寺(ほうじゆじ)が
あった。

 山門の2階が鐘楼になっている鐘楼門は、慶安2年(1649)に北方の十王の地
から移築したものとか。


 吉祥天は鐘楼門の傍らに立つている。墓地の一角には、江戸中期の西暦1700
年代の馬頭観音像が集められていた。

 寺の前が高柳交差点、国道をまたぐ歩道橋で南に回る。田園地帯を進んで栗橋
西小の横を通過し、布袋尊の定福院(じようふくいん)に入った。

 山門前や広い境内のあちこちに、五百羅漢像が並んでいる。専門の石工による
ものではなく、近所の檀家を始め、マスコミで紹介されて興味を持った人など、し
ろうとの方々が彫ったものらしい。

 それぞれの思いが込められたユニークな石像が多く、現在は500体を超えて
いるという。

 駐車場近くには四国霊場八十八か所の本尊を彫った石仏も並び、お砂踏み場
になっていた。


 にこやかに笑う布袋尊は、本堂の前に鎮座している。ちなみに、「くりはし八福
神」は、平成12年に制定された「21世紀に残したい埼玉ふるさと自慢100選」
に認定され、その認定石碑が各寺にあった。

 佐間集落の東で、県道316号の呉服跨線橋に並行する跨線橋でJR宇都宮線
の線路を越える。

 田園地帯を抜ける広い道を北東に進む。国道125号が再接近したところにある
栗橋町役場に入り、構内の一隅で昼食にした。

 ここ栗橋町は、久喜市、菖蒲町、鷲宮町と合併して、3月23日に新しい久喜市
となる。庁舎には、そのことを記した横断幕が掲げられていた。

 役場の先で東武日光線の踏切を渡り、国道のガード下を抜ける。五郎兵衛用水
沿いに進んで栗橋小の南側を右折する。

 旧日光街道に出てすぐ先を右折、国道下をトンネルで抜けて、利根川の堤防際
にある大黒天の常薫寺(じようくんじ)に行く。

 開山は約700年前、当地に小庵を建立して基礎を築いたとか。江戸時代には、
住人の池田鴨之助が徳川幕府の命を受け、ここを拠点に栗橋町の開発を行った
という。

 大黒天は、石造りの堅牢な建物に納まっていた。

 そばの利根川右岸堤防上に東屋(あずまや)が見えたので上がり、ゆったりした
利根の流れや、下流のJR宇都宮線の鉄橋↓、上流にかかる国道の利根川橋など
を眺める。

 東屋の横には、水神社が祭られていた。

 旧日光街道に戻り、すぐ北にある毘沙門天の顕正寺(けんしようじ)へ。


 毘沙門天は国道の壁面下に、新しい馬頭観世音と並んで立っていた。


 墓地には、後の栗橋宿となる上河辺新田を開発し、顕正寺を現在の古河市から
移したという池田鴨之助の墓がある。

 旧日光街道を挟んで西側にあるのが、寿老人の浄信寺(じようしんじ)。ケヤキや
桜など境内は樹木が豊富である。


 扇を持った寿老人は、山門を入って右手に立つ。


 墓地には、2代将軍徳川秀忠が日光東照宮参拝の折、暴風雨で利根川を渡る
橋が危なくなったとき、命をかけて橋の安全を守ったという梅沢太郎右衛門の墓
がある。

 旧日光街道を次の交差点で左折、その突き当たりが、恵比寿神の深広寺。山
門を入って右手に、大きなタイを背にした恵比寿神が立つている。


 境内には、高さ約3m60㎝の六角の石塔に「南無阿弥陀仏」の名号が刻まれ
た、「六角名号塔(ろっかくみょうごうとう)」と呼ぶ石塔が21基並んでいる。

 建立は承応3年~明和3年(1654~66)といい、ほかでは見たことのない
石塔だった。

 さらに旧日光街道を北に進み、栗橋駅入口交差点を左折する。次の通の角が、
最後となる福禄寿の福寿院(ふくじゆいん)。

 福禄寿は、境内とは思えぬ門前の道路際の一隅にある。

 寺の北側、緩やかにカーブする通りを西へ向かい、線路際を左折すると小さい
広場があり、「静御前の墓」が屋根の下に祭られていた。

 義経を慕って京都から平泉に向かった静御前は、下総の国で義経討死の報を
耳にして悲しみに暮れ、京都へ戻ろうとしたが病気になり、文治5年(1189)9
月15日、この地で死去したと伝えられているという。

 ゴールの栗橋駅東口はすぐそば。15時7分に着いた。

 予報通り温かい日差しとなり、昼食後は上着を脱いで回ることができた。

 なお、幹書房発行の「埼玉七福神めぐり」には、ご朱印の取扱期間は1月3日
~20日となっていたが、今年は15日で終わったとのことだった。


 (天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 栗橋、歩行地 栗橋町、歩数
 21,300)
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くりはし八福神・定福院の五百羅漢など(埼玉)

2010-01-19 22:20:24 | 七福神めぐり
 3月中旬並みの暖かさになった今日、1月19日(火)は、埼玉県東部の町、
栗橋にある「くりはし八福神」巡りに出かけました。



 八福神めぐりのレポートは明日以降アップしますが、3番目に訪れた定福院
(じょうふくいん)の、五百羅漢像などをご覧いただくことにしましょう。

 定福院は、栗橋町佐間にある真言宗豊山派の寺院です。山門の前や境内の
いたるところに、五百羅漢像が並んでいました。




 この寺の羅漢さんは、石工が彫ったのではなく、近所に住む檀家の方により始
まったようです。



 素人が石で仏像を彫るということは、国内でも珍しく、マスコミに数多く紹介
され、そのたびに参加希望者が100名、200名と増え、彫る人も自信を持っ
てのみをふるうようになったとのこと。



 そんな中で、特に熱心な小宮さんという方を中心に「五百体を達成し、名実
とも五百羅漢にしたい」という目標が生まれ、平成11年(1999)5月には、
500体目の羅漢が完成したようです。



 それ以後も着々と増加して今日に至っているとのこと。





 また、羅漢を彫った方々から、四国霊場八十八か所の本尊を制作してはという
意見が出て、第15回羅漢祭りの日に開眼となったそうです↓。



 
 なお、ここ定福院の羅漢さんについては、1月14日付け朝日新聞東京本社版
夕刊の「仏像日和7」で、「思いで彫れば羅漢さん」と題して報じられています。



コメント (2)
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関東百駅巡礼歩行 東武伊勢崎線 多々良駅(群馬)

2010-01-17 21:51:19 | 関東百駅巡礼歩行
 2010年1月16日(土)



 7年目に入った関東百駅巡礼歩行、通算第61番目の歩きに参加した。

 集合は東武伊勢崎線の多々良(たたら)駅。遠方からの参加を考慮して、今
年から集合時刻は11時となる。初参加の女性3人を含めて7人は、記念撮影
をして11時9分に駅を出た。


 駅前を西に少し進んで北に回り、線路下のトンネルを抜けて矢場川の八幡橋
へ。橋の両側のプレートには、中野東小4年の生徒が書いた橋の名と川の名が
記されていた。書いた児童にはよい記念になる。


 橋を渡って対岸の左岸堤防を進む。駅周辺は群馬県館林市だが、橋が県境で
向こう(左)は栃木県足利市である。


 天気予報では風は弱いと聞いていたが、赤城おろしのせいか風がかなりあっ
て冷たい。車中で外したマフラーを再び首に巻く。

 周囲に高い建物が無いので、関東平野を囲む山々の展望がよい。北に男体山
など日光連山や赤城山、西に真っ白な榛名山や富士山。東方には筑波山も望ま
れる。


 次の橋を渡って右岸堤防に戻る。堤防は東に大きくカーブし、多々良沼からの
流れに合して南に向きを変える。その流れの江川橋際には、徳川時代の縁切り
橋の由縁(ゆえん)などが記されていた。

 川の合流点の東にある常楽寺に入り、昼食とする。常楽寺は弘安3年(1280)
の開山で、関東八十八カ所の第15番霊場。本堂左手前の、かやぶき屋根で朱
塗りの阿弥陀堂は修理中。


 右手には2階建ての鐘楼堂が、そのそばに、やきもち地蔵尊がある。


 常楽寺西側の堤防からは、浅間山を真ん中にして↓、右に男体山、左に富士
山の、いずれも冠雪した白い山容を見ることが出来る。


 寺のすぐ南の赤城神社は、社殿背後に背の高い大ケヤキが立ち、遠くからも
よい目印になる。


 木戸町の古い住宅地を出て南へ、田んぼの間を進んで高根町に入ると、山の
神様、大山祇(おおやまづみ)神社がある。

 正徳4年(1714)に、近くの成島の山神社から分社したもの。住民は「山神様」
と呼び、村の鎮守として崇拝(すうはい)しているという。

 東側の車道に出て、セブンイレブンの先の信号を右折し、東武伊勢崎線の線路
と国道122号を越えて、西高根町に入る。

 少し進んで右折し、新興住宅地を北西へ。長く続くアカマツ林を横切って多々良
沼公園に入り、グランドの先にある白い横長の建物の、群馬県立館林美術館に
入った。

 周囲を広い芝生に覆われた広い敷地で、建物のそばには池をめぐらせている。

 特別展示中の、群馬県出身の孤高の日本画家・磯部草丘(いそべそうきゆう)の
-自然をとらえる独自のまなざし- と題する日本画や、常設展示などを30分あま
り鑑賞した。

 館を出て西南へ、日向新田の集落を抜けて多々良沼の北岸に出た。岸辺に何
百羽ともしれないカルガモなど、カモの大群が休んでいる。


 お目当てのハクチョウは、西側のガバ沼周辺にいるという。沼の北岸沿いの車
道を進む。橋を渡って南に少しで、小さい水辺のガバ沼に数10羽のハクチョウが
見えたが、そばまでは近づけなかった。


 沼辺にある邑楽町観光物産販売所の壁面に、12月からのハクチョウの飛来数
が掲げてあり、今日午前中は50羽となっていた。

 さらに南に進み、多々良沼から流れ出る弥兵衛川に沿った、桜並木の続く自然
探勝路を進んで、浮島弁財天のところに行く。

 朱塗りの弁財天堂は、鎌倉幕府没落の時、執権北条高時の弟、四郎慧性(えし
ょう)らが、江ノ島の弁財天を勧請したものとか。

 お堂の北側に10数羽のハクチョウが寒そうに丸まり、南東の多々良沼の中ほど
には数10羽のハクチョウが羽を休めていた。

 やや日が傾いて風がいっそう冷たく感じ、赤城山↑や男体山など↓日光連山の
展望がさらによくなる。


 西側の鶉(うずら)新田集落際の森には、北条四郎慧性らが築城し、応永年間
(1394~1428)には多々良四郎の居城となったという、鶉古城跡の説明板が
あった。


 鶉新田を抜けて、弥兵衛川沿いに西に向かう。カルソニック工場横を経て、明野
の新興住宅地沿いに進んで、15時25分に東武小泉線の本中野(ほんなかの)
駅に着いた。

 東武小泉線は1時間に1本の運行。15時43分発の2両編成に乗り、館林で
伊勢崎線に乗り換えて、帰路につく。

(天気 快晴、参加 7人、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 佐野、足利南部、
 歩行地 (群馬)館林市、邑楽町、(栃木)足利市、歩数 22,900)
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LLウオーク 手賀沼から菅生沼へ(千葉・茨城)

2010-01-15 22:39:22 | ウオーキング
 一昨年正月~3月、やまさんが企画して歩いた、LL(Lake to Lake)シリーズ
の続きとして、千葉県の印旛沼と茨城県の菅生沼をつなげる歩きをしようと、再
びやまさんからの案内が来た。

 実施は1月11日(祝)、しかし届いたのは翌12日だった。そこで、一人で歩く
ことにして、1月14日(木)に出かけた。



 快晴だが、この冬一番の冷え込みとなった朝8時5分、JR常磐線我孫子駅に
着く。駅北口のコンビニで弁当を調達して南口に回り、8時15分にスタートした。

 坂を下って手賀沼北岸の手賀沼公園へ。広島市旧市庁舎の石で造られたとい
う「平和の記念碑」に手を合わせ、波静かな湖面を眺める。


 折り返して白山の住宅地を上がり、我孫子駅西側のガードを北に抜け、我孫子
三丁目やつくし野三丁目の集合住宅群のそばを進む。

 さらに北へ、久寺家中の横から布施新町の住宅地を抜け、あけぼの山農業公
園に入った。本館から資料館の裏手に回ると、昨日降った雪が薄く残っていた。
しかし斜面にはスイセンが一杯花開く。

 チューリップ畑の向こうに田園地帯の展望が広がり、修理中でネットで囲まれた
風車が見える。


 日本庭園の横を通って高台にある布施弁財天東海寺に上がった。

 階段上の楼門をくぐって境内に上がる。右手に小さい三重塔があり、正面にどっ
しりした屋根と朱塗り色鮮やかな本堂が立つ。

 堂内に布施弁財天を祭る本堂は、享保2年(1717)の再建。本堂右手の鐘楼
は、珍しい多宝塔形式で、文化15年(1818)建立という。楼門も本堂も、精巧な
木彫が施されていた。


 本堂の背後からは、利根川左岸に広がる田園地帯や筑波山が望まれ、その左
に、これから渡る新利根大橋の長い橋脚が伸びている。

 西側に回って別の寺の横から田園地帯に出る。用水堀の先に、石のお地蔵さん
などがたくさん集められていた。


 利根川右岸堤防を上がって、新利根大橋の下流側にある歩道を渡る。水量豊富
な流れを見下ろしながら千葉県から茨城県に入った。


 左岸堤防を上流に向かう。左に広い河川敷を、右手にひろがる田園地帯が続き、
堤内(堤防左の流れ側)の道路には、ダンプトラックがひっきりなしに通る。

 河口から91.5㎞付近には、ヘリコプターの練習場らしい広場があり、何機かの
ヘリが次々に地上すれすれまで降りてきた。

 快晴で風も弱め、広々とした展望が続き、気持ちよい。93.5㎞付近には、完成
したばかりの越流堤↓があり、北側の雑草地でたくさんのダンプが動く。

 荒川の越流堤を貯める彩湖のような湖でも出来るのだろうか…。

 つくばエキスプレスの橋と、常磐自動車道の利根川橋の下を通過、右に明治乳
業や守谷市の浄化センターを、左に堤内の運動公園を見下ろす。海から95㎞点
の近くに、左からの利根川と右からの鬼怒川の合流点があった。


 鬼怒川左岸堤防に入り、常総運動公園が近づく。堤防の下に枯れ枝の太い木
があり、そばに、「がまん渡し場」の説明板があった。

 徳川家康が元和元年(1615)に鷹狩りに訪れ、大雨で利根川が洪水になり、
舟を渡すのが困難になったが、家康が「ガマンをして渡してくれ」と舟夫に頼んで
川を渡ったところだという。


 白菜畑の横を回り、東側のアサヒビールの工場↑の建物を眺め、常総運動公
園に北側から入り、体育館横の芝生で昼食をする。

 公園を出て、大木集落の静かな里道をくねくねと回り、以前にも訪ねた滝下橋
に近い清滝寺へ。

 境内に、背の高いイチョウがブラシのような枯れ枝を広げ、寛文2年(1662)
植樹というムクロジの古木が立つていた。

 県道56号の滝下橋はどっしりした朱塗り鮮やかだが、狭いので大型車は交互
通行だ。逆光に光る鬼怒川を見下ろしながら、左に並行する歩道橋を渡る。


 この先、県道の交通量は多そうなので避け、橋の先から左手に入る。太い木の
鳥居の立つ清滝香取神社の南をぐるりと回り、利根川左岸の広大な田園地帯を
貫く、用水沿いのまっすぐな道に下った。

 この道も以前逆行してきたことがあったが、季節も違うし広大な展望が広がるの
で、車のわずらわしい県道より快適である。

 右側は集落のある台地下の斜面林際を、左手は広々とした田んぼが広がる用水
沿いを4㎞ほど、県道3号の菅生大橋の先まで進み、菅生沼の南端に近い菅生町
中郷集落に上がった。

 集落の中ほどに、関東八十八か所第41番札所の無量寺がある。菅生沼七福神
の弁財天や、東国花の百ヶ寺でもある。

 端正な山門を入ると、右手に青銅製の弁財天が立つ。左手の鐘楼のそばに、背
のたかいケヤキが立ち、その横に、北向きの新しい太子堂が出来ていた。

 静かな集落を北に抜け、東仁連川を渡って堀込集落に入る。桜の木のそばの
三差路を左折して、あすなろの里へ向かう。

 あすなろの里の入口は、4時閉門と描かれたゲートが3時過ぎなのに閉まって
いる。横の小さいすき間から入り、キャンプ場の横を進んで池の上に出た。

 桜のころは賑わうのだろうが、池には氷が張っていまは寒々としている。

 博物館への道標に従い左への遊歩道に回ると、樹間から菅生沼が見下ろせる。
沼の東岸に下って遊歩道の木造の橋を渡る。流れに、数羽の白鳥が泳いでいた。


 西岸に上がると、茨城県自然博物館の裏手の入口が出来ていた。日が傾き風
も冷たくなったので観覧は次回とし、受付で近くのバス停の時刻表と地図をもらう。

 博物館の周りを囲む金網沿いを進んで大六天神社の鳥居前へ。レンガ造りの水
門の前を通って大崎集落を回り、博物館入口の交差点を経て県道20号の自然博
物館入口交差点に出た。

 そばにバス停があったが、少し時間があるので県道を北に進む。15時50分に
次の小泉バス停に着きゴールとした。16時発の茨城急行バスで東武野田線の
愛宕駅まで行き、大宮経由で帰途につく。

(天気 快晴後晴、距離 27㎞、地図(1/2.5万) 取手、流山、守谷、水海道、
 歩行地 (千葉)我孫子市、柏市、(茨城)取手市、守谷市、水海道市、坂東市、
 歩数 46,200)
コメント (2)
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