2011年2月19日(土)
第72番目となる関東百駅巡礼歩行に参加した。集合は、JR青梅線の日向和田
(ひたたわだ)駅。駅前で記念撮影をして、10時47分に駅を出た。
国道411号(青梅街道)と多摩川との間の旧道に入り、日向和田の集落を抜ける。
梅の里だけあり、梅の木や梅林が多く、一部はちらほらと咲き出していた。
和田橋を渡って多摩川右岸へ。青梅信金図書館の先で細道に入り、カタクリが咲く
という斜面下から、小さいお堂の横に出て、県道45号に上がった。高台を走る道なの
で、多摩川沿いの家並みや、対岸の展望が開ける。
徳昌寺の横からさらに、畑道を横切って山すその車道まで上がる。日陰には残雪が
かなり残り、予想外に高層ビルの並ぶ、青梅市の中心街方面が望まれる。
青梅市の、「水と緑と梅の道」と名付けられた道標の立つ三差路を、和田橋方面に
少し下ると、再び三差路。そばに、かやぶき屋根にトタンを被せた民家があり、梅ヶ谷
梅園の標識が立つ。
家の前が、その梅林になっていたが、まだつぼみのままだった。
梅林前の橋を渡った先は、梅郷一丁目の集落。、最初の家に、開花前だが青梅市指
定梅樹という、野梅性という系統の古木があり、そばのマンサクが花盛り。
少し高見の通りに出て西へ、大きな紅梅がかなり開花していて、その下に福寿草が
たくさん咲いている。その先の竹林寺に入り、本堂前に腰を下ろして昼食にした。
寺のそばにあったかやぶき屋根の民家の横から、「鎌倉街道」の標識に従い、山すそ
の細道に入る。眼下に梅畑が広がるが、ここもまだ開花前だった。
さらに進むと、南向きの対斜面に紅梅、白梅がかなり咲いているのが見える。
吉野梅郷を代表する梅園、「梅の公園」である。公園の入口付近にも、鎌倉街道の
説明板があった。
梅の公園は、今日から3月末日までが梅まつりの期間。入園料は2百円だが、初日
の今日は無料とのこと。東口から園内に入った。
日差しの多い南面は、かなり開花しているが、遊歩道を上がって北側斜面に回ると、
まだこれからの木が多い。
吉野川に面した北側、正面入口付近の東屋に飾られた写真を見ると、見頃は3月中
旬のよう。でも入口付近には、臨時の売店も出来て、かなりの人が来園していた。
川沿いを上流に向かって進み、標高504mの三室山への林道に入る。杉やヒノキの
樹林帯の中の上りが続く。御岳山から日の出山を経てきた、ハイカーのグループが、
何組も下りてきた。
標高450m付近の分岐点まで上がって小休止。山頂往復は省略して、梅郷六丁目
方面への下山路へ。大岩の横を通過して、集落近くまで下ると、子ども達が記念植樹
した立て札が並ぶ。
下の車道際には、「見返り之句碑」と呼ぶ、大きな句碑が建てられていた。
集落を少し進んで即清寺へ。元慶年間(877~85)の開創で、建久年間(1190~9)
に、源頼朝が畠山重忠に命じて造営したとか伝えられ、鎌倉古道に面した要衝の寺だ
ったようだ。
境内には、趣ある松が何本も立ち、大きな本堂を中心に、庫裡(くり)、鐘楼などがあ
る。西側斜面には、新四国八十八か所霊場が設けられ、庭の中心で、大きなモクレン
のつぼみが、かなりふくらんでいた。
山すその道をさらに進み、北側から県道45号に回り込み、吉川英治記念館へ。ここ
で解散となったが、全員が入館する。
南面から西側に広い庭園が広がり、北東側に母屋↓と洋館、その背後に展示室の建
物が並んでいる。
吉川英治は、昭和19年(1944)に都心からここに疎開し、約10年間生活したとの
こと。母屋は弘化4年(1847)頃の建築で、明治初期に建てかえたという。
隣の洋館は、吉川英治が書斎として使ったもの。三度の食事もここでとり、「新・平家
物語」もこの書斎から生まれたようだ。
樹齢500~600年というシイの大木の横を上がって展示館に入り、吉川英治自筆
の原稿や色紙、こで執筆した「宮本武蔵」、「新・平家物語」などの著書、受賞した文化
勲章などを観覧した。
敷地約6000㎡(約2000坪)の多くを占める、庭園の遊歩道を一巡して記念館を
出た。
柚木町一丁目の住宅地を抜けて、多摩川の奥多摩橋を渡り、二つ先のJR二俣尾
(ふたまたお)駅に、15時45分に着いた。
(天気 晴、参加 7人、距離 8㎞、累積標高差 約770m、地図(2万5千分の1)
武蔵御岳、歩行地 青梅市、歩数 11,000)
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