黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

伊勢崎は広かった・ その 1(島小が田島弥平旧宅案内所)

2020-10-01 22:09:35 | 群馬県・中毛

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと南の方にお散歩です。

タバサねーちゃんは獅子丸とお散歩です。

「先に帰ってるね」タバサねーちゃんは、挨拶して通ります。

獅子丸は知らんぷりです。

おや、田んぼの縁に不気味なものがあります

稲刈りが終わって、お役御免になったマネキンです。

今日は、旧暦の8月15日です。

桂の木の向こうから、中秋の名月が上って来ました

 

 

9月29日、利根川の向こうの群馬県伊勢崎市に行ってきました。

ひめちゃんちから、車で5分くらいの所から伊勢崎市です。

ここから南が伊勢崎市です。

伊勢崎市のコミュニティーバスがそこまで来ています。

付近に住む友人宅のおばあちゃんは、以前はそのバスに乗って、伊勢崎市内にお買い物に行っていたそうです。

ここを南下して、国道17号線(上武道路)に乗り世良田で降りて、上武大橋を渡ります。

上武大橋の途中で、埼玉県の表示です。

渡りきって右折し、しばらく行くとまた群馬県です

利根川の南にも、群馬県があるのです。

 

とりあえず目指すのは、田島弥平旧宅案内所です。

ナビに従って、到着です。

あれ、隣は小学校のようです。

ここは旧群馬県佐波郡境町島村です。

もしかしたら、ここはあの有名だった島村小学校

その昔、斉藤喜博さんという校長先生がいて、だいぶ話題になった、あの島村小学校です。

まあ、案内所の方へ行きましょう。

島村沿革碑です。

村の形が河豚(ふぐ)に似ているのですか

200年で16回も川の流れが変わったのですか

「洪水によって運ばれてきた土が桑の木を育てるのに適し、人々は競って蚕を養うことで、洪水に打ち勝ったことや島村の蚕種が最も勝れていて、国内や海外まで名を高めたことが書かれています。」とあります。

後ろの建物はしっかり施錠されているようです。

休館日かな?

 

仕方ないから、小学校の方をちょっと散策です。

なにせ、あの有名な島小です

 

二宮金次郎の像があります。

去年、栃木県真岡市の二宮尊徳資料館に行ってきました。

お久しぶりです

 

おや、校舎の方に何か旗めいています。

もしかして、案内所はこちらに引っ越した?

付近の散策案内板もあります。

埼玉県(深谷市・本庄市)の関連資産の案内板もあります。

懐かしい郵便ポストです。

田島弥平旧宅案内所は、こちらに引っ越したのです。

 

「こんにちは

「いらっしゃい 住所氏名と電話番号と今朝の体温を記入してください。」

「はい。」

案内所と言うより、資料館の感じです。

管理人のおじさんが懇切丁寧に説明してくれます

 

田島弥平は明治5年に「島村勧業会社」を設立し、明治12年(1879)蚕種をイタリアへ直輸出した(蚕種を直接持って行った)という事です。

その時は太平洋を渡り、アメリカを横断し、イギリス・フランスを通ってイタリアに入り、地中海、インド洋を通って、帰国しました。

一行の3人は、群馬県人で初めて世界一周をした3人だそうです。

 

写真は遠慮していましたけど、写真もいいですよといわれて、見学の最後に撮った2枚です。

田島弥平旧宅の資料ももらって、田島弥平旧宅を目指します。

校門を出て、徒歩で田島弥平旧宅まで行きます。

それにしても、あの島小が田島弥平旧宅案内所になっていたとは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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