雨の朝です。
いつもと違うパターンでのお散歩となり、ひめちゃんは一人散歩になりました。
さあ、ケンくんちに行こう
ケンくんは、いませんでした
雨なので室内犬してるかな?
がっかり、失恋ひめちゃんです。
残念、晴れた日にひとりで来ようね
ケンくんちの脇の畠道を辿ります。
二ヶ所石造物が転がってます。
一ヶ所はいくつもの石宮と仏様、もう一ヶ所は石がゴロゴロです。
ゴロゴロ石もよく見ると、何かありそうです。
あれ、僧侶の卵形の墓標です。
少し先に、無量寺があります。
往時はもっと境内が広かったでしょうから、さもありなんです。
ひめちゃんは、字天神(あざてんじん)の田んぼを歩いて帰ります。
常広寺の新墓地の、石宮様に寄って行きます。
字天神に田んぼでない所は、ここだけです。
地名の由来になった天神様は、ここ以外にはなさそうです
おや、ひめちゃんがクンクンしている向こう側に文字を刻んだ石が見えます
正徳五年乙未天十一月吉祥日史雲奉建立
正徳5年は、西暦1715年で、乙未(きのとひつじ)の歳です。
11月の良い日に、史雲さんが建立したのです。
あれ、正徳5年は、田中藤左衛門が竜骨を持ってきた翌年です
田中藤左衛門證書寫によると、彼がやって来たのは、正徳4年7月です。
そうすると、常広寺が竜骨ビジネスを始めて、約1年後です
万病に効くという竜骨に、人々が殺到していた時期です
いわば竜骨天神というか藤左衛門天神というか?
ふむふむ、竜骨と関係ありそうな石なの
普通に考えると、史雲さんは常広寺のお坊さんです。
このころ、常広寺は9世白彭本明大和尚の時代です。
史雲さんは、白彭本明大和尚なのでしょうか?
今度常広寺へ行ったら、聞いてみましょう
竜骨ビジネスも軌道に乗り、少しゆとりが出た頃の建立かな?
300年も、天神田を見守ってきたんですね
これからもずーっと見守ってくださいね
そうそう、和尚さんに、折に触れて幣束くらいはあげてくださいとお願いしておきますね