ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。
今朝の赤城山は、緑に見えます。
岩神沼を通って、上の新沼まで足を延ばしました。
岩神沼には、カモさんが 1 羽だけいました。
ひめちゃんは、小学生の通学の列に遭遇してしまいました
でも、道ばたに除けて、おはよう
なんとかやり過ごしました。
久しぶりに、影のあるお散歩になりました
この道標を曲がると、新沼です。
北・梨木(なしぎ)だったと思います。
梨木温泉に行く道だったのです。
もう少し先には、板橋の百足鳥居(むかでとりい)もあります。
かつては、赤城山に登る道があったのでしょう。
さて、何かいるかな?
いました
アオサギとシラサギです。
サギの姿は久しぶりです
さて、早く帰って朝ご飯にしましょう。
あれ、突然、獅子丸はハンターに変身です。
何故か、猫を見るとハンターに変身します。
立岩寺から迷うことなく華蔵寺の駐車場に到着です。
まず、隣の横瀬神社を参拝です。
こんにちは
お久しぶりです。
あれ、こんないかめしいお子様をお連れでしたか?
こんなに大きなお口を開いていましたっけ
説明板があります。
建長年間(1249~56)に土地の豪族・横瀬三郎為清が創建し、建武年間(1334~36)に新田義貞の孫、国寿丸が再建したと伝わっています。
ここは、後の金山城主・横瀬氏(由良氏)の名字の地なのですね。
【本殿】 安政7年(1778)、岩瀬求馬正藤原治賢を棟梁として建立されました。前原藤次郎とその一門により、手の込んだ先進的な彫刻が施されています。
前原藤次郎とその一門、彼らは上州彫刻師集団なのですね。
上州彫刻師集団の系統図もあります。
2年前に来た時もありました。
ほとんど劣化していません。
印刷物だと思いますけど、取り替えているのかな?
赤字の人の作品が深谷市内にあるのですね。
そのうちに、訪れましょう。
でも、なぜか隣の華蔵寺は彫ってませんね
手水舎が見えてきました。
その彫刻は、さきほどの系統図だと、八代目小林芳雄の作だとありました。
木から掘り出したのですね
本殿目指します。
灯籠がいくつもあります。
拝殿前に、こんどはクラシックな小さな狛犬です。
こちらは、子供がいません。
口もあんまり開けていません。
拝殿も、なかなかみごとな彫刻です。
さっきの説明板に、
文化6年(1809)に建立されたものの、なんらかの事情で失われ、明治32年(1899)に再建されました。
彫刻等細部に本殿の得意な技法や意匠を受け継ぎ、文化年間の部材も再用され、技術や地域的特質が明治になっても継承されたことを示しており貴重なものです。
本殿は、金網で覆われています。
色があったら、どんなにかみごとなものだったでしょう。
でも、細かいところまでよく彫ってある
上州彫刻師集団の本拠地は、渡良瀬川の上流、花輪・萩原・上田沢などの勢多郡東村(あずまむら)、今のみどり市東町です。
勢多郡東村、輝いて攻めの時代があったのです