寒い雨の朝でした。
ひめちゃんたちの小屋には、毛布が入りました
ちょっと早いかな?
雨なので、今日の写真はなしです。
昨日の朝、ひめちゃんたちは、岩神沼から高縄の摩崖仏の裏手を通ってのお散歩です。
岩神沼で、獅子くん、いつものポーズです。
逆さ赤城も映っていました。
ひめちゃんは、物思いにふけってる?
後ろから、小次郎パパとタバサねーちゃんがやって来ます。
先日、満開の曼珠沙華の中で、摩崖仏には寄りました。
昨日はパスです。
摩崖仏の後ろを通って帰ります。
赤い柱の下が、高縄の摩崖仏です。
曼珠沙華の似合う風景です
こんなにみごとに曼珠沙華が咲いているところを通るのは、初めてです
新田義貞が挙兵したのは、生品神社(群馬県の旧新田郡新田町)だといいます。
ところが、利根川の南、深谷市にも生品神社がありました。
これは、新田の生まれの人間は、確認しておかなければなりません。
先日やっと訪問できました。
国道17号線(上武道路)の新上武大橋を渡って、まもなく左折して又左折して、新上武大橋をくぐり到着です。
前小屋天神とは、橋を挟んで反対側になります
鳥居です。
灯籠の背がずいぶん高い
本殿前には狛犬が鎮座です。
よく見ると、狛犬も高い位置に鎮座です
まるで打ち寄せる波に耐えて、岸壁でお仕事をしているようです
社殿の入り口は、堅く閉ざされています
とりあえず、門前で参拝です。
隙間から見えるのは、拝殿ですね。
本殿はまだ先です。
社殿の前には、由緒(?)です。
生品神社の創建は昭和初期ですって
そんあはずはありません。
古い社殿が昭和初期の建立だったのでしょう。
こちらも、よく読み取れません。
あちこち、この生品神社について検索しましたけど、わかりにくい表現が多いです。
由緒としてすっきりしているのは、
当地は、古くは上野国新田荘に属し、元久二年(1205)の源実朝下文案に、新田義兼の所領と記載されている。新田荘の総鎮守は、古代から崇敬された群馬県新田町の旧県社生品神社で、これは『上野国神名帳』に「従三位生階明神」と載せられている。当社は、この神社の分社で、おそらく新田荘の地頭であった新田一族により、新田荘高島郷の鎮守として勧請されたのであろう。
ここは、上野国新田荘だったのです
新田荘高島郷だったのです
天保2年(1831)10月29日、渡辺崋山は、前小屋天神の書画会に出席します。
そしてその夜は、島村の画家金井烏洲の案内で、高島という所の豪農で西洋医学の医者でもある、伊丹新左衛門宅に泊まります。
ここが、その高島だったのです
社殿の周りを、時計回りに一回りです。
こちらの古い灯籠は普通の仕様です。
背高のっぽの灯籠は、やはり洪水対策かな?
石造物もあります。
高島の文字がはっきり見えます
本殿も、堅く閉ざされています。
一回りして来ました。
まるで伊勢の二見ヶ浦の夫婦岩のような情景です
まさか
新田荘は、利根川の南にも広がっていたのです