今朝は今にも泣き出しそうな空なので、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北方をお散歩です。
獅子丸も、おかあさんと一緒の時は、ハーネスでお散歩です。
獅子くん、前足が少し上がってます
後ろから、小次郎パパとタバサねーちゃんがやって来て追い越して行きます。
赤と白の彼岸花が咲いていた田んぼの淵も、しっかり刈り取られています。
まもなく、ポツポツと、お空が泣き出しました
早く、帰ろうよ
あまり濡れないうちに帰って、帰ってご飯にしましょう
(埼玉県)神川町は、神流川沿いの南北に細長い町です。
北半分の地図です。
右側を走る国道256号線、元阿保で左折し、次の信号を右折して進むと、阿保神社があります。
その途中に、阿保氏館跡もあるはずでした。
でも、目に入りませんでした。
阿保神社でスマホナビで検索して、いざ阿保(安保)氏館跡へ。
阿保神社の説明板に、「館のすぐ北西に鎮座している」とあったように、本当にすぐでした
小さな愛宕神社です。
この左側の道を通って、阿保神社に行ったのです。
目に入りませんでした
横から、もう一枚
風情のある松です
説明板があります。
ここが北武蔵野豪族・阿保氏(安保氏)本貫の地なのですね
この館跡は安保氏総領家の居住地として伝えられ、嘉永元年(1848)には、「安保氏遺跡之碑」が建てられている。
「安保氏遺跡之碑」って、石宮様の隣の大きな碑かな?
拓本でも撮らないと、文字は読み取れません
安保氏は、鎌倉時代から栄え、戦国時代には没落したと言うことですけど、ちゃんと記憶が残っているのですね
安保氏は北武蔵の豪族だったのですね。
阿保比丘尼(あぼびくに)は、北武蔵の豪族・安保氏の女性で、この付近で念仏往生したのです
阿保比丘尼の往生譚は、短いので引用しておきましょう
テキストは「日本思想体系7 往生伝 法華験記」(1974 岩波書店)です。
第卅七 武蔵国阿保比丘尼
多年念仏者也。至臨終期自云。浄土蓮花既雨下。又云。我前成瑠璃地。如人間水。又光明来照。諸人聞音楽。
(非常にマイナーな古典なので、現代語訳等はありません。漢字を眺めての、超意訳になります。)
阿保比丘には、長い間念仏一筋に生きてきました。
そして、臨終の時に言いました。
「浄土の蓮の花は、雨のように降り注いでいます。私の前はもう青い宝石の世界です。蓮池の水は人のようです。」
光明がやって来て、あたりを照らします。
人々は、音楽を聞きました。
光明がやって来て、人々が音楽を聞いたことは、彼女が極楽往生した証明になるようです
人々が念仏を唱えることによって、極楽に往生できると信じていた時代があったのです
でも、念仏三昧の日々を送れるのは限られた人々だけでした。
そんな人達の記録を残した、上野国山上に住む行仙上人は、どんな人だったのでしょう?
地図の左下、金鑚神社&大光普照寺にも寄って行きます
(つづく)