ひめちゃんは、お散歩の時、グイグイ引っ張って元気にお散歩します。
ちょっとグイグイしすぎたのかな
首の下が皮膚炎になってしまいました。
便利な8の字ハーネスはちょっとお休みして、首に優しいハーネスでお散歩です。
人間は付けるのに戸惑ったり、加減に苦慮していますけど、本人は全く抵抗なく馴染んでます
アップできる画像の容量の限度が迫ってます
でも、どうしてもこのシリーズに入れておきたい事を発見した、天明2年の百足鳥居です。
百足鳥居の記事は、「ひめⅢ」にはなかったのです。
新着記事になります
先日、風の強い日に、山上の西・相ヶ窪の山上多重塔にちょっと寄り道しました
「山上の多重塔」は、御堂の中にしっかりしまわれています。
かつては、付近の畑の中に埋もれていたとか。
最近、説明板が新しくなりました
塔身には45文字の名が刻まれています。
大意は、
朝廷や衆生などのため、小師の道輪が法華経を安置する塔を建てた。これで無間の苦難より救われ、安楽を得て彼岸(悟りの境地)へ行ける
小師・道輪の人々への思いがこもった塔婆です
東に架かる雲に誘われて、相ヶ窪の東の道を北上してみました
余計なことですけど、相ヶ窪(そうがくぼ)は僧ヶ窪(そうがくぼ)でしょう
さて何処へ行くのでしょう?
舗装道路はなくなり、砂利道になります
豚舎と豚舎(もしかしたら鶏舎と鶏舎)の間を通ります
行き止まりかな
でも行けそう
心細く進みます。
ナビに、県道が出て来ました。
県道333号線、日光裏街道です
思い切って突っ切ります。
まもなく、細いながらも舗装された道になりました
鳥居が出現です
あれは、百足鳥居だ
なんと山上の西端、山上多重塔の東の道は、百足鳥居の正面に出たのです
昔の道はまっすぐではなかったから、たぶん山上の中を通って、百足鳥居をくぐって赤城山に登っていたのです。
山上の町組地区は、昔は宿(しゅく)と言って道の中央に水路が流れ、商店が軒を連ね、紺屋や造り酒屋もあったとか。
関係あるかも
鳥居の後ろの道に、ちょっとだけ路上駐車して確認です。
確かに百足が刻まれています。
今は、この先には、踏み跡すらありません
でも、かつては多くの人々がこの鳥居をくぐって、赤城山に登っていたのです
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