黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

浅原薬師堂のカヤの木と廻国供養塔

2021-12-08 15:39:15 | 小平川紀行

昨夜から冷たい雨です。

ひめちゃんたちは、みんな貧乏カッパでお散歩です

 

夕方、15歳半の小次郎パパはそこらまでの1人散歩です。

パパも、この間シャンプーやさんに行ってきました

明日天気になーれ

 

 

 

 

円空仏の寺・禅桂寺(みどり市大間々町浅原)から東に少し行くと、「薬師堂のカヤ」の表示があります。

左折してまもなく到着です。

11月27日、お久しぶりの訪問です

「薬師堂のカヤ」の説明板です。

樹高約20m、樹齢700年ですか

この木は雌木です。

カヤの実がいっぱい落ちてます。

 

 

御堂の額は、「瑠璃殿(るりでん)」です。

薬師如来は瑠璃光如来とも言うそうですから、地元(浅原東下組)の人々はそう呼んでいるのでしょう。

前回来た時は、全く気になりませんでした。

でも地元のこだわりは大事です。

 

 

御堂の周りを左から回ります。

 

現役の墓地としても利用されているようで、りっぱな墓石も多数あります。

僧形の墓石も若干見えます。

 

 

見上げて、カヤの木です

 

 

700年、世の移り変わりを見続けてきたんですね

鎌倉末期からずーっと、ここで世の移り変わりを見て来たのです

 

 

瑠璃殿を一周すると、御堂の前の道沿いに気になる石造物です。

 

道祖神です

ここはかつて人々が往来した、メインストリートだったかも知れません

 

廻国供養塔も目立ちます

宝暦12年(1762)とあります。

廻国巡礼の旅は、本来は各国一ヶ所で全国66ヶ所を廻る旅でした。

けれども、18世紀に入ったころから一国一ヶ所に限定せず、四国・西国・板東・秩父などの霊場を組み込んだりして、しだいに多くの寺社を参拝するようになったと言います。

中世の六十六部は専門の宗教者だったけれど、江戸時代には俗人が回国巡礼を行う事もあったと言います。

また、廻国の途中で信者が出来ると、その村の御堂や庵に定住することもあったと言います。

 

 

移動が制限されていた江戸時代に、ここ浅原にも、全国を廻る廻国巡礼をする人々がいたのです

 

瑠璃殿の前の道は、まっすぐではありません。

でも道がまっすぐになったのは近年のことで、以前は道はまっすぐではなかったのです。

道祖神があり、廻国供養塔がある、いかにも円空さんが歩きそうな道です。

円空さんは、この道を通って小平(おだいら)に行ったかも知れません

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