黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

論語の里の先生(尾高惇忠生家)

2019-05-06 22:57:22 | 埼玉県
ひめちゃんは、七海ママ&タバサねーちゃんと、時々昼散歩に出ます。
あまり暑くなると無理ですけど、今のところお天気次第で出かけます。
近所をママにあわせてのちい散歩ですけど。







東の方から、堀之内に戻ってきます。
何気なく歩いている道ですけど、向こうの方は低くなってます。
連続写真なので、去って行く車が沈んでいくいので分かります
堀之内は少し高台なのです




渋沢栄一生家のすぐそばに、神社が見えます。



稲荷社ということです。
右手にレンガが見えます。
渋沢栄一は、レンガの製造会社も造ったのでしたね。
そのレンガ会社が終了するとき、河岸か10年くらい前だったと思いますけど、レンガをセールしました。
時はあたかもガーデニングブームの頃でした。
友人に紹介されて、利根川を渡って何度の買い出しに行ったものです



はす向かいにも神社があります。
いただいた史跡巡りの地図によると、薬師様とあります。
一見孔子像かと思いましたが、お地蔵様です。



お堂脇に石造物がまとまっています。
ひときわ目立つ青面金剛です







来た道を戻ります。
この道は、渋沢栄一が論語をならいに尾高惇忠の家まで通ったので、論語の道というそうです。
来るときはパスしましたけど、帰りはしっかり寄ります。


尾高惇忠生家、大きな家です。





上が右半分、下が左半分です。

屋内はそれなり混んでいました。
奥の方でビデオを上映していましたけど、立錐の余地無し、諦めました

ガイドさんもいましたが、忙しそうです。
聞き耳頭巾で、韮塚直次郎という人を知りました。



いってみれば番頭さんのような人で、富岡製糸工場の設立に活躍したということです。
そしてなんと、この家の主・尾高惇忠が初代の富岡製糸工場長だったなんて知りませんでした。


「論語の道」の周辺には、渋沢栄一関連の史跡がたくさん残っているので、それらを総称して「論語の里」と呼ぶそうです。
近代日本の経済の父と論語がどうして結びつくのか不思議でしたけど、生家でいただいたパンフレットに答えがありました。

栄一の生涯を通じての基本理念は「論語」の精神(忠恕=思いやり)にあり、単なる利益追求ではなく、「道徳経済合一」による日本の経済の発展でした。




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