ひめちゃんと獅子丸は、岩神沼に到着です。
今朝は二人とも、沼を背景の「はいポーズ」をしてくれません
ひめちゃんのめったにしない表情です。
思慮深そう
赤城山には、横雲が懸かっていました。
沼にも、横雲がはっきりと映っています
今度は、かわゆく撮れました
こちらも、思慮深そうだよ
獅子丸は、ちょっと不満そうです。
だれもいないと思った沼の奥に、黒いカモさんの姿があります。
近づくと潜ってしまったのか、姿が映ってません。
日光例幣使街道・柴宿本陣跡の隣、柴町住民センターにあった案内板です。
あれ、天明地蔵がある
天明3年(1783)、浅間山の大噴火の天明泥流によって、およそ700体もの遺体が流れ着いたというあたりですね。
七海ママのふるさと・名和(那波)にあったのでした
何年か前にお参りしましたけど、また行ってみましょう
前回どういうふうに行ったか記憶にありません。
何カ所か曲がりますけど、基本的にほぼ南です。
ナビに伊勢崎市戸谷塚町409を入れて出発です。
今回は、北側から到着です。
墓地があってお堂があります
前回は全く気になりませんでした。
天明地蔵(夜泣き地蔵)だけに関心が行っていたのでしょう。
現在は無住のようですけど、ちゃんとしたお寺の一角にあるお地蔵様だったのです
こんにちは
お久しぶりです
今日も真っ赤な帽子とオガケですね
周囲の風景と違和感なくなじんでいます。
とりあえず、合掌
そばに説明板があります。
案内図では天明地蔵でしたけど、浅間山大噴火の供養塔(夜泣き地蔵)とあります。
『1783天明泥流の記録』(みやま文庫)によると、
伊勢崎市戸谷塚町409番地にある子安観音堂境内に建立されている。天明泥流によって、戸谷塚付近の利根川岸には700体を超す遺体が流れ着いたともいわれる。この地蔵尊は、天明四年に戸谷塚村中の手で建立された供養地蔵。左足を立て膝の丸彫り地蔵菩薩坐像で、大正2年(1913)に行われた耕地整理により、埋もれた七分川の字絹園地内から350m離れた現在地に移された。
ここに来て100年以上になるのです。
周囲の景色に馴染んでいます
大きな宝篋印塔、如意輪観音もあります。
僧形の墓石もいくつかあります。
巨大な松もいい感じです
紅葉もまだまだきれいです
お地蔵様の正面に戻ります。
ちょっと横からの景色です。
正面からです。
赤い紅葉がいい雰囲気を演出しています
さようなら、又来ますね
『1783天明泥流の記録』(みやま文庫)には、
天明3年(1783)の浅間山噴火に関する供養費は、数十基に及ぶ。そのほとんどが群馬県内の吾妻川・利根川沿いにあるが、泥流が流れ下った埼玉県や千葉県銚子市の利根川流域のほか、利根川から分流し、江戸湾に流れ込んでいた東京都内の江戸川流域にも所在している。これらの多くは、泥流に流され、川岸に打ち上げられた人や愛馬を弔うためのものである。
付近の供養塔もいくつかあげられています
そのうちに訪問しましょう
道の反対側に、何故かこの2名様が
こちらも供養塔とあります
お二方の脇を通って、諏訪神社にも参拝しましょう
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