黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

上州彫刻師集団の活躍(横瀬神社)

2020-10-12 21:36:22 | 埼玉県

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

今朝の赤城山は、緑に見えます。

岩神沼を通って、上の新沼まで足を延ばしました。

岩神沼には、カモさんが 1 羽だけいました。

ひめちゃんは、小学生の通学の列に遭遇してしまいました

でも、道ばたに除けて、おはよう

なんとかやり過ごしました。

久しぶりに、影のあるお散歩になりました

 

この道標を曲がると、新沼です。

北・梨木(なしぎ)だったと思います。

梨木温泉に行く道だったのです。

もう少し先には、板橋の百足鳥居(むかでとりい)もあります。

かつては、赤城山に登る道があったのでしょう。

 

さて、何かいるかな?

いました

アオサギとシラサギです。

サギの姿は久しぶりです

さて、早く帰って朝ご飯にしましょう。

 

あれ、突然、獅子丸はハンターに変身です。

何故か、猫を見るとハンターに変身します。

 

 

立岩寺から迷うことなく華蔵寺の駐車場に到着です。

まず、隣の横瀬神社を参拝です。

こんにちは

お久しぶりです。

あれ、こんないかめしいお子様をお連れでしたか?

こんなに大きなお口を開いていましたっけ

 

説明板があります。

建長年間(1249~56)に土地の豪族・横瀬三郎為清が創建し、建武年間(1334~36)に新田義貞の孫、国寿丸が再建したと伝わっています。

ここは、後の金山城主・横瀬氏(由良氏)の名字の地なのですね。

【本殿】 安政7年(1778)、岩瀬求馬正藤原治賢を棟梁として建立されました。前原藤次郎とその一門により、手の込んだ先進的な彫刻が施されています。

前原藤次郎とその一門、彼らは上州彫刻師集団なのですね。

 

上州彫刻師集団の系統図もあります。

2年前に来た時もありました。

ほとんど劣化していません。

印刷物だと思いますけど、取り替えているのかな?

赤字の人の作品が深谷市内にあるのですね。

そのうちに、訪れましょう。

でも、なぜか隣の華蔵寺は彫ってませんね

 

手水舎が見えてきました。

その彫刻は、さきほどの系統図だと、八代目小林芳雄の作だとありました。

木から掘り出したのですね

 

本殿目指します。

灯籠がいくつもあります。

拝殿前に、こんどはクラシックな小さな狛犬です。

こちらは、子供がいません。

口もあんまり開けていません。

 

拝殿も、なかなかみごとな彫刻です。

さっきの説明板に、

文化6年(1809)に建立されたものの、なんらかの事情で失われ、明治32年(1899)に再建されました。

彫刻等細部に本殿の得意な技法や意匠を受け継ぎ、文化年間の部材も再用され、技術や地域的特質が明治になっても継承されたことを示しており貴重なものです。

 

本殿は、金網で覆われています。

色があったら、どんなにかみごとなものだったでしょう。

でも、細かいところまでよく彫ってある

 

上州彫刻師集団の本拠地は、渡良瀬川の上流、花輪・萩原・上田沢などの勢多郡東村(あずまむら)、今のみどり市東町です。

勢多郡東村、輝いて攻めの時代があったのです

 

 

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お願い地蔵に願いを(滝瀬山立岩寺)

2020-10-11 20:43:48 | 埼玉県

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、高縄の集会所を廻って帰ります。

花いっぱい運動の花がまだ咲いています

獅子くんは、「もっと上に行こうよ。」

おかあさんは、「今日は御用があるから、また今度ね。」

おや、向こうの田んぼが騒がしいです。

なぜか、あの田んぼ一枚だけ、カラスの大群がいます。

落ち穂拾いかな?

ひめちゃんたちは反応しませんでした。

かすかにその姿を見せる赤城山を背に、堀之内に帰ります。

 

 

 

(深谷市)高島の生品神社を後にして、そのまま西に行って一ヶ所曲がれば、横瀬の華蔵寺に行くはずです。

華蔵寺には、以前お邪魔しましたけど、御朱印をいただきそこなってます。

寄って行きましょう

華蔵寺目指して、西に進みます。

右折する信号・滝瀬は、赤でした。

 

前方に、滝瀬厄除け大師の文字が見えます。

寄って厄を落として行きましょう

用がありますので、駐車させていただきます

 

正面から入り直しです。

おじさんは石造物に夢中です。

大きな二十二夜塔です。

あの板碑によく使われた緑泥片岩でしょうか?

 

お地蔵様に迎えられて、参拝です。

お地蔵様脇の庚申塔、いい文字感じの文字です

 

山門です。

「一隅を照らす」とあります。

ここは天台宗のお寺ですね。

「ぼけ封じ 関東三十三観音霊場」とあります。

御朱印がありそうです。

いただいていきましょう

 

山門をくぐると、「ほんじょうかるた」です

運のよい滝瀬ぼたんの立岩寺

ここは、本庄市なのですね。

ここは、牡丹寺なのですね。

 

由緒があります。

開山は、慈覚大師円仁ですって

ここも円仁ゆかりの寺です。

円仁ゆかりの寺巡りも、まだまだ途中でした。

 

本堂前で合掌

お願い地蔵さまの案内があります。

「ひとつの願いをかけて持って行ってください。」ですって。

一体500円です。

 

おじさんは、「500円貸して

おじさんは、願いを掛けて一体持ち帰りです。

どんな願いを掛けたのかな?

でも、自分のお財布から500円出さないと御利益ないんじゃないの

老婆心ながら、ちょっと心配です

 

庫裏に寄って、御朱印をいただきます。

この聖観音が、ぼけ封じ観音なのですね

 

本堂西の花のない牡丹園を散策します

あれ、願いがかなったお地蔵様って

願いがかなって返されたお地蔵様が、数えられないくらいいっぱいです

おじさんも、返しに来る日があるのかな?

 

牡丹園は花はないけれど、牡丹がいっぱいです

 

おや、道の向こうに鳥居が見えます。

額に滝瀬神社とあります。

ちょっと行ってみたいけれど、塀があっていけません

駐車場もなさそうです。

今回はパスしておきましょう。

 

広い牡丹園でした。

牡丹の季節に、また来ましょう

 

その時は、参門脇の資料館も見学させていただきましょう

それでは、横瀬の華蔵寺目指します

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ひめちゃんのシッポ

2020-10-09 21:14:03 | 日記

今朝のお散歩の写真には、ひめちゃんのシッポがやたら目立ちます

案外長かったのです

では、参考までに、子どもの頃のアーカイブから

 

七海ママに見守られて遊んでます。

ひめちゃんは、真っ黒黒助でした。

ママは16歳を過ぎて、現在闘病中で、ずっと室内犬をしています。

ひめちゃんはママとお散歩できません

同じ日の、ひめちゃんと獅子丸です。

上に乗ってるのが、ひめちゃんです

獅子丸は、ひめちゃんに組伏せられています

もしかして、この力関係が続いている?

20年も居るような顔で、実家の生活をしている獅子丸ですけど、ひめちゃんをたてている感じもあります。

 

初めてのお誕生日間近のひめちゃんです。

かなり巻いてます

 

 

今朝、ひめちゃんと獅子丸は堀之内をでて、久しぶりに東の牧場の方に行きました。

ひめちゃんたちが堀之内を出るとき、赤城山は雲に覆われながらも、その姿を見せていました

 

県道を渡ると、道標があります。

牛舎脇の細い道が、かつては幹線道路だったのです。

獅子くんのシッポは、フサフサです。

 

ヤギさんいるかな

おはよう

今朝は何故かひめちゃんたちを見ると、走り去っていきました

離れた所から、おはようです

ボク、大きくなったね

おや、ヤギパパもいる

いつもは、川の向こうにつながれているのに。

ヤギパパの背中は、さすがに大きいです

何しているんだろう?

何か食べてる

桑の葉かな?

ヤギママの耳は、情報収集しています

ヤギパパは、何故か一度も振り向きません。

 

ひめちゃんと獅子丸も、近づこうとしませんでした。

ママと一緒でいいなあ

ひめちゃんは、今ママと一緒に遊べません

 

道の反対側にある山神様もちょっと寂しそう。

 

鏑木川に架かる山神橋を渡って、サマンサ坂を通って帰ります。

 

突き当たりの県道を渡って、また鏑木川の大山橋を渡ります。

クサギの実が、1つだけ残っています

ひめちゃんちにも、昔植えました。

家族の評判が悪く、撤去されましたけど、まだ少し生き残ってます。

でも、もう花を咲かせることはありません。

この実は、媒染剤なしで水色を染められるという事で、草木染めに凝っている頃に植えたのですけど。

 

何かいたのかな?

もろこしの向こうの畑は、ズッキーニが栽培されています。

なんとなく、しっかり巻きました

 

獅子くんは、フサフサ巻いてます。

獅子くんは、お食事タイムです。

 

二人が堀之内に戻るころ、赤城山その姿を隠していました

やっぱり、雨の一日でした

でも、朝降ってなくて良かったね

 

 

 

 

 

 

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新田荘高島郷の生品神社(利根川の南にも生品神社)

2020-10-08 15:13:44 | 埼玉県

寒い雨の朝でした。

ひめちゃんたちの小屋には、毛布が入りました

ちょっと早いかな?

雨なので、今日の写真はなしです。

 

昨日の朝、ひめちゃんたちは、岩神沼から高縄の摩崖仏の裏手を通ってのお散歩です。

岩神沼で、獅子くん、いつものポーズです。

逆さ赤城も映っていました。

ひめちゃんは、物思いにふけってる?

後ろから、小次郎パパとタバサねーちゃんがやって来ます。

先日、満開の曼珠沙華の中で、摩崖仏には寄りました。

昨日はパスです。

摩崖仏の後ろを通って帰ります。

赤い柱の下が、高縄の摩崖仏です。

曼珠沙華の似合う風景です

こんなにみごとに曼珠沙華が咲いているところを通るのは、初めてです

 

 

新田義貞が挙兵したのは、生品神社(群馬県の旧新田郡新田町)だといいます。

ところが、利根川の南、深谷市にも生品神社がありました。

これは、新田の生まれの人間は、確認しておかなければなりません。

 

先日やっと訪問できました。

国道17号線(上武道路)の新上武大橋を渡って、まもなく左折して又左折して、新上武大橋をくぐり到着です。

前小屋天神とは、橋を挟んで反対側になります

鳥居です。

灯籠の背がずいぶん高い

本殿前には狛犬が鎮座です。

よく見ると、狛犬も高い位置に鎮座です

まるで打ち寄せる波に耐えて、岸壁でお仕事をしているようです

社殿の入り口は、堅く閉ざされています

とりあえず、門前で参拝です。

隙間から見えるのは、拝殿ですね。

本殿はまだ先です。

 

社殿の前には、由緒(?)です。

生品神社の創建は昭和初期ですって

そんあはずはありません。

古い社殿が昭和初期の建立だったのでしょう。

 

こちらも、よく読み取れません。

 

あちこち、この生品神社について検索しましたけど、わかりにくい表現が多いです。

由緒としてすっきりしているのは、

当地は、古くは上野国新田荘に属し、元久二年(1205)の源実朝下文案に、新田義兼の所領と記載されている。新田荘の総鎮守は、古代から崇敬された群馬県新田町の旧県社生品神社で、これは『上野国神名帳』に「従三位生階明神」と載せられている。当社は、この神社の分社で、おそらく新田荘の地頭であった新田一族により、新田荘高島郷の鎮守として勧請されたのであろう。

 

ここは、上野国新田荘だったのです

新田荘高島郷だったのです

 

天保2年(1831)10月29日、渡辺崋山は、前小屋天神の書画会に出席します。

そしてその夜は、島村の画家金井烏洲の案内で、高島という所の豪農で西洋医学の医者でもある、伊丹新左衛門宅に泊まります。

ここが、その高島だったのです

 

社殿の周りを、時計回りに一回りです。

こちらの古い灯籠は普通の仕様です。

背高のっぽの灯籠は、やはり洪水対策かな?

 

石造物もあります。

高島の文字がはっきり見えます

 

本殿も、堅く閉ざされています。

 

一回りして来ました。

まるで伊勢の二見ヶ浦の夫婦岩のような情景です

まさか

 

新田荘は、利根川の南にも広がっていたのです

 

 

 

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「山上の薬師の道」考

2020-10-06 15:18:00 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんちに、早咲きの椿が咲き始めました。

今年の一番乗りは、西王母でした。

絞りの花が早そうです。

白西王母も咲き始めました。

 

 

 

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

あれ、有明の月だ

画面中央・電線の下に、まだ有明の月がありました。

 

ひめちゃんたちは、諏訪神社の向こうを目指します。

神社の前から、久しぶりに妙義山が見えます。

あれ、浅間山だと思うけど、白いぞ

初冠雪の話はまだだったと思うけど

少し行くと、白くない浅間山が見えます。

なんだ、雲が懸かっていたんだ。

今朝はなぜか、妙義の岩肌もみえるような?

 

いつものUターン地点ではなく、もう一本先の薬師の道まで足を延ばします

 

雑草がウチバになってます。

凜としたひめちゃん、かっこいいよ

薬壺を持った薬師様、健在でした

薬師如来の文字も、わりとはっきりしています。

いつ頃のものだろう?

「慶応四」の文字が見えます

右側の薬師大日如来は、「明治」と見えます。

薬師大日如来って、初めてききますけど、まあ御利益を強く願った現れでしょう。

 

ここの薬師様は、慶応に明治、幕末から明治に掛けての造立のようです。

西洋医学は入ってきていたでしょうけど、まだ山上には到達していなかったのかな

この時代に、山上に天然痘などの伝染病がはやったのかな?

 

万病に効くという触れ込みの、山上・常広寺の竜骨も、正徳4年(1714)にやってきてから、はや150年が経っています。

もはや、効き目はなかったのかも知れません

 

赤城山もはっきり見えます

見返りひめちゃんです

この薬師様も薬壺を持っています。

 

もう少し北に行くと、また石仏群があります。

こちらは、大分地中に埋没して劣化しています

でも、たぶんさっきの方々と同じく薬師様だと思われます。

 

さて、早く帰って、朝ご飯にしましょう

東に進路を取ります。

山上の元・蓮田を確認です。

蓮ともども、稲は刈り取りが終わってます。

電気柵はまだあります。

来年蓮の花に逢えるかな?

 

 

 

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