黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

松ノ木の十二様

2021-05-25 20:11:11 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

強い日射しで、影もはっきり出てます。

獅子くんモコモコ、換毛真っ最中です。

ひめちゃんは、ちょっと神経をとがらせます

自転車の中学生が、登校の待ち合わせです。

大丈夫だよ

彼女らも、「おはようございます。」と明るく通り過ぎていきました。

 

赤城山の緑が、よく見えます。

おや、変な雲が出てます

 

ひめちゃんたちのママ・七海ママが逝ってからもうじき5ヶ月です。

最近、ママは安眠できるようになりました。

その顛末は近日中に報告します。

お墓も落ち着いて、花盛りの七海地蔵です

 

 

(5月5日)ビュースポットの道の反対側に、十二様前のバス停です

バス停があるって素晴らしいことです。

ひめちゃんちのある新里村は、桐生市に合併してから、バス路線はなくなりました

元々の桐生市には、しっかりと市バスが走ってます

 

階段を上がって、さらに参道が続きます。

鳥居の額は、十二山神社です。

 

振り返って、鳥居です。

「平成二十五年、松ノ木平」の文字が見えます。

 

拝殿です。

拝殿の奥が見えます。

とりあえず2礼2拍1礼です。

 

後ろには、石宮が2基です。

本殿ということでしょう。

文字がありそうですけど、ちょっと判読不能です

 

拝殿の後ろ、本殿の前を通って、境内を出ます。

十二様は、山の神ですね

 

貯水池というか、ため池というか?

 

リンゴ畑です。

リンゴの花が花盛りです

 

道なりに、ビュースポットに戻りました。

 

 

さて、後は迷わずに無事に、「道の駅あぐりーむ昭和」に到着です。

込んでます

利根郡昭和村のあぐりーむ、こんなに込んでるとは

(利根郡)昭和村は、ウィキペディアによれば、

・1889年4月1日町村制施行に伴い北勢多郡に久呂保村・糸之瀬村が誕生。

・1896年4月1日北勢多郡が利根郡に編入され、利根郡久呂保村・糸之瀬村となる。

・1958年11月1日久呂保村・糸之瀬村が対等合併し、昭和村が発足。

・1961年8月1日利根村の一部(大字生越)が昭和村に編入。

 

久呂保村・糸之瀬村が対等合併したのです

最近市町村を検索すると、対等合併の文字が目に付きます。

桐生市と新里村は、もちろん対等合併ではなかったようです

合併の意思を問う住民投票もありませんでした

多くの新里住民は、「40億も持参金持って桐生市になっても、何もいいことはなかった」と言ってます

 

道の駅の裏からも、鹿の子まだら的に雪の残る山が見えます

武尊(ほたか)山かな?

 

初めての案内です。

気持ちよく使用しできました

 

野菜とみそを買って帰ります

 

ナビを自宅に入れると、利根川を渡って国道17号線を帰るのが無難のようです。

にぎわうモツ煮の永井食堂を、素通りして帰ります。

そのうちに寄ってみたいとは思っているのですけど

 

 

 

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勝保沢・赤城山鳥居と松ノ木ビュースポット

2021-05-24 19:46:23 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は、第1陣でお散歩に出ました。

タバサねーちゃん&小次郎パパが、おかあさんと第2陣で出ます。

ハイシニアのふたり、用を足したので、帰りましょう

あれ、タバサねーちゃんがどうしても岩神沼の方に行くと引っ張ります

ひめちゃんたちが通ったのかな?

 

今朝は、タバサねーちゃん、はいポーズです

沼は静かで、誰もいません。

高縄の摩崖仏裏を通って帰ります。

 

もう田植えの準備が出来てます。

田んぼに逆さ赤城です

 

アマビエさんの前を通って帰ります

 

パパもがんばって歩きました

さあ、早く帰って朝ご飯にしましょう

 

 

 

5月5日、北毛(群馬県北部)の道の駅「あぐりーむ昭和」を目指します。

国土353号線をひたすら進み、溝呂木(みぞろぎ)で別れて、更に北上です。

 

勝保沢(かつほざわ 渋川市赤城町)のコンビニで一休み

榛名山が見えます

 

振り向くと、道の向こうに赤城山の額がかかった鳥居があります

額は赤城山です。

赤城神社ではありません。

聖なる山・赤城山への登山口があったのでしょう

残念ながら、ここから赤城山はよく見えませんでした

 

大きな庚申塔があります。

まだ現役のようです。

かつては、この付近もパワースポットだったのでしょう

 

このポールは前面に「六本木の十三塚」とありました。

裏側に、説明があります。

「赤城山を一望できる」云々の文字が見えます。

かつては、赤城山を一望できるビュースポットだったのでしょう

「多数の五輪塔や板碑、多数の戦死者を埋葬」の文字が見えます。

中世に於いて、戦乱の地でありまた戦死者を埋葬したのかな?

 

さて、コンビニのコーヒーで一息入れて、先を急ぎます

 

 

しばらく行くと、何だろう

「松ノ木ビュースポット」ですって

見晴らしがよさそう

 

案内板で、ここ昭和村の位置を確かめます。

ちょっと見にくいですけど、現在地を走る黄色い道をやって来ました。

めざす「あぐりーむ昭和」は、左上にあります。

「足湯あります」ですって

 

ビュースポットからの眺めを楽しみましょう

 

正面に見えるのは、子持山です。

裏から見るのは初めてです。

獅子岩(ししいわ)が、はっきりわかります。

後ろ姿は、案外厳しい山でした

左隣にはうっすらと、榛名山が見えます

 

西の山々です。

上越国境の山々かな?

まだうっすらと雪があるようです。

 

東を望むと赤城山です。

ひめちゃんちのある葛塚城堀之内からの姿と全く違います

 

あれ、道の向こう側にバス停があります

十二様前ですって

ということは、この先には十二様の社があるのでしょう

 

(つづく)

 

 

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ひめちゃんちのジャーマンアイリスコレクション2021

2021-05-22 14:06:57 | 日記

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場の方にお散歩です。

あれ、誰かいる

ヤギパパとボクです

よかった、生きていたんだね

今朝は、ひめちゃんが先にご挨拶です。

やっぱ、ヤギさんのいる牧場がいいよね。

 

道の後ろの山神様、パワー切れでなかったんだ

サマンサ坂を通って帰ります

 

 

 

今年ひめちゃんちのガーデンと畑に咲いた、ジャーマンアイリスです

 

ガーデンで今年一番に開花です

こんなに白い子がいたんだ

 

畑の方が、少し早かったかな?

けっこうブラックアイリスがあります。

草むしりはしたはずですけど、もう雑草の海です

スギナがいっぱい

 

黒い

 

ドラキュラキッスです。

オレンジのヒゲが目立ちます。

 

黒と言うより、高貴な紫かな?

 

不思議な色合いです

 

豪華な大輪です

 

白いのは、ゴールドキストだったかな?

小ぶりなので、切り花に重宝しています

 

微妙な色合いです。

 

紫の絞り、好みがわかれるかも知れません。

なかなか増えてくれません

 

こちらは凜として

 

似てますけど、違う花です。

 

きれいな水色です

シーパワーだったかな?

 

こちらは、とても古い品種です。

たぶん、妻沼の友人のところから、養女に来ました。

ミツバチさん、何してるの?

 

ピンとしたヒゲが目立ちます

 

こちらも、古い品種です。

でも、それなりの味わいがあります

たぶん昔、深谷の花フスタでジャーマンアイリス園に行った時、おまけでもらったと思います

 

目の覚めるような、オレンジのセルフです

 

見かけの割に、丈夫です

 

かなり古くからあります。

もしかしたら妻沼から養女に来たかも知れません。

おとなしそうな色合いです

 

好みが分かれそうな花です

 

鮮やかでありながら、落ち着ける色合いです

 

 

まだまだ咲きそうですけど、本日はこの辺で

 

去年は大分植え替えをしました。

けれども、うまく成長しなかったようです。

今年は植え替えをなるべくしないでいきます。

梅雨本番の前に、草むしり頑張ります

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長楽寺大通庵の面影を訪ねて・後編

2021-05-21 14:45:24 | 群馬県・東毛

今朝は、雨止みをぬってのお散歩です。

あまり遠出は出来ません。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北の方を歩きます。

赤城山は全くその姿を見せません。

この間咲いたヤマボウシの花は、もうう盛りを過ぎかかってます。

田植えの準備が始まってます。

何だろう?

ひめちゃんたちには、理解不能の怪獣がいます。

おや、向こうから見たことある2人がやって来ます

タバサねーちゃんと小次郎パパは、お帰りのようです。

ひめちゃんたちは、もう少し歩いて行きまーす

 

 

 

(大通庵の石造物かと思われる)何となく寂しい石造物を後に、蓮池に出ます。

 

あれえ、また水がない

去年の暮れに来た時は、池の水が復活して、なみなみとしていました。

どうしちゃったんだろう

今日は、アオサギがいます。

少ない池の水の中に、鯉がいます。

 

渡月橋の南には、ほとんど水がありません

 

渡月橋を渡って、三仏堂を振り返ります。

後ろには、裏からの勅使門です。

勅使門から渡月橋を渡って三仏堂まで、まっすぐだったのです

 

葵の御紋がある世良田山の山門を出ます。

北方の信号・世良田の方を望みます。

カメラを向けずらい、民家です。

山門の斜め後ろの景色です。

民家になってますけど、大通庵のあたりです。

今度はちゃんと歩く用意をしてきて、大通庵の外側でも歩いてみましょう

 

枯れそうな蓮池を嘆きながら、東照宮境内に戻ります。

長楽寺を天台宗に改宗し、古い日光東照宮を世良田に移築した、天海の文書のようです。

大僧正天海と署名し、その後が花押ですね

天海の文書にはこの花押があるのでしょう。

ないのは偽物ですね

 

黒門近くの小さな建物は、上番所です。

出仕した村々に、実家の村もあります

へええ、ご先祖様も出仕していたかも

利根川の南の村々もたくさんあります

血洗島(ちあらいじま)、渋沢栄一の生家は血洗島でしたね

なんとなく渋沢栄一記念館の裏で、赤城山を見ていた渋沢栄一の像に納得です

血洗島の人々は、利根川を越えて、東照宮の助郷を務めていたのです

大雨で利根川が増水したといっても、じゃあ来なくていいよとは行かなかったでしょう。

増水した利根川を渡る手段を有していたのでしょう

 

何気なく「群馬県一太いソメイヨシノ 樹齢年不詳」の文字が目に入ります。

へえ、そうだったんだ

今度は、桜の季節に逢いましょう

 

 

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長楽寺大通庵の面影を訪ねて・前編

2021-05-20 19:34:11 | 群馬県・東毛

今朝は雨が上がっていました。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

あれェ、黄色い帽子の集団だ

急遽、脇道に避難です。

子どもが苦手なひめちゃんは、まだ落ち着きません

もう一組黄色い帽子の集団がやって来ます

こちらに曲がらずに行ってしまいました

よかったね

やっと獅子丸と情報収集です。

大好きなケンくんちの畑で、はいポーズです

ルピナスの種、もうじきはじけそうだね

 

 

 

世良田の長楽寺文書に、次のような文書があります。

沙弥道羸寄進状案(しゃみどうるいきしんじょうあん)

上野国山上保窪井村善昌寺事、依其志候、為現当二世之世良田長楽寺塔頭大通案末寺、奉寄進永代之處也、然者弥々造営御興行段、可為本意候、若於子々孫々中、違儀申輩候者、可為不孝之仁候、仍為後日状如件

応安六年二月九日    沙弥道羸 在判

大通庵主妙珪都寺禅師

つまり、山上保窪井村(やまかみほくぼいむら)の善昌寺は、応安6年(1373)世良田長楽寺の大通庵に寄進されていたのです。

そして、大通庵は江戸時代の長楽寺の絵図にもあります。

じゃあ行ってみよう

 

新田荘歴史公園の駐車場に駐車です。

この方に挨拶してから、長楽寺に向かいます。

こんにちは

 

まず、史跡普光庵跡を確認です。

長楽寺第五世法照禅師の墓所です。

その徳を慕って建てられた普光庵跡です。

長い間、その所在がわからなかったのですか

法照禅師は、弘安5年(1282)に、長楽寺の第五世住職となったのですね。

上野国山上の行仙上人は、弘安元年(1278)に亡くなってますから、逢ってませんね

 

長楽寺改宗の時に、普光庵は最初に圧力に屈し、天海側に帰順してしまったということですね。

それなのに、場所が長い間分からなかったなんて

 

いつもはなにげなく通過してしまうスポットですけど、今回はちょっと感無量

 

 

普光庵跡の前には、史跡真言院井戸です。

ここでは専ら密教をつかさどり灌頂を行った。

灌頂とは、真言密教の儀式の一つで、頭の頂に水を濯がれ、それによって僧侶として一定の資格を得る事である。この時使用する閼伽(水)は極めて神聖なものとして重視された。真言院井戸は、この灌頂に用いる浄水を汲むために設けられたものである。この水で灌頂を受けるために諸国からここに参集した。

 

ここは、そんなすごい井戸だったんですか

今まで見過ごしていました

 

 

世良田東照宮の案内板です。

普光庵跡、真言院井戸、左の端にあります。

 

開運稲荷社を過ぎて、拝殿です。

今日は開け放たれています。

今日は東照宮に拝観料を払って参拝することが目的ではありませんので、拝殿前から2礼2拍1礼です。

初詣の時には、多分無料で奥の本殿まで行けたと思います。

 

御黒門を出て、長楽寺大通庵があったあたりに向かいます。

 

 

長楽寺太鼓門が見えてきました。

右斜め前方が大通庵のあったあたりです。

太鼓門の向こう・文珠山には、新田氏累代の墓があります。

今回はパスです。

 

右の三仏堂に出ます。

 

光り輝く巨大な三仏が祀られています。

数年前の初詣の時にお目にかかりました

 

元三大師の疫病退散の大きなポスターがあります

 

 

三仏堂の斜め前方に、石造物です。

うっそうたる木立の中に、何かもの悲しそう

この後ろ(北側)が、大通庵跡です。

僧形の墓石が、無造作に半分埋没しています

こちらは元気そうな青面金剛です。

この前を何度も通っているはずです。

でも、今回初めて、なぜここにあるのか、気になりました

たぶん後ろの住宅地にあった、大通庵の遺物なのでしょうね。

 

付近を、もう少し散策です

 

(つづく)

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