2012年04月26日
封印を解かれた『弁証法』
『書くことは考えこと』が事実!か?どうか!を確かめたく、幾つかのネットの掲示板で投稿を始めたのは、去年の初め頃であった。
その後、自分でもブログを!と私的にはトンでない思い付きを考えに考えて、遂にこの『悟りを求めて~』を書き始めてしまった。
始めるあたって想ったことは、物覚えが悪く、勘違いだらけで、学識も乏しい私が、これは事実だ!と胸を張って正しいと(ある程度の…)自信を持って書くことのできること、それは『自分』についてだろう~であった。
また、私が学びたいと感じた『弁証法』に、人生で出逢った時点までに、このブログの内容が書き進むまでは、『弁証法』は封印しておこう!と決めた。
その初めての出逢いが大学時代であったのである。
そして、弁証法性=事物の変化運動性に、五感をフルに使って全身で、自分から積極的に関わることになり、強烈に実体験させられたのが、教員になりたての一週間であった。
当時のその学校には、幼稚園児から高校生まで、そしてその保護者に同僚の教員と、幅広い人間が存在していた。 その中には、従兄弟・従姉妹が4人とその保護者たる叔父叔母…などの私と関わり深い人達もいた。
そんな多くの認識と、小三の児童三十数名の認識を中心に関わった!のである。
その関わり方に論理も理論もなく、知識もアヤフヤで、全く頼りにならない私であったのにも関わらず、児童や保護者、同僚の前では自信たっぷりの私を演じ見せ続けていた…その自信はどこからだったのだろうか?。
たぶん…若さ故の想い込み…若気の至り…だった!のだろうか?
また、私自身は小学校高学年より、学科の勉強を真面目にやり始め、秀才(単感覚的関わりが得意技)的に育っていた。。
そんな私にとって、イヤイヤの児童と関わりなら兎も角、自分からの積極的なあのような五感覚的な関わり方は、過去に体験したことのないほどに、私の頭脳に強烈な刺激を与え、当時のその実力以上に頭脳は働かせられた!のでだろう~。
もし当時の私に身体的に脆弱な部分があれば、また違った結果だった!のであろうが…。
幸か?不幸か?当時の私は、大学時代からの空手のための基礎体力作りで、日々のランニングに筋トレ、食事に睡眠に気を配っていて、五体満足で健康元気のかたまりだった!のである。
以上の理由から、その実力以上の強制的頭脳の使用=過去とは大きく異なった感覚器官の使わせ方による神経の使われ過ぎの結果、私の認識はそれまでとは違った像を思いを描いてしまい、そんな認識ゆえに、その像を疑うことなく信じて行動してしまった!のだろう~。
その後の自宅療養の結果、一か月後には、認識も落ち着き、無事教壇に復帰した、のだが…。
その1ヶ月間の日々の認識の変化・運動といったら、人生23年間で初めての体験でだった。
ある日は「自分は世界で一番偉い!周りは皆バカだ!」的に周りの他人を睨み散らし…
また、ある日は「自分は周りから野良犬に見えている!に違いない!」と頭を下げ俯いて歩き、絶対に他人とは目を合わせようとしなかったり…
そして、ある日は、ただただ「ぼ~」と歩くだけだったり…~のように過ぎていった日々…。
そして、ある時にズボンをはいていたら、ズボンは見えていて、はいている感覚もあるのに、でも…私は「このズボンは見えているが…きっと本当は存在していないし、はいてもいない!に違いない!のでは?」と自分の視覚、触覚を否定して、感覚に疑いを抱いてしまった…のである。
このような異常な体験の数々も、弁証法的に考えると、納得のゆく過程的結論を得ることができる。
これが、弁証法的過程的結論である以上、今後も~私が自己の認識を弁証法的変化・運動させることで、その相互浸透的量質転化化での、その時どきの私の認識の変化・運動により、上記の結論も変わってゆく!のだろう…?!
きっと…私はこの出来事を死ぬまで~想い考え続けて生き生活してゆくのだろう~♪♪♪