新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「臨済義玄」お宅へ…

2021-11-21 12:05:42 | 滅ぼし合う対立物の統一


「臨済義玄」お宅コメントへの自由びとコメント…



私は、妄想には、
自分に役立つ正しい妄想の仕方と、
自分をダメにする間違った妄想の仕方がある、と考えている。

正しい妄想とは、他人の事実と自分の事実を比較して、
異なっていた時、その他人の事実が自分の成長に役立つモノなら、
それが己の事実であるかのように妄想する仕方、
ダメな妄想とは、自分の事実を他人に押し付けて、それがその者の事実であるかのように妄想する仕方」

良い妄想の仕方、他人の事実は自分の事実(他人に出来るなら自分にも出来る)
悪い妄想の仕方、自分の事実が他人の事実(他人に出来ても自分には出来ない)


以下は、そのダメ妄想の見本の典型である。
私、この「臨済義玄」の現実生活を知らない。

この「臨済義玄」お宅も現実の私を知らない…
更に「臨済義玄」お宅は、このブログで書かれている私の事実を全て嘘だと信じている。
これで、以下のようなコメントが書けているとは…

「臨済義玄」お宅にとっては、有名人・学者・一流の人々の言葉・知識が正しい・事実…だと思い込んでいるようである。




以下のコメントは、内容があまりには、妄想が個人的・非社会的である。


・コメントが届いた記事
いのち歴史の弁証法性~

・コメントが届いた記事のURL
https://blog.goo.ne.jp/satori2017dragong/e/ab4f8737330803769809dd7627d3fa24

・コメントを書いた人
臨済義玄

・コメント


「ちょっと失礼な言い方になるかも知れませんけど、自由びとさんの生き方は南郷さんが説いて導いている生き方とは違うように思います。」


<こいつは馬鹿か?>
<何をもって「南郷さんの説いて導いている生き方と違うように思」ったか?>



「自由びとさんの「自由自在に生きる」という目標は抽象的すぎて私には皆目理解できませんけど、南郷さんが『弁証法・認識論への道』で説いていたのは「一流の人生」ということで、実社会で「一流の人」だと評価されるような人物になれということじゃないかと思いますよ。」


<ヤッパリ馬鹿だ!>
<私の自由自在を分かっていないのに…>
<南郷氏は、『一流を目指して努力・頑張れと書いていて、一流になれと書いていない』>



「そのためには自分が将来どうなりたいのか?の見本となるような師匠を見つけて弟子入りする必要があると思いますね。」


<ここも馬鹿な記述だ!>
<南郷氏には、現実に師匠なく、書物の中の人物を師匠としていた…>



「私も結構いい年齢までそのように自分のロールモデルとなる「この人みたいになりたい!」と思う人を見つけて真似をして生きるということをして来ずに自分の考えだけで生きてきましたから、大したレベルには到達できずに来てしまいました。」

<それは、その人の認識を学ぶべきであり、その人自身を学ぶ必要はない>
<どんなに真似ても、自分は他人そのモノには、なり切れないモノであろう>

「私は玄和会でも南郷学派でもありませんけど、見習うべきところは沢山あると思うんです。

自由びとさんは具体的な個人名を挙げることを嫌いますけど、やはり見習うべき個人をシッカリと見定める必要があると思いますね。「大志だ何だ」といったことは、そのもっともっと後のことで、さもなければ自分が頭に描いた大志とやらの重圧に負けて生きて行けなくなりさえしますから。」


<犯罪者を見習えば犯罪者化するだろうに…>
<その重圧に耐えるのが「オス!」=押して忍⇒重圧を押し返して忍び耐える>

「亡くなった××さんも就職した保育園の園長先生を目標に「あのような保育士になりたい」と頑張ったのだと思いますし、×××さんも業界で凄腕だと評判の治療家に弟子入りして目指し続けましたでしょう?」


<だから…私は南郷氏の弁証法・悟り・悟得の境地に到達したく南郷氏から学び続けている>
<南郷氏は精神であり、個人的実態でない>


「大体が『学城』に執筆してる人たちは専門分野で結構高い地位についてるみたいで、ネットなんかで見ると××さんなんかも大学教授になって放送大学なんかでも番組もってるみたいですしね。
放送大学で看護学の授業をするなんて、私はむかし薄井坦子さんの放送大学の授業を見たことがありますけど、看護学で国立大学の教授から学長になって全て自分の意向のカリキュラムにしたなんてのは、その分野じゃ最高の成功者・成功事例でしょう。」


<彼らは、南郷氏から南郷氏の弁証法を習得・体得し、それを現実世界へ適用・駆使した結果に過ぎない>


「××さんなんかは大学で学生に指導しつつも埼玉県の看護協会で現場で働いている看護師さんたちにも指導してるみたいですし、現場で管理職なんかやってる指導者を指導する「先生の先生」みたいなことしてるみたいですから、やはり目標をシッカリ見定めて歩いてきたのだろうと敬服しますよ。む


<これって、お宅と他人の比較? それとも自由びと他人比較?>


「『学城』の真似をしている『自由學藝』の執筆者さんたちも、それぞれの専門分野の超一流だと評価されてる人たちに実際に弟子入りして学び続けたみたいですし、私も自分の師匠はシッカリと見定めて学び続けています。」


<ならば問おう!>
<お宅は、その師匠から「他人を批判しろ!」精神を学んだの?>
<他人の言説を一々貶し、否定し、…続ける事を学んだの?>

<南郷氏は書いている…『私には師がいなかった』>
<だから…先入観なく、ここまで到達した!>


「自分なんかの独力なんかじゃ無理ですよ、たかが知れてますから、出来ることなんか(笑)。

だから南郷さんが何処かに「ヘレンケラーが凄いのではなく、サリバン先生が凄いのだ!」と書いていたように、みなそれぞれに自分の分野のサリバン先生を探して師事したのだと思います。む」


<分野別に学べるのは、専門的知識であり、その専門性・専門的な弁証法>
<一般的な弁証法・弁証法一般は学べません>
<上記の弁証法が学べないと、専門的知識・部分的知識のままで終了>
<だから…南郷氏の著書や南郷学派の記述に学んできたのだ…>


「××さんなんかは自分が師事した園長先生の実名を出してましたけど、名前を出してない××さんや××さん、××さんとか絶対に目標にして真似した医学・医療の専門分野の師匠がいたはずですよ。」

<は~は…お宅には理解でないようである…>
<彼らの師匠は、現実・事実の弁証法性である事が…>


「さもなければ、自分だけの独創で歩んだとしたなら到達した地位が高すぎます。」

<これって…お宅の嫉妬心?!>


「自由びとさんは南郷さんに憧れて「私は南郷継正である!」なんて書いていたことありますけど空手家を本職にする気はないのでしょう?南郷さんのように空手家として収入を得ていくのでしたら毎日の練習もしないといけないでしょうし、税務署の手続きなんかも学ばねばならないでしょ?」


<本当にヤッパリ分かっていない!>
<私の目的・目標は、初めから「玄和会・南郷・武道空手を通しての悟り」の体得である事が…>
<馬鹿!私は不動産・家賃・収入で毎年に確定申告を自分でやっているよ!>


「今は学校の教員ですから税金は天引きで自分で確定申告する必要もないでしょうけど、自分の道場を開いて月謝を取って教えるようになったら事業主として所得税の支払いも自分でやらねばならないでしょう。
おそらく南郷さんも毎年毎年、税務署に行って確定申告してたと思いますよ。」


<馬鹿・バカ・大馬鹿!お宅は自由びとの現実・事実を全く知らないのに…>
<お宅の自分勝手な妄想で自由びと現実を確定している>


以下は、お宅の妄想の発展的記述…阿保らしくなったので終了!
と思ったけど…
<私の考える「人間の強さ」とは、道具を駆使可能な人間の強さとは、その精神の強靭さ」







「そういう現実的な生業をしないで「ボランティア」なんて阿呆なこと言ってて一流の人生なんぞ見えないんじゃないかと思いますよ。

でも自由びとさんの文章を読んでると空手家として生きて行くような気概や覇気は感じませんねぇ。
何となく「今やってる教員補助の仕事は生活費のために仕方なくやってるけど、これが私の本当にやりたかった仕事なんかじゃ無い!」みたいな、南郷さんが書いてる本を読んでるほうが面白いから、それを題材に文章にしてるだけ、みたいな後ろ向きの人生を感じちゃうんですよね。」


<私が求めていたのは、人生を自由自在に生き抜く精神的強さと人生・世界・心・頭の「悟り」であり「悟得」>


「やっぱり××さんとか×××さんとか、×××さんとか××××さんなんかを見てると「一流の人生を目指す!」というのは教員補助を目指して教員補助の真似をして「将来は一流の教員補助、もしくは乞食」なんて思想にはならないのでは無いか?と思いますよ。」


<だから…私は一流を求めていません。それでも一流を使うなら>
<「一流>の「悟り」と「悟得」の体得ですかね…>


「義務教育の関係者だったら校長だとか教頭だとか、あるいはもっと別の腕のいい授業をしてる先生だったりするんじゃないか?と思いますね。」


<お宅の思いで自由びとの思いではありません!>


「そうした目標だとか師匠だとかが何をどうしているのか観察して真似をすれば、自分で一から考える必要がありませんから「大志」だなんだと空虚なことを考えなくても良いのでは?」

<馬鹿!バカ!大馬鹿!>
<過去に何も考えずに一流企業に就職した者達が、会社倒産でホームレスになったりしたのに…>
<「大志」とは、現実の理想像ではなく、論理的・観念的な理想像なのに…>



「私から見ると自由びとさんは弱いんだと思います。空手をやっても弱さを克服できなかったんだと思う。
それが南郷さんへの依頼心というか、自分の主体的な生き方を持っていなくて、自分より弱そうな人間を見つけて虚勢を張りたいのだと感じます。」


<お宅の幻覚ですね!>
<仮に自由びとが弱い者なら、お宅は弱い者をイジメている弱虫であろう>
<「弱い者」=人間以下の「弱虫」=虫レベルですよ!>
 
「南郷さんは自由びとさんがここに書いてあるようなことを書いてることを喜んでいるんでしょうか?

私にはそうは思えませんね。」


<南郷氏が、自由びとブログ=精神世界を除いて、一々喜ばないでしょうね…
<お宅は、私の精神世界へ土足で踏み込んで>
<お宅の勝手に妄想する事実を自由びとの事実だと思い込んでいる…>
<これが現実世界なら、精神異常者ですよ!>

<それって、お宅の観念内だけの「自由びと想い」が、自分の外の「現実的な自由びと」存在と思い込んでいる…>

もしかして…お宅って「自由びとに惚れているね♪♪♪
それって…「一目ぼれ」ではなく、「一読ぼれ」なのかもね…




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