新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「一つ」とは面白い言葉である。

2018-09-21 11:33:30 | 言葉・概念


先刻、視た録画ドラマ「東京ラブストーリー」の中で、
以下のような会話があった。


リコ:「一つ聞いていい?」
完治:「もう、聞いてんじゃん!」

これを、言葉を聞いた・字幕を視た時、
なるほどと痛感した。

この会話では、
「聞いていい?」と
「一つ聞いてしまっている』
からである。


こう考えると、
「沈黙は金」というコメントをソクラテスが書いたなら、
ヤッパリ!ソクラテスは言動不一致の己を知らない無知者である。
本当に、「沈黙が金」と実感・痛感している者なら、
ここで、「沈黙は金」とは書くべきではない。

もっとも…「沈黙」とは黙っている事・話さない事だから、
黙って書き続けるのは「沈黙」しつつ書き続ける、であるが…


一つの筈が、二つ目の分かった事になってしまった。
弁解を一つ、書きたかった一つとは以下のような事。


絶対的観念論者の愚案くんは、
「絶対真理はある」と絶対的自信を持って言いきっている。

この言葉は、真理だろうか?

先ず、唯物論的事実に考えよう!
真理とは、人間にとっての真理。
人間とは、認識的実在である。

認識的実在の人間とは、
対象を(動物的)本能的ではなく、認識・精神・観念的に把握する。

認識とは実体の機能であり、それは無限的な働きが可能である。
でも、それは実体・身体の機能であるから結果的に有限的なモノである。
もっとも、個体ではなく人間の総体・人類の機能としてなら無限足り得るが…

人類は続いていても、個体の人間は誕生と死亡の繰り返しである。
また、個体の人間は無限の対象と有限的に関わり把握していくモノ。
そして、人類は個体に比して無限的であっても、
世界・宇宙に比べれば、やはり有限である。

宇宙・世界の真理とは、無限の世界・宇宙の真理である。
もっとも…人類の存在し続ける世界は有限だろう。

仮りに、人類の存在可能な世界の真理を「絶対真理」と言うなら、
その「絶対真理」も体得し得るだろう。

しかし、真理に「絶対」という言葉を付けるからには、
人類に有無に関係なく、「無限的宇宙の絶対真理」となる。
そんな無限的宇宙の「絶対真理」も、絶対にない!と言いきれない。

ここで、無限的宇宙の「絶対真理がある」と仮定しよう。
これは、唯物論的「直観的本質論」と言えようが…

存在するだろう無限的宇宙の「絶対真理」だから、
例え人類といえども、宇宙に比べれば有限であるから、
結果的に、
有限な人類には、無限的宇宙の絶対真理の体得は不可能である。
可能なのは、人類が、存在可能・想定・想像可能な世界の真理である。
それでも、その真理へは時代ごと一歩一歩の歩みが必要であろう。


愚案君の言葉「絶対真理がある」は正しい・真理だとしても…
人類は、「絶対真理」に近づき続ける事は可能でも、
絶対に、「絶対真理」への到達は不可能であろう。


なのに…「絶対真理の体得」とか「ヘーゲルは絶対真理」とか…
未完成品をを既完成品と誤解している、
現在の愚案くんに発展的未来はない!と私は確信している。

89歳の父親も、そしてあと少しで62歳の私、
そして、私より若いと宣っているソクラテスも…
それぞれの観念は、それぞれに実体化していて、
「己が正しい!」という無自覚的先入観・確信の元で
生きてしまっている、のだろう。


天寿堂の愚案くんの言説を、そのままに理解・納得してしまう事は、
己の変化・成長・発展を阻害してしまうだろう。


あんな、
スパイでは絶対にあり得ない、
流雲さんをスパイと自分勝手に確信して…

当時はゼミの指導者であった彼なら、
直接に詰問して正誤確認が可能だったのに、
それをせずに、勝手に確信してしまった彼…

悲しく残念な事に
真の「絶対真理」へ到達の当然に不可能だろうし、
それに近づく事さえも、絶対的に不可能であろう。








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