悟りを開くとはどのような意味ですか?
悟りを開くとはどのような意味ですか?
- 最も的確な表現は「本当の自分を知るこ... - Yahoo!知恵袋
ID非公開さん
2019/5/9 19:14
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悟りを開くとはどのような意味ですか?
悟りを開くとはどのような意味ですか?
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imo********
imo********さん
2019/5/10 18:07
最も的確な表現は「本当の自分を知ること」だと思います。 ほとんどの人は「自分」を錯覚しているのです。驚くかもしれませんが、この身体が「自分」であるという感覚は錯覚なのです。 「自分」の「服」と言うように、「自分」の「身体」と言いますね。「自分」と「服」が別々のものであるように、「自分」と「身体」は別々のもののはずです。 ではこの「自分」とは何でしょうか。どこにいるのでしょうか。 この「自分」を見つけることはできないはずです。しかし、悟りをひらくと、この「自分」を知ることができるのです。この「自分」は時間も形もなく、永遠不滅の存在であることを知るのです。つまり、「自分」はこの宇宙より大きな存在であることが分かるのです。また一切が「自分」でもあるのです。 このことがわかると、死も恐れず、この世の一切の価値あるものが、取るに足らないものであることが分かるのです。 よろしかったら、エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」をお薦めします。
簡単には「因果応報」で良い結果には良い原因があり悪い結果には悪い原因があり、すべて自分が蒔いた種なのだから、悪い結果を避けて良い結果を招くように自分を律して生きていくべき、ということでは?
その仏教観が根づいていたから昔の日本人は「自責」という「自分が悪かったのだ」と自分を責める性質をもっていた、と。
でも、それが行き過ぎると生きにくいから昨今は欧米流の自由な風になってきている、と。
仏教の修行の中に「我慢する」という要素があるのも我慢しないと因果応報で更なる悪い結果が生じると「悟っている」からでは?
まあ、もっとも自由びとさんは自分が先生で私(雲海)が生徒であるかに強引に持っていこうとしていますから、引用文を生徒(雲海?)が読んでどんな感想を書くかを高み(教壇)から見てみたいという気なのかも知れませんけどね。
私は「この《悟り》という言葉」は言語の恣意性から、それこそ自由びとさんが言うような「人それぞれで意味が、概念が違」ってもいいものだとは思いますけど、このことは「時間と空間」を考察の対象とするべき事柄だと考えますね。
つまりは私自身は日本で生まれ育った日本人ですから、その日本にある「歴史的な日本文化」において悟りという言葉は独特の意味を持っていると思います。
それは究極の?始原が古代インドのヴェーダ宗教にある「アートマン」であったとしても、日本には仏教教典である「大般若経」として、玄奘の漢訳した「到彼岸」という言葉として入ってきたという事実です。それが日本において律令国家が建国され続日本紀が編纂された時期からの「国家的宗教としての仏教」という国民文化に深く浸透した「社会心理学的な」モノとして重要なのだと考えますね。
つまり暦の上での「お彼岸」だとか、国民的作家であった夏目漱石の「彼岸過迄」の小説のようなところまで日本人の潜在意識・無意識に広く行き渡っている日本文化という視座から見る必要があると考えますね。
直接にインドのヒンズー教だとか、そこから派生したオカルト文化のアートマンを想定している論者もいますけど、それは日本人という観点からいったらマイノリティですし。
中国人の自由びとさんは基底にある文化が違うからピンとこないかも知れませんけどね。
「植芝盛平伝」の中の「我黄金体と化す」でした。
なので…私の「悟り」は、宗教と全く無関係です…
ただ…植芝盛平氏は、宗教的だったようですが…
植芝盛平 - Wikipedia
>「突如大地が鳴動し黄金の光に全身が包まれ宇宙と一体化する」幻影に襲われるという神秘体験に遭遇、「武道の根源は神の愛であり、万有愛護の精神である」という理念的確信と「気の妙用」という武術極意に達する。
彼の その瞬間の感動に 私も感動しての「悟り」を求めて でした。
だから玄〇会の武道空手に「武道の悟りの境地」を求めていました。
お宅は、大きな誤解をしいますね。
日本生まれの日本育ちの私の文化の基盤は、大和・日本文化ですよ。
因みに、中国の「悟り」とは、
たぶん「借力 - Wikipedia」・気功 - Wikipedia」のような
「気が通る」といった状態でしょうかね…