ポチの女房

専業主婦のつぶやき

カーネーション 第48回

2011-11-26 21:23:57 | カーネーション
優子ちゃん、誕生おめでとう!新しい命が生まれることは、偉大なことです。
何事もなく生まれてきてくれてありがとうと言いたくなります。

昭和10年(1935)1月。糸子と勝とハルの三人暮らし、板についてきました。勝が2階で紳士服を始め、家内安全、商売繁盛。
ハルから「今日こそ、ちゃーんと同じ部屋で寝り。ちゃーんと夫婦で話し。」と言われ。
糸子は勝と向き合って話をします。こういう話をすることが、夫婦生活を続けるための基本のように思います。糸子は「普通の奥さんみたいに、細々した家族の世話やら死ぬまでできへんかもしれん。そんなんやけど、ええか。」勝は「かめへん。あんたは、思うように働いてくれたらええよ。」家事などは、ハルにやってもらおうということに。そのために、ハルには長生きしてもらわないと。
妻の仕事に理解のある旦那さん、当時としては画期的な気がします。

昭和12年(1937)1月。小原洋裁店は、オハラ洋装店に。縫い子も静子や他にも雇います。
善作と千代が訪ねてきて。

《今回のオモロー》
善作が「店ちゅうのは、おできと同じや。急に大きゅうしたら、あとはつぶれるだけや。」「うちの店は、おできと違うよって。」
店をおできにたとえるなんて、善作らしいといえばらしいですが。

臨月の糸子は、大福を食べるシーン。
しんどい陣痛のあと、赤ちゃん誕生。かわいいです。生まれたて?
「よう頑張ったなあ。」と千代が糸子の頭をなでるところも、良いです。
善作のじじばかぶり。「明日から、昼間は、わしが優子の面倒、みちゃら。はよかせ。」

昭和12年(1937)9月。(忙しい一日が終わって、優子をおぶって歩くこの時間がしみじみ好きでした。せやけど優子とおると自分が弱なった気がします。こんなふにゃふにゃした子が、しっかり大きなるまで、何事も起こらんでくれるやろうか、世の中は平和であってくれるやろか。)昔を思い出します。子育て時期は大変ですが、あとから思うととても懐かしいです。なかでもこの子が、ちゃんと大きくなってくれるのだろうかと私も思いました。
勘助に赤紙がきます。

あわただしい一週間でした。あっという間に、生地屋をやめて独立、結婚、出産と。新婚生活、もっと見たかったなとも思いますが。
小原糸子の人生は、波瀾万丈なのでしょう。