「旧」と書くのも寂しい気がしますが、もう引っ越ししちゃったのです。
岡波総合病院の傍にこの「跨線橋」はあって、
ここに至るまでの道は狭くて、歩くにはいいのだけれど、
車での対向にはちょっと難儀な道でした。
でも、お散歩のついでにちょっと足を延ばすのに最適な場所です。
2020年には「登録有形文化財」に答申され、
2021/2/4に正式指定されました。
(当時の過去ログ)
今回の訪問目的は「跨線橋と電車」を一緒に撮れないかと…
もひとつは、「旧・岡波総合病院と跨線橋」の
思い出ツーショット狙いも兼ねて、です。
茅町駅方面からの電車をやり過ごして(気づくのが遅かった )、
次に伊賀神戸方面からの電車を待つことに、その間約25分ほど。
「跨線橋北側(茅町駅寄り)
※この道は「市道桑町工業高校線」(現・白鳳高校)。
「跨線橋上煉瓦の欄干と遠景」
※登録有形文化財HPより
≪伊賀鉄道の桑町駅近くに築かれる橋長13.4mの煉瓦造単アーチ橋。
アーチは煉瓦四枚積とし、単線の鉄道に架かる。
欄干は十字形の開口を設け、足元の蛇腹は煉瓦を斜めに並べて
帯状の突起とするなど、精緻な意匠が特徴的である≫
「跨線橋南側(桑町駅寄り)」から
田中善助が社長に就任し、 上野ー名張 (のちの西名張駅) 間が開通したのが大正11年7月のこと。
※伊賀の郷土史/伊賀鉄道の開通より
そういえば、この煉瓦(レンガ)の積み方には見覚えがある…
昨秋、JR加太駅界隈の鉄道遺産群の見学に行った時、
多くの「レンガ積み」の橋梁や跨線橋などを見て、
明治の時代から残っており、未だに現役であることに感動したこと、思い出しました。
この「伊賀鉄道/桑町跨線橋」は大正時代に出来ており、
知人(愛宕町)から、ボクのおじいさんが煉瓦職人で
数多くの「レンガ積み」を手掛けてきた、と聞き及びました。
その話の中で「田中善助が上野の町に電車を通そうとしたときに造った」と。
おそらくこの跨線橋のレンガ積みは『イギリス積み』ではないかと思うのですが、
文化財の紹介欄では表記されていませんので、間違っていたらゴメンナサイ。
※「煉瓦の積み方」(加太駅界隈鉄道遺産群探訪より)
ほんの9秒ほど、あっという間の通過でした
いろいろ工夫して撮ってみたいのですが、
電車と「密な関係」になるには「時が必要」かと…思われます
ではまた。
岡波総合病院の傍にこの「跨線橋」はあって、
ここに至るまでの道は狭くて、歩くにはいいのだけれど、
車での対向にはちょっと難儀な道でした。
でも、お散歩のついでにちょっと足を延ばすのに最適な場所です。
2020年には「登録有形文化財」に答申され、
2021/2/4に正式指定されました。
(当時の過去ログ)
今回の訪問目的は「跨線橋と電車」を一緒に撮れないかと…
もひとつは、「旧・岡波総合病院と跨線橋」の
思い出ツーショット狙いも兼ねて、です。
茅町駅方面からの電車をやり過ごして(気づくのが遅かった )、
次に伊賀神戸方面からの電車を待つことに、その間約25分ほど。
「跨線橋北側(茅町駅寄り)
※この道は「市道桑町工業高校線」(現・白鳳高校)。
「跨線橋上煉瓦の欄干と遠景」
※登録有形文化財HPより
≪伊賀鉄道の桑町駅近くに築かれる橋長13.4mの煉瓦造単アーチ橋。
アーチは煉瓦四枚積とし、単線の鉄道に架かる。
欄干は十字形の開口を設け、足元の蛇腹は煉瓦を斜めに並べて
帯状の突起とするなど、精緻な意匠が特徴的である≫
「跨線橋南側(桑町駅寄り)」から
田中善助が社長に就任し、 上野ー名張 (のちの西名張駅) 間が開通したのが大正11年7月のこと。
※伊賀の郷土史/伊賀鉄道の開通より
そういえば、この煉瓦(レンガ)の積み方には見覚えがある…
昨秋、JR加太駅界隈の鉄道遺産群の見学に行った時、
多くの「レンガ積み」の橋梁や跨線橋などを見て、
明治の時代から残っており、未だに現役であることに感動したこと、思い出しました。
この「伊賀鉄道/桑町跨線橋」は大正時代に出来ており、
知人(愛宕町)から、ボクのおじいさんが煉瓦職人で
数多くの「レンガ積み」を手掛けてきた、と聞き及びました。
その話の中で「田中善助が上野の町に電車を通そうとしたときに造った」と。
おそらくこの跨線橋のレンガ積みは『イギリス積み』ではないかと思うのですが、
文化財の紹介欄では表記されていませんので、間違っていたらゴメンナサイ。
※「煉瓦の積み方」(加太駅界隈鉄道遺産群探訪より)
ほんの9秒ほど、あっという間の通過でした
いろいろ工夫して撮ってみたいのですが、
電車と「密な関係」になるには「時が必要」かと…思われます
ではまた。
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