教えられたその俳句、「一目の居」。まず何と読む…

2024-01-18 16:28:33 | つれづれ思うまま
とある会報誌を担当しているのですが、勉強不足でわからないことだらけ。
不勉強を恥じつつ、せめて知り得たことは足跡や句碑だけでも探したいなぁと。
昨日は晴天だったので、咄嗟に思いついた"勝手"💦取材報告。

場所はココ ↓
  
関西本線伊賀上野駅近く、たまたま気動車が…
あっという間の通過で構える間もなく、という感じ💦
遠くに「室生の山並み」、こんな風景が見渡せるところなんだ…
初めて訪れる場所ではないけれど、じっくり南方の景色など見たことなかったなぁと。(ここまで前段)

では、
伊賀人は俳聖芭蕉のことは「芭蕉さん」と親しみを込めて呼ぶのはこれ当たり前。
「俳句」も詠めないくせに偉そうに「芭蕉さん」と呼んじゃう。
これは子どもの時からそう呼びなさいと教えられたのだから仕方がない(笑)。
俳句に関わる人からしてみれば、「世界の芭蕉」を、「俳聖芭蕉」を、
「さん付け」で呼ぶとは…何事ぞ!?と言われそう。

そんなことを書くつもりではなくて、
芭蕉さんに比べれば、時代は新しい人ですが、
それでも我々にとっては偉大なる俳人並びに小説家でいらっしゃる「高浜虚子」さん。
親子三世代に渡って、伊賀にご縁の句碑があると聞き、確かめに行こうと…その事始め第一弾。


とりあえず、知る人ぞ知る
掛稲の 伊賀の盆地を 一目の居』という句碑があると教えていただいたので探しに。
車で出かけたので駐車場への入口で「句碑」はすぐにわかりました。
  

さて、この句を読んで「掛稲」(はさかけ、とも言う)はなんとなくわかる。
今は見かけることが少なくなった風景ですが、
特別に草鞋など必要な場合は「稲掛け」(家人曰く「ハサカケ」)が行われますね、
鬼町人間で「祭りには必需品」なので知っていますが。
機械化で稲刈りをするのでなく手作業でするその風景を「掛稲」と。
地方によって呼び方は様々と思いますが…

次に「一目の居」を何と読めばいいのか?
俳句なので基本「五七五」にしたい、ワタシは「いちもく」か「ひとめ」かどっちやろ?と悩む。
すると娘が(一応文学部出身なので)「俳句なんやから『ひとめ』しか読みようがないやろ」と…
確かに月ヶ瀬の梅林も「一目千本」とか言うよなぁと妙に納得。
その次に、
虚子さんは、伊賀の盆地のはさかけの様子を『どこから見ていたのか?』」と…
娘も「どこやろ?」と気になったらしく、
二人で考えました「伊賀の盆地で昔の田園風景がスッキリ見えるところ、さてどこだろう??」と。

調べに調べて(ネットサーフィンにて)真夜中近くになってようやく、
虚子さんのこの句が詠まれた背景は、
「芭蕉生誕250年の年」を前にして
「昭和十八年十一月二十三日 伊賀上野、友忠旅館。
 愛染院に於ける芭蕉忌 菊山九園居」
と出てきました。
愛染院にお参りし、その後「菊山九園のお宅」へ行ったのかな、と。
はて、『菊山九園』とはどこ? 再び検索に検索を重ねてやっとわかったのが、
どうも「上野の台地」の端っこらしい、と。

いろいろ妄想も加えつつ調べた結果、意外と身近なところで発見!
時代は遡りますが、2009年(平成21)の「ぶんと通信62号」

出ているではありませんか、この当時きちんと読んでいなかったのですね。
興味なく通り過ぎた時代だったか💦
おまけに、自分の過去ログに載せていた!という記録が出てきて、
ただビックリ!

2009/8/15「終戦記念日」の記事とそこに映る風景写真。
「あっ、『一目の居』ってここら辺」?

ぶんと記事中の「桃青中学校東端」付近、
写真の場所の奥は、確か(東)丸之内から平野の境辺り=上野の台地の縁付近かな…

「掛稲」の風景が見えたであろう「お宅(=居)」に高浜虚子さんは確かに居たのです。
句碑が建てられていたであろう「菊山九園居」は、今はもう無く、句碑も行く先を待っていたとか。
時が経って「前田教育会館」へ移築されていたということもわかりました。

知るチャンスがあったにも関わらず、知ろうとしていなかっただけのワタシですが、
なぜかスッキリと『一目の居』(ひとめのきょ)のことがわかり、悩んだけれどいい一日だったなと満足している自分。
(ここで思う、昭和18年前後の地図ってあるのだろうか?と)

最後に、前田教育会館でもうひとつ大切な句碑。
  
芭蕉さん『春は来し 年や行きけん 小晦日』。


奥には「庭園」。

HPを見ると他にも句碑はありそうなので、いずれまたゆっくりと拝見に行こうと思います。


どこまでも山に囲まれているんだな、伊賀盆地ってすごくない??(個人的感想なのであしからず)
四方を囲める山々
越えて溢れて外に出ん

帰ってきたくなる「故郷伊賀」にしたいものです。


ではまた

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4 コメント

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高浜虚子と (dawn)
2024-01-18 17:43:06
伊賀との関係を詳しく教えていただき、ありがとうございます。
高浜虚子が上野を訪れた昭和18年であれば、上野台地から北を眺めると、稲刈り後の「はさかけ」をあちこちで見られたことでしょう。
この句碑のある前田教育会館へは昨年12月の「伊賀上野しょうもん亭」の際に伺いましたが、同会館玄関横にあるのがこの句碑なのでしょうか。また行く機会があれば、じっくり見てみたいと思います。
それにしても、前田教育会館横を走る気動車は最も速く走るところなので、よく写真に収められましたね。
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気動車は速かったです (kuro&hana)
2024-01-18 18:14:56
ほんとにこんなスピードで走るの?
もうすぐ駅なのに、、と思いつつでした。
スマホがもっと早く反応してくれれば、と器機のせいにするワタシです💦

教えてもらうことばかりですが、一応この目で確かめてから…を信条に。
次は「花垣神社」編、お楽しみに。

dawnさま、コメントありがとうございます。
返信する
前田教育会館 (moni5187)
2024-01-19 11:07:10
あたりの関西本線は、上下方向とも10‰(10/1000)の下り勾配のピークになっていて、
特に加茂行きが1,2分遅れていると、回復運転の様子が走行音を聞くだけで分かるそうです。

地図・空中写真閲覧サービスでは、5万地形図の「上野」は、測量年が、明治25。大正11。
昭和7,12,22,25,32,40,45,52,56。平成3,18。が揃っていて、これら旧版地図の購入は有料とのこと。

低解像度のサムネイル版は見れるのですが、5万地形図-上野-96-16-3-1937(昭12)はこんな感じです。
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1367165&isDetail=false
気合を入れれば、昭7版にはない、縦書きの「高旗山ヒュッテ」が読めて、
「一目の居」から佐那具方向を見た、水田の様子(山阿の記述付近)が何となくイメージできると思います。
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ぼんやりと (kuro&hana)
2024-01-19 14:29:27
しかし、確信をもって見ることができました(地図)。
さすがmoni5187様、よくぞ探していただきました、ありがとうございます。
確かに「高旗山ヒュッテ」もなんとなく(笑)、
昔は平野だって田園だったはずでそこから先の佐那具方面、見渡せます。
この風景を見て虚子さんに伊賀はいいとこだ、と感動してもらったんだろうと思うと嬉しいですよね。

そして、気動車の件、あそこらへんは下り坂だったんですね、どおりでエライスピードでした💦
目的が列車でなかったけれど通るとなぜか嬉しい関西本線でした(笑)。

moni5187様、調べてくださってありがとうございます。

三重県でも句碑が多いのはダントツ伊賀です、芭蕉さんのおかげの俳句だと思っているので、もっとしっかりPRしないとなぁと思ったりしているところです。380周年絡みもあるので…
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/haiku/kuhi/
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