この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

伊坂幸太郎著、『仙台ぐらし』読了。

2012-02-29 22:09:27 | 読書
 贔屓の作家である伊坂幸太郎の新刊『仙台ぐらし』を読み終わった。
 新刊、といってもエッセイ集なのだけれど(書き下ろし短編『ブックモビール』付き)、さすが文章巧者の伊坂幸太郎だけあって、読み易く、面白かった!
 こういった半真半偽のエッセイって好きだな~(他には乙一の『小生物語』とかね)。
 あまりに自意識過剰な作者の行動には思わず笑ってしまった。

 ただ、後半は震災後に書かれたものを収録しているので、単純に面白いといえる内容ではないのだけれど、それはそれでいろいろ考えさせられました。
 作者が、今回の大震災で、自らの無力さを痛感し、嘆き、途方に暮れる様は、読んでいて、どうしてもため息をつきたくなるような気分になる。
 作家って(他にも漫画家や歌手やお笑い芸人など)、震災の復興において直接的にはほとんど役に立たないのだけれど(やっぱり小説を読んだからといって瓦礫が片付いたり、お腹が膨れるわけじゃないしね)、でもだからといって無用の存在かというとそうは思わない。

 「生きる」っていうのは単純に「生きている」というのと若干意味が異なる、と自分は思う。
 「生きる」っていうのは、感動して泣いたり、大きな声で笑ったり、腹を立てたり、叫んだり、そういった喜怒哀楽、感情の起伏があって、初めて「生きる」と言えるのではないだろうか。
 被災地の人たちも今は「生きている」だけで精一杯なのかもしれないが、例えば、小説を読んで感動したり、映画を観て泣いたり、漫画を読んで笑ったり、一日も早くそういった日常に戻れることを願う。
 だからそのためには作家や漫画家や歌手やその他諸々の文化の担い手には被災地の方々が元気と勇気が出るように、頑張ってもらいたい。

 などと遠く九州から被災地の実情などろくに知りもせず、無責任にテキトーに言ってみたりする。笑。

 そういえば、福島に住んでいるブログ仲間が半年ぶりぐらいに記事を更新していて、それが無性に嬉しかった。
 その人がまた日常の些細なことをネタにして記事を更新する日が来ればいいな、と思う。
コメント (4)
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