ダニエル・ネットハイム監督、ウィレム・デフォー主演、『ハンター』、2/4、中洲大洋にて鑑賞。2012年3本目。
突然ですが、映画は2時間以内で収まるべき娯楽であると思っています。
なぜ2時間なのか?
それはテレビ放映されるときのことも考えて、、、というようなソロバン勘定的なものではなくて、もっと個人的に切実な理由があって、単純にトイレに行くのを我慢できる限界が2時間なんですよ!!
世の中、一旦トイレに行ったら、半日はトイレに行かなくてよい、という人間もいるかもしれませんが、自分はそうじゃないのです。
もちろん上映時間が2時間を超える作品なんてざらにありますが、そういった映画には人間は排泄する生き物である、という真理すら忘れさせる面白さを求めますよ。
思わせぶりで、その実それほど意味のない説明描写と、だらだらとした展開で結果2時間を越える、っていうのはこちとら耐えられんっつーの。
けれど、2時間以内で収まるべきだからといって語られるべきことが語られないっていうのもまたありえないですけどね。
映画『リアル・スティール』で、ロボット・ボクシングのトレーナーをしているろくでなしの主人公の、10年振りに再会した息子がロボット・ボクシングの大ファンだった、という設定は観ていてずっこけましたよ。
確かに現実でボクシングのトレーナーをしている男の、10年振りに再会した息子は熱烈なボクシングファンだった、ということはありえるでしょう。
でも、息子がボクシングファンになるに至っては何かしらの葛藤、ドラマがあったはずで、それを抜きにして、10年ぶりに再会した息子は父親と同じ道を歩んでました、では観てるこちらとしては納得出来ないっーの!!(と思ったんだけど、そう思ったのはどうも自分だけのようで、『リアル・スティール』で息子がロボット・ボクシングの大ファンだったことに不自然さを感じた人はいないみたいです…。う~~~ん。)
語られるべきことはきちんと語られなければならないというのが自分の考えですが、しかしそれが説明過多になってもいけないんですよね。
やたら前置きが長くなりましたが、映画『ハンター』はこの説明が尋常じゃなく上手い。
例えば冒頭のシーンの主人公のマーティンと依頼主の会話で、「俺は(連絡を)2週間待ったんだ」と詰るマーティンに、依頼主は呆れたように「ここはパリなんだから、観光でもしてればよかったんだ」と言います。
このわずかなシーンで次のようなことがわかります。
①マーティンには家族がいない。
家族がいれば、当然家族へのパリ土産を買うはずですからね。
②マーティンには恋人や友だちと呼べる存在もいない。
恋人や友だちがいれば当然パリ観光をしたでしょう。
③マーティンは遊び方を知らない。
パリといえば世界でも指折りの歓楽街がある街ですから(といっても実際行ったことはないですけどね)、パリで暇を持て余すということはそういう遊び方を知らない、ということです。そして彼はそういう生き方をしてきた、ということでもある。
わずか5分ほどのシーンでマーティンがどのような男なのかおおよそわかるのですから、上手いなぁと感心しましたよ。
これが映画的な演出であり、理想的な説明描写だと思います。
抑制された演出は最後の最後まで貫かれて、だからこそクライマックスでマーティンが選択した行動には深い感動を覚えました。
感動的だったのは、ストーリーだけでなく、舞台となったタスマニアのロケーションも非常に良かったです。
CG全盛と言ってよい時代であり、背景のすべてをCGで描く映画もあったりしますが、そういったCGに頼った映画では逆立ちしたって敵わない、筆舌に尽くしがたい大自然の美しさがスクリーンの中にありました。
それを見るためだけに本作を観に行っても損はないと思います。
お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
突然ですが、映画は2時間以内で収まるべき娯楽であると思っています。
なぜ2時間なのか?
それはテレビ放映されるときのことも考えて、、、というようなソロバン勘定的なものではなくて、もっと個人的に切実な理由があって、単純にトイレに行くのを我慢できる限界が2時間なんですよ!!
世の中、一旦トイレに行ったら、半日はトイレに行かなくてよい、という人間もいるかもしれませんが、自分はそうじゃないのです。
もちろん上映時間が2時間を超える作品なんてざらにありますが、そういった映画には人間は排泄する生き物である、という真理すら忘れさせる面白さを求めますよ。
思わせぶりで、その実それほど意味のない説明描写と、だらだらとした展開で結果2時間を越える、っていうのはこちとら耐えられんっつーの。
けれど、2時間以内で収まるべきだからといって語られるべきことが語られないっていうのもまたありえないですけどね。
映画『リアル・スティール』で、ロボット・ボクシングのトレーナーをしているろくでなしの主人公の、10年振りに再会した息子がロボット・ボクシングの大ファンだった、という設定は観ていてずっこけましたよ。
確かに現実でボクシングのトレーナーをしている男の、10年振りに再会した息子は熱烈なボクシングファンだった、ということはありえるでしょう。
でも、息子がボクシングファンになるに至っては何かしらの葛藤、ドラマがあったはずで、それを抜きにして、10年ぶりに再会した息子は父親と同じ道を歩んでました、では観てるこちらとしては納得出来ないっーの!!(と思ったんだけど、そう思ったのはどうも自分だけのようで、『リアル・スティール』で息子がロボット・ボクシングの大ファンだったことに不自然さを感じた人はいないみたいです…。う~~~ん。)
語られるべきことはきちんと語られなければならないというのが自分の考えですが、しかしそれが説明過多になってもいけないんですよね。
やたら前置きが長くなりましたが、映画『ハンター』はこの説明が尋常じゃなく上手い。
例えば冒頭のシーンの主人公のマーティンと依頼主の会話で、「俺は(連絡を)2週間待ったんだ」と詰るマーティンに、依頼主は呆れたように「ここはパリなんだから、観光でもしてればよかったんだ」と言います。
このわずかなシーンで次のようなことがわかります。
①マーティンには家族がいない。
家族がいれば、当然家族へのパリ土産を買うはずですからね。
②マーティンには恋人や友だちと呼べる存在もいない。
恋人や友だちがいれば当然パリ観光をしたでしょう。
③マーティンは遊び方を知らない。
パリといえば世界でも指折りの歓楽街がある街ですから(といっても実際行ったことはないですけどね)、パリで暇を持て余すということはそういう遊び方を知らない、ということです。そして彼はそういう生き方をしてきた、ということでもある。
わずか5分ほどのシーンでマーティンがどのような男なのかおおよそわかるのですから、上手いなぁと感心しましたよ。
これが映画的な演出であり、理想的な説明描写だと思います。
抑制された演出は最後の最後まで貫かれて、だからこそクライマックスでマーティンが選択した行動には深い感動を覚えました。
感動的だったのは、ストーリーだけでなく、舞台となったタスマニアのロケーションも非常に良かったです。
CG全盛と言ってよい時代であり、背景のすべてをCGで描く映画もあったりしますが、そういったCGに頼った映画では逆立ちしたって敵わない、筆舌に尽くしがたい大自然の美しさがスクリーンの中にありました。
それを見るためだけに本作を観に行っても損はないと思います。
お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。