この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

嘘について考えてみました。

2015-04-01 20:47:24 | 戯言
 今日はエイプリル・フールですね!
 毎年エイプリル・フールは無い知恵を振り絞ってあれやこれや嘘をついてきたのですが、今年はネタが尽きました。
 なので、今日は嘘について自分が普段から考えていることを書いてみたいと思います。

 まず、多くの人は嘘がどういうものなのか、実はよくわかっていないと思います。
 どういうことなのかというと「嘘=事実でないことを口にする」だと思っている人が多いってことです。そうじゃないんですよね。重要なのはそこに詐意(相手を騙す意図)があるかどうか、です。
 例えば、「11×13は?」と誰かに尋ねられ、頭の中で計算して「133!」と答えたとします。
 でもこれは単なる計算違いであって嘘ではないですよね。
 同様に勘違い、記憶違い、見間違いなどによって事実でないことを口にしたとしてもそれは嘘ではないのです。

 しかし、11×13の答えが143だと知っていて、その上で「133!」と答えたとしたら?
 これは嘘をついたことになりますよね。
 このように嘘が嘘であるためには詐意は不可欠なのです。

 なのでよく「結果として嘘をついてしまった」ということがありますが、「結果として」嘘をつくことは嘘の特性上ありえません。
 「結果として約束を守れなかった」ということならありえますが。

 また、「嘘をつく」こと自体が悪いことであると思っている人も多いようですが、それも間違いです。
 「嘘をつく」こと自体は良いことでも悪いことでもありません。良い嘘があり、悪い嘘があるというだけの話です。
 例えば、大病を患って入院している親友の見舞いに行ったとします。そして親友がギョッとするぐらい痩せこけていた。
 そのとき「思っていたより顔色がよさそうだな」と嘘をつくのは果たして悪いことなのでしょうか?
 そんなことはないはずです。相手のことを想ってつく嘘は決して悪いことではない。
 今挙げた例は極端ですが、それでも我々は日々生きていく中で嘘をつかなければならない、もしくは嘘をついた方が良いという場面によく遭遇するはずです。
 嘘をつくのは悪いことだ、という考え自体、実は嘘なのです。

 嘘をつくのはいけないことだと小さいお子さんに躾けているお父さん、お母さんがいますよね。
 自分に言わせればあの躾けは間違っています。
 なぜなら、子どもはしばしば「嘘をつくのはいけない」ということを「本当のことなら何でも言ってよい」というふうに曲解するからです。
 本当に「本当のことなら何でも言ってよい」のでしょうか?
 そんなことはないはずです。敢えて例は挙げませんが、私たちは「本当のことであってもそれを口にするべきことではない」場面にもよく遭遇するはずです。時に真実を告げることは、どんな嘘よりも残酷だということ忘れてはなりません。

 自分は何も嘘をつくことを奨励しているのではないのです。
 ぶっちゃけ嘘というものはバレなければよい、そう思います。
 ただ、嘘が嘘だとバレないようにするためにはひどく労力を要するものです。辻褄を合わせるために一から話を作らなければなりませんからね。
 それぐらいならいっそ最初から本当のことを言った方が良い場合が多いとは思います。
 嘘をつくのは悪いことではない、けれど損をすることが多いってことですね。

 自分の周りを見回しても、嘘をつく人はあまりいないです。
 しかし、約束を守らない人は圧倒的に多いです。たぶん、約束をした時点では守らないつもりはないのでしょう。でも何かしら事情があって約束を守れなかった。
 それ嘘をついたことにはならないと思います。
 でも、嘘ではなくても、約束を破られれば、こちらとしても傷つくし、落ち込むので、出来れば口約束であってもちゃんと守って欲しいです。
コメント (2)
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