この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

凄まじいとしかいえない『セッション』。

2015-04-18 21:21:53 | 新作映画
 デミアン・チャゼル監督、マイルズ・テラー主演、『セッション』、4/18、TOHOシネマズ天神にて鑑賞。2015年15本目。


 この映画、鑑賞するかどうか、ちょっと迷いました。
 なぜかというと、現在福岡で上映しているのがTOHOシネマズ天神しかなかったからです。
 この映画館で観るには1800円の鑑賞料金を払うか、溜まっていたポイントを使うかしかない。
 果たしてその価値があるのかどうか、、、迷った挙句観に行ったのですが、これが大正解。
 いやぁ、観に行った自分を褒めたいです。
 凄まじい映画でした。

 本作は音楽映画なのですが、自分は同時に教育についての映画だと思いましたよ。
 教師は生徒を正しい方向に導くためであれば、どんな手段を取ってもいいのかどうか?という選択肢を観る者に突き付ける映画ってことですね。
 常識のある人間であれば、その問いに「否」と答えるでしょう。
 目的が正しいからといって、どんな手段を取ってもいいということにはならない、と。
 その通りだと思います。それが常識というものですよね。
 
 しかし一方、常識の中で育てられた人間は常識的な才能しか有しない、というのもまた真理ではないでしょうか。
 真の天才を生み出すためには時に常軌を逸した指導も必要なのだ、という非常識な教育論がこの映画を観ると肯定されるようで、ある意味非常に恐ろしい映画でもあるんですよね。


 結局のところ、現実的なことを言えばすべてはバランスなのだと思います。
 現在の教育現場においては例え何があったとしても、とのような場合においても、教師は生徒に対して暴力を振るうべきではない、とされています。
 果たして本当にそうなのか?
 親は子どもに対して一切暴力を振るうべきではないのか?
 警官は犯罪者に対して一切暴力を振るうべきではないのか?
 答えは、「出来れば振るうべきではない。でも振るうべき時は振るうべきなのだ」だと自分は思います。
 我が子が弱い者いじめに加担していることが分かったとき、親が我が子の頬を張ることの何が問題だというのか?言葉で諭すだけですべては解決するのか?
 如何なるときであっても暴力を振るうべきではないというのは、理想であっても現実的ではない、と自分は考えます。
 もちろん自分は暴力によってすべてが解決するなどと考える暴力賛美主義ではありません。

 話がちょっとズレちゃいましたね。
 ただ、自分がこの映画を観て、そういうことも考えた、というのは事実なのです。
 本作は音楽映画なので、音楽好きな方にますお薦めしたいですが、同時に教育者の方にも観て欲しいと思います。
 いろいろ揺さぶられることがあるのではないでしょうか。


 お気に入り度は★★★★☆、お薦め度は★★★★☆は(★は五つで満点、☆は★の半分)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする