眉月じゅん原作、永井聡監督、大泉洋主演、『恋は雨上がりのように』、6/1、Tジョイ久留米にて鑑賞。2018年20本目。
6/1に観た、ヤフー映画で評価の高い作品二本目は『恋は雨上がりのように』でした。
この前に観た『孤狼の血』はすごくツボだったのですが、こちらは正直もう一つだったかな。
ファミレスの店長である冴えない中年男性と、彼に惹かれる一途な少女の物語、というプロット自体は別に悪くないと思います。
主役を演じた大泉洋と小松菜奈もキャストとしてはピッタリだったんじゃないですかね。
ただ、この作品を観ていて、細かいところがいろいろと気にかかりました。
まず気にかかったのはメインとなるファミリーレストランが最初に映し出されたとき、やたら厨房のスタッフが多かったこと、ですかね。何気に五、六人はいたような?
高級レストランならいざ知らず、普通のファミレスであんなに厨房のスタッフが多いってこと、あり得ないと思うんですけど。
厨房のスタッフが多いことは別のシーンでも思いました。
店内にほとんど客がいないのに、厨房のスタッフだけが忙しそうに動き回っていて、違和感を覚えました。
ヒロインが足の爪に塗っていたペディキュアを「怪我が悪化したの?」と店長が訊いたことも「はぁ?」と思いました。
いくらファッションに疎かったとしても、今どきペディキュアを知らない人っていないと思うんですけれど。自分ですら知っているというのに。
店長がヒロインにコーヒーを奢るシーンもどうか、と思いましたよ。
これが個人経営の喫茶店であればわかります。
マスターが自分の奢りでコーヒーを客に振る舞うこともあるでしょう。
でもファミレスの店長が大した理由もないのに特定の客だけに特別なサービスをするということはあってはならないことなんですよ。たかだかコーヒー一杯であっても、です。
また店長は小説家になるという夢を諦めきれていないのですが、彼が小説を手書きで原稿用紙に書いているのには「へ?」と思いましたよ。
今どき小説を原稿用紙に書いている人っているのかなぁ?
話に聞いたところによると赤川次郎は作品を原稿用紙に書いているのだそうです。
けれどそれは赤川次郎のような大御所だから許されることであって、ろくにデビューすらしていない作家未満の人間には許されないことだと思うけど。
彼が小説を原稿用紙に書く理由って何なんですかね?それじゃないと小説が書けない(という設定)?
しかも彼は書きかけの原稿をレストランの事務所に持ってくるんですよ。
これもまた普通は考えられないことですよね。
さらに彼は事務所に持ってきた原稿をポンと人目のつくところに置いているのです。
これもやっぱり考えられない。
原稿用紙に書くこと自体考えられないことで、さらに原稿用紙を事務所に持ってくることも考えられないことで、さらにさらにその原稿用紙を一目に着くところに置いてあることも考えられないことで、考えられないことの三乗なんですよ。
一つ一つのことは魚の小骨のようなもので、一本ぐらいだったらまぁいいか、と飲み込むことも出来ます。
しかし、五本も六本も小骨があると、いくら身が美味しくても、食べる気にはとてもなれません。
冴えない中年男性と彼を慕う少女の物語というのは、ぶっちゃけ宮崎駿が『ルパン三世 カリオストロの城』でとっくにやっていることであり、『カリオストロの城』の方は物語として完璧なんですよ。脚本に疵がない。
一方『恋は雨上がりのように』は一々小骨が多くて、とても飲み込めません。
とても自分はヤフー映画のようにはこの作品を高く評価する気にはなれないですね。
お気に入り度★★★、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
6/1に観た、ヤフー映画で評価の高い作品二本目は『恋は雨上がりのように』でした。
この前に観た『孤狼の血』はすごくツボだったのですが、こちらは正直もう一つだったかな。
ファミレスの店長である冴えない中年男性と、彼に惹かれる一途な少女の物語、というプロット自体は別に悪くないと思います。
主役を演じた大泉洋と小松菜奈もキャストとしてはピッタリだったんじゃないですかね。
ただ、この作品を観ていて、細かいところがいろいろと気にかかりました。
まず気にかかったのはメインとなるファミリーレストランが最初に映し出されたとき、やたら厨房のスタッフが多かったこと、ですかね。何気に五、六人はいたような?
高級レストランならいざ知らず、普通のファミレスであんなに厨房のスタッフが多いってこと、あり得ないと思うんですけど。
厨房のスタッフが多いことは別のシーンでも思いました。
店内にほとんど客がいないのに、厨房のスタッフだけが忙しそうに動き回っていて、違和感を覚えました。
ヒロインが足の爪に塗っていたペディキュアを「怪我が悪化したの?」と店長が訊いたことも「はぁ?」と思いました。
いくらファッションに疎かったとしても、今どきペディキュアを知らない人っていないと思うんですけれど。自分ですら知っているというのに。
店長がヒロインにコーヒーを奢るシーンもどうか、と思いましたよ。
これが個人経営の喫茶店であればわかります。
マスターが自分の奢りでコーヒーを客に振る舞うこともあるでしょう。
でもファミレスの店長が大した理由もないのに特定の客だけに特別なサービスをするということはあってはならないことなんですよ。たかだかコーヒー一杯であっても、です。
また店長は小説家になるという夢を諦めきれていないのですが、彼が小説を手書きで原稿用紙に書いているのには「へ?」と思いましたよ。
今どき小説を原稿用紙に書いている人っているのかなぁ?
話に聞いたところによると赤川次郎は作品を原稿用紙に書いているのだそうです。
けれどそれは赤川次郎のような大御所だから許されることであって、ろくにデビューすらしていない作家未満の人間には許されないことだと思うけど。
彼が小説を原稿用紙に書く理由って何なんですかね?それじゃないと小説が書けない(という設定)?
しかも彼は書きかけの原稿をレストランの事務所に持ってくるんですよ。
これもまた普通は考えられないことですよね。
さらに彼は事務所に持ってきた原稿をポンと人目のつくところに置いているのです。
これもやっぱり考えられない。
原稿用紙に書くこと自体考えられないことで、さらに原稿用紙を事務所に持ってくることも考えられないことで、さらにさらにその原稿用紙を一目に着くところに置いてあることも考えられないことで、考えられないことの三乗なんですよ。
一つ一つのことは魚の小骨のようなもので、一本ぐらいだったらまぁいいか、と飲み込むことも出来ます。
しかし、五本も六本も小骨があると、いくら身が美味しくても、食べる気にはとてもなれません。
冴えない中年男性と彼を慕う少女の物語というのは、ぶっちゃけ宮崎駿が『ルパン三世 カリオストロの城』でとっくにやっていることであり、『カリオストロの城』の方は物語として完璧なんですよ。脚本に疵がない。
一方『恋は雨上がりのように』は一々小骨が多くて、とても飲み込めません。
とても自分はヤフー映画のようにはこの作品を高く評価する気にはなれないですね。
お気に入り度★★★、お薦め度★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。