横浜美術館では、2018年3月4日まで「石内都 肌理と写真」展が開催されている。
1947年に群馬県で生を受けた石内都は、独学で写真を始め、思春期を過ごした横須賀の風景(風景と言うよりはおきざられた横須賀といったほうがいいか)やバブルの象徴的建物(バブルにより廃墟となった住人のいない建物)を、モノクロームで撮影している。また、「金沢八景」というコーナーでは、イメージから浮かぶ「八景」ではなく、日常、生活、そして人工構造物のモノクロームが並ぶ。2000年に母親が逝去した後、写真はモノクロームからカラーへと変わる。母親の遺品である衣類や被爆者の遺品をとおして、人間の生き様を感じることができた。
一部、写真撮影OKのアリアがあった。
日本画をやっている叔父が以前言っていた。「写真のように見える絵画、絵画のように見える写真、こういうのがいいなぁ」おそらく、風景を前提とした話である。今回の展覧会は、人間の存在、不在という視点での作品、絵画的というよりは、人間の生き様そのものであったと思う。
1947年に群馬県で生を受けた石内都は、独学で写真を始め、思春期を過ごした横須賀の風景(風景と言うよりはおきざられた横須賀といったほうがいいか)やバブルの象徴的建物(バブルにより廃墟となった住人のいない建物)を、モノクロームで撮影している。また、「金沢八景」というコーナーでは、イメージから浮かぶ「八景」ではなく、日常、生活、そして人工構造物のモノクロームが並ぶ。2000年に母親が逝去した後、写真はモノクロームからカラーへと変わる。母親の遺品である衣類や被爆者の遺品をとおして、人間の生き様を感じることができた。
一部、写真撮影OKのアリアがあった。
日本画をやっている叔父が以前言っていた。「写真のように見える絵画、絵画のように見える写真、こういうのがいいなぁ」おそらく、風景を前提とした話である。今回の展覧会は、人間の存在、不在という視点での作品、絵画的というよりは、人間の生き様そのものであったと思う。