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汽車旅12カ月(宮脇 俊三著)

2016-04-26 20:11:00 | 雑感
 宮脇俊三は、「汽車旅12カ月」のあとがきで、「旅の印象は季節によってずいぶんちがう。乗りものや宿の状態によっても左右される。・・・・あまりいろいろあって結果は各人各様となるから、旅の印象は旅行者自身がつくりだすもの、といった観さえある。そこに旅の楽しさや効用があるのかもしれない。」と記している。

  



 宮脇の著書は、「時刻表2万キロ」、「時刻表ひとり旅」、「最長片道切符の旅」につづき、4冊目となる。ここんところ、読む本は、宮脇のほか、内田百の「阿房列車」など、紀行ものが多い。当然、国鉄時代の話なので、廃線となったり、第3セクターとなったりしている路線もある。宮脇的にすれば、地図帳を眺めながら楽しむこととなるのだろうが、小生は、パソコンでグーグルマップを眺め、ウィキペディアで路線や駅を調べながら楽しんでいる。

 本書の序章は「遊びとしての汽車旅」、ここで、「休日」と「遊び」について宮脇的な定義をしている。「私は会社に対して斜に構えた不良社員のように思われるかもしれないが、かならずしもそうではないのであって、遊びにおける意識と行動はそれ自体で独立しているからであろう。そうでなかったら、休日はレクリエーションのための時間になり下り、せっかくの遊びが人生でなくなってしまう。」。この章で、「格別な所用があって清水港線に乗りにでかけたわけではなく・・・」、この行、内田百的である。

 1月は、年始。旅行日としての悪条件。乗りものの混雑、旅館とホテル、開いていない食べ物屋、タクシーの払底、日が短い、寒い、といろいろと取り上げているが、とどのつまり、「正月旅行の好条件を探し出すのは、いささか苦しいが、むりに探せばないことはないわけである。いずれにせよ、私が何を言おうと、行こうと思う人は行くのだし、気が楽だ。」、内田百的だ。

 5月、ゴールデンウィークが終わると閑散期になり、7月まで続く。「五月の車窓は明るすぎて陰影に乏しく、秋や冬のような旅情を感じさせてはくれない。けれども日の長いのが有難い。」といいつつも、「私の旅行は鉄道に乗るばかりが目的だから、天候の良し悪しはあまり関係ない。」といっている。

 8月、「移動のための手段である限り交通機関は『文明』でしかない。それに対し、手段を目的に置き換えることによって汽車や船が『文化』へと昇華してくれる。」と哲学的に論じているものの、「用もないのにふらっと汽車に乗り出かけるのを私は愛好してやまないが、そういう人間にとって八月は
最悪の月である。」、これは、「汽車が移動のための手段に成り下がってしまう」らしい。

 10月は紅葉。宮脇が紅葉の美しさを地元民に言うと、地元民は「ちょっと遅い。あと、2、3日前だったら・・・、ところどころ茶っぽくなっている」などと返ってくる。良心的に、「本当はもっと美しいんだ」というお国自慢と解した。

 11月は上越線、日本海側と太平洋側の分水嶺を汽車で越え、陰と陽の変化を堪能できる。上越線のほか、東海道本線の関ヶ原、湖西線、播但線などなど、11月だからこそ味わえる感覚である。
 
 12月は京都と九州。「京都は四季折り折りの行事がじつに多い。だから、つい季節の変化に富んだ町かと思いやすい。しかし、そうではないように思われる。」京都は「息がつまりそうなほど整然と計画された人工都市である。」。条里制も「規格化された便利さは味気ない。」といい、適度な曲折や無駄のない道に人間味を覚える。これ、アメリカの都市学者ジェーン・ジェイコブスの思想につながるものがある。
 九州では、「最長片道距離切符の旅」に登場した老人が再登場。大声を出して列車編成を確認する老人。駅に汽車が到着すると時計を確認しメモに書き留める記録魔の老婆。


 各月ごとの汽車旅の楽しみが伝わってくる。新幹線中心のメニューが増えてきている昨今、改めて、ローカル線の旅を楽しみたいと思う今日この頃である。

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