けんきゅうきろく(と、あともうひとつ)

レアル・マドリー、リーガエスパニョーラ関係の、なんとなく気になるニュース。

公式発表:サラビア、ヘタフェに移籍

2011-07-03 21:12:32 | football
レアル・マドリーC.F.とヘタフェC.F.は、レアル・マドリー・カスティージャ所属のパブロ・サラビアの移籍の件で合意に至った。レアル・マドリーは、同選手を買い戻す権利を保有する。



ASから関連記事
レアル・マドリーは公式に、パブロ・サラビアのヘタフェへの移籍をアナウンスした。短い公式発表の中では、レアル・マドリーはヘタフェへの移籍について合意に至ったこと、そして同選手を買い戻す権利を保有していることを伝えている。
ヘタフェが、ラ・ファブリカの最も将来を約束された宝石(サラビア)の、新たな到着地と目されていたのは、ここ最近公然の秘密であった。AS紙は既に去る金曜日、同選手がヘタフェに移籍することで基本合意に達したこと、移籍金は300万ユーロであり、一方マドリーについては、最も将来が約束された若い選手たちに対して慣習的になっているように、買取オプションを保有することを報道していた。
この移籍は既に、カンテラのトップとしてのモウリーニョの管理下で行われたものだ。モウリーニョは、原則としてサラビアには、今シーズンは多くの時間プレイでき、ヨーロッパの大会を戦えるチームに移ることを望んでいたが、最終的に、スペインの首都にとどまりたいというサラビアの望みに合意した。

敬意

2011-07-03 12:00:43 | football
コパアメリカ開幕
とりあえず、イグアイン先発で使え、と思いました。ディマリアの途中交代は、あの試合で流れを変える意味で大きかったなあと思います。久しぶりに動くマドリーの選手を大きな画面で見られて嬉しかった。

el-nacionalより

日本は、コパ・アメリカの開幕戦の直前に、敬意を評された。日本代表は、3月11日にその国を襲った地震の影響で、この大会に参加できなくなった。
アルゼンチン対ボリビアの開幕戦が始まる直前、アルゼンチンで暮らしている日本人コミュニティの、6人の若者たちが、日本の大きな国旗を持ってピッチに現れ、この試合を見るためにスタンドを埋め尽くしていた観衆の拍手を浴びた。
地震が起こる以前に、日本代表はメキシコ代表と共に、この大会への招待を受けていた。しかし災害と何度かの交渉の末、最終的にコパへの参加を辞退した。
日本に代わってはコスタリカ代表が招待され、土曜日にグループAの中でコロンビア代表とフフイで対戦する。

参考記事:[現地直送コラム]裏切られる期待と開幕戦に突然表れた日の丸(SOCCER KING)


キャプテンシー:フェルナンド・イエロ
6月30日をもってスペイン代表のスポーツ・ディレクターのポジションから退いたフェルナンド・イエロについては、あちこちでインタビューが出ていました。どれとどれが同じものでどれが違うのかもよくわからなかったですし、なかなかじっくり読めなかったのですが、Efeに話したというインタビューから、代表仕事のソフト面というか、選手の立場に近い部分だけ抜き出してみました。かなり独断的ですが。元の記事はrioja2.com

Q:あなたは(代表の)カピタンたちと非常に近いところにいました。
A:最初の日に私は、誰かをだますようなことは決してするつもりはないと伝えた。私はいつも思うことを言っているし、それで彼らは理由を引き出したり、そうでないこともある。私は仲間としてやってきた、だますためにテーブルに着くことはできない。もし彼らに理由があれば、私は協会側と戦ったし、それでNoならそう言った。彼らのミーティングや監督とのミーティングに入ったことはないよ。私とカピタンたちとの関係は、素晴らしいものだった。タイトルを取ったときには、どの選手にも祝福のメッセージが届く。でも私がいたのは、選手が負傷したり個人的な問題を抱えたりした時だ。それが私が尽くしていた場所だ。3ゴールをあげたりタイトルを取ったりした選手は十分だ。でも、負傷したり問題を抱えたりしているときには、忘れてはいけない。

Q:あなたのキャプテンシーモデルはラウルに引き継がれましたが、イケル・カシージャスは異なるスタイルでやっています。
A:それは違う時のことだからね。どちらもキャプテンシーをある形式で理解している。イケルはとても若くして(キャリアを)スタートした。彼はレアル・マドリーでたくさんのカピタンを見てきた。そして違うように考えている。それは、よりシェアされたキャプテンシーだ。多くの選手たちが(キャプテンシーに)関わっている。別のときでは、それは違っていた。でも我々が取っていた行動や関係性は、素晴らしいものだった。問題があったら、我々はテーブルに着き、他のカピタンたちに電話した。彼らがチームを代表していて、ピッチの中でも外でも模範となっていた。

Q:ある瞬間ごとに、ラウルの姿がないのを寂しく思いませんでしたか?
A:私にとってその問題は、スポーツディレクターとして、本当に辛い問題だったよ。本当に辛いものだった。私は彼と直接話していなかった。誰が呼ばれるべきかという問題には、決して関わらなかった。私が自分の意見を聞かれとしても、それでも召集について何も言うことはなかった。ラウルは、私が代表監督でないことを完璧に理解している。彼と私は、それは私の決断ではなく、ビセンテ(デルボスケ)に敬意を払うことだと理解している。

Q:あなたが奇妙な形でレアル・マドリーを出た後で、時間はあなたが許しを与える助けになりましたか? フロレンティーノ・ペレスのいるクラブに戻りますか?
A:私は執念深い性格ではないし、人生の中での悪いことに関わった誰かを考え続ける人間ではない。私には、自分自身のあり方、自分のハート、自分の考えがある。私には、誰によっても取り去ることのできない過去がある。私が協会に入ったとき、マドリディスタのブランドを持っていると見られていたが、私はクラブのカラーは忘れ、どのクラブも等しく守ってきた。過去は過去だ。人は記憶し、それを刻み付ける。でも私は執念深くない。私と関わった人々や会長たちがいるとしても、私がマドリーですごした14年間は、誰にも拭い去ることができないものだろう。

Q:あなたの姿勢は、ジョゼ・モウリーニョに通じるものでしょうか?
A:それは応えるのが難しい問題だ。ある距離をもってジョゼを見ると、ファンタスティックな監督だと思う。彼はすべてのクラブで勝利してきて、強い個性を持っている。見事な監督だと思っているよ。彼とは2度話す機会があった。1度目は、私がボルトンの選手で、チェルシーと対戦したときだった。最近でもまた会ったよ。

Q:あなたの新しいチャレンジは何でしょうか?
A:6ヶ月、何をするか考えるよ。私は4年間、恩恵に浴してきた。協会の最高のものに囲まれてきた。そういうことが好きなのか、芝の下がいいのか(監督?)考えないといけない。若い子たちを教えるのがいいのか、ずっと休養するか。フットボールは激しく変化するもの。子供の頃から、私の人生のすべてを占めてきたものだ。私の情熱だよ。でも私は、自分が何をしたいのか、座ってよく考えてみたいと思う。