ルネが歌ったモントリオール・オリンピックのテーマ・ソング「モントリオール讃歌」について取り上げて、今回で5回目になります。この曲について、これだけ長く書くことになろうとは予想していなかっただけに、管理人自身が一番驚いています。
そして、これらの記事を書いている時に、いつも頭から離れなかったことは、ルネが「モントリオール讃歌」のボイコット問題によって、心に深い傷を負っていないかということと、彼のキャリアに暗い影を落とすことになってはいないかということでした。しかし、カナダ国民全員によってボイコットされていたわけでなく、むしろケベックでは絶対的な人気を得ていたことが分かり、一安心して記事を終了できることを嬉しく思っています。
※musicographiesimardより”Welcome to Montreal”
http://www.bebo.com/MusicAlbum.jsp?MusicAlbumId=2636796285
♪オリンピックの舞台裏♪
私は全く知らなかったことですが、モントリオール・オリンピックでは、アフリカ諸国28カ国が参加をボイコットしています。
それは、ニュージーランドの有名なナショナル・チー ムとも言えるオール・ブラックスというラグビーのチームが、アパルトヘイトで非難を浴びていた南アフリカのラグビー・チームと試合を続けていたためで、そんなことを続けているニュージーランドとその参加を許可したオリンピック委員会にアピールするためのことでした。
近年、オリンピック委員会の様々な問題が公になり、報道されてきましたが、モントリオール・オリンピックも、市の財政を圧迫する膨大な負債や大規模なストライキ等、問題の多い大会だったようです。
♪ルネのドーピング疑惑♪
過去ログ「変声期とオリンピックとドーピング疑惑」でも取り上げましたが、日本の音楽関係者の間で、ルネがホルモン剤を投与して変声を遅らせたという噂が囁かれていたようです。
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/16.html
今でこそ違反行為で大問題ですが、当時のスポーツ界では「共産国の女子体操選手が男性ホルモンを注射して成長を遅らせている」と、公然の秘密のように報道されていました。また、カナダの陸上選手ベン・ジョンソンが、筋肉増強剤を使用していたことが判明したために金メダルを剥奪され、世界に衝撃を与えました。現在、選手は、競技前に風邪薬さえ服用できないほど厳しく検査されています。しかし、ドーピングが実際に行われていたことは紛れもない事実です。
さらに日本の芸能界でも、ルネと共演したことのある人気アイドル・グループのボーカルだったA氏が、変声に悩んでホルモン剤投与の一歩手前まで行って思いとどまった経験談を、TV番組で語っていたという情報もいただきました。
しかし、このブログを始めてから入った情報では、ルネのごく身近なスタッフの話によると、ルネの変声はとても緩やかに訪れたのだそうです。変声というと、ある日突然いきなりやってくるイメージがあります。そのため、「ドーピング」の噂が日本の音楽関係者の間で流れたのでしょう。しかし、変声を遅らせることは出来ても、一度変声が始まってしまった声を元に戻すことは可能なのでしょうか?
また、変声が始まったことがはっきり分かる「去年の夏」に続き、変声前の声の「モントリオール讃歌」、「みんなあなたに」の順で次々と新曲が発表されました。季節感の配慮やオリンピック開催との兼ね合い、そして、日本でのレコード化のためにCBSソニーがノーベル・レコードに交渉していましたし、発売が中止になってしまったTVアニメ「家なき子」の主題歌のレコーディングも行われていたことを考えると、カナダでのレコーディングと、日本で発売された曲の順番が違っていても不思議はありません。この件に関して、詳しい事情や情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。よろしくお願いいたします。
♪モントリオール・オリンピックが残したもの♪
モントリオール・オリンピックは、様々な問題をかかえた大会であったことが浮かび上がってきました。当時子どもで、純粋にルネやオリンピック競技、選手の活躍を追っていた私は、これらの事実を知って大変複雑な気持ちでおります。
さらに、この大会の栄光の影で、不幸に見まわれた選手もいます。それは、過去ログでも紹介いたしました、「白い妖精」ルーマニアの女子体操選手ナディア・コマネチです。彼女はこの大会で脚光を浴び、一躍スター選手となって世界の注目の的となりましたが、それが彼女のその後の人生を大きく変えてしまいました。そのことは彼女の亡命とルーマニア革命により明らかになり、彼女の手記が日本でも発刊されました。
それに関係する情報を、当プログのゲスト様しゃむねこさんよりいただきましたので紹介いたします。
現在、”musee simard”と”musicographiesimard”のシャンタルさんの”videosimard”でアップされている、ルネとコマネチの映像の中でルネが歌っている歌は、ルネがコマネチのために特別に作って、この特別番組の中でのみ歌われたものだそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=ECdsvA5NWas
1989年にルーマニアからアメリカに亡命したコマネチは、翌年の1990年、モントリオールオリンピック以降はじめてモントリオールを訪問しました。それを記念してのTV番組だったそうです。ルーマニアは、1989年にコマネチが亡命してすぐに起こったルーマニア革命により、チャウシェスクの共産独裁政権から民主化されました。コマネチとルーマニアの人々が共に自由を得たということを歌ったこの曲のタイトルは、「Victoireー勝利ー」です。
コマネチは、現在でも体操関係やオリンピック関係で活躍しているそうですが、子どもたちのチャリティー事業などには特に精力的に取り組んでいるそうです。ルーマニアからの子どもたちの養子縁組、その後のケアなどのために、ケベック州の養子縁組エージェンシーと協力して活動しています。コマネチ自身も45歳で初めて男の子を出産したとのこと。ルネと同じように、コマネチも「私も頑張らなくちゃ!」というエネルギーを伝えてくれているようです。
http://www.romanian-gymnastics.com/profiles/1976olympics/nadia_comaneci.htm
このサイトには、なつかしいオリンピック時代のコマネチやもっと幼い時のビデオなどが、コマネチのテーマとともに観ることができます。そして、現在のコマネチも、下記のサイトでご覧いただけます。http://www.bartandnadia.com/
♪「モントリオール讃歌」の真実♪
ルネの「モントリオール讃歌」はボイコットされ、別の歌手が別のテーマ曲を歌ったとカナダ政府のサイトに書かれていますが、ルネはもとより、その歌手が実際に歌っている映像を見たことがありません。オリンピックのテーマ・ソングなら、大会期間中BGM等で流されるのが一般的だと思うのですが、私がルネと「モントリオール讃歌」に執着していたせいか、テーマ・ソングらしい曲が流れていた記憶もありません。
これは私の個人的な推測でしか有りませんが、はっきり言って、ボイコットやストライキはオリンピック開催国として好ましくない国内事情だと思います。ましてやルネの「モントリオール讃歌」は既に日本で発売されており、当時活動していたアメリカでも話題になっていないはずがありませんから、全世界に放映される開会式という公の場で、問題のあったテーマ曲を発表することを避けたのではないかと思います。
それから、videosimardのオリンピック映像の最後に、モントリオール五輪のマークのあるステージでルネが歌っている画像があります。これは、モントリオール市長やオリンピック委員会の前でお披露目した時の画像だろうということです。そして、オリンピックの特集番組で紹介されていたものだそうなので、ルネが「モントリオール讃歌」を歌ったことを証明する貴重な画像だと思います。
ルネの「モントリオール讃歌」がボイコットされながらも、何故歌い続けられたのか、また、ヒット曲集に選曲されないのか、まだまだ謎は残りますが、この曲についての情報が入る予定ですので、入手し次第報告したいと思います。
私は、一刻も早く「”モントリオール讃歌”の謎」が解き明かされることを願って止みません。
そして、これらの記事を書いている時に、いつも頭から離れなかったことは、ルネが「モントリオール讃歌」のボイコット問題によって、心に深い傷を負っていないかということと、彼のキャリアに暗い影を落とすことになってはいないかということでした。しかし、カナダ国民全員によってボイコットされていたわけでなく、むしろケベックでは絶対的な人気を得ていたことが分かり、一安心して記事を終了できることを嬉しく思っています。
※musicographiesimardより”Welcome to Montreal”
http://www.bebo.com/MusicAlbum.jsp?MusicAlbumId=2636796285
♪オリンピックの舞台裏♪
私は全く知らなかったことですが、モントリオール・オリンピックでは、アフリカ諸国28カ国が参加をボイコットしています。
それは、ニュージーランドの有名なナショナル・チー ムとも言えるオール・ブラックスというラグビーのチームが、アパルトヘイトで非難を浴びていた南アフリカのラグビー・チームと試合を続けていたためで、そんなことを続けているニュージーランドとその参加を許可したオリンピック委員会にアピールするためのことでした。
近年、オリンピック委員会の様々な問題が公になり、報道されてきましたが、モントリオール・オリンピックも、市の財政を圧迫する膨大な負債や大規模なストライキ等、問題の多い大会だったようです。
♪ルネのドーピング疑惑♪
過去ログ「変声期とオリンピックとドーピング疑惑」でも取り上げましたが、日本の音楽関係者の間で、ルネがホルモン剤を投与して変声を遅らせたという噂が囁かれていたようです。
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/16.html
今でこそ違反行為で大問題ですが、当時のスポーツ界では「共産国の女子体操選手が男性ホルモンを注射して成長を遅らせている」と、公然の秘密のように報道されていました。また、カナダの陸上選手ベン・ジョンソンが、筋肉増強剤を使用していたことが判明したために金メダルを剥奪され、世界に衝撃を与えました。現在、選手は、競技前に風邪薬さえ服用できないほど厳しく検査されています。しかし、ドーピングが実際に行われていたことは紛れもない事実です。
さらに日本の芸能界でも、ルネと共演したことのある人気アイドル・グループのボーカルだったA氏が、変声に悩んでホルモン剤投与の一歩手前まで行って思いとどまった経験談を、TV番組で語っていたという情報もいただきました。
しかし、このブログを始めてから入った情報では、ルネのごく身近なスタッフの話によると、ルネの変声はとても緩やかに訪れたのだそうです。変声というと、ある日突然いきなりやってくるイメージがあります。そのため、「ドーピング」の噂が日本の音楽関係者の間で流れたのでしょう。しかし、変声を遅らせることは出来ても、一度変声が始まってしまった声を元に戻すことは可能なのでしょうか?
また、変声が始まったことがはっきり分かる「去年の夏」に続き、変声前の声の「モントリオール讃歌」、「みんなあなたに」の順で次々と新曲が発表されました。季節感の配慮やオリンピック開催との兼ね合い、そして、日本でのレコード化のためにCBSソニーがノーベル・レコードに交渉していましたし、発売が中止になってしまったTVアニメ「家なき子」の主題歌のレコーディングも行われていたことを考えると、カナダでのレコーディングと、日本で発売された曲の順番が違っていても不思議はありません。この件に関して、詳しい事情や情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご一報ください。よろしくお願いいたします。
♪モントリオール・オリンピックが残したもの♪
モントリオール・オリンピックは、様々な問題をかかえた大会であったことが浮かび上がってきました。当時子どもで、純粋にルネやオリンピック競技、選手の活躍を追っていた私は、これらの事実を知って大変複雑な気持ちでおります。
さらに、この大会の栄光の影で、不幸に見まわれた選手もいます。それは、過去ログでも紹介いたしました、「白い妖精」ルーマニアの女子体操選手ナディア・コマネチです。彼女はこの大会で脚光を浴び、一躍スター選手となって世界の注目の的となりましたが、それが彼女のその後の人生を大きく変えてしまいました。そのことは彼女の亡命とルーマニア革命により明らかになり、彼女の手記が日本でも発刊されました。
それに関係する情報を、当プログのゲスト様しゃむねこさんよりいただきましたので紹介いたします。
現在、”musee simard”と”musicographiesimard”のシャンタルさんの”videosimard”でアップされている、ルネとコマネチの映像の中でルネが歌っている歌は、ルネがコマネチのために特別に作って、この特別番組の中でのみ歌われたものだそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=ECdsvA5NWas
1989年にルーマニアからアメリカに亡命したコマネチは、翌年の1990年、モントリオールオリンピック以降はじめてモントリオールを訪問しました。それを記念してのTV番組だったそうです。ルーマニアは、1989年にコマネチが亡命してすぐに起こったルーマニア革命により、チャウシェスクの共産独裁政権から民主化されました。コマネチとルーマニアの人々が共に自由を得たということを歌ったこの曲のタイトルは、「Victoireー勝利ー」です。
コマネチは、現在でも体操関係やオリンピック関係で活躍しているそうですが、子どもたちのチャリティー事業などには特に精力的に取り組んでいるそうです。ルーマニアからの子どもたちの養子縁組、その後のケアなどのために、ケベック州の養子縁組エージェンシーと協力して活動しています。コマネチ自身も45歳で初めて男の子を出産したとのこと。ルネと同じように、コマネチも「私も頑張らなくちゃ!」というエネルギーを伝えてくれているようです。
http://www.romanian-gymnastics.com/profiles/1976olympics/nadia_comaneci.htm
このサイトには、なつかしいオリンピック時代のコマネチやもっと幼い時のビデオなどが、コマネチのテーマとともに観ることができます。そして、現在のコマネチも、下記のサイトでご覧いただけます。http://www.bartandnadia.com/
♪「モントリオール讃歌」の真実♪
ルネの「モントリオール讃歌」はボイコットされ、別の歌手が別のテーマ曲を歌ったとカナダ政府のサイトに書かれていますが、ルネはもとより、その歌手が実際に歌っている映像を見たことがありません。オリンピックのテーマ・ソングなら、大会期間中BGM等で流されるのが一般的だと思うのですが、私がルネと「モントリオール讃歌」に執着していたせいか、テーマ・ソングらしい曲が流れていた記憶もありません。
これは私の個人的な推測でしか有りませんが、はっきり言って、ボイコットやストライキはオリンピック開催国として好ましくない国内事情だと思います。ましてやルネの「モントリオール讃歌」は既に日本で発売されており、当時活動していたアメリカでも話題になっていないはずがありませんから、全世界に放映される開会式という公の場で、問題のあったテーマ曲を発表することを避けたのではないかと思います。
それから、videosimardのオリンピック映像の最後に、モントリオール五輪のマークのあるステージでルネが歌っている画像があります。これは、モントリオール市長やオリンピック委員会の前でお披露目した時の画像だろうということです。そして、オリンピックの特集番組で紹介されていたものだそうなので、ルネが「モントリオール讃歌」を歌ったことを証明する貴重な画像だと思います。
ルネの「モントリオール讃歌」がボイコットされながらも、何故歌い続けられたのか、また、ヒット曲集に選曲されないのか、まだまだ謎は残りますが、この曲についての情報が入る予定ですので、入手し次第報告したいと思います。
私は、一刻も早く「”モントリオール讃歌”の謎」が解き明かされることを願って止みません。