昨日は立夏、今日はゴールデンウイークの最終日です。ルネ友のみなさまにおかれましては、いかがお過ごしだったでしょうか?
私は新型コロナ感染拡大のためずっと見送っていた、私の「ルネ活」でもあるオフ会を3日に開催いたしました 美味しい食事、楽しくお茶しながらおしゃべり三昧(^^♪ いつものパワースポットでは、毎回引いているおみくじで初めて『大吉』が出ました♫ ここのおみくじは、いつも今現在自分に必要と思われること示してくれるので、オフ会メンバーはみんなで引くのを楽しみにしています。私はいつも『幸せを呼ぶ 天然石おみくじ』 『これまでの努力の蓄積が実り大きな収穫となる運気盛んな時です。他人のための骨折りがいま自分の身に戻ってくる時でもあり、だんだんとうれしい状況に場面がひらけてきます。あなたを理解し応援支持をしてくれる人も出てきます。この幸運を逃がすことなく持続するよう努めましょう。』。 今まで頑張ってきたことが実を結んでいることは確か! 『健康・病気・療養』については、『不摂生に気を付けること』とありましたので、ブログの翻訳記事で寝不足をしないように気を付けたいと思います(笑)。ちなみに幸せを招く石は、前回も今回も魔除・家内安全の『ソーダライト』でした お財布に入れていつも持ち歩いていますよ!
ルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」もメンバーが800人に達し、目標の『開設1周年までは毎日1記事投稿』も、達成に向けて毎日コツコツ投稿し続けています(^^♪ さらに当ブログの開設18周年とファン・グループ開設1周年記念日まであと1か月と少し!「60 ans et déjà 50 ans de carrière」の翻訳も始まったばかりです!「継続は力なり」で頑張ります!!
そして今回は「60 ans et déjà 50 ans de carrière」と「Entrevue avec René Simard ルネ・シマールへのインタビュー」の4回目になります。この見開きページは字数が多いため、2回に分けて紹介いたします。質問の内容はルネの2人の子どもたち、息子オリヴィエと娘ロザリーについてです。
IMMOBILIER ET CONSTRUCTION 不動産と建設
情熱的な、シマール・テユフェの子供たち。 彼の父と会ったまさにその日。 オリヴィエは新しい建設の仕事を始めていました。「オリヴィエはボンバルディエで技術者として8年間勤務し、現在は電気技師です。 彼はその仕事が大好きで、それはとても良いことです!」
建設以外では、オリヴィエは不動産分野に非常に興味を持っています。「彼と共に、マリーと私はサン=トゥスタッシュのシネプレックスに投資しました。 私たちは家族の遺産のために、また情熱を持って彼を励ますためにそれを行っています。さらに、オリビエは優れたマネージャーです。 彼には多くの可能性がありますが、彼はそれが十分に速く進んでいないと考えています。 彼はとてもやり手です!」
不動産? 本当? この関心はどこから来るのでしょうか。 答えを見つけるには、マリー=ジョゼの側を見なければなりません。「この情熱を彼に伝えたのは母方の祖父でした。 1987 年、タユフェ氏は小さな農家を購入し、自分の手で完全に作り直しました。 隣人が一人もいないほどの土地を手に入れて、とても綺麗です! 彼にとっても妻クローデットにとっても、それは彼らの平和の天国です。 オリヴィエと一緒に、彼は厩舎、鶏小屋、小屋を建てました。 彼はツリーハウスを作りました… それは私の息子の興味をそそりました。 すべてはそこから始まったのです。」
LA FIBRE ARTISTIQUE 芸術的な感性
ロザリー、彼女は常にシマールの芸術的才能を持っていました。 彼女は踊り、絵を描きます… 繰り返しになりますが、彼女の父親は尊敬されています。 「パンデミック前は、76回の公演を行いました。 舞台裏では、小道具の準備などをしていました。 彼女はすごかった! 彼女はステージ上と同じように舞台裏でも上手でした。」
彼の父は感情的になり、休憩しました。ワインを一口飲む時間をとりました。この間、ジャーナリストの頭の中で次のような考えが渦巻いていました。生まれつき健全な状態で音楽の音に合わせて踊ること、それは取るに足らない勝利ではありません! ルネはそれを認識していました。 笑って、彼は続けます。「私はテレビで放映される予定のComediHa!のショーで、私の子供たちについて冗談を言いました。『先日、私は自分の子供たちと内省したんですよ。一緒に52枚目のアルバムを聴きました。ディスクは次々と通過し、私は自分自身に“くそー、彼らは耳が聞こえなくてラッキーだ!”』と言ったんです。」と。
※52枚目のアルバム:Nouveaux rêve
APPELER UN CHAT UN CHAT 猫を猫と呼ぶ
言葉をよく見極めてから話す時代に、ルネは常に猫を猫、聴覚障碍者(sourd※)を聴覚障碍者と呼んできました。 つい最近のことではありません。20年前、このジャーナリストはルネの前で「難聴者malentendant※」という言葉を使うたびに大量の汗をかき、その言葉が適切に選択されることを祈っていました。彼の対話者の気詰まりを見て、ルネは吹き出して大笑いしました。「それを止めてくれませんか! 彼らは聴覚障碍者(sourd※)なので、怒っているんです(crisse※)!」
※sourd(聴覚障碍者)とmalentendant(難聴者)はどちらも「耳が不自由な人」という意味ですが、ルネはルネの2人の子供たちの先天性聴覚障碍をsourd、様々な原因で後天的に起こった難聴をmalentendantと区別しているのだと思います。私もそうですが、最近では「しょうがい」を「障害」ではなく、「障碍」や「障がい」と書くようになっているのと同じだと考えています。
※crisse:フランス語の自動詞crisserは「きしる キーキーいう」という意味ですが、ケベックにおいて「crisse」は、非公式の名詞で「怒り」や「何も役に立たない」、下品な言い方では「fuck!」という意味で使われるようです。ここでは、ジャーナリストが大汗をかいて気詰まりしている様子に大笑いしながらも、ルネは「私の子供たちは聴覚障碍者(sourd)なのだから、それ ça(難聴者 malentendantと言うこと)を止めてください。彼らは怒っています!」と言ったのだと解釈しました。
シマール・テユフェでは脚色はしません。 私たちは袖をまくり、それを目指します。「私たちの子供たちがハンディキャップのために犠牲になったことは一度もありません。難聴を敵にしないことが重要です。なぜ私たちの子供たちはユーモアのセンスを持っているのでしょうか? 愛とユーモアの中で育ったからです。」
ROSALIE N’A PAS LA LANQUE DANS SA POCHE! ロザリーは率直に考えていることを言う!
そう、子どもたちは宝物としての自信を持っています。 2020年の夏、パンデミックの真っ只中、ロザリーは透明なプラスチック製の窓付きのマスクを着用しているという口実で、商取引に彼女のアクセスが禁止された後、このことを広めるために行脚しました。彼女は家に帰るとすぐに、ソーシャルネットワークの投稿で、彼女が差別的であると考えたこの状況を非難しました。
ルネはそれを昨日のことのように思い出します。「食料品の買い物をしていると、レジ係の 1 人であるシャンタルが私にこう言いました。『いずれにしても、あなたの娘さん… 悲しいですね、こういう話。』彼女が何について話しているのか、私には分かりませんでした。 ロザリーがアクシデントに遭ったのは確かでした! そこに食料品のカートを置いて走って家に帰りました。」 安心した後、彼は感心しました。「彼女は自分でそれをとても簡単にやってのけたのです。彼女は、聴覚障害者が唇を読むことができるように、そのようなマスクを着用することが重要であることを人々に伝えたかったのです。それは彼女が社会にこの現実を認識させる方法でした。 状況を聞いて…フランソワ・レゴーがそれを受け取りました! ライオネル・カルマン大臣は、記者会見中にバイザー付きのマスクを着用しました。そしてSalut Bonjourが彼女を招待しました。」
ジャーナリストは彼のプライドを傷つけたくはないのですが、彼に1つの質問を課しました。「ロザリーがマリー=ジョゼとルネ・シマールの娘でなかったら、彼女はあらゆる点で資格があったと思いますか?」彼はそう確信しています。 教育問題。「彼女は幼い頃から芸術的な願望を抱いていましたが、彼女は、この仕事をしている両親のおかげで、何の努力もしていないとは決して言いませんでした。もちろん、それは入口になったかもしれません。 しかし、それからあなたは約束を守らなければなりませんよ。真実、たとえば、父親がその職業にいた場合、彼女に門戸を開けます。しかし、司会の才能があったため、彼女はその中にとどまったのです。 本当に、フットインザドアを保つために準備されていました。ロザリーはその教訓を学んだのです。」
※ne pas avoir sa langue dans sa poche(直訳:ポケットに舌を入れない)・・・(比喩的に) (口語で) 率直に (たとえそれが否定的であっても) 率直に考えていることを言うこと。
※フットインザドア(foot in the door 仏:le pied dans la porte)とは、階的要請法とも言われており、最初に小さな要求を承諾させてから段々と要求内容を大きくしていき、最終的に目的である要求を承諾させる方法のこと。
※cuit dans le bec(直訳:くちばしで調理する)何の努力もせずにの意。
息子オリヴィエは現在、電気技師として建設の仕事に就いています。それは母方の祖父の影響であると書かれていました。ジョゼフ君からいただいた1993年撮影のルネが写っている農場のような場所(下の写真参照)が、クロード・タユフェ氏が1987年に購入した小さな農家で、写真右の小屋と鶏舎はオリヴィエと一緒に作ったものなのかもしれませんね(^^♪
ちなみに、1974年に日本の雑誌で掲載された紹介記事の、当時13歳だったルネのプロフィールには、「歌手にならなかったらホッケーの選手か建築家になりたかった」と書かれていましたから、父ルネの影響も少なからず有ったのでしょう。ルネが建築家になりたかった理由は、家族に家を建ててあげたかったからでした。そして1974年当時、シマール家はデビュー後購入したオルレアン島の『船長の家』にはもう住んでいなかったようです。『母のためにモントリオールに大きな家を買った』と書かれている記事も有りましたが、カナダのファンの方によると、『月刊明星1974年10月号』の特集記事で紹介されていた家は、取材のために準備された家だったらしいです。
娘ロザリーにおいては、彼女が芸能界で活動していることを、記者の質問から、世間では「親の七光り」とも思われているように感じました。ロザリーは、いわゆる「二世タレント」に当たりますからね。しかし、ロザリーが先天性聴覚障碍のために人工内耳の手術を受けていたとしても、音楽に合わせてダンスを踊ることや、手話や読唇術無しで会話することは大変難しいことです。
聴覚障碍というハンディキャップに負けず、彼女自身の努力でそれを乗り越え、自分の持つ才能を十二分に生かし、タレントとして、芸術家として活動していることがどんなに凄いことか、父であるルネが一番よく知っています。2020年に聴覚障碍者のためのマスクMasqueSourireを開発し販売に至ったロザリーと、電気技師として働きながら不動産投資を行っているオリヴィエの行動力は、ルネが目指していた『自律的な子供』そのものですね!
さて次回は、孫娘クロエにメロメロなルネおじいちゃんと、ルネの両親についてですよ~(^^♪
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