ルネは1975年3月19日から4月12日まで、「君のすべてがほしい」のプロモーションと全国縦断スプリング・コンサート、「ルネ・オン・メロディー」公開の劇場あいさつ廻りのために4度目の来日をしました。
カナダから取り寄せたスクラップ・ブックの記事には、スプリング・コンサートのパンフレットに掲載されたペーター佐藤氏のイラストが載ったものがありました。(スプリング・コンサートのパンフレットは、しゃむねこさんがブログサイト「Passionルネ・シマールau Japon」で紹介していますのでご覧ください。 ※4)
そこには、4回目の来日における活動の内容についてや、カナダでゴールド・ディスクを受賞したこと、日本からは4月13日に帰国し、この後4月20日から29日までパリに出かけ、8月にはアメリカのロサンゼルスに滞在してダンスと英語のレッスンしたり、TV番組に出演すること、12月にはラスベガスで歌うことなどが書かれてました。
前出の画像の記事に書かれている内容については、後日改めて翻訳して紹介する予定ですが、1975年は、すでに来日の予定はないことが分かります。
▲日本からの帰国後、彼の功績であるゴールド・ディスクの前で
日本のルネ・プロジェクト
「日本のルネ・プロジェクト」は、1974年にルネがカバーした村井邦彦氏作曲のユニセフのキャンペーン・ソング「美しい星Laissez-nous au moins le soleil」がスタートのきっかけでした。そして、今回の記事は、以前紹介いたしました当時ALFAレコードで、ルネと妹ナタリー・シマールのプロデュースを手がけられた宮住俊介氏の了解のもと、氏のエッセイをもとに書いています。
1974年、ALFAレコードでは、ルネの「美しい星」を聴いて惚れ込んだ川添象郎氏の企画のもと、ルネ・シマールを日本で売り出そうということになりました。そのお披露目の舞台には、第3回東京音楽祭世界大会が設定され、カナダ代表としてエントリーされました。エントリーナンバーは101番でした。
この大会は、グランプリの大本命がザ・スリー・ディグリーズだったため、各レコード会社はグランプリは早々にあきらめ、それに続く金賞、銀賞狙いで、様々なプロモーションや審査員対策に奔走していたそうです。
ALFAのスタッフも、当時まだ無名のカナダの少年歌手だったルネも、入賞できればいいくらいに考えていたようです(ルネは大会出場前に「僕は賞を取るよ」と言っていたそうですが…)。
ところがルネは、予想を大幅に覆し、並み居る大人のベテラン歌手を押さえてグランプリを獲得! 表彰式では、フランク・シナトラからグランプリのトロフィーを渡されると、その愛らしい目から大粒の涙がポロリ…。会場は割れんばかりの大拍手。ALFAレコードにとって、最高の結果になりました。
しかしルネが第3回東京音楽祭世界大会において、その美しいボーイ・ソプラノで熱唱し、一夜にしてアイドル・スターになってしまったことは、日本側のスタッフにとっては予想外の展開になりました。
カナダのケベコワ(仏系カナダ人)にとって、フランスでのデビューは憧れ。そこにフランスからのTV出演依頼とフランスでのゴールド・ディスク受賞。さらにフランク・シナトラ氏の招きでアメリカ・ショー・ビジネスの世界へ。そしてエリザベス・テイラーのご指名でミュージカル『青い鳥』の出演が決定…と、それまで無名だったカナダの少年歌手ルネ・シマールは、とんとん拍子で世界から注目されるアイドルになってしまいました。それによって、最初は2か月に1回予定(と報じている記事有り)だった来日も減ってしまったのです。
日本でもこの年の後半から翌1975年にかけてのルネ旋風は凄いものになりました。
デビュー曲の『ミドリ色の屋根』を皮切りに、リリースするシングルやアルバムはみなオリコン・チャートの上位にランク。そして、そのプロモーションのために来日すると、宿泊先のホテルやALFAのビルの前まで、小さな女の子たちが大勢待ち受けていて、さながらビートルズやベイ・シティ・ローラーズの如く大騒ぎになったそうです。
ところが1975年の後半になると、早くもその人気に翳りが…。常に日本にいるアイドルたちと違って、ルネはカナダに住んでいるのですから 無理もありません。アイドルというのは、一度売れたら、テレビやラジオ、あるいは芸能雑誌や新聞などに出続けなければなりません。そうしなければ、すぐに忘れられたり、次々と現れる他のアイドルに、その人気を奪われてしまいます。 とにかくメディアに出続けなければならないのです。
でも、ルネの場合にはそれが不可能です。日本人アイドルと比べたら絶対的に不利でした。
そんな時、1975年にカナダで開催される夏季オリンピック、モントリオール大会で、ルネが主題歌を歌うことが決まりました。打つ手がなくなっていたCBSソニーも、これには大乗りで、宮住氏が担当することになり、CBSソニーの金塚さんがカナダまで歌入れに行きました。しかし、ルネの変声によって録音された曲は発売中止となったそうです。それにつきましては、宮住氏のエッセイから抜粋した内容を、この後紹介いたします。または、直接、宮住氏のエッセでお読みください。
そしてここからは、私の推測になります。
ファン・クラブ等で報じられていたことと、宮住氏のエッセイに書かれた記録には、少々食い違う点があったので、この推測が当たっていれば、納得のいくことが幾つかあります。
1 『モントリオール讃歌』の作曲者の違い
氏によると作曲者は村井邦彦氏ですが、実際はアンドレ・マチュー。
2 『モントリオール讃歌』の日本語詞の存在
仏語詞の作詞はルネですが、過去ログでも紹介した山上路夫氏作詞による日本語詞のモントリオール讃歌がファン・クラブ会報に掲載されました(※1)。
3 CBSソニー金塚女史のカナダでの歌入れ立ち会い
金塚さんは、TVアニメ『家なき子』のテーマ曲「流れる水のように」の歌入れのためにカナダに行ったという、ファン・クラブで紹介されたルネからの手紙がありますが、ここでは「モントリオール讃歌」になっています。また、日本で発表された曲で変声後の曲は「去年の夏」のみです。また、私の質問に対し、「流れる水のように」は変声前の声だったと、宮住氏からお答えいただいています。
もしかすると、カナダには、日本語詞の村井氏作曲の「モントリオール讃歌」を録音に行ったのかも知れません。または、山上氏の日本語詞をアンドレ・マチューの曲に乗せて発売する計画があったのかも知れません。それが日本語版「モントリオール讃歌」でも、「流れる水のように」でも、日本では未発表のまま、音源の存在も不明です。ちなみに、実際に日本で発売されたシングル・レコード「モントリオール讃歌」は、A面が英語版「モントリオール讃歌」、B面が「この旗の下で」でした。
<宮住氏のエッセイより(一部抜粋)>
「モントリオール讃歌」の曲は村井さん自らが書き、それにふさわしい荘厳なオケも出来上がりました。スポーツの祭典にふさわしい、明るく、力強い感動をもった曲でした。タイトルは『モントリオール讃歌』。この曲をルネが、あの張りのある美しい声で歌ったら、大ヒット間違いなし! 誰もがそう信じて疑いませんでした。CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターに、歌入れに立ち合ってもらいました。しかし、スタッフが期待していたスピーカーから流れて来る声は、およそルネの美声とはかけ離れたダミ声の、しかも全く“少年の声” ではない。すると、金塚さんがうつむき加減で、元気のない声でこう言ったのです。
「変声期なんですよ…。」
ああ、これでは発売中止もやむをえませんね。そして、日本における「ルネ・プロジェクト」も、もはやここまでということになってしまいました。残念ながら…。
そう、少年にはこれがあったんですね。私はこの時、ウィーン少年合唱団を描いた映画、「青きドナウ」というのを思い出しました。あそこも、変声期を迎えた少年は、退団しなければならないんですね。非情だ…。ううむ…。
♪「ルネ・シマール」
宮住俊介 音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ! / (株)シュン・コーポレーション
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52230454.html
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52233078.html
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52234335.html
※1過去ログ「「モントリオール讃歌」に日本語詞が存在した」参照http://green.ap.teacup.com/rene_simard/144.html
※2過去ログ「スプリング・コンサート」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/183.html
※3過去ログ「カナダより4回目の来日の記事」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/456.html
※4”Passion ルネ・シマール au Japon”
「スプリングコンサートパンフレット」参照
http://renesimard.blogspot.com/2008/05/blog-post_10.html
http://renesimard.blogspot.com/2008/05/blog-post_18.html
こうして、日本における「ルネ・プロジェクト」は、ルネの変声を機に終結いたしました。
しかし、ルネは変声して『青い鳥』のチルチル役から降ろされた後も、アメリカで活動を続けていましたし、カナダでは「天使の声」を失ってもスターであり続けました。
そして今年は、コメディー・ミュージカル「雨に唄えば」で、ファンを楽しませてくれることでしょう!
カナダから取り寄せたスクラップ・ブックの記事には、スプリング・コンサートのパンフレットに掲載されたペーター佐藤氏のイラストが載ったものがありました。(スプリング・コンサートのパンフレットは、しゃむねこさんがブログサイト「Passionルネ・シマールau Japon」で紹介していますのでご覧ください。 ※4)
そこには、4回目の来日における活動の内容についてや、カナダでゴールド・ディスクを受賞したこと、日本からは4月13日に帰国し、この後4月20日から29日までパリに出かけ、8月にはアメリカのロサンゼルスに滞在してダンスと英語のレッスンしたり、TV番組に出演すること、12月にはラスベガスで歌うことなどが書かれてました。
前出の画像の記事に書かれている内容については、後日改めて翻訳して紹介する予定ですが、1975年は、すでに来日の予定はないことが分かります。
▲日本からの帰国後、彼の功績であるゴールド・ディスクの前で
日本のルネ・プロジェクト
「日本のルネ・プロジェクト」は、1974年にルネがカバーした村井邦彦氏作曲のユニセフのキャンペーン・ソング「美しい星Laissez-nous au moins le soleil」がスタートのきっかけでした。そして、今回の記事は、以前紹介いたしました当時ALFAレコードで、ルネと妹ナタリー・シマールのプロデュースを手がけられた宮住俊介氏の了解のもと、氏のエッセイをもとに書いています。
1974年、ALFAレコードでは、ルネの「美しい星」を聴いて惚れ込んだ川添象郎氏の企画のもと、ルネ・シマールを日本で売り出そうということになりました。そのお披露目の舞台には、第3回東京音楽祭世界大会が設定され、カナダ代表としてエントリーされました。エントリーナンバーは101番でした。
この大会は、グランプリの大本命がザ・スリー・ディグリーズだったため、各レコード会社はグランプリは早々にあきらめ、それに続く金賞、銀賞狙いで、様々なプロモーションや審査員対策に奔走していたそうです。
ALFAのスタッフも、当時まだ無名のカナダの少年歌手だったルネも、入賞できればいいくらいに考えていたようです(ルネは大会出場前に「僕は賞を取るよ」と言っていたそうですが…)。
ところがルネは、予想を大幅に覆し、並み居る大人のベテラン歌手を押さえてグランプリを獲得! 表彰式では、フランク・シナトラからグランプリのトロフィーを渡されると、その愛らしい目から大粒の涙がポロリ…。会場は割れんばかりの大拍手。ALFAレコードにとって、最高の結果になりました。
しかしルネが第3回東京音楽祭世界大会において、その美しいボーイ・ソプラノで熱唱し、一夜にしてアイドル・スターになってしまったことは、日本側のスタッフにとっては予想外の展開になりました。
カナダのケベコワ(仏系カナダ人)にとって、フランスでのデビューは憧れ。そこにフランスからのTV出演依頼とフランスでのゴールド・ディスク受賞。さらにフランク・シナトラ氏の招きでアメリカ・ショー・ビジネスの世界へ。そしてエリザベス・テイラーのご指名でミュージカル『青い鳥』の出演が決定…と、それまで無名だったカナダの少年歌手ルネ・シマールは、とんとん拍子で世界から注目されるアイドルになってしまいました。それによって、最初は2か月に1回予定(と報じている記事有り)だった来日も減ってしまったのです。
日本でもこの年の後半から翌1975年にかけてのルネ旋風は凄いものになりました。
デビュー曲の『ミドリ色の屋根』を皮切りに、リリースするシングルやアルバムはみなオリコン・チャートの上位にランク。そして、そのプロモーションのために来日すると、宿泊先のホテルやALFAのビルの前まで、小さな女の子たちが大勢待ち受けていて、さながらビートルズやベイ・シティ・ローラーズの如く大騒ぎになったそうです。
ところが1975年の後半になると、早くもその人気に翳りが…。常に日本にいるアイドルたちと違って、ルネはカナダに住んでいるのですから 無理もありません。アイドルというのは、一度売れたら、テレビやラジオ、あるいは芸能雑誌や新聞などに出続けなければなりません。そうしなければ、すぐに忘れられたり、次々と現れる他のアイドルに、その人気を奪われてしまいます。 とにかくメディアに出続けなければならないのです。
でも、ルネの場合にはそれが不可能です。日本人アイドルと比べたら絶対的に不利でした。
そんな時、1975年にカナダで開催される夏季オリンピック、モントリオール大会で、ルネが主題歌を歌うことが決まりました。打つ手がなくなっていたCBSソニーも、これには大乗りで、宮住氏が担当することになり、CBSソニーの金塚さんがカナダまで歌入れに行きました。しかし、ルネの変声によって録音された曲は発売中止となったそうです。それにつきましては、宮住氏のエッセイから抜粋した内容を、この後紹介いたします。または、直接、宮住氏のエッセでお読みください。
そしてここからは、私の推測になります。
ファン・クラブ等で報じられていたことと、宮住氏のエッセイに書かれた記録には、少々食い違う点があったので、この推測が当たっていれば、納得のいくことが幾つかあります。
1 『モントリオール讃歌』の作曲者の違い
氏によると作曲者は村井邦彦氏ですが、実際はアンドレ・マチュー。
2 『モントリオール讃歌』の日本語詞の存在
仏語詞の作詞はルネですが、過去ログでも紹介した山上路夫氏作詞による日本語詞のモントリオール讃歌がファン・クラブ会報に掲載されました(※1)。
3 CBSソニー金塚女史のカナダでの歌入れ立ち会い
金塚さんは、TVアニメ『家なき子』のテーマ曲「流れる水のように」の歌入れのためにカナダに行ったという、ファン・クラブで紹介されたルネからの手紙がありますが、ここでは「モントリオール讃歌」になっています。また、日本で発表された曲で変声後の曲は「去年の夏」のみです。また、私の質問に対し、「流れる水のように」は変声前の声だったと、宮住氏からお答えいただいています。
もしかすると、カナダには、日本語詞の村井氏作曲の「モントリオール讃歌」を録音に行ったのかも知れません。または、山上氏の日本語詞をアンドレ・マチューの曲に乗せて発売する計画があったのかも知れません。それが日本語版「モントリオール讃歌」でも、「流れる水のように」でも、日本では未発表のまま、音源の存在も不明です。ちなみに、実際に日本で発売されたシングル・レコード「モントリオール讃歌」は、A面が英語版「モントリオール讃歌」、B面が「この旗の下で」でした。
<宮住氏のエッセイより(一部抜粋)>
「モントリオール讃歌」の曲は村井さん自らが書き、それにふさわしい荘厳なオケも出来上がりました。スポーツの祭典にふさわしい、明るく、力強い感動をもった曲でした。タイトルは『モントリオール讃歌』。この曲をルネが、あの張りのある美しい声で歌ったら、大ヒット間違いなし! 誰もがそう信じて疑いませんでした。CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターに、歌入れに立ち合ってもらいました。しかし、スタッフが期待していたスピーカーから流れて来る声は、およそルネの美声とはかけ離れたダミ声の、しかも全く“少年の声” ではない。すると、金塚さんがうつむき加減で、元気のない声でこう言ったのです。
「変声期なんですよ…。」
ああ、これでは発売中止もやむをえませんね。そして、日本における「ルネ・プロジェクト」も、もはやここまでということになってしまいました。残念ながら…。
そう、少年にはこれがあったんですね。私はこの時、ウィーン少年合唱団を描いた映画、「青きドナウ」というのを思い出しました。あそこも、変声期を迎えた少年は、退団しなければならないんですね。非情だ…。ううむ…。
♪「ルネ・シマール」
宮住俊介 音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ! / (株)シュン・コーポレーション
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52230454.html
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52233078.html
http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52234335.html
※1過去ログ「「モントリオール讃歌」に日本語詞が存在した」参照http://green.ap.teacup.com/rene_simard/144.html
※2過去ログ「スプリング・コンサート」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/183.html
※3過去ログ「カナダより4回目の来日の記事」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/456.html
※4”Passion ルネ・シマール au Japon”
「スプリングコンサートパンフレット」参照
http://renesimard.blogspot.com/2008/05/blog-post_10.html
http://renesimard.blogspot.com/2008/05/blog-post_18.html
こうして、日本における「ルネ・プロジェクト」は、ルネの変声を機に終結いたしました。
しかし、ルネは変声して『青い鳥』のチルチル役から降ろされた後も、アメリカで活動を続けていましたし、カナダでは「天使の声」を失ってもスターであり続けました。
そして今年は、コメディー・ミュージカル「雨に唄えば」で、ファンを楽しませてくれることでしょう!
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