先週は、素敵に年を重ねたルネとマイケル・J・フォックスについて書きました。そして今回は…… もとスーパー・アイドルの代表格、レイフ・ギャレットについてです。
まずは、私のルネ・コレクションの中から、"The Rene Simard Showルネ・シマール・ショー"にレイフがゲスト出演した時の記事を紹介いたします。ちなみに、最初の2つの記事はその内容から、カナダの英語圏ではなく、アメリカで報じられたもののようです。後の2つは過去ログでも紹介したカナダの記事です。
そして最後は、アイドル時代のレイフと逮捕された時のレイフ、現在のレイフ画像を紹介いたします。
▲「レイフはカナダとルネ・シマールを訪問した」
それは素敵なショーで、ルネはカナダで女の子の半数と一緒にレイフを迎えた!!!!!!
『ルネ・シマール・ショー』はカナダで人気があり、彼はカナダのスーパーティーンで、それはレイフ・ギャレットと彼が"Runaround Sue"を歌って勝負した大ヒット・ショーであった
▲そして何とくたくたに疲れさせるペースだろうか! 輝くスター、レイフキャレットにとって、放浪するのに遠過ぎる地球の場所がない限り、彼に会うチャンスがあるだろう。
カナダのモントリオールは、急ぎ足のレイフが最近立ち止まった地球の一部分である。彼は、熱愛するルネ・シマールのTVショーのスペシャル・ゲストだった! あいにく、このショーはカナダ(と北アメリカ数箇所)でしか見ることができない。しかし、レイフのファンは至る所にいるので、彼女たちは彼に会う機会を得たことを本当に喜んでいた!
▲ルネ・シマールとレイフ・ギャレット カナダとアメリカのスーパ・アイドルの共演
▲1978年にオンタリオで歌うルネ(左)レイフ・ギャレットがルネに当て、共演を楽しみにしていると書いた手紙(右)
※過去ログ「世界のルネーカナダの英語圏編ー」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/450.html
▲ヒット曲『ダンスに夢中 I Was Made for Dancin’』のレコード・ジャケット(左)と逮捕された時のレイフ(右)
▲アイドル時代のレイフ(左)とちょい悪親父な現在のレイフ(右)
レイフ・ギャレット Leif Garrett
・本名 Leif Per Nervik
・生年月日 1961年11月8日(53歳)
・出生地 カリフォルニア州ハリウッド
・国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
・ジャンル 俳優、歌手
・1970年代後半から1980年代初頭にかけて世界的にアイドルとして人気を博した。
・1961年、スタントマン兼俳優でカメラ・オペレーターでもあるリック・ネルヴィークと女優兼衣裳デザイナーのキャロリン・ステラーの間に生まれる。
・幼い頃から妹のドーン・リン(1963年~)とともに子役として活動。
・主人公の息子役で出演した『ウォーキング・トール』(1973年)で注目される。
・1975年のCBSのテレビドラマシリーズ「Three for the Road」で主人公の息子役を演じたことがきっかけでアイドルになる。
・ショーン・キャシディのプロデューサーだったマイケル・ロイドと契約し、アトランティック・レコードからレコード・デビュー。
・1978年11月発売の「I Was Made for Dancin’」(邦題:『ダンスに夢中』)はBillboard Hot 100で10位、オーストラリアで2位、イギリスで4位、日本のオリコンでは最高位12位などを記録。
・日本ではギャレットが出演したナビスコ・アイダホポテトスティックのCMに使用されたことから大ヒットし、1979年のオリコン年間チャートで31位、35万7千枚の売り上げを記録。洋楽部門では1位。
・同時期に発売したアルバム「Feel The Need」に収録された「NEW YORK CITY NIGHTS」は、田原俊彦のデビュー曲「哀愁でいと」。
・1979年4月3日には自身の冠ショーLeifがCBSで放映され、ブルック・シールズやマイケル・ロイド・プロデュースでアメリカ進出を遂げたばかりのピンク・レディーがゲスト出演。その模様は日本テレビのNTVザ・ヒット! ピンク百発百中で放送された。
・世界的な人気アイドルとして人気絶頂の1979年11月3日に麻薬吸引と飲酒が原因で起こした交通事故がきっかけで人気は下降し始めた。
・本人があからさまにティーン・アイドルのイメージを嫌い始めてフィアンセのニコレット・シェリダンとのセミヌード写真を公開した。
・都倉俊一とジョー・ダンドレアによるプロデュースの1981年のアルバム「My Movie Of You」を最後にアトランティック・レコードからのレコードのリリースはなくなり、俳優業に戻った。
・映画では、『アウトサイダー』、『The Spirit of '76』(日本未公開)以外では役に恵まれなかった。
※レイフ・ギャレットが事件を起こして逮捕された時の記事
Leif Garrett: Once made for dancing, now made for jail
http://www.oregonlive.com/today/index.ssf/2010/02/leif_garrett_once_made_for_dancing_now_made_for_jail.html
※wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88
余談ですが、レイフ・ギャレットがカナダのお騒がせアイドル、ジャスティン・ビーバーにアドバイスを送っているという記事がありました。ジャスティンも末は不良親父?!
※tvgroove.com『往年の“堕ちたアイドル”レイフ・ギャレットがトラブルが絶えないジャスティン・ビーバーに忠告』参照
http://www.tvgroove.com/news/article/ctg/1/nid/13237.html
※YouTube映像"I Was Made For Dancing - Leif Garrett (클래식 동영상 카페)" 韓国のTV番組で歌うおじさんレイフ
https://www.youtube.com/watch?v=lHzPJm4i7O4
※ルネとレイフ・ギャレットが歌った"Runaround Sue"
現在のルネとレイフを比べると、どうしても『50歳を超えたら、自分の顔に責任を持て』という言葉を思い浮かべてしまいます。私たちも気をつけなければ…ね!
まずは、私のルネ・コレクションの中から、"The Rene Simard Showルネ・シマール・ショー"にレイフがゲスト出演した時の記事を紹介いたします。ちなみに、最初の2つの記事はその内容から、カナダの英語圏ではなく、アメリカで報じられたもののようです。後の2つは過去ログでも紹介したカナダの記事です。
そして最後は、アイドル時代のレイフと逮捕された時のレイフ、現在のレイフ画像を紹介いたします。
▲「レイフはカナダとルネ・シマールを訪問した」
それは素敵なショーで、ルネはカナダで女の子の半数と一緒にレイフを迎えた!!!!!!
『ルネ・シマール・ショー』はカナダで人気があり、彼はカナダのスーパーティーンで、それはレイフ・ギャレットと彼が"Runaround Sue"を歌って勝負した大ヒット・ショーであった
▲そして何とくたくたに疲れさせるペースだろうか! 輝くスター、レイフキャレットにとって、放浪するのに遠過ぎる地球の場所がない限り、彼に会うチャンスがあるだろう。
カナダのモントリオールは、急ぎ足のレイフが最近立ち止まった地球の一部分である。彼は、熱愛するルネ・シマールのTVショーのスペシャル・ゲストだった! あいにく、このショーはカナダ(と北アメリカ数箇所)でしか見ることができない。しかし、レイフのファンは至る所にいるので、彼女たちは彼に会う機会を得たことを本当に喜んでいた!
▲ルネ・シマールとレイフ・ギャレット カナダとアメリカのスーパ・アイドルの共演
▲1978年にオンタリオで歌うルネ(左)レイフ・ギャレットがルネに当て、共演を楽しみにしていると書いた手紙(右)
※過去ログ「世界のルネーカナダの英語圏編ー」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/450.html
▲ヒット曲『ダンスに夢中 I Was Made for Dancin’』のレコード・ジャケット(左)と逮捕された時のレイフ(右)
▲アイドル時代のレイフ(左)とちょい悪親父な現在のレイフ(右)
レイフ・ギャレット Leif Garrett
・本名 Leif Per Nervik
・生年月日 1961年11月8日(53歳)
・出生地 カリフォルニア州ハリウッド
・国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
・ジャンル 俳優、歌手
・1970年代後半から1980年代初頭にかけて世界的にアイドルとして人気を博した。
・1961年、スタントマン兼俳優でカメラ・オペレーターでもあるリック・ネルヴィークと女優兼衣裳デザイナーのキャロリン・ステラーの間に生まれる。
・幼い頃から妹のドーン・リン(1963年~)とともに子役として活動。
・主人公の息子役で出演した『ウォーキング・トール』(1973年)で注目される。
・1975年のCBSのテレビドラマシリーズ「Three for the Road」で主人公の息子役を演じたことがきっかけでアイドルになる。
・ショーン・キャシディのプロデューサーだったマイケル・ロイドと契約し、アトランティック・レコードからレコード・デビュー。
・1978年11月発売の「I Was Made for Dancin’」(邦題:『ダンスに夢中』)はBillboard Hot 100で10位、オーストラリアで2位、イギリスで4位、日本のオリコンでは最高位12位などを記録。
・日本ではギャレットが出演したナビスコ・アイダホポテトスティックのCMに使用されたことから大ヒットし、1979年のオリコン年間チャートで31位、35万7千枚の売り上げを記録。洋楽部門では1位。
・同時期に発売したアルバム「Feel The Need」に収録された「NEW YORK CITY NIGHTS」は、田原俊彦のデビュー曲「哀愁でいと」。
・1979年4月3日には自身の冠ショーLeifがCBSで放映され、ブルック・シールズやマイケル・ロイド・プロデュースでアメリカ進出を遂げたばかりのピンク・レディーがゲスト出演。その模様は日本テレビのNTVザ・ヒット! ピンク百発百中で放送された。
・世界的な人気アイドルとして人気絶頂の1979年11月3日に麻薬吸引と飲酒が原因で起こした交通事故がきっかけで人気は下降し始めた。
・本人があからさまにティーン・アイドルのイメージを嫌い始めてフィアンセのニコレット・シェリダンとのセミヌード写真を公開した。
・都倉俊一とジョー・ダンドレアによるプロデュースの1981年のアルバム「My Movie Of You」を最後にアトランティック・レコードからのレコードのリリースはなくなり、俳優業に戻った。
・映画では、『アウトサイダー』、『The Spirit of '76』(日本未公開)以外では役に恵まれなかった。
※レイフ・ギャレットが事件を起こして逮捕された時の記事
Leif Garrett: Once made for dancing, now made for jail
http://www.oregonlive.com/today/index.ssf/2010/02/leif_garrett_once_made_for_dancing_now_made_for_jail.html
※wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88
余談ですが、レイフ・ギャレットがカナダのお騒がせアイドル、ジャスティン・ビーバーにアドバイスを送っているという記事がありました。ジャスティンも末は不良親父?!
※tvgroove.com『往年の“堕ちたアイドル”レイフ・ギャレットがトラブルが絶えないジャスティン・ビーバーに忠告』参照
http://www.tvgroove.com/news/article/ctg/1/nid/13237.html
※YouTube映像"I Was Made For Dancing - Leif Garrett (클래식 동영상 카페)" 韓国のTV番組で歌うおじさんレイフ
https://www.youtube.com/watch?v=lHzPJm4i7O4
※ルネとレイフ・ギャレットが歌った"Runaround Sue"
現在のルネとレイフを比べると、どうしても『50歳を超えたら、自分の顔に責任を持て』という言葉を思い浮かべてしまいます。私たちも気をつけなければ…ね!
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