今回は少しシリアスな話。
若干イジメの描写含みます。トラウマに抵触する恐れのある方は回避願います。
大学3年時の浩介視点です。
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『風のゆくえには~君がいてくれる』
慶に触れているときだけ、自然に息ができる。
慶を抱いているときだけ、心の底から安心できる。
今の幸せは夢の中の出来事で、目覚めたらまた、あの薄暗い部屋の中で母の金切り声を聞いているのではないか、父の怒鳴り声に怯えているのではないか、教室の狭い掃除用具入れの中に閉じ込められているのではないか……そんな考えに囚われがんじがらめになってしまう時がある。
慶がそばにいるときでさえ、触れていないと、ふとしたときに、手の先が冷たくなって息苦しくなるときがある。そんな時は、ほんの少しでいいから慶に触れる。そうすると、温かいものが体中を巡回しはじめる。それでようやく普通に息ができるようになる。
高校の時は比較的大丈夫だったのは、慶に会える時間が多かったからだろうか。大学一年、二年の時もまだマシだった。
でも、おれが三年になり、慶が二年になった途端、忙しくて予定も合いにくくなってきて、その上、おれの両親を黙らせるために、友人のあかねに恋人のフリをしてもらうようになって、変なストレスも増えてしまい……。外界と自分の間に壁ができているような、ブラウン管の中にいるような感覚にとらわれる回数が、激増してしまった。
それでも、おれには慶がいるから大丈夫。大丈夫だと思った。
昔のことは忘れよう。忘れよう。慶がいてくれるから大丈夫。
そう、思っていた矢先のことだった。
「桜井? お前、桜井じゃねえ?」
「!」
記憶よりも低くなった声。でも口調は昔と同じ。
振り返ると、中学時代の面影を残したままの男子学生が立っていた。
「筒井……君」
「やっぱり、桜井ー。懐かしいな、お前。元気だったかー?」
チャラチャラした、という形容詞がよく似合っている。茶髪で、派手な服で、ピアスまでしていて……
筒井は昔の記憶のままのニヤニヤとした顔で話しかけてくる。
「お前、いきなり学校やめたからみんなビックリしてたんだぜー?」
「ああ……うん」
言葉が……出てこない。ブラウン管の中に入れられたみたいに景色が遠くなる……。
「何、筒井、友達?」
筒井の隣の、似たような感じの男子学生が筒井に言うと、筒井は軽く肯き、
「おれら小中一緒だったんだよ。でもこいつ、高校上がんなかったから、もう5年以上ぶりになんのか?」
「そう……だね」
おれは小学校から大学までエスカレーター式で上がれる学校に通っていた。中学卒業と同時に退学して、高校は地元の県立高校に進学したのだ。
「今、何してんだ? ボランティアサークル?」
「うん……」
今日はおれの通っている大学の学祭。参加しているサークルが屋台を出しているため、その宣伝の看板持ちをしている。サークルには他学の学生も多く参加している。
これだけたくさんの人がくるのだから、知り合いに会う確率は高い。現に、高校時代のクラスメートには何人か会った。でも、中学時代の知り合いに会ったのは初めてのことだった。絶対に会いたくなかった……
「へえ。お前今大学行ってんの? つか、高校どうしたんだよ? どっか通ってたのか?」
「あ……うん」
「へえ? 中学ほとんど来なかったのに、高校は通ったんだ?」
「……………」
あいかわらずの嫌味な言い方。上から目線。蛇のように執拗な目線。吐き気がする。
「え? ほとんど来なかったってなんで?」
筒井の隣の男子学生がきょとんと聞いてくる。
「病気?」
「いや、登校拒否。なあ? 桜井」
「…………」
ぐあっとフラッシュバックが起こる。
異臭のする掃除用具入れ。狭い。暗い。出してくれ、と叫ぶ自分の声。外から聞こえてくる笑い声……。
助けて。助けて。誰か助けて……
「…………」
汗が噴き出てくる。頭が破裂しそうだ。
助けて。助けて。息ができない……。
「あ………」
筒井のニヤニヤした顔を前に、意識が遠のきそうになった、その時だった。
「浩介っ」
「!」
いきなり背中から抱きつかれ、よろめいてしまった。おんぶするみたいに飛び乗ってきた、その温かい温かいぬくもり。途端に霧が晴れるみたいに視界が明るくなる。
「お前、何さぼってんだよー。呼び込みしろって言われてんだろー?」
「………慶」
耳元に聞こえてくる優しい声。清涼な空気に包まれる。息が、できる……
「何? 知り合い?」
慶はするするとおれからおりると、おれの腕を掴んだまま、筒井を見上げた。
筒井は突然現れた超美形な慶の姿に呆気にとられていたが、問いかけられ、我に返ったように高飛車な態度を取り戻した。
「あー、おれ、桜井と小中一緒だった……」
「あのっ」
そんな筒井の言葉にかぶせて、筒井の後ろでなにかコソコソ話していた女の子二人が、ずいっと前に出てきた。
「渋谷慶さん、ですよね? アマリリリスでバイトしてた……」
「あ、いつもケーキセット注文してくれた……」
「え! 覚えててくれたんですか?!」
きゃあっと悲鳴をあげる女子2人。昨年まで慶がバイトしていた喫茶「アマリリリス」には慶目当ての客がたくさんいた。彼女たちもそのうちの2人らしい。
「そりゃ覚えてるよ。よく来てくれてたもんね」
「きゃあ~嬉しい~」
「あの……それで、もしかして、こちらは、よくカウンターでコーヒー飲んでた……」
「そうそう。こいつ、あれでしょ。カウンターの君、だっけ?」
「わあっやっぱり!」
女の子二人が手を取り合って喜んでいる。そう、おれもアマリリリスに通いつめていたため、常連客に「カウンターの君」とあだ名されていたらしい。
「お二人はお友達になったんですね?」
「いや、違うよ。元々友達。ていうか、親友。大親友」
「慶!」
慌てて止めたが遅かった。ケロリとしている慶。それは言わない約束だったんじゃないの?
「え?! そうなんですか?!」
「そうだよ」
「ちょっと、慶」
「いいじゃねえか。もうバイト辞めたんだからよ」
慶が肩をすくめる。いや、確かにバイトをする際の約束ではあったけど……
「親友って、いつからですか?!」
「高校一年から。な?」
「高校って、同じ高校だったんですか?! ちなみにどちらの……」
女の子達、めちゃめちゃ食いついてきている。慶は何の躊躇もなく、
「白浜高校。って言っても知らないか。神奈川県立白……」
「白高?! 偏差値高!!」
ぎょっとしたように一人の子が叫んだ。知ってるんだ? もう一人の子が問いかけてくる。
「渋谷さんは今、〇大の2年生ですよね? 桜井さん?も?」
「いや、こいつは、ここの大学の3年。おれは浪人したけど、こいつは現役で入ってるから」
「えーそうなんだー二人とも頭良いー」
女の子達がきゃっきゃっとはしゃいでいる横で、筒井が強引に口を挟んできた。
「へえ~桜井、あいかわらず頭いいんだな。学校きてなくても関係なかったな」
「…………」
筒井の声に体が固まってしまう。
ジッと慶が無表情で筒井を見つめる。慶の無表情は迫力がある。筒井が負けじと乾いた笑いを浮かべた。
「現役でここの大学? さすがだねえ」
筒井の威圧的な目……。
おれが何も言えず押し黙ると、慶がふいっと女の子二人に目を移した。
「君たち、この二人の連れ?」
「え、違いますっ」
女の子二人、慌てて首を振った。
「そこで声かけられただけで、何も約束は」
「ああ、そうなんだ。じゃ、よければそこでお茶していってよ。本場のチャイとかあるよ」
「わあ。是非!」
「行きます行きます~」
女の子達は嬉しそうに肯くと、引き留めようとした筒井には見向きもせず、筒井じゃないほうの男に「じゃ、ごめんねー」と声をかけ、おれの所属するサークルがやっている屋台の方へと歩いていってしまった。
「おれも行く~」
筒井の友人が、チラリと筒井を見てから女子のあとをついていく。
取り残された筒井が、敵意のこもった目で睨みつけてきた。見覚えのある眼差し。奴が攻撃してくる前の目……。
「桜井~」
耳を塞ぎたくなる声。
「中学にもなって小便もらしてたやつが偉くなったもんだよなあ」
「!」
それを言う……いや、言うだろうな筒井だったら。本当に変わらない……
蘇ってくる記憶……
慶に聞かせたくない。逃げ出したい。でも、足も口も動かない……
「なあ? ふざけて掃除ロッカーに閉じ込めたくらいで、パニくって漏らして……」
筒井が嬉々として続けようとしたところ、
「最っ低だな」
切りこむように、慶の声が筒井の口を止めた。一瞬止まった筒井が、ああ、とニヤリと笑った。
「そうなんだよ。最低だろ? 普通中坊にもなって……」
「ちげーよ。てめーが最低だって言ってんだよ」
慶、体から怒りのオーラが立ち上っている。
「そんなことをしたことも最低だし、今、こうやって自慢話みたいにそれを話してることも最低だよ。ばかじゃねえの」
「な……っ」
筒井がカッとなったように一歩近づいてきた。
「こいつはなあ中学の時……」
「中学の時中学の時うるせーよ。何年前の話してんだよ。ああ?」
慶が筒井を睨みつける。
「てめーの頭、中学で止まってんのか?」
「何を……っ」
「昔のことなんてどーでもいいんだよ。こいつは今、楽しい毎日送ってんだよ。昔のことなんて関係ねえよ」
慶の強い瞳。慶からたちこめるオーラ。なんて綺麗な……
そこへ、今度はふわりと良い匂いがしてきた。
「こーすけ先生、休憩入っていいわよー」
「……あかね、サン」
人目を惹く美女。木村あかね。おれが唯一本音を話せる友達。
筒井が突然の美女登場に驚いた顔をしてあかねを見ている。
慶が軽く手をあげた。
「あかねさん。あと、お願いします」
「オッケーよ。ほら、こーすけ先生?」
「あ……」
慶とあかね、二人を見返す。大切な大切な二人……
「んじゃ、行こうぜっ。おれたこ焼き食いてえ」
「え……とと」
いきなり、また、慶に飛び乗られてよろけてしまう。おんぶ、ということらしい。慶が首にぎゅっとしがみついてくる。
「慶……」
「はい。しゅっぱーつ」
大好きな慶の声が耳元から聞こえてくる。背中から体温が伝わってくる。
ほら、大丈夫。おれには慶がいるから大丈夫……。
「桜井……」
「筒井君」
慶をおんぶしたまま、筒井を見返す。
「おれ、あのまま高校上がらなくて正解だったよ。おかげでこの2人に会えた」
「え……」
「おれ今すごい幸せだよ」
「は………何言って………」
戸惑った表情をした筒井に、ニッコリと笑いかける。ほら、おれ、笑える。
「じゃあね」
そして、いつも支えてくれるあかねに頷きかける。
「じゃ、あかねサン、 30分で戻るから」
「りょーかい」
「桜井………っ」
筒井の声を背に歩きだす。もう振り向かない。振り向かない。
たこ焼きを買って、空いているベンチに二人並んで腰をおろしたところで、慶が「あーあ」と大きくため息をついて、ボソッといった。
「おれ、お前と同じ中学だったらなあ」
「え?」
見返すと、慶は口を尖らせて言ってくれた。
「あんな奴、ボッコボコにしてやったのに」
「慶………」
慶の気持ちを思って心が温かくなってくる。でも………
「でも、中学の時に会っても、慶はおれのこと好きになってくれてないと思う。友達にもならなかったと思うよ」
中学生のおれは、暗くて愛想がなくて卑屈でいつも下を向いていて………
あんな奴、誰からも好かれない。本当のおれの姿………。
「……っ」
深淵に沈みこみそうになったところを、温かい手に掴みだされる。
「ばーか」
明るい声。
「おれはどんなお前でも好きになった自信あるぞ?」
「…………慶」
慶の笑顔。胸がしめつけられる。
こんな人にこんなこと言ってもらえるなんて、おれはなんて幸せなんだろう。泣きたくなってくる。
慶はいたずらそうにイヒヒと笑うと、
「何しろおれは健気に一年以上お前に片思いしてたくらいだからな。その間、お前は先輩を好きになったり………」
「わー、その話、まだするー?」
この話をされると困ってしまう。
一年以上片思いしてたっていうのは、本当にビックリなことで、高2の冬におれが告白した時に聞かされたけどいまだに信じられないし、全然気がつかなかったし、ものすごく嬉しいんだけど………でも、美幸さんの話の方はもう忘れてほしい!
「ねー、その話はそろそろ忘れてくれない?」
「無理。あの時どれだけおれが苦しんだか………」
「も~~慶~~」
「わ。やめろっ」
頭をぐしゃぐしゃとかきまぜてやると、慶がくすぐったそうに笑った。愛おしい慶。いますぐ抱きしめたいけれど、人目があるので我慢我慢。
「あ~、あのときはつらかったなあ~」
「だからごめんって。でも、慶、昔のことなんてどーでもいいって言ってくれたじゃん。今、楽しい毎日送ってるから関係ないって」
さっき慶が筒井に言ってくれた言葉を言うと、慶は「いやいや」と首をふり、
「それはそれ、これはこれ」
「じゃあさっ」
最後の手段!
「慶が片思いしてくれてた分まで、たっくさん愛、受け取るから!」
「受け取る? どうやって?」
「そりゃもちろん……」
コソコソコソっと慶の白い耳に唇をよせて卑猥な言葉をささやくと、慶がみるみる真っ赤になっていく。かわいい。
「………変態っ」
「えへへ」
「えへへ、じゃねえよっ」
大好きな大好きな慶。
やっぱりおれは慶がいてくれれば大丈夫。大丈夫だ。
今、幸せだから、昔のことなんてどーでもいいから。
今度、昔のおれを知っている奴に会っても胸を張って立ち向かいたい。
できるかどうかは分からないけど。でも、慶がいてくれれば大丈夫。きっと、大丈夫。
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以上。真面目な話でした。
ちなみに、最後、慶にコソコソいってた卑猥な言葉ってなにかというと……
……まあ、あれですよ。フェラして飲みますって話です(←下品だ!!)。
あ、そうそう。
作中、慶は「チャイがあるよ」なんて普通に宣伝してますが、慶はサークル入ってません。ただ遊びにきただけです。
ここのサークルは、浩介とあかねが入っている、日本語ボランティア教室です。多国籍の方が参加しています。
昔、自分をいじめていた人に会うってつらいですよね。会わないで済むなら一生会いたくない。
でも、どうしても会わなくちゃならない場合は、胸を張って会おう。
今を幸せに生きて、見返してやろう。
ってお話でした。
まあ……あわなくて済むなら一生会いたくないですけどね……ほんとにね……
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