【真木視点】
シャワー室を出てから、携帯メールの着信に気が付いた。相手は、古谷環、だ。
(空封筒の件か?)
一応、ホテルについてチヒロの到着を待っている間に、今日のお礼と、先に失礼したお詫びと、チヒロ経由でもらった封筒の中身が入っていなかったということをメールしておいたのだ。その返事かもしれない、と、一瞬、携帯を手に取りかけたけれど、
(まあ………いいか)
もう深夜2時半を過ぎている。読んだところで返事もできない、という言い訳を自分にして、放置することにした。
せっかくの今の甘い気分をまだ味わっていたい。
「真木さん?お仕事ですか?」
チヒロが、立っている俺の背中にピトッとくっついてきた。
ああ、本当に、驚くほど、愛しさが広がっていく……
「違うよ。何でもない」
手を回して肩を抱き、窓際に連れて行く。チヒロの好きな景色。この時間だから若干光が少ないだろうか。でも、チヒロはほんのりと頬に笑みを浮かべて言った。
「やっぱりここからの眺めが一番好きです」
「……そう。よかった」
こめかみにキスをする。頭を撫でる。可愛くて、愛しくて、しょうがない。
「真木さん」
「うん」
「…………」
「…………」
名前を呼ばれる。見つめ合う。それだけでこんなにも満たされる。こんなこと今まで一度だって経験したことがない。
(さっきの、イッた瞬間のチヒロ……今までみたことのない可愛さだったな……)
俺の手の中に白濁を散らし、蕩けるような目で俺を見上げてきたチヒロ。挿入もしていないし、俺自身は射精していないけれど、心が満たされていて、そんなことの必要性を感じなかった。
今まで何十……いや、百以上の相手と体を繋いできたけれど、こんなにも充実感を得られた交わりは初めてだ。容姿もテクニックも関係ない。射精すら必要ない。ただ愛しいという気持ちだけで、こんなにも満たされる。
もっと気持ちよくしてやりたい。その蕾にゆっくりと侵入して一つになって、優しく包み込んで、それから………、なんてことも、一瞬頭をよぎった。………けれども。
(なんか………もったいない)
今の関係をもっと堪能したい。そんなことを思って、それ以上の行為に及ぶのはやめてしまった。
もっと甘やかしたい。もっと蕩けさせたい。
(そうだな………あと何回かはこのまま………)
そう思いかけて………ゾッと嫌な感覚に囚われた。
(俺はあと何回、この子に会えるんだ……?)
あと………、あと何回?
ああ、ダメだ。今、それを考えるのは止めよう。
「真木さん?」
「うん………」
ぎゅうっと抱きしめる。すがるように。
今は考えたくない。
「………。明日の朝はルームサービス取ろうか。チヒロ君は何か食べたいものある?」
「……………」
すると、チヒロはゆっくりと顔を上げ、ふわっとした笑みを浮かべた。
「真木さんと一緒に食べられるならなんでも嬉しいです」
「……………そう」
そっと口づける。
こうして毎日、君と一緒に夜を過ごし、一緒に朝を迎えられたら、どんなに幸せだろう。
でも、翌朝………
俺は寝ているチヒロを置いて一人でホテルを出た。古谷環に会うためだ。
明け方目覚めてから、何の気なしに読んでみた古谷環からのメール………。題名もないそのメールは、本文もアッサリしたものだった。
『ヒロ君のこと、美味しくいただいた?』
……………。
……………まずい。
指先から血の気が引いていったのが分かった。
古谷環は、兄の知り合いだ。
どう言い訳する? どう口止めする?
そもそも、チヒロが俺のところにきたことを、何故、環は知っているんだ? チヒロと俺のことをどこまで知っている?
(冷静に…………冷静になれ)
頭を振り、息を吐き出す。そして、カーテンを開け、朝焼けの町を見下ろした。
数時間前、チヒロと一緒に見た夜景は夢の中のことで、こちらの景色が現実だ。
そう現実は………
(あの夜景を見せられるのも、真木家のおかげ)
勤務医の給料などたかが知れている。俺が今、これだけの生活ができるのは、すべて真木家に生まれたからなのだ。祖父の遺産、自動的に手に入った不動産、役員手当て……、このホテルのこの部屋が優先的に使えるのも、真木家のおかげだ。
生まれてからずっと、これだけの贅沢を享受してきて、今さら、家を裏切るなんて出来るわけがない。この生活は、俺が家族に尽くすことと引き替えに存在していた。そのことは俺が一番良く分かっている。
(………チヒロ)
穏やかに、少し笑みを浮かべながら眠っているチヒロ。初めて手に入れたこんなにも愛しい気持ち。
『ルームサービス、好きなもの注文して。一緒に食べられなくてごめんね』
そう、書き置きをして、ホテルを出た。
せめて、あと数回だけでも、チヒロとの時間を持てるように、俺はこの危機を乗り越えなくてはならない。
***
出勤前の数分間だけでいいから会って話をしたい、という俺の申し出に、古谷環は快く応じてくれた。
待ち合わせの駅の改札口。
朝から完璧な化粧で完璧な美人を形作っている環は、雑踏の中でもすぐに分かるくらい目立っていた。まあ、それはお互い様で、俺も相当に目立つので、環もすぐに俺に気がつき、ニコニコしながら、手を振ってきた。
「やー、かもねぎ君!」
「………………………………………は?」
かもねぎ? カモネギ? 鴨ネギ、か?
「何を………」
「私、君みたいな男と知り合いたくて、あの店通ってたんだよ。君、まさに鴨ネギ。鴨ネギ過ぎてビックリしたわ~」
「………………………………………は?」
何を言って………
「ねえ、真木君」
俺の戸惑いを物ともせず、環は大きな目をイタズラそうに光らせながら、ニッコリと言った。
「私と結婚して」
「え?」
「結婚、して?」
「…………………………………、は?」
は?
は?
は、しか言えない俺に、環はずいっと顔を近づけて、そして、小さく、囁いた。
「そうしたら、君の秘密も守れるかもよ?」
「!」
思わず目を見開くと、環は楽しそうにケタケタと笑いだした。
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