【真木視点】
『真木さんもお幸せに』
そう言ってくれた慶の笑顔が頭から離れない。
それは慶に対する未練とか劣情とか、そういうものではなく、彼のあの真っ直ぐな瞳に恥じない道を、俺は選んでいるだろか?という疑問……焦り、みたいなもののせいだ。
環との結婚で得られるものは大きい。
両親を安心させられる。周りの圧力から逃げられる。社会的信用を得られる。そして何より、妻公認で男の愛人を持つことができる。
それが、俺とチヒロの幸せな将来なのだと信じて、1ヶ月もチヒロに触れることなく計画を推進してきた。
でも………
『お幸せに』
幸せ………幸せ?
両親を騙し、兄達を騙し、世間を騙し、人の目から隠れて二人の世界を作ることが、俺の……チヒロの幸せになるのだろうか?
***
5月の連休中に、両家顔合わせをすることになった。早くした方がいい、と強く言ったのは、次兄の嫁の智子さんだ。
「子供のこともあるしね。お母さんも、英明君の子供、早く抱きたいでしょ?」
智子さんは兄の一つ年下だけれども、姉さん女房の風格を漂わせたシッカリ者だ。言いたいことをなんでもハッキリと言う。
母も「そうねえ」とおっとりうなずいていたので、
(結婚の次は子供か………)
と、内心うんざりしながら、俺も「そうですね」なんて適当に言っていたのだけれども………
「今日、智子さんが言ったこと、気にしないでね」
その日の晩に珍しく母が俺の自室にやってきて、困った感じに言ってきた。
「友達とかはね、孫は可愛い、孫は可愛いっていうんだけど、私は正直言って、子供の方が可愛いのよね」
お兄ちゃん達には内緒よ?と、苦笑した母。
「やっぱり孫はお嫁さんのものって感じがしてねえ。もしかしたら、娘の子供だったらもっと可愛かったのかしらね?」
母は、冗談めかして言ってから、すっと真面目な顔に戻った。
「私は、英明が幸せならそれでいいから」
「…………っ」
母の言葉に、胸が詰まったようになる。
母はいつもこうして、俺のことを見守ってくれていて………
(嫌な人だったらいいのに)
時々、思う。
憎い。顔もみたくない。と思うくらい嫌な人になってくれたら、俺はこの家から出ていって、二度と戻ってこない、という選択ができるのに。
(失望させたくない。悲しませたくない。心配かけたくない)
居心地の良い俺の家。小さな頃からたくさんの愛に包まれていた。
(本当に、お菓子の家だな………)
ありったけの愛情。ありったけの財力。これだけのものをもらったのに、逃げ出すなんて出来るわけがない。俺はこうして殺される。
(でも……)
環との結婚を選べば、チヒロと会うことはできる。まわりに隠れてだけれども、会うことはできる。それはたぶん幸せな未来……?
『真木さんもお幸せに』
『私は、英明が幸せならそれでいいから』
幸せ……幸せ。
幸せって、なんなのだろうか。
***
顔合わせ前日。俺だけ一日早く上京して、チヒロの勤めるバーを訪れた。
母が顔合わせの場所にここを希望したため、明日も来るというのに、今日もまた来てしまったのは、チヒロの姿を一目でもいいから見たかったからだ。
(依存症だな。本当に………)
自分でも呆れながら、店のある階のエレベーターを降りたところ……
「!」
「あ!」
偶然、当の本人が立っていた。それで、
「真木さん!」
キラキラッと嬉しそうに目を輝かせられてしまっては……、抱きしめるな、という方が無理な話だ。
「チヒロ……っ」
ぎゅうっと力強く抱きしめる。と、チヒロもグリグリッと額を押し付けてきた。
「真木さん。真木さん……」
チヒロの甘い声。この一ヶ月の間に一度だけ聞いた店用の他人行儀な声ではなく、チヒロの本当の声。単調だけどその中に含まれる甘さを俺だけが知っている。
「チヒロ君……少し太った?」
「はい。真木さんと恋人続けられるためにいっぱい食べてます」
「………そっか」
ああ、良かった。この子はまだ俺の恋人のつもりなんだ。
俺らしくもなく、そんなことを思ってしまった。俺も相当弱気になっているな……
「チヒロ君」
「はい」
見上げてきたチヒロの黒々とした瞳。キスするな、という方が無理な話で……
「チヒロ」
「ん」
ちゅっと軽く唇で唇に触れる。と、チヒロが蕩けるように微笑んだ。
(ああ、欲しい………)
この子が欲しい。この子と共に生きたい。このままどこかに連れ去って、それで……それで。
(なんて、できるわけがない)
でも…………でも。
俺は………俺は。
「チヒロ君……このまま二人で逃げようって言ったら……」
君はどうする?
そう、真剣に聞いたけれど、チヒロはキョトン、として、
「今、お買い物を頼まれて買いにいくところなので、それを済ませてから早退できるかどうか確認してみますが、今日は人数が少ないからちょっと難しいかもしれません」
「………………」
まあ、相手はチヒロだ。そう言うだろうな……
笑いたくなってくる。
「……じゃ、せめて買い物、俺も一緒にいくよ」
「え!」
またキラキラと瞳が輝いた。
「嬉しい。真木さんと一緒に買い物なんて」
「……………」
そういえば、チヒロと会うのはいつもホテルの部屋の中で、行っても時々外食をするくらいだ。
(これからも、そうなるのか……?)
家族の目から、世間の目から隠れて、こうしてコッソリと………
それで良いのか?
チヒロ、君はそれで………
「ねえ、チヒロ君………」
と、言いかけたときだった。
「失礼します」
冷たい声に遮られた。
「うちのスタッフに手を出すのはお止めください」
「……………」
振り返ると、フロアマネージャーの男の子が立っていた。
「先日もお伝えしましたが、ヒロはリストには入っていません。火遊びがしたいということなら、リストをお持ちしますが」
「………………」
本人は冷静なつもりかもしれないけれど、明らかに声に怒気が含まれている。
(何なんだろうな……)
前から思っていたけれど、この子、俺に対する態度が他と違う。
「………。別に火遊びするつもりはないよ」
「そうですか? 奥様は今日も火遊びなさってるので、別にしても大丈夫だと思いますよ?」
「……………」
敵意があからさまになってきたな………
「まだ奥様じゃないよ?」
「でも近々奥様になるんですよね?」
「……………」
ジッとまっすぐこちらを見つめてくるフロアマネージャー。地味だけれども、なかなか綺麗な顔をしている。
「明日、ご予約承っております。両家の顔合わせをなさるということで」
「……………」
環、そんなことまで話しているのか……
「………君と環、仲が良いよね」
「はい。真木様よりもずっと前から親しくさせていただいてますので」
「……………」
「……………」
ああ、そうなんだ。
ふっと笑いそうになってしまう。
この子、環のことが好きなのか………
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