【享吾視点】
様子がおかしかった村上哲成は、翌朝の合唱大会の朝練にも来ず、遅刻ギリギリで教室に入ってきた。そして、大きなマスクをしていて、
「風邪引いた」
と、授業中も度々鼻水をかんでいた。それに誤魔化されて、誰も村上の本当の異変には気がついていない。でも、オレは知っている。奴は、昨日の夕方から様子がオカシイ。
「今日もピアノの練習に寄ってもいいか?」
「………おお」
放課後、コクンと小さく肯いた村上と一緒に歩きだした。
毎日クラスでしている合唱の放課後練習は、今日はやめることにしたので、久しぶりに他クラスの生徒と同じ時間の下校になる。
「寝冷えたのか? 昨日の夜は別に風邪引いてなかったよな?」
「ああ……うん。やっぱ、下の部屋の方が冷えるんだよな。今朝寒くて目が覚めた」
「? 自分の部屋で寝なかったってことか?」
村上の部屋は二階だ。下のどこかの部屋で寝てしまった、ということだろうか。
「…………うん。ソファで寝たから……」
「ふーん」
じゃあ、自業自得だな。
そう言うと、村上は視線を下にやって「そうだな」と、うなずいた。
(やっぱり変だ………)
なんかモヤモヤする。やっぱり、いつもの村上じゃない。
「なあ、村上………」
そう、何かをいいかけた時だった。
「テツ」
「!」
後ろから聞こえてきた声に、ビクッと震えた村上。
(なんだ?)
声の主は、村上の親友・松浦暁生だ。それなのに、振り返った村上の瞳が、強張っている……。
「どうした? 風邪か? そのマスク」
「……あー、うん! ちょっと鼻水出ちゃって」
(………?)
でも、答えた声はいつものように明るいので、首をかしげてしまう。瞳が強張っていると思ったのは気のせいか?
「大丈夫か? 熱は?」
「熱はない。鼻水だけ」
「……………」
でも、やっぱり、横並びで歩いている二人の距離が、心持ちいつもより離れている気がする……。
なんて思いながら、後ろを歩いていたのだけれども、
「昨日はサンキューな。それで、来週、また家借りたいんだけど」
「え」
松浦の言葉に、村上が歩みを止めてしまった。必然的にオレもその後ろで止まってしまう。
村上はうつむいたまま、少し首を振った。
「………ごめん、来週はちょっと」
「なんで?」
「あの……合唱大会の練習が大詰めで……」
言いながら、オレの方をチラリとみた村上。
なんだ? その、助けを求めるような目……
「大詰めって、何?」
「あの……ピアノとか……」
松浦に詰め寄られている村上が、再びオレをチラリとみた。
(……う)
そんな目で見られて、助け舟を出さないわけにいかず、
「あー、ごめん」
思わず、声をかけてしまった。
「オレがピアノの練習させてもらってんだよ。うちピアノないから」
「それ……」
「あーあと、ソロの連中集めて直前特訓もやる予定だし」
「…………」
「…………」
「…………」
ジッとこちらを見てくる松浦。瞳の奥の方に、夏休みに対峙した時のような冷たい光が灯っている。嫌な感じだ……。
(あー……何か言われるかな……)
と、内心身構えた。けれども。
「分かった」
松浦は、ふっと、オレから目をそらし、村上に視線を移してニッコリと笑った。
「じゃあ、大会終わったらよろしくな」
「……おお」
「じゃ。オレ、急ぐから」
軽く手を挙げると、松浦は颯爽と走っていってしまった。相変わらず爽やか……だけれども、オレは松浦の裏の表情も知ってしまったので、その爽やかさすら、空々しく感じる。
村上は松浦のそんな顔を知らないのだろう、と思っていたけれど、このギクシャクした感じは、何かそのことに関係があるのだろうか?
「村上?」
「………あ」
ハッとしたようにこちらをみた村上。昨晩と同じ、不安な瞳をしている。
「だから………何かあったのか?」
「………いや」
村上は再び首を振ってから、小さくつぶやくようにいった。
「伴奏の練習終わったら、何か弾いてくれ」
「……………」
昨日と同じ頼みだ。昨日もこいつは、部屋の隅で膝を抱えて固まったまま、オレのピアノを聴いていた。このまま消えてしまいそうなくらい、ひっそりと………
「………分かった」
ポンポンと頭を撫でると、村上はふにゃりと泣きそうに笑った。
【哲成視点】
村上享吾のピアノを聴きながら、昨日のことを思い出す。
オレは、暁生に、野球の仲間と勉強会をするから、と言われて家を貸した。
でも、それは嘘だった。
暁生はオレの部屋に女を連れ込んでいた。
「…………」
ポテッとソファーに寝転ぶ。横に見える村上享吾の後ろ姿。腕から、肩から、背中から、音が聞こえてくるようだ。村上享吾は指だけでピアノを弾かない。体全部を使って弾く。その音はとても深い。
(……音が染み込んでくるみたいだ)
ソファーに体が重く重く沈んでいく。
昨晩はどうしても部屋のベッドで寝る気になれなくて、リビングのソファーで眠った。
あのベッドで、暁生は………
(あーーーーーー………)
すげえショックだ……
何がこんなにショックなんだろう……
軽やかなピアノの音に頭の中が掃除されて行く感じがする。昨晩はひたすら癒しをくれた音色が、今日は思考の手助けをしてくれる。
(何がショックって……)
暁生がやってたってこともショックだけど、それよりも何よりも、たぶん………暁生に嘘をつかれた、ということが一番ショックなんだろうな。
(あーーーーーーー……)
思いついて、さらにソファーに沈み込む。
(こんなこと初めてだ。ずっとずっと親友で、嘘つかれたことなんかなかったのに……、って、あれ?)
思考がクリアになっていって……ふと、思いついた。
(嘘とは限らない……か?)
あらためて考えてみると、嘘じゃないかもしれない、とも思う。
あの女は初めから来る予定になっていて、他のメンバーが来る前に、そういう雰囲気になってしまった、とか……
(でも……彼女いないって言ってたのに)
そう考えると、やっぱり嘘……
(ん?)
再び、思いつく。
彼女じゃないかもしれない。
(そうだ………そうだ!)
暁生がオレに嘘つくわけがない。成り行きで、彼女じゃない女とそういうことになった。それだけの話じゃないか?
まあ、それでも、オレのベッド使うなよ!というツッコミは残るけれど、それはそれで、きっと、親友だから、オレが許してくれるって甘えがあるんだろうなって気もしてきた。
そうか。そうか………
「そうに違いない!」
「……は?」
思わず叫んでしまったら、村上享吾が手を止め、訝し気に振り返った。
「何だよ?」
「あ……ごめん、ごめん。なんでもない!」
エイッと起き上がる。
ああ、勝手に落ち込んでバカみたいだなオレ!
「練習終わった? なんか、こう、パーッと、楽しい曲が聴きたいんだけど!」
「楽しい曲?」
「うんうん。あ!これ!」
母がよく弾いていた本を差し出す。
「これの……どれかなあ? 母ちゃんが時々、限界に挑戦!とか言って、すっげえ早弾きしてたんだよ。それが面白くて」
「へえ……どの曲かな」
村上享吾が楽譜を開いて、おもむろに弾き始めた。ああ、この曲だったかもしれない。
(………上手だな)
鍵盤の上を器用に動いていく手。見ていて飽きない。
(村上享吾……)
変な奴だなあ、と思う。時々、優しい。時々、冷たい。
(でも………いい奴だ)
何だかんだ言って、オレを助けてくれる。さっきもそうだ。暁生の要請に戸惑ったオレを助けてくれた。
『大丈夫か?』
そう言って、ポンポンと頭を撫でてくれるところは、暁生に似てる。似てるけど……
(ちょっと………違う)
暁生は、親友を続けるために、色々してやらないとって思う。でも、村上享吾は、ただそこにいるだけっていうことを許してくれるっていうか………
(丸く………丸く包んでくれる)
こいつのそばは、とても居心地がいい。
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お読みくださりありがとうございました!
テツ君は「スーパーポジティブ」君。だけど、作中は1989年。ポジティブって言葉は89年では一般的じゃないよね?と思い、使えず……。
「イケメン」も言いたいけど言えずもどかしい!
89年。平成元年ですね~~。
続きは金曜日に。お時間ありましたらお付き合いいただけると嬉しいです。
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