【享吾視点】
合唱大会本番。
「頼んだぞ」
と、隣に並んでいる村上哲成が、オレの左手をギュッと握りしめてきた。見下ろすと、クルクルした瞳と真っ直ぐに視線があった。
「本気、だせよ?」
「…………」
本気……
「………おお」
ギュッと握り返す。その温もりが勇気をくれる。
もう、色々考えるのはやめよう。オレはオレの出来る事をする。今のオレのすべてをかけて。
***
本番前日……
合唱大会で伴奏をするということは、母には内緒にしていた。そのうち話さなくては……と思いつつ、本番前日になってしまったので、曲目・指揮者・伴奏者の書かれた学校からのプリントを渡すのと同時に話してみた。の、だけれども、
「なんで伴奏なんてするの……」
予想以上に呆然としてしまった母。母はオレが目立つようなことをするのを、とても、とても嫌がるのだ。
「………。他にできる人がいなかったからしょうがないんだよ」
「練習はどうしてるの? 学校のピアノを貸してもらってるの?」
「………。友達の家のピアノ借りてる」
「えええっ」
母の顔色がザッと青くなった。
「なんてお友達?」
「村上って同じ苗字の……」
「ああ、村上……村上君、いたわね……」
あああ……と頭をかかえた母。
「ピアノの練習……そんな……おうちの方にご迷惑でしょう。ああ、私もご挨拶にいかないと……」
「いや、村上の家、いつも誰もいないから、オレもうちの人には一度も会ったことなくて」
お手伝いさんには会ったことあるけれど、ということは言わないことにした。色々と面倒そうだ。
「そうなの? じゃあ、いいのかしら……でもピアノお借りしてることには変わりないんだし……」
「…………」
いつもの「ブツブツ」が始まった。母は考え事をするとき、いつも爪をかみながらブツブツと独り言を言う。
「合唱大会の時にご挨拶すればいいかしら……そうね。そうしましょう。でも村上君のお母さん……どんな方なのかしら……」
「…………。村上の親は見に来ないよ」
「そうなの? じゃあ、電話がいいかしら……」
「……………」
ブツブツ言う母の前から、そっといなくなろうとしたのだけれども……
「享吾、伴奏するんだ?」
「………兄さん」
いつの間に帰ってきていた兄が、プリントを見ながら「へえ~」と言っているので、行くにいけなくなって立ち止まった。
「合唱大会かあ……懐かしいな」
「…………」
「見にいきたいけど、明日かあ。オレも学校だから無理だな。残念」
「…………」
兄はプリントをテーブルに置くと、スッとこちらをみた。穏やかな、瞳。
「頑張れよ。ミスしないようにな」
「……………うん」
兄も、中学生の時に伴奏をしたことがある。それで伴奏者賞を取って賞状をもらってきていた。
成績優秀でスポーツ万能で音楽も出来る兄。学級委員もバレー部の部長もやっていた。兄はいつも快活で、友達に囲まれていて、先生からの信頼も厚くて。オレの自慢の兄であり、両親の自慢の息子でもあった。
でも、ある朝………
『お兄ちゃん、起きてる?』
兄が時間になっても部屋から出てこないので、母から頼まれて呼びにいったところ、兄はぼんやりとベッドに腰掛けていた。
『お兄ちゃん?』
『享吾………』
兄はゆっくりとオレの方を向くと、困ったように、言った。
『享吾……お兄ちゃん、足が動かないんだよ』
『え?』
『何でかな……』
苦笑した兄の、青白い顔を思い出すと、今でも胸が押されたように痛くなってくる……
兄に何があったのかは、オレは教えてもらえなかったので詳しくは知らない。部活の人間関係のトラブルから派生して、クラスでも「いじめ」と呼ばれるような目に合っていた、という噂は聞いた。
そして、学校を巻き込んだ話し合いが行われる中、母も周りの保護者から疎遠にされ、孤立してしまった、らしい。
『引っ越しをしよう』
そう言いだしたのは父だ。
『このままここにいても良いことは何もない。新しい場所で新しく生活を始めよう』
そして、オレ達家族は、東京から今の横浜のマンションに引っ越してきた。狭いから、ピアノは持っていけないと言われて手放した。
『出る杭は打たれる。だから、目立たないように』
みんなと同じようにしましょう、と母が言った。兄も『そうだね』と肯いた。
兄は中学の卒業資格は何とかもらえ、私立の高校に進学し、今は「普通に」通っている。でも、母は兄のことが心配でしょうがないらしい。兄が無事に家に帰ってくるまではいつもソワソワしていて、帰ってくると、必ず、聞く。
「今日は学校、どうだった?」
「………大丈夫だよ」
兄もいつも、ふわっと微笑んでそう答える。胸が苦しくなるくらい、透明に、微笑む。
「享吾もお母さんに心配かけるなよ?」
「………うん」
兄に頭をポンポン、とされ、おれも静かに、肯く。
だから、オレは、ひっそりと、目立たないように、生きていく。一番にはならない。賞なんて取らない。
でも……
『本気、出せ!』
ふいに、村上の言葉を思い出して、ギクッとなる。
本気を出したバスケ、本当に楽しかった。球技大会のバレーボールも。合唱大会の伴奏だって……
『ピアノ、聴きたい』
村上を抱き寄せた時の温もりを思い出して、ぐっと自分の手を掴む。
(……村上)
オレは…………
【哲成視点】
合唱大会前日。
夕食後、ピアノでソロの部分の音の確認をしていたら、インターフォンが鳴った。
もしかして……と思ったら、案の定、ピアノ伴奏者の村上享吾が立っていたので、はしゃいだ声をあげてしまった。
「おー!来ると思った!」
今日、オレは合唱大会実行委員の集まりがあったため、村上享吾と一緒に帰れなかったのだ。いつもは帰りにうちに寄って、ピアノの練習をしていたので、今日は出来なくて困ってるだろうなあ……と思っていたら案の定だ。
「ちょうど良かったー。今、ソロの練習してたんだよー」
「………そうか。頑張ってるな」
「そりゃ、頑張るよ!」
入れ入れ、と、手招きをしてやる。
「自分のベストを尽くさないのはズルだからな!」
「…………そうか」
「おお」
「そうだな」
「おお」
「……………」
「……………」
しばらくの沈黙のあと、なぜか村上享吾は小さく笑った。
「何笑ってんだよ?」
「いや……」
軽く首を振り、靴を脱いであがってきた奴は、オレの頭にポン、と手をのせた。
「お前、初めて話した時も、そんなこと言ってたな、と思って」
「そんなこと?」
「できるのにやらないのはズルだ、とかなんとか」
「ああ……」
そういえばそんなこと言ったな……
「うちの家訓は、何でも一生懸命、なんだよ」
「何でも一生懸命?」
「そう。母ちゃんがよく言ってた」
「………そうか」
まだ少し笑みを浮かべながら、村上享吾はリビングに入っていき、ピアノの椅子に座った。そして、そこから見える母の写真をチラリとみると、
「お前、お母さんと似てるな」
「おお。似てるってよく言われる。まー、息子って母親に似るっていうもんな」
「そうだな……」
ポーン、と一音鳴らしてから、村上享吾はつぶやいた。
「オレも、母親に似てる」
「そうなんだ?」
「うん……」
ポーン、ポーン、と無作為に音だけ鳴らしている。弾きだす気配がないので、「よいしょ」と真横に座ってやる。小さな椅子なので、二人で座るとキツイ。けれど、温もりが伝わってきて、触れているところだけじゃなくて、心の中もあたたかくなってくる。
「とうとう明日だな」
「おお」
「キョーゴのうちは誰か聴きにくるのか?」
「………たぶん」
ポーン、ポーン………
深い音が心地よい。
「誰? お母さん?」
「………たぶん」
「そっか」
ふいっと、母の写真に目をやる。
「うちもさ……、たぶん、母ちゃん、聴きにくると思うんだよな」
「………そうか」
「うん」
「そうだな」
「うん」
ポーン、ポーン………
右から伝わってくるぬくもりが、温かい………
「なあ……村上」
「うん」
「オレ、明日………」
「……………」
「……………」
奴の言葉は続かず、ふうっと大きなため息が聞こえてきた。
なんだ? どうしたんだ? もしかして、緊張してるとか? 明日本番だもんな。
「キョーゴ、緊張してんのか?」
「いや、ああ……」
奴は首を横に振りかけてから、またため息をついた。
「自分でも、分からなくて」
「分からない?」
「うん………」
手を広げた村上享吾。長い指……
「本当はオレ、どうしたいんだろう……」
長い指がグッと握られる。でも、その手は僅かに震えていて………
「考えがまとまらない……」
「んんん?」
なんか、よく分かんないけど………
「どう弾くかって話か?」
「……………」
「音楽的なことはよく分かんないけど………今までの練習通りで、大丈夫だぞ?」
「……………」
「つーか、キョーゴはいつでも完璧だった。どこの誰よりも上手だった」
震えてる手を両手で包みこんでやる。
「だから、大丈夫。お前ならできる」
「………………村上」
ビックリしたように見開いた目に、うん、とうなずいてやる。
「本気、だせ」
いうと、村上享吾は、息を大きく吸い込んだ。そして、コンッとオレの頭に頭をのせると、「分かった」と、小さく言った。
------
お読みくださりありがとうございました!
スキンシップが増えて、良い感じになってきた。なってきた!
続きは火曜日に。お時間ありましたらお付き合いいただけると嬉しいです。
ランキングクリックしてくださった方、読みに来てくださった方、本当にありがとうございます!励ましていただいています。
よろしければ、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
にほんブログ村
BLランキング
↑↑
ランキングに参加しています。よろしければクリックお願いいたします。
してくださった方、ありがとうございました!
「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
「2つの円の位置関係」目次 →こちら