きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

夏を諦めて、ない

2015-08-05 16:50:00 | 別に除けておきたいこと
丁度一週間。

夏に取り残されていた。

ずっと閉じこめられていたのでまだ走るのは難しい。1時間程、街を歩く。

陽が恋しい。

堀之内に入る。

城の下では祭りの準備。

開いている時間に歩くことなどない商店街。
歩くより走る方が楽だったかもしれない。体力、思ったより落ちてないか?

怪我をして、2回の入院をして(その間に別の事故で通院することにもなったが)それでも今回、予定通り退院できたことを有り難く思う。手術してくださった主治医の先生、看護師の先生に感謝。
何より家のごたごたが重なり、大変だったのはヨメさんのはず。
じりじりとした夏の陽に、まだ傷めつけられてはいない。
リハビリ兼ねて、ゆっくりと対峙しよう。
家に帰る。我が犬達は何もなかったかのように出迎えてくれた。ありがとう。

家人とのやり取りで

2015-05-27 21:26:00 | 別に除けておきたいこと
先日のこと。
珍しく家人と会話。但し筆談。
綴りながら、自分のことを思い出す。

高校時代。
部活以外で楽しいことはあまりなかった。宿題やっていかなかったから、授業中はいつも怒られやせんかとドキドキしていた。じゃあやればいいじゃないかと言われそうだが、多すぎてできる量ではなかったのと、難しかったのと。授業聞いてなかったし。何よりきこえてなかったし。
だから学校の勉強(中間期末対策、宿題等々)はほとんどやってなかった。が、大学入試を意識して、学校の勉強捨てて別のことをやり始めて、半年後に模試の結果が「くんっ」と上がった。嬉しかった。何とかなるかもと。
当然、中間、期末の定期考査は全然成績が上がらなかった(部活が休みになるという程度の認識だった)ので、いわゆる内申書の評定はすこぶる悪かった(進学校でもないのに奨学金がもらえんかったぐらい)。
学校の勉強とは別のこと、というのは、自分で問題集買って解き始めたこと。塾には行ってなかった。田舎の高校から東京に行くには、学校の勉強だけではいかんやろと思って(実をいえばそれすらしていない。だから先生というのをあまり信用していない)通信添削はしていた。それでも他人に比べて大して勉強はしていないと思う。人より1年余計にかかった。が何とかなった。今、それを思う。

儂が本当に勉強するようになったのは大学は行ってからだ。そして、大学よりも社会人になってからの方が勉強している。結局自分がやっているかどうかということだと思う。環境はそれほど関係ない。
大丈夫。案外何とかなる。
でも、ある程度策を練って立ち向かう必要がある。

聞こえない人(儂は確かにそうではないが、聞こえにくさはある)が、聞こえる人より良い評価を得るには、同点、ではダメで。負けと同じで。
だから、そこだけは意識してきた。
努力だけで認められるほど甘くはない。でも、最低限それは必要なことなのだろうと思う。

そんな想いで返事を綴る。
もっともっと、形にならないいろいろな想いもある。

新入社員への話

2015-04-04 13:34:49 | 別に除けておきたいこと
3年前か。
機会があって、こういう話をした。

 時間を頂いて話をすることになりました。依頼されたテーマには「伝えたいこと」とありました。それを見て思いました。「伝える=コミュニケーション」これは実のところ相互の関係です。例えば、私が伝えたいと思っても、受け手が聞きたくないと思う場合、関係は成立しません。一方で、こういう場面で、ですが寝ていたから聞くことができなかったという場合も関係は成立しません。ただこれらは、どちらも相互の関係以前の問題があります。今回の場合、この時間、皆さんは聞くことが仕事になります。
 もちろん、受け手の側できこえないからきくことができなかった(声が小さくて聞き取れなかったみたいなことです)というのは次元が違う問題で、依頼する企画する側が解決すべき問題です(難聴である私は以前はこういう時に放っておかれることが少なからずありました)。
 で、ききたくなくてもきかなければならないみなさんに「聞け」というほどの話ができるかといえばそうではないです。私も強制されるのは嫌いです。ただ与えられた仕事として、最低限、みなさんが受け取った上で解釈を加えていただける材料を提供する必要はあります。
 私は、仕事を始めて22年目になります。もうすぐ大学卒業までと卒業してからの年数が同じになります。この職種で採用され、ほとんどこの「畑」で仕事をしてきました。そもそもこの職種は希望ではなく、いろいろな偶然やらタイミングやらもあって現在に至っていると思います。話をきく場合、講師が何を云うかよりも、講師がどんな人かの方が断然興味を持つものです。まだ、振り返る年齢ではないですが、やはり振り返りながら、自分の考えを述べさせていただくのがいいかと思っています。自分の中で結論が出ていない話もあります。後は受け手である皆さんに委ねます。

 私がこの分野の仕事を志向したのは、大学3年の「インターンシップ」の時に、部署内で他の方がやり取りしている声が聞こえなかったことについて、担当者に「それではこの仕事は無理である」と云われたことがきっかけです。この音声でのやり取りの必要性が比較的少ない分野での仕事を探し、現在のポジションにたどり着きました。今なら「きこえんのが無理とかいうの、そんなんおまえに言われたない(決められたくない)わ」とはっきりいえるんですが、当時はそこで妙に納得してしまいました。
 小さい頃から自身の「聞こえなさ(きこえなくさ)」を自覚していながらも、気付かれることはとても嫌でした。そして、不安でした。気付かれても決してそれを認めませんでした。当時は、きこえにくいという「障害」のある人が今ほど自由に大学に行ったり仕事を決めたりできる環境にはなかったわけです(本当です)。認めてしまうとアウトなので、必死でごまかしていました。難聴者のカテゴリーに入りたくない、ということまでは思ってなかったのですが、可能性を限定されるのはとても苦痛でした。聞こえにくいことは言わなくても言っても損、みたいな気持ちは今でもあります。誤解も多いです。
 補聴器をするようになったのは、採用後1年が過ぎてからです。学生でいる時は、自分が損するだけでも、仕事になると周囲に迷惑がかかるなあと感じるようになったからです(ということを一応理由にしています)。でも本当は、1年の「条件付き雇用」が終了し、かんたんにクビになることはなくなった、ということです(それぐらい、難聴であることの不利益は大きかったです)。

 私が、仕事を通して一貫して持ち続けたのは、自分がしたいとかしたくないという仕事の中身は別にして「仕事としてしなければならないこと」をまじめに取り組むこと、その時その時の与えられた役割をきちんと果たすということです。これは、よく聞かれる「クライエントを第一に」というフレーズのより以前の段階で、社会人として基本中の基本です。 一つ一つのことを丁寧に取り組むことが結果として微々たるものではあっても、その積み重ねが当事者であるクライエントに還元されるのかなあと最近思います。
 クライエントへの直接的な対応は、どちらかといえば苦手意識があり、器械を相手にしている方が何時間でもできるというのが正直なところです。ただ、若いときは、そういう部署には当然のことながら配属されず、10年ほどは、直接クライエントに対応する部署で仕事に励みました。 そのクライエントへの対応では、自分の至らなさを感じることが多かったです。相手にしてみれば、大学出たての兄ちゃんに何が分かる、みたいな感じだったのだろうと思います。いろいろなことばの使い方や、コミュニケーションのすれ違いなどがたまったのでしょうか、ある日あるクライエントから「もう結構です」と殴り書きのメモを突きつけられました。その日は、それこそ生まれて初めてショックで食事ができなかったことを覚えています。それは、単に反省ではなく、どうして、という気持ちでした。
 当時は、残念ながらそれが見えませんでした。
 それを一つ一つ理由を説明しても届かない。それは違うことだと私が言っても頑として受け入れない。それぞれものごとの理由があり関係があり背景があるのだと言うことを説明しようとするのですが、なかなか納得してもらえない。クライエントと信頼関係を作るというのは、なかなか難しいです。正直に言えば、この年になっても答えは未だにはっきりしません。スキルとかマニュアル的なものでは解決しない気もします。とはいえ、この年にいろいろな難しさを経験できたことで、以後の実践のベースができた気はしています。

 研修についてはそれなりに課題意識を持って取り組みました。自分の興味関心に関係なく、その時に担当していることをテーマにして、掘り下げて考えました。その時に、自分の興味がある分野を切り口として、少し違った視点から仮説を立て、研究レポートにまとめました。この時は、単にレポートを書くために研修をするのではなく、この機会をとらえて資料にあたり、仮説を立て、実践し、振り返り、再び実践するというプロセスを経て、自分のものにすることができたと考えています。その他の研修にしても、私の場合、既存の書式や様式ではなく、自分自身が考えた様式でレポートを書き、それを含めて批評してしてもらいました。
 既存のフォーマットから逸脱していたこともあり、こんなのレポートじゃないと職場の先輩に怒られることもありました。

 初任地から転勤後、少し経って、希望する補聴器調整等々を中心とした今の部署に配属されることになりました。といっても、今まで全くしたことがないので、毎日遅くまで測定器と向き合いました。今、同僚から「教えて」と言われる立場になっていますが、そのたびに「どこまでこの人は自分でやったんだろう」と思いながら話に応じています。自分に必要なことは、聞いてすませるだけではダメです。最低限、問題点を具体的に持っていないと人は教えてくれません。問題点を具体的にするということは、自分である程度は勉強しておかなければ話ができないし聞けないということであると思います。また、この時に、ST(言語聴覚士)の資格をとり、これとは別に合格率10数%という難関の資格試験にも合格しました。私は、大学受験より採用試験より、この時の試験勉強が人生で一番勉強した気がします。資格という目に見えるものを加えて、とりあえず相談にやってくるクライエントに安心される存在でありたいと思いました。

 私の好きなことばの一つに「質より量」というフレーズがあります。「量より質」ではありません。とりあえず量をこなして質に近づけるしかないなというのが現実ではないかと思います。

 13年後、一旦専門外の別の分野の職場に転勤になりました。ここに来られるクライエントの困り感、想いは、これまで担当していた方々のものとは違うと思いました。再び、直接クライエントと向き合うポジションに入り、試行錯誤しながら取り組みました。後で人づてに、そのときのクライエントが、これまでしてもらえなかったことをしてくれてありがたい、感謝していると言っていたことを聞きました。その内容は、私が専門でやってきた分野の延長で考えた内容で、その分野では的はずれなことなのかもしれないなと思っていたことだったのですが、クライエントの言葉から、結果として、それはそれで十分アリなんだろうと思いました。今までの蓄積も、いくつかは専門外の所でも、活かさせるのかなと思ったりもしました。

 4年前、再び今の職場に戻り、これまでより高い年齢層をクライエントに持つことになりました。自分自身の「きこえにくさに折り合いを付ける過程」を思い出しながら、向き合いました。話を聞いてくれるクライエント、拒否して絶対に目を合わせないクライエント、いろいろでした。それはそれでいいと思いました。直接の担当を離れてからようやく話しかけてくれるようになった方もいました。
 見えにくい難聴という障害は特にそうだと思うのですが、改善というのは正常化、つまり治るということではなく、あくまでQOLの改善です。ですから、聞こえないことと一生つきあう以上、どこかでその状態と折り合いを付け、周囲にも見えるものにしていく必要があるのは確かです。しかし、自身の経験からすれば、障害を周囲にカミングアウトするには環境が整っていないと孤立するのは変わりません。不利益を受けるだけと言うことも多いです。これらのことが、今、うまく説明できないかと四苦八苦しています。ここ数年、いろいろなところで聴覚障害についての話をする機会をいただくようになりましたが、まだまだうまく説明できないでいます。分かると言うことと説明できることのギャップを感じます。

 まとめです。私が考えるのは、すべてのことは単に仕事であるということです。目の前のことをやるだけです。言葉足らずな点がありますが、ここから先は受け手に委ねます。発信者である私もまた今日のことを自分に還しつつ反省しつつ前に進みます。ありがとうごさいました。

で。

まだ満開前の桜。先がまだあるこれぐらいの状態で頑張ろうと思ったりする。

Yahooメールについての覚え書き

2014-10-02 21:05:31 | 別に除けておきたいこと
この夏、身辺のモノを捨てまくって大分スッキリしたのですが、PC等のファイルやらデータやらの電子系は、ぐぢゃぐぢゃになる一方です。スマホで撮った写真の整理とかほとんどできていない。溜まりまくり(だからネタが尽きている)。メール関係も然り。

儂の場合はYahooがメイン。かれこれ10年近く前から使っていて、使い勝手もまあまあ良くてずーっと愛用していて、複数のアカウントを一括管理しているのですが、最近、広告が目障りというか本来のメール管理機能に支障を来すほどに場を占めている、といいうことで改善。
いろいろググり、結局きちんと改善できたのが、Stylishというアドオンを追加すること。

こういう感じが。

こうなる。すばらしい。どうやったか説明する力はないの興味ある方は適当にググってください。Yahoo.com用だとダメです。ここはco.jpに書き換えないと使えません。
1日にダイレクトメール20通ぐらい来るもんな。こないだ入院してたときは、300通ぐらい溜まっていた。
それに加え、最近グーグルとかビッググローブとかホットメールとか他のメールアドレスも少しずつ増えすぎて管理がもはやできていない。パスも分からんし。
それでも影響はないのだろうが、Yahooメールに関していえば、結構影響があるかもしれん。

今Yahooちょっとトラブってますね。儂のはトラブっている400万の1には含まれていないですが、こういうのを見ると、ものを減らすと言うよりリスク分散という意味で管理を急がねばと思ったりします。

まとまりのない話ですみません(仕事に追われていてあっぷあっぷしていたりします)。

退院しました

2014-09-22 18:40:22 | 別に除けておきたいこと
8日振りに家に戻ることができました。
まだいろいろなことが現在進行形ですので、詳細は記せませんが、「急性硬膜外血腫、左前頭骨骨折、左側頭骨骨折、左眼窩上壁骨折、顔面打撲、挫創、両側下肢及び右上肢過傷」って結構な大怪我でした。しかし、不幸中の幸いとかで、いろいろなラッキーといろいろなセーフ、そして何より、いろいろな方々の力によって、何とか生きて帰ることができました。大袈裟でなく、そんな気がします。

まだ、自分にはやるべきことがあるんだろうなと、今、そんなことを思っています。

1号が、何もかも分かっているといった顔で心配そうに付いてきます。
有り難いことです。

すみませんが、この項に関してはしばらくコメント御遠慮ください。そのうち小出しにできると思います。

第二希望、第三希望

2014-04-07 22:23:00 | 別に除けておきたいこと
やりたいことから、やろうと思ったところから出発できるわけではない。

儂の妹も、それに似たことを言っていた。どれだけの人が第一希望のところからスタートするのだろうと。
儂も儂の妹も正確に言えば、第一希望の場所からではない。儂はしつこくもう1年やってみたが結局は第一希望とはちょっと違ったところに拾ってもらったしかも補欠で(その前の高校選ぶ時からその兆候はあったようにも思う)。
実力とか、努力のなさを自分自身が認め、そこからスタートした。

それでも、そのうちに自分の特性をその分野に合わせて、自分にしかない独自の切り口を持ってきて、研究やら仕事やらできる可能性はたくさんある。

新学年新学期そして新天地。
憧れの場所からスタートを切る人もいる。
それぞれの想いとは少し違ったところからスタートする人もいる。
また、リベンジすべくリスタートする人もいる。

ゆとりを持たせて構えてみる。いつもと違う方を見てみる。何とかなる以上のものが得られることもある。 それでもだめなら戻るのもアリ。
考え方一つ、だと思う。

ま、とりあえず、新しいステージの一歩目。

0泊2日の二日目

2013-07-14 17:30:00 | 別に除けておきたいこと
で多摩某所。

生協前で、ムスコを待ちつつ。

無事に会えた。

一緒にキャンパスまで来た後は、ずっとほったらかしにしていたが、ムスコにしては珍しくマメにいろいろ回ったらしい。

良かった、の一言に安心する。
勉強する意欲につながるかどうかは分からんけど、と付け足される。

疲れたので早めに空港へ。やはりリクライニングシートは眠りが浅い。途中原宿辺りか物凄い雨。

ヨメさんとムスメが濡れてなければいいが、と数分後、空港に着いたとメール。

蕎麦が喰いたいどこかにないかとあちこち見ながら、京急に乗り換えのホームで遂に発見。ムスコを誘い熱いかけを喰う。

汁まで頂く。満足。空港にあるんだろうけど、駅にあるのが一番と思う。

空港で、無事に合流。

帰ったら犬向かえにいかないかんなあ。

花・オハナ

2013-06-09 12:39:02 | 別に除けておきたいこと
ムスメの肩に乗る3号。

4年経つ訳かと改めて思う。

今日は、みんな出かけて留守番中。



たぶん、悪くない。いいことなんだと思う。
外は小雨。穏やかに休日が過ぎる。

そして。

玄関。
そして。

3号の写真があるリビング。

花が新しくなっていた。
今日のことと関係があるのかどうかは、聞いていないけど。

おひなさまはだあれ

2013-03-03 17:12:54 | 別に除けておきたいこと
朝冷えて冷えて手が冷たいのを我慢しながら犬たちとゴミ出しに行く。

ひなまつり当日になって、今年は出してなかったことに気づき、慌てて出す。本当は毎年立春過ぎたら出していたのに、何か今年はそれどころではなかったのかも。
まあ、ウチの地方は旧暦まで飾るからいいんだが。

今シーズンは和室に炬燵を出しているので、少々狭い(まあそれ以外にもいろいろ転がっているが儂のもんではないので動かせません)が、何とか完了。
去年に続いて犬を座らせて写真を撮ろうとすると、「来週になったらきれいになるから待て」とヨメさんの声。

部屋のことかと思ったら犬のことらしい。とりあえず出したぞと言う証拠写真は撮ろうと犬を和室に呼ぶ。1号がリビングから来んかったので、2号と3号に収まってもらう。

今年も無事に出し終える。「おひなさまはだあれ」の唄がやはり去年同様頭の中で鳴っている。

もものはながさいたよ、はるのにおいがするよ、って。
本当に暖かくなったなあ。

朝マックの思ひで

2013-02-20 22:00:00 | 別に除けておきたいこと
関東はマック、関西はマクド。大学は関東だったせいか、刷り込みというやつで元々マックの方がしっくり来ていたのですが、最近ようやくマクドで違和感がなくなった気がします。
業績が今ひとつのマクドですが。先日、ハッシュをもらいに久々に朝のマクドに行ってみました。

久々のハッシュはうまかった。コーヒーはタダ券使いましたが、ソーセージマフィンは実費です。しかし思ったより人は少ないですな。

実は、というほど大袈裟に云う必要もないのですが、学生の時朝マックでバイトしていたことがあります半年ぐらい。それも朝専用で(ですから当時のマクドの朝メニューの作り方は知っていますがそれ以外は全く作れません)。当時は7時開店だったので、準備の時間帯と、オープンして一時間とで週3~5回程度2時間ずつ。朝は希望が少なかったからか、こういう形で働くことができました今はどうだか知りませんが。
オープニングでは、30分でシェイクの機械の組み立てをし、その後バンズ(パン)のローテーションをして、ショートニング(油)レベルの確認、物品の確認をし、メニューを各1個ずつ作ってマネージャーに試食してもらう、だいたいこれで1時間。クルーが多い日は、オープン直後に近くの大型冷凍庫までリアカーを引いて物品の搬入。これはマネージャーの指示で行きます。こっちの作業が当たった日は「搬入ポイント」として、仕事の終わりに朝メニューがもらえます。これはうれしかった。
ただ搬入はいつもいつもではないので、オープン一時間は緊張しながらマネージャーの指示待ち。待っている間は、グリルの掃除やチーズ切りなどの下準備で手を休めてはいけないと指導されていました。実際休む暇はなかったですが。今のマクドはオーダーが入ってから作りますが、当時は、作り置きしておいて10分経ってもお客に購入してもらえない場合は廃棄されるというシステムでした。ですから、お客さんを待たせずになおかつ廃棄量を少なくする上でマネージャーの上手い下手があったと思います。
これまでも時々触れていますが、儂はあんまりきこえがよくありません。大学生の時はそれでも平均聴力レベルで40~45dBぐらいでしたか。補聴器はしていませんでした(昔はそうそうに難聴をおおっぴらにはできなかった(したくなかった)ので、当然そういう聞こえにくい状態であることは伏せて生活していましたし指摘されても当然断固として否定していました)。ぼんやりしていると確実に聞き漏らしますので指示の前に発する「オーダー」というマネージャーの声に反応できるように集中しながら、体を動かしていました。「オーダー」の後は、マネージャーの顔を見ながら、口元を読み取りつつ、注文を模倣。たまに、個数が合わず、怒られたりもしましたが。まあ大事に至らなかったとは思います。
仕事のスキルはというと、マフィン系は大丈夫でしたが、ホットケーキは下手くそで、よくあんな状態のものを出したなと、反省しています(ま、マネージャーの判断ですが)。

このバイト大学での実習が始まるまで続きました。止める直前にようやく帽子の色が変わりましたか(昇格したということになりますが時給は650円のまま)。この年の年末年始は、「人が足りないので出てこれる?」みたいなことを言われて帰省せずに、大晦日正月といつもと同じように2時間だけ働いて過ごしたことを覚えています。年末年始の特別手当はなしでした。
マネージャーという名の正社員もマニュアルきっちりの人から状況に応じて対応を変化させる人もいてどちらがいいのかは一概にいえんなと思ったり、年下でもバイト歴が長い奴は当然格が上で敬語を使わなければならないことを知ったり、と確かにここでしか分からないことも沢山経験しました。当時はバブルで給料もよかったはずですが、正社員の方が辞められることも多いと聞いていました(今はどうだか分かりませんが)。

そんなことを思い出しながら「朝マック」を食しました。これだけは「朝マクド」ではないなとそんなことを思いながら。

声を出しながら手で語ることばを探ってみた

2013-02-04 22:00:00 | 別に除けておきたいこと
別に関係ない人にはどうでもいいことなんですが、先日採択された儂の論文投稿の流れを記しておこうかと。結構貴重な体験だったので(ウェブに時々こういうふうに投稿の経過を明らかにしている大学の先生もいますね大体はクレームもどきなんですがね)。

受稿から受理まで約3年もかかっとるのは珍しい(他の論文と比較してだいたい2~3倍かかってます)。一回不採択になって、再び論点変えて投稿するまで1年、最終投稿から採択決定が通知されその上で掲載されるまで約1年、それぞれかかっているので本当は計5年。長かった本当に。学会の会費もその分払い続けてきましたし。以下経過。

0回目:2008,5,?提出、2008,8,31返却・・・結果:不採択
査読者X:不採択、Y:不採択、Z:不採択
テーマは悪くないがとまあお世辞のコメントはもらったが、論文の体をなしていないということらしい。

1回目:2009,5,2提出、2009,8,27返却・・・結果:再査読
査読者A:再査読、B:再査読、C:再査読
テーマを絞り込んで再投稿。査読者A,Cからは、研究の意義を理解する旨のコメントをいただく。査読者Cからは、研究デザインに関するアドバイス的な内容もある。ただ、いずれの査読者からも、原著論文としての不備を指摘される。修士論文で曖昧にしてきたものがそっくり指摘された感じ。

2回目:2009,11,?提出、2010,2,1返却・・・結果:再査読
査読者A:再査読、B:修正採択、C:不採択
実験条件の区別、用語の定義をはっきりさせること、細かい指摘、大幅な検討項目の増加等に対応する。査読者Aからは「文章の意味が読み取りにくい」、査読者Cから学術論文として「重大な欠陥(原文のままです)」があると指摘。ここから資料論文として提出。

3回目:2010,5,?提出、2010,8,17返却・・・結果:再査読
査読者A:修正採択、B:修正採択、C:不採択
査読者Aの指摘を受け大幅に変更。データの再集計、再分析、日本手話関連の文法用語、言語学の用語も勉強。ただ、査読者間でかなり見解が分かれた。

4回目:2010,11,?提出、2011,3,5返却・・・結果:修正採択
査読者A:修正採択、B:修正採択、D:再査読
前回、査読者間で意見が分かれたためか、突然査読者交代。代えたのか代えさせられたのかよく分からんが、これってそんなにあることなんだろうか。で、査読者Dより新たな検討課題の提示。よけいに収拾がつきそうになくなる。但し、採択の方向で進んでいると主査(査読者A?)のコメント。

5回目:2011,6,2提出、2011,8,31返却・・・結果:修正採択
査読者A:採択、B:採択、D:修正要求(再査読?修正採択?)
さらに、査読者Dより細かな指摘。対応したり説明して修正はしなかったり。AとBはこれで充分と言っている。 

6回目:2011,9,25提出、2011,11,24返却・・・結果:修正採択
査読者A:採択、B:修正要求(修正採択?)、D:採択
これまで最も寛容な査読をしてきた査読者Bが突然修正を要求。粛々と対応及び説明。

7回目:2011,12,26提出、2012,9,4返却・・・結果:採択
査読者A:採択、B:添付なし、D:添付なし

完成原稿提出:2012,9,21  
雑誌掲載:2013,2,4

こうして振り返ると、いろいろ思い出すことがあります。まず、査読者の指摘の意味が分からない(もちろん日本語)、査読者間で指摘していることがバラバラなのはまだいいとして時に正反対の指摘があったりする、前回何も言わなかった査読者が、次の時に突然難しい課題を突きつける等々。大学の先生というのはすごいのうって、思いました。
自分がやってきたことは、少なくとも的はずれではないということを証明してもらったので、この5年間は無駄ではなかったといえますが、論文書いている(3年間の半分)1年半は電車の中で何度も何度も書いたり読んだりしていました。修論自体は、データの解析にえらく時間がかかり、それだけで苦痛でしたが、今回の投稿論文書きは、途中で自分でも訳が分からなくなることがよくありました。なんといっても仕事しながらですし。でも、査読を経て簡潔にまとまったこともたくさんあるので今となっては感謝感謝ですね。原著扱いではなく資料論文なんですけどね。
そもそも、投稿したT学会の雑誌は、儂、他の人のを読んでも意味が分からんのです。修論の指導をしていただいたT先生が何を思って「出しましょう」と言われたのか未だに分かりません。査読のない発表とか雑誌への投稿ならまだしも。
そしてもう一つ特記すべきことが。画期的なのは、3年かかってもしぶとく掲載されたことに加え、儂のは英語の引用文献がないってこと。英語力がない普通の「現場」の人間でも研究はできるんだよってことです。

まあとりあえずしてみたかったことが達成できたのではい。当時ご協力くださった皆様をはじめ、関係者の皆々様ありがとうございました。

速報2題

2012-09-07 21:40:02 | 別に除けておきたいこと
その1
愛媛マラソンのエントリー、1時間37分で6000人に達したようです。

儂のハーフの記録より早い・・・。
儂の「予想タイム」は、今年はさすがに昨年度の4時間もは切れない、と踏んでいましたからびっくりです(ブームは去るのも早いですから)。何とまあ、完全に読みが外れました。恐るべし愛媛マラソンです。
スマホとか、端末での申し込みが楽になったのも影響しているのかもしれません。昨年度の郵便振替の抽選倍率が約5倍でしたから、落ちた人が気合い入れたのかもしれません。
でもそれより実のところ何より、何で?っていう以外、ないです。ランネットでの評価も結構高いのは確かですが。
走れない人は、まだまだ相当数いるわけですね。個人的には、早いもん勝ちもいいんですけど、もう少し抽選枠増やすとかしないとアンフェアじゃないかなと思います。本当に何年も続けて走ってこられた人が走れないとかになると、ねえ。
だから、というわけではありませんが、エントリー完了の皆さん、頑張りましょう。そして、練習しましょう。

その2
某学会誌に投稿していた論文が、やっと通りました。祝!「採択」決定!です。

思えば、5年前、一度「不採択」になり、テーマを絞り込んで再投稿して7回目、ようやくの脱稿です(まだ最終の手直しがありますが)。
いわゆるこの「ギョーカイ」の中では、論文審査はそこそこ厳しい学会誌ではあると儂は思いますが、多くの論文が、時間がかかっても、受稿から受理までは、だいたい2年ぐらいの中で、儂の論文は4年かかりました。意味が分かりませんってコメントされて「再査読(やり直し)」を何度もくらい、もう止めようと思ったことも当然ありますし、こちらも査読者の質問に書かれてある用語の意味が分からず途方に暮れたことも多々あります。やっと終わったという気持ちとともに、儂でもできたという、丁度初マラソンを走りきった気持ちに似たものも感じます。何回も「あかん」って言われたから余計に。
いろいろ協力してくださった方々に、指導してくださった先生に、ようやく少し返せたのかもなと。

祝杯を挙げたいのですが、帯状疱疹の薬が明日まで残っているので、まだ我慢しています・・・。

気がつけば空を見ていた

2012-08-26 13:44:12 | 別に除けておきたいこと
3週間と1日。
この間ずっと、気がつけば空を見ていました。

君もきっと同じ空を見ているはずだという願い、想いを込めて見ていました。

確信はありませんでした。
待つしかありませんでした。
この3週間と1日。

夏の終わり。もうすぐ君の17回目の誕生日ですね。
17年前のその日は、たたきつけるような雨の日でした。
君を迎えに行った関東のある街の駅の前で、そのことを思い出しました。
17年前と同じような、たたきつけるような雨が降っていました。

どうしても自分だけのことにしておくことができず、一部の方々にはご心配をおかけしました。いろいろなことに支障が出て御迷惑をおかけしました。
彼にとっては不本意な結末だったのかもしれませんしこれからのことを考えるとすべてが解決したという訳ではありません。
ただ。
大袈裟でなく、生きていればやり直せますから。

この間ずっと、気がつけば空を見ていました。
たった3週間と1日のことですが。

近くにあった倫敦

2012-08-25 14:20:28 | 別に除けておきたいこと
今日は、久々に街とは反対の方向へ足を向けた。
田園の中に突如、2階建てバスが現れる。

いつからあったんやろ。どこでどう入手したんやろ。
乗ってみたいな。子どもみたいだがな。



ようやく落ち着きつつあります。お騒がせしました。
とりあえず元の形になりました。

しばらく休業します

2012-07-29 17:36:01 | 別に除けておきたいこと
家の方がごたごたしていますので、しばらく休みます。
案外、数日後に更新できたりするかもしれませんし、かなり先になるかもしれません。
こういう告知ができるのは、まだ「おおごと」にはなっていないということです。
ただ、神戸とかそういうのはもう無理かなという感じです。
早めに再開できたらいいのですが、まだ見通しがたっていません。

後になって笑い話のレベルで済めば良いのだけどもと思っています。

最近訪れてくださる方が増え、とても有り難く思っております。
また、機会がありましたら覗いてやってください。