これもまた、これまで何度か話に出てきた、数年前、社会人入学していた大学院時代のこと。意識して走ってないので正確には旅ランではないが、旅ランに近いぐらい歩き回ったこともあり、儂にとって貴重な体験だったので、記しておきたい。ちなみに全7回である。
修士論文の指導でお世話になっていたT先生が当時、タイの「すわんどぅしっとらじゃばど」スワンドゥシットラジャバド大学(この日本語読みが正確とは限りません・・・)の聴覚障害教育関係の先生と、共同研究か業務提携か何かの話を進めていて、その関係でいい機会だからタイの聾学校に行ってみようかという話になった。元々大学ではタイから国費や私費の研修生を受け入れて面倒を見ていたこともあり、現地には修了生や知り合いもいて、連絡し会える状況にあるらしい。
T先生は、自分の専門の研究とは別に、国内だけでなくスリランカやイスラエル等々に出向き、補聴器関係、聴覚障害児教育の支援をしてきた方である。この時もその行動力を余すところなく発揮され、あちこち連絡を取り、あっという間にタイ行きの手はずを整えた。参加者は、T先生、研究室の学部生さん、隣の研究室の学部生さんとT先生の研究室の卒業生さんと私の5人になった。実は予定者はまだいたのだが、直前(年末年始あたりだったか)にタイ中心部のスクンビット(かその辺)で爆弾テロがあり、参加を見合わせた学生が数人いてこういう数に落ち着いた。私も実は真剣に辞退しようかと考えていたが、T先生が考える危険度で言えばその程度はたいしたことないらしく、行くのが当然のように打ち合わせをされるので結局止めますと言えなかった(行ったらあんまり街に緊張感なくて、結果オーライでしたが)。
この貴重な海外研修(当然自費です)。当時、機会があったらまとめようかと思っていたのか、実施記録のようにメモをとっていた。写真と、そのメモをもとに振り返ってみようかと思う。
まずは0日目。この日は夜行バスに乗り、大阪へ行く。バス内では当然の如く飲み寝る。
1日目。朝早くから昼過ぎまで関空にいたことになる。はっきり言って何をするでもなくひたすら時間が過ぎるのを待っていた。ちなみに、T先生とは現地集合、現地解散である(これもT先生に当然のように言われて「はい」と当然のように返事をした記憶がある)。数少ない渡航経験しかないのに、そして自分でホテルまで行かなければならないというのに、案外切迫感がなかったのも覚えている。まあ、空港で待つのはイヤではなかった。田舎もんだから、ビルとかでぼんやり過ごすの悪くないし(というより飲めば時間がつぶせると思っていたし)以下、メモと写真を元に。
7時に関空着。朝ご飯食べにマクドへ。メモには「クーポン忘れる」と記してある。よほど悔しかったらしい。8時。ゴールドカード会員用のラウンジへ(実は持っていたりする。おかげで海外旅行保険も入らずに済ませることができた)。一本目を飲むのはまだ早いかと、ジュースを飲みつつ。一息つく。そして11時。学部生の二人と合流する。モダン焼きを食う。彼女たちも今回の海外は初めてかそれに近かったはずだ。普段からしゃべっている訳ではなかったが、全く接点がないわけでもなかった。ちなみに、儂はひょんなことから大学の非常勤講師を2年間したことがあるが、そのとき講義をした学年が、奇しくも学部から内部進学した大学院の同級生と、その下の学年(つまり今回一緒の学部生)ということで、不思議な縁があった。ともあれ、心強くもあり、若い女性二人連れてというのは、かなり責任感も感じていたのを覚えている。
12時前に4階へ上がり、空港内ゲートより出国する。日本であって日本でないのかなと妙な気分にある。
14時過ぎにようやく出発。出国からさらに2時間かかっている・・・。この辺の記憶はない。ずっと土産物屋とか免税店見てたんだろう。で、機内。JALである。エコノミーだが、儂の体が小さめだからか別に不自由はなかった。個人用のモニタがあり、映画やらゲームやらできるので退屈しなかった。で、普段はあまり見ない映画を見た。一本目は韓国映画の「sad movie」で、話の中に韓国手話が登場し、思わぬ貴重な情報を得た。当然じっくり見た。もう一本は「武士の一分」軽い気持ちで見たが楽しめた。見ながら機内食そして、一番搾り2本。
18時45分(現地時間)。映画の余韻に浸りつつ到着。
時差は2時間だから、6時間余り乗っていたことになる。以下現地時間で記す。
19時20分入国。まあまあ時間がかかっている。ターミナル内の銀行で両替。この時のレートは30000円→8760バーツ(B)。この時は、日本国内なら1バーツ4円、タイなら1バーツ3円といった感じだったか。現地で換えた方がトクなのは確かだし、しゃべれなくても大丈夫だから、面倒がらずに向こうでやった方が正解だなと思った(また、バンコクなら町中至る所に小さい銀行があるので、気分的に困らなかった)。
30分後にようやくタクシーに乗る。タクシー待ちでイヤな予感が的中する。係員か何か分からんが、乗り場の担当らしき人は結構いい加減に客を割り振る。順番とばしも若干受けた後で、ようやく指示されたタクシーに乗り、ホテルの住所を書いたメモを見せ、行き先を指示する。儂は前。学部生の二人は後ろ。ほっとしたのもつかの間、走り出した後でタクシーにメーターがないことに気付く。確認してから乗るべきだったと思うが後の祭り。後ろの二人は不安そうである。車内で人の良さそうな運転手が片言の英語で(儂に内容が分かったんだから片言の英語だったんだろう)800バーツでいいよ高速代はサービスするからと言う。「地球の歩き方~タイ」で予習していたので、ぼったくられるかなというのは分かった。メーターがないというのはその時点で悪質である。乗り場の係員も、いくらかもらってこういう悪質タクシーも適度に混ぜて配車しているんだろうか。まあ、800払っても、日本人の感覚なら妥当といえば妥当(タイの物価は1/3と考えればいいから)だし、ここで素直にそれで安全に連れて行ってもらうのもいいかもしれない。でも、儂は抗議した。日本語で、地元の言葉で怒鳴りまくった。ちがうやろおかしいやんかめーたーないしめーたーあったら300(指3本出す)やろってかまんからおろせって(本当に降ろされたら困るけど・・・)。しばらくやり取りしてにらんで怒った顔で乗っていた。この時、もう仕方がないというか、別に自腹切れば他の二人には影響ないわけだしと納得はしていた。まあ授業料だなあと。マニュアル通りに空港内の乗り場でタクシー拾ってもこうなるんだなあと、まあ言うだけ言ったこともあり納得していた。すると、運転手は、程なくして3(00)でいいと三本指を立てた。ほっとした反面いいのかなと思った(この辺が中途半端にお人好しなんかな)。その後、30分は長かった。高速代(30バーツ)もルール通りこちらが支払った。景色を見る余裕はなく、まあ普通のタクシーに乗ってもそうだっただろうけど、英語の看板をさがしては、頭の中で何度も復習したバンコク市内の地図とつきあわせた。
20時40分、無事にホテル着。儂の表情は硬いままだったが、さんきゅーと300バーツを渡して、無事に解放された。ちなみに、今回の結果はオーライだったが、見ず知らずの土地でけんか腰で対処するとリスクが大きいと後になって思った。今もそう思う。どこに連れて行かれ、どんな目に遭わされるかという心配(というより危険)もある。だから、あまりおすすめしません。この時はたまたま運が良かっただけ。800バーツを授業料代わりに払うのが一番賢明だろうと思う。
21時10分、彼女たちに連れられ(本当にそんな感じ)ホテル近くをうろうろしに出る。ばりばりの地元民御用達と思われる屋台がならんでいるがもう店じまいらしい。セブンイレブンに入り、耳かきやらスナック菓子を買う。実は、空港で携帯をレンタルしてFOMAカードを差し替えようとしたら、カード挿入口に仕込まれたバネが反応してしまったらしく、電池がとれなくなり、結果的にカードが抜けなくなってしまっていた。携帯が使えないと現地でのT先生との連絡や日本との連絡ができず不便だし不安なので、何とか直そうとしたが、工具もなく本当にどうしようかと思っていた。そこで、具合の良さそうな耳かきを見つけ、購入したというわけである。コンビニ万歳。1時間ぐらいぶらぶらしてホテルに帰り、ケータイ修理を無事に完了する。
携帯が使えないというだけでこんなに不安になると言うのも考えもんだと直って安心してから思う。普段余り使わないのに、思った以上に携帯に依存していることを改めて知った。ちなみに、ドコモでレンタルすると海外では着信でもお金がかかる。この翌日、何年もかけてこなかった人から電話がかかってきたりして、これもまた不思議なもんだなと思ったりした。
修士論文の指導でお世話になっていたT先生が当時、タイの「すわんどぅしっとらじゃばど」スワンドゥシットラジャバド大学(この日本語読みが正確とは限りません・・・)の聴覚障害教育関係の先生と、共同研究か業務提携か何かの話を進めていて、その関係でいい機会だからタイの聾学校に行ってみようかという話になった。元々大学ではタイから国費や私費の研修生を受け入れて面倒を見ていたこともあり、現地には修了生や知り合いもいて、連絡し会える状況にあるらしい。
T先生は、自分の専門の研究とは別に、国内だけでなくスリランカやイスラエル等々に出向き、補聴器関係、聴覚障害児教育の支援をしてきた方である。この時もその行動力を余すところなく発揮され、あちこち連絡を取り、あっという間にタイ行きの手はずを整えた。参加者は、T先生、研究室の学部生さん、隣の研究室の学部生さんとT先生の研究室の卒業生さんと私の5人になった。実は予定者はまだいたのだが、直前(年末年始あたりだったか)にタイ中心部のスクンビット(かその辺)で爆弾テロがあり、参加を見合わせた学生が数人いてこういう数に落ち着いた。私も実は真剣に辞退しようかと考えていたが、T先生が考える危険度で言えばその程度はたいしたことないらしく、行くのが当然のように打ち合わせをされるので結局止めますと言えなかった(行ったらあんまり街に緊張感なくて、結果オーライでしたが)。
この貴重な海外研修(当然自費です)。当時、機会があったらまとめようかと思っていたのか、実施記録のようにメモをとっていた。写真と、そのメモをもとに振り返ってみようかと思う。
まずは0日目。この日は夜行バスに乗り、大阪へ行く。バス内では当然の如く飲み寝る。
1日目。朝早くから昼過ぎまで関空にいたことになる。はっきり言って何をするでもなくひたすら時間が過ぎるのを待っていた。ちなみに、T先生とは現地集合、現地解散である(これもT先生に当然のように言われて「はい」と当然のように返事をした記憶がある)。数少ない渡航経験しかないのに、そして自分でホテルまで行かなければならないというのに、案外切迫感がなかったのも覚えている。まあ、空港で待つのはイヤではなかった。田舎もんだから、ビルとかでぼんやり過ごすの悪くないし(というより飲めば時間がつぶせると思っていたし)以下、メモと写真を元に。
7時に関空着。朝ご飯食べにマクドへ。メモには「クーポン忘れる」と記してある。よほど悔しかったらしい。8時。ゴールドカード会員用のラウンジへ(実は持っていたりする。おかげで海外旅行保険も入らずに済ませることができた)。一本目を飲むのはまだ早いかと、ジュースを飲みつつ。一息つく。そして11時。学部生の二人と合流する。モダン焼きを食う。彼女たちも今回の海外は初めてかそれに近かったはずだ。普段からしゃべっている訳ではなかったが、全く接点がないわけでもなかった。ちなみに、儂はひょんなことから大学の非常勤講師を2年間したことがあるが、そのとき講義をした学年が、奇しくも学部から内部進学した大学院の同級生と、その下の学年(つまり今回一緒の学部生)ということで、不思議な縁があった。ともあれ、心強くもあり、若い女性二人連れてというのは、かなり責任感も感じていたのを覚えている。
12時前に4階へ上がり、空港内ゲートより出国する。日本であって日本でないのかなと妙な気分にある。
14時過ぎにようやく出発。出国からさらに2時間かかっている・・・。この辺の記憶はない。ずっと土産物屋とか免税店見てたんだろう。で、機内。JALである。エコノミーだが、儂の体が小さめだからか別に不自由はなかった。個人用のモニタがあり、映画やらゲームやらできるので退屈しなかった。で、普段はあまり見ない映画を見た。一本目は韓国映画の「sad movie」で、話の中に韓国手話が登場し、思わぬ貴重な情報を得た。当然じっくり見た。もう一本は「武士の一分」軽い気持ちで見たが楽しめた。見ながら機内食そして、一番搾り2本。
18時45分(現地時間)。映画の余韻に浸りつつ到着。
時差は2時間だから、6時間余り乗っていたことになる。以下現地時間で記す。
19時20分入国。まあまあ時間がかかっている。ターミナル内の銀行で両替。この時のレートは30000円→8760バーツ(B)。この時は、日本国内なら1バーツ4円、タイなら1バーツ3円といった感じだったか。現地で換えた方がトクなのは確かだし、しゃべれなくても大丈夫だから、面倒がらずに向こうでやった方が正解だなと思った(また、バンコクなら町中至る所に小さい銀行があるので、気分的に困らなかった)。
30分後にようやくタクシーに乗る。タクシー待ちでイヤな予感が的中する。係員か何か分からんが、乗り場の担当らしき人は結構いい加減に客を割り振る。順番とばしも若干受けた後で、ようやく指示されたタクシーに乗り、ホテルの住所を書いたメモを見せ、行き先を指示する。儂は前。学部生の二人は後ろ。ほっとしたのもつかの間、走り出した後でタクシーにメーターがないことに気付く。確認してから乗るべきだったと思うが後の祭り。後ろの二人は不安そうである。車内で人の良さそうな運転手が片言の英語で(儂に内容が分かったんだから片言の英語だったんだろう)800バーツでいいよ高速代はサービスするからと言う。「地球の歩き方~タイ」で予習していたので、ぼったくられるかなというのは分かった。メーターがないというのはその時点で悪質である。乗り場の係員も、いくらかもらってこういう悪質タクシーも適度に混ぜて配車しているんだろうか。まあ、800払っても、日本人の感覚なら妥当といえば妥当(タイの物価は1/3と考えればいいから)だし、ここで素直にそれで安全に連れて行ってもらうのもいいかもしれない。でも、儂は抗議した。日本語で、地元の言葉で怒鳴りまくった。ちがうやろおかしいやんかめーたーないしめーたーあったら300(指3本出す)やろってかまんからおろせって(本当に降ろされたら困るけど・・・)。しばらくやり取りしてにらんで怒った顔で乗っていた。この時、もう仕方がないというか、別に自腹切れば他の二人には影響ないわけだしと納得はしていた。まあ授業料だなあと。マニュアル通りに空港内の乗り場でタクシー拾ってもこうなるんだなあと、まあ言うだけ言ったこともあり納得していた。すると、運転手は、程なくして3(00)でいいと三本指を立てた。ほっとした反面いいのかなと思った(この辺が中途半端にお人好しなんかな)。その後、30分は長かった。高速代(30バーツ)もルール通りこちらが支払った。景色を見る余裕はなく、まあ普通のタクシーに乗ってもそうだっただろうけど、英語の看板をさがしては、頭の中で何度も復習したバンコク市内の地図とつきあわせた。
20時40分、無事にホテル着。儂の表情は硬いままだったが、さんきゅーと300バーツを渡して、無事に解放された。ちなみに、今回の結果はオーライだったが、見ず知らずの土地でけんか腰で対処するとリスクが大きいと後になって思った。今もそう思う。どこに連れて行かれ、どんな目に遭わされるかという心配(というより危険)もある。だから、あまりおすすめしません。この時はたまたま運が良かっただけ。800バーツを授業料代わりに払うのが一番賢明だろうと思う。
21時10分、彼女たちに連れられ(本当にそんな感じ)ホテル近くをうろうろしに出る。ばりばりの地元民御用達と思われる屋台がならんでいるがもう店じまいらしい。セブンイレブンに入り、耳かきやらスナック菓子を買う。実は、空港で携帯をレンタルしてFOMAカードを差し替えようとしたら、カード挿入口に仕込まれたバネが反応してしまったらしく、電池がとれなくなり、結果的にカードが抜けなくなってしまっていた。携帯が使えないと現地でのT先生との連絡や日本との連絡ができず不便だし不安なので、何とか直そうとしたが、工具もなく本当にどうしようかと思っていた。そこで、具合の良さそうな耳かきを見つけ、購入したというわけである。コンビニ万歳。1時間ぐらいぶらぶらしてホテルに帰り、ケータイ修理を無事に完了する。
携帯が使えないというだけでこんなに不安になると言うのも考えもんだと直って安心してから思う。普段余り使わないのに、思った以上に携帯に依存していることを改めて知った。ちなみに、ドコモでレンタルすると海外では着信でもお金がかかる。この翌日、何年もかけてこなかった人から電話がかかってきたりして、これもまた不思議なもんだなと思ったりした。