西日本、特に山陰では大荒れの天気だとか。えびすだいこくのスタート地点である美保ヶ関とかゴールの出雲とか、あるいは徳永進さんの著書によく出てくる浜坂などといった地名をよく目にした。
大晦日の夕方に家族で、儂の実家の方に行く。凍結はしていないものの、道中ずっと強い西風が吹いていて気温が低い。雪もちらちらしているし路肩は何より数日前に降った雪が解けていない。
寒いのは大の苦手だが、年が明けてすぐ家族とともに氏神さんに参ることにする。昨年、一昨年とにぎやかで有名な寺社に出向いたが、今年は何となく、実家の氏神さんになった。儂の親父が今年は「宮総代」という役らしく、年明け前から氏神さんで待機していた。小学校も一学年が一桁ぐらいになったと何年か前に聞いたほどの過疎の地区で、氏神さんも本当に人気がないところなのだが、それでもこの日だけは何名かとすれ違い、新年の挨拶を交わす。顔が分からなくてもとりあえず声を掛け、そして返す。それがこの地のスタンダード。「おっ、あっくんか」と儂のことを覚えていて下さる方もいてうれしくなる。
半端でなく寒いので家路を急いでいると、息子が立ち止まる。星に目を奪われているようである。雲の流れが速く、ところどころで星が見える。ここで見る星は相変わらず街にいるときより圧巻である。星というのは、こんなにいっぱいあるんだなと思う。写真を撮るが写らない。だから余計にしっかりと目に焼き付ける。家族で一緒に星を見ることができる。有難いと感じる。
翌朝、強い西風の中、走りに出る。山の方は凍結が心配なので、街の方に行く。高校の時に、階段上りをよくした「Oの森」のそばを通る。頂上は神社だが、そこそこ参拝の人がいるので遠くから見るだけにする。特にはっきりとした目的や意思もなかったが、とりあえず休まずに毎日練習には行っていたことを思い出す(中学高校と同じ部活をしたがずっと補欠だったにもかかわらず…)。
近辺では割と初詣でで有名なK寺、紅葉で有名なN寺の近くまで行きながらやはり止める。向かい風を受けながら、反対方向に行き、高校まで喘息の治療でお世話になった小さな病院の前を通る。正月や祭りなどによく発作を起こし、本来開いていないときに処置をしてもらって、大げさでなく何とか生き延びてきたと思う。医師の先生や看護師さんに本当に助けてもらった病院。今は駐在所になっていて、建物も面影もない。
向かい風は止まない。姿勢に気をつけながら足を止めずに進む。速くはならないがとりあえず止めずに進む。いつものように。
大晦日の夕方に家族で、儂の実家の方に行く。凍結はしていないものの、道中ずっと強い西風が吹いていて気温が低い。雪もちらちらしているし路肩は何より数日前に降った雪が解けていない。
寒いのは大の苦手だが、年が明けてすぐ家族とともに氏神さんに参ることにする。昨年、一昨年とにぎやかで有名な寺社に出向いたが、今年は何となく、実家の氏神さんになった。儂の親父が今年は「宮総代」という役らしく、年明け前から氏神さんで待機していた。小学校も一学年が一桁ぐらいになったと何年か前に聞いたほどの過疎の地区で、氏神さんも本当に人気がないところなのだが、それでもこの日だけは何名かとすれ違い、新年の挨拶を交わす。顔が分からなくてもとりあえず声を掛け、そして返す。それがこの地のスタンダード。「おっ、あっくんか」と儂のことを覚えていて下さる方もいてうれしくなる。
半端でなく寒いので家路を急いでいると、息子が立ち止まる。星に目を奪われているようである。雲の流れが速く、ところどころで星が見える。ここで見る星は相変わらず街にいるときより圧巻である。星というのは、こんなにいっぱいあるんだなと思う。写真を撮るが写らない。だから余計にしっかりと目に焼き付ける。家族で一緒に星を見ることができる。有難いと感じる。
翌朝、強い西風の中、走りに出る。山の方は凍結が心配なので、街の方に行く。高校の時に、階段上りをよくした「Oの森」のそばを通る。頂上は神社だが、そこそこ参拝の人がいるので遠くから見るだけにする。特にはっきりとした目的や意思もなかったが、とりあえず休まずに毎日練習には行っていたことを思い出す(中学高校と同じ部活をしたがずっと補欠だったにもかかわらず…)。
近辺では割と初詣でで有名なK寺、紅葉で有名なN寺の近くまで行きながらやはり止める。向かい風を受けながら、反対方向に行き、高校まで喘息の治療でお世話になった小さな病院の前を通る。正月や祭りなどによく発作を起こし、本来開いていないときに処置をしてもらって、大げさでなく何とか生き延びてきたと思う。医師の先生や看護師さんに本当に助けてもらった病院。今は駐在所になっていて、建物も面影もない。
向かい風は止まない。姿勢に気をつけながら足を止めずに進む。速くはならないがとりあえず止めずに進む。いつものように。