きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

2017-10-16 18:54:31 | 脊髄内血管腫との邂逅
まさか、50になる日を病院で過ごすとは思わんかった。何が起こるか分からん。本当に。

それでも、君たちが元気で何より。
身体が動かんから、不自由なのは確かだが、胸から上は普通の状態。下も歩くまでではないが、補助してもらい、平行棒につかまりながら足を前に出す練習も行えるようになった。左足は力もついてきた。ただ、普通にものを考えることができるから、暇を持て余したり余計なことを考えたりということはある。まだまだ先は見えないし、目の前のことをどうするかで精一杯。とりあえず、今は痛いのはないにしても、我慢しかないのは分かってはいるが、病室から出られるのはリハと午後のデイルーム1~2時間ぐらいだし、それでも何より9階から一歩も外に出られんし、食べるものも病院食のみ。
来週以降に脊髄内の出血部の手術もある。入院も年末ぐらいまでかかりそう(!)で。それが治療が終わって即復帰できるかというと全然想像ができないし、十分に回復した形での復帰はもっと時間がかかるかもしれない。
何より、酒なしでそれに耐えられるかなと(今は点滴もなくて、手術まで一休みという状態だから、特に気分的にふさぎ込むことはないし、それが云えるぐらいの精神状態ということ。まあ、誕生日の一寸した御褒美なんだろう)。

で「五十而知天命」のこと。50にして天命を知る、ということは、いろいろな解釈があるらしく。ネットを見れば「自分の真の使命を悟る」という考え方が主流のようだが。一方で、孔子が生きた時代なら、もう50は老境の時代で、今までの生き方で既に己の限界を知り諦めよ、というようにも解釈できるという説もある。まあ、今の時代なら前者なんだろうが。この後者の説も、今はぐいぐい自分の中に入ってきていて。

仕事のことは、半分ぐらいはもう忘れている。当面は、自分のことで手いっぱいでそんな余裕ない。
仕事を止めることはできないまでも、これまでのようにガツガツやることはとても無理で、いわばアーリーリタイヤの感覚で、少しペースを落としてやっていかないかんのではないかということは、最近感じている。何ができるのかという点でできることは限られるだろうが、今までの感覚を捨てないとこれからの定年までの10年は少々きつい。自分にできることを何らかの形で捜し、最低限の職務を果たすというようにする必要はあるか。

で、ついさっき、明日朝の造影剤でのCT検査が決まる。朝食抜きらしい。それより何より点滴再開、やなあ。造影剤はMRIのとはちょっと違うらしいし。造影剤の副作用がなければいいが。
この3日間は、楽やったけど、また始まるなあ、って感じ。つかの間の休みだった。一つ一つこなさないかんか。