38日目:10月28日(土)手術2日目
深夜、だいたい消灯後で日付が変わったぐらいから、身体が悲鳴を上げたかのようにギシギシと痛む。下半身はよく分からない。背中とか頭とか。看護師さんが替わった辺りだから2時ぐらいか、その後、急激に悪寒が始まる。対応した看護師さんは、毛布と電気毛布で対応。しかし、何で熱を測らないんだろうかと。結局別の看護師さんが対応したのが4時過ぎぐらい。39.9度。アイスノンで39.4度、結局座薬を処方されたのが5時ぐらいらしい。座薬を入れてからは程なくして震えが止まり。そして7時ぐらいになって漸く37.5度。夜中の不調時は、時計はおろか眼鏡は手元にないし補聴器もないし(座薬対応の看護師さんは手話で対応してくれたが)、時間が分からない不安さもあって一番苦しかった。身体も当然動かせないし動かないし。手術はもう絶対しないと決めた。
後でいろいろと計算すると、自分の時間の感覚(進み方)と実際の感覚は大体2~3倍ぐらいずれていた。結局ほとんど寝ていない。
7時に採血。眼鏡と補聴器をもらう。採血はさっきの毛布対応の看護師さんがしたが、失敗。2回目は別の看護師さんがしたがこれも失敗。一般病棟で採血レベルの簡単なことで失敗したことがなかったので、少々気分が塞がる。しかも2回目失敗した看護師さんから「痛いのは駄目ですか」と言われ。痛くても構わないという人がいるのだろうかと腹も立った。夜中痛みと悪寒できつかったこともある。「採血3回目ってありえないと思いますが」と反すのが精一杯。3回目、漸く成功。どちらも経験が少ない人だったのだろう。
朝は水分はOKだったので、ごくごく摂取したが、それでも満足できる感じではない。喉の渇きと動けなさとで不安な時間が続く。
8時ぐらいに別の看護師さんがラジオを持ってきてくれる。9時に身体を拭いて貰う。
10時にI先生が来られ、CTへ。休日もガンガン稼働している。結果を確認後、背中に付けていたドレンチューブを抜いて貰う。熱も落ち着いていたし、予定通り一般病棟へ、ということになる。30分ほどじっと天井を見て過ごす。
11時、よく知った看護師さんが2名迎えに来る。今日は個室に入る。個室はテレビが無料なので即付けて貰う。まだICUを出たからといって自由になるわけではない。明後日の昼までは完全安静状態で、食事の30分以外は身体は起こせない(だからベッドのリクライニングも自分ではできない)。これがかなりつらい。
11時40分、昼食。メニューを記録したりとかそういう気分ではないのでやっていない。本当に何を食べたか旨かったかほっとしたかよく覚えていない。手短に薬飲んで歯磨きまでしてからすぐに横になった。折角の差額ベッド料大枚分の個室だが外は見れても空ばかり。それより、動けないから全く意味がない。それでも手術後の対応になるのとここしか空いてないと病棟から説得されて、であるので仕方がない。
何より身体の状態は思わしくない。全体的に身体が痛いだけでなく、①身体の「姿勢に関する感覚」とでもいうか、脚がどの位置にあるのかが分からないとか曲がっているのか伸びているのか全然分からないとか、②「皮膚の感覚」という点で、下腹や脚に触っても触った感じではなく冷たいとかびりびり痛いとかそういう感じしかない。この2点がきつい。修正の仕方も分からないし、脚はまっすぐなのに、左は膝を立てて右は膝が外に開いている感が解消しない。この時点ではそのうち何とかなるだろうと思っていたが、手術して9日目のこれを打っている今日(11月4日)も全く変化がない(※)。脚はわずかに動く。この点は、ドクターを始め安心している空気は伺える。
※この項を入力しようという気になったのは「諦」めたからではある。「諦」めには時間がかかったが、前に進むには必要なことである。このことは11月7日「観」にて記した。
13時、ヨメさんが来る。安心感からいろいろと昨晩のことについて話す。40分後に帰る。その後はテレビを見たが、テレビを見ると右ばかり向くので、時々左向きになって窓から空を見ていた。点滴は全く痛くないが、ラインを取っているところは手の甲だった(手術室で処置した)。針を刺すときは大変そうだが、今は楽なので有り難い。で、夕食を取るときに少しだけ夕景を見て、再び天井を見る。20時の体温は38度。21時に
寝るが、24時に体温を測ると38.5度まで上がっていて、結局座薬を入れて貰う。座薬を入れる感覚すらよく分からない。いろいろ気がかりなことはたくさんある。
39日目:10月29日(日)手術3日目
6時、起床。テレビを付ける。前の日寝ていなかったからか、睡眠時間は約8時間。水300ミリリットルぐらい摂取。寝たままなのでストローで飲む。これができるだけでも有り難い。
テレビを付ける。個室なので音はあまり気にしなくていい。
7時、朝食。
暫定的に術後管理する上でI先生の指示があったのかもしれない。パンがおにぎりになっていた。別にこれはこれで旨い。
景色を名残惜しみつつ、リクライニングを倒して天井を見る。
9時、I先生が来る。傷口の確認と、点滴、投薬の指示。
今晩終了するらしい。経過は順調のようで、明日からは大部屋でOKらしいが、看護師さんが「空きが」と曰う。どうなるか。手術の経過そのものは悪くはないにしても術後の身体の状態はかなり良くない。脚の感覚異常は続いている。動かすこと自体はできているが、●脚がどの方向に動いているのかどれぐらい動いているのかは全く把握できない。他、●両足はもの凄く「冷たい」、●下腹部は感覚なし、●足の裏は痛い、脚の指はどこを触っているのかは分からない、●腰が痛い。特に寝返り時に左側。でこの黒丸の項目は、この日の様子について翌日にメモをとったものだが(まだ起きあがれないので)、これが全然回復していないのだなと、今(手術後8日目:11月4日)改めて感じる。
11時50分、昼食。
メモなし。
14時20分、ヨメさんが来る。駅伝見ていたこともあり、早めに帰る。
その後は覚えていない。
17時50分、夕食。
メモなし。
終了後は、日本シリーズを見たりスマホを見たり。
21時30分、最後の点滴開始。
22時30分、看護師さんの好意で、点滴を抜いてから就寝。
感慨深い。
40日目:10月30日(月)手術4日目
6時、起床。睡眠時間約6時間半。水300ミリリットルぐらい摂取。2人部屋。足を上げたままで新聞。
7時10分、朝食。
おにぎりメニュー。メモなし。
8時50分、I先生回診。術部のガーゼを取る。ふろOK、車椅子OKの指示。起きあがる(想像していたより早かった)。これから暫くは頭痛が出たら安静状態に戻らなければならない(髄液の漏れのため)、とのこと。
手術時のみ点滴をしていた左手がまだ痛い。
9時20分、シャワー(予想外に早い)。洗って貰うこと自体が痛い。
9時40分、終了。ベッドへ。
10時20分、部屋替えが決まる。
個室の景色はわずかだったがこれで終了。新しい部屋は「音がうるさいです」とのこと。結構「叫ぶ」方がおいでのようで。実際は全く気にならなかった。叫ぶ人がいるのと、看護師さんが「○○さん」と絶えず呼び掛けなければならない覚醒レベルの人が多いのが「うるさい」理由でもあることに後から気付いた。ここナースステーションのど真ん前だし。
10時50分、●立つ練習8秒できた(考えてみればこの日が立つことに関してはピークである廊下の手すりでこれができたということ自体)。身体の感覚は、またこのときは停滞していたわけでもないのかもしれない。その後デイへ。
11時40分、戻る。
ここから大部屋へ。窓際になる。有り難い。
昼間は暑いので敬遠される人もいるとか。動ける人なら行きたいときだけ移動というのもアリなんだろうか。動きに制約のある儂にとっては外が見れること自体が有り難い。何せこの9階生活長い。
起きあがれて気持ちが上向いているのか、脚の感覚は気になるものの、まあ少しずつという気持ちもある。身体を起こせることの有り難さ。車椅子にも乗り、シャワーもした。一気に絶対安静の制限が解除された。昨日の夜に点滴も終了した。本当に涙か出るぐらい嬉しい。ようやくごぞごぞ活動しようという気になっている。I先生に患部を確認してもらいながら、そういう大丈夫を一つずつ確認している感じ。昨日に比べて●「脚の冷たい嫌な感覚が太股の部分はなくなってきた」という当日走り書きを目にする。良くなりたいという気持ちだけでなく良くなっているという筈だという心的ファクターも介入している。実際に振り返ってみると、細かな場所の違いや当てる感覚の違い(針みたいなものかやや太めの筆みたいなものかといった物理的刺激と面積)、接地面等々で感じ方は随分異なるから、これも正しい部分有り、誤認の部分有りといった感じか。
11時50分、昼食。
メモなし。まだ記録とかできていないためか。それとも気分の問題か。後者も理由としては大きい。
12時20分、ワンセグでテレビ。
13時20分、リハ。この日はベッドで感覚の確認とストレッチ、車椅子への移動。
14時20分、終了。
そのままPCでいろいろ検索。
16時00分、尿を取りに来て貰ったついでで車椅子への移動をお願いする。以前に比べて大仕事になっている。完全介助での移動。わざわざナースコールで行くのはますます気が引ける。で、デイルームへ。●車椅子に乗ること自体も踏ん張りが効かなくてふわふわする。●脚の踏ん張り感は全くない。まずは腕の力だけで何とかしていくようにしないと。
それでも、絶対安静からこの時点で一気に何もかも解除になっていて、それで充分凄い(手術の跡が気になってきたのは、全身の違和感がなくなってきたからかもしれないとの走り書きもある)。腰の痛みは少なくなってきた。
17時40分、夕食。
因みにまだ座ってではなく、ベッド上でである。終わった後で、ややお腹が痛い。夜景が見えるのは有り難いが、お腹が痛いのが気になる。
18時10分、ヨメさんが来る。
18時30分、ヨメさんが帰る。記録メモを取り始める。
21時、カーテンを閉める。下剤を飲む。排泄関係はそれ自体が心配である。
21時30分、就寝。
22時30分、目が覚める。腹痛。下剤が効くには早すぎると思いながら、しばらく我慢する。
23時40分、我慢できず、ナースコール。腸ではなくて膀胱の方だった。少し箇所が違うと感じた(このこと自体は内臓の感覚が残っているのか)。導尿カテーテルのチューブが捻れていて、全然尿が出ていなかった。約800ccぐらい排出したとのこと(術後から生じたこの事態に今もちょくちょく悩まされている)。
41日目:10月31日(火)手術5日目
3時、目が覚める。腹痛。昨日と同じ辺り。導尿カテーテルの「折れ」を確認。脚を動かすとお腹が痛い。左の正常な感覚は戻っていない。右は動かない。背中は痛い。昨日と変わらずというより後退した感じもする。
6時、起床。起きあがれず。睡眠時間約3時間。
6時20分、悪寒がする。震えが止まらない。
6時40分、体温38.7度。座薬を処方して貰う。
7時10分、震えが治まる。
7時20分、朝食。
おにぎり食。
8時30分、新聞4日分読み始める。汗をかき始める(調子が戻ってきた証拠)。
9時、体温36.7度。
9時10分、I先生回診。今後熱が続くようなら抗生剤投与もとのこと。思わぬ不調に気が滅入る。程なくして新聞を読み終える。
10時、脳外科総回診。その後看護師さんに朝御飯の件(おにぎりからパンへ)とカテーテルの件(排出のチューブの位置を変更して貰う)を相談。後者は結局いろいろ言われて却下。
おまけに窓際のカーテンまで閉められ絶句。依頼する相手を間違えたと言うこと。
10時10分、浣腸。浣腸が入っているのかどうかも分からないのに加え、排泄できたのかどうかすら感覚がない。「膀胱直腸障害」にどう対応するか。もっと気が滅入る。直後、O先生が来られる。感覚とか運動機能とか尋ねられるが芳しい応えは出せず。大腿部を触って貰うもちくちくしてあまり良い感じではない。
10時30分、浣腸後の処置をベッドでしてもらう。入院当初の排泄はこれがもの凄く抵抗があったのだが、今はあまり抵抗がない。気分的なものではなく、本当に排泄の感覚がないので仕方がない。
10時50分、処置終了。放心状態で休む。
11時20分、立つ練習。昨日のようにはできず、膝から崩れる。デイルームへ。
ぼぉーっとする。
12時、ベッドに帰る。昼食。
車椅子に座ったままで。
大部屋オープンスペース状態。気にせずに。終了後、タブレット、記録など。良くならんでもいいかという気持ち、仕方がないかみたいな気持ちもあるが、それすら(最低限の生活維持)できないのではないかという不安も。気分の浮き沈みが激しいと感じる。昨日に比べて今日は沈下が激しい。身体を起こせているということより、体調不良と排泄の現実、立てないということが上回っている。
13時10分、リハ。リハ室へ。座ってバランスを取る、補助具を付けて立つ等。踏ん張り感がないのでどちらもふわふわしている。
14時20分、終了。来週の献立希望を書く。1回背中に激痛。1時間程休憩のつもりで、ベッドでごろごろする。
15時50分、尿採取の際に依頼して車椅子へ。
デイルームへ。
16時30分、疲れて戻る。デイルームではほとんどうとうとしていた。
16時40分、体温38.8度。即座薬。横になってじっとする。
17時40分、身体が楽になったので起きる。
17時50分、夕食。
終了後PC見るが腰が痛くて気力なし。
19時30分、横になる。体温36.8度。
21時15分、寝る。結局、術後で一番体調も足の感覚や動きも悪かった。兎に角熱が下がらん、力が入らん、脚も下腹も感覚が改善しない。また、全然立てない、車椅子さえ乗れない、という感じで気持ちまできつくなった。熱は下がったが、今までで一番しんどいように感じた。今晩熱が出たら連続4日だし、どうしたもんかと。でも起きあがらずに横になる時間を増やすぐらいで対策がない。点滴とか投薬(胃腸系以外の)もないし。ゆっくりやるしかないのは分かっているが。天気がいいのが救いか。
42日目:11月1日(水)手術6日目
6時、起床。起きあがれず。睡眠時間約7時間。昨日寝れなかった分寝れたが腰が痛い。尿検査とのこと。採取して貰う。
カーテンを開けて貰う。
7時10分、朝食。今日からパン食に戻る。
ロールパン75とマーガリン、ささみ牛蒡サラダ、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で634キロカロリー・糖質71グラム。35分で。頼んでいたおにぎり食は御飯100グラム(通常量の半分)と同じで、パンとそれを比べると約150キロカロリーぐらい違う、パン75グラムは御飯200とほぼ同じと考えられる。座っていると、左の腰が痛む。熱は下がっているが、今日は安静を心がけることにして横になる。
天気が良い日は窓の外は8時前には眩しくなってくる。
汗が出てくるのが体調のバロメーター。
今日時点で痛いところは、気になる順で●腰、●手術の跡、●股関節、●手術時頭を止めていたところ、●左腰から脚のラインになっている(これが日によって違うことに後で気付く)。
10時、腰が痛くなって、一旦横になる。左右半身の状態で休憩。
10時30分、車椅子に移る。
背中が痛い。
11時50分、昼食。
御飯100、豚肉の鍬焼きと白葱、胡瓜の酢物、キャベツの胡麻和え、柿。以上で364キロカロリー・糖質59グラム。25分で。車椅子に乗ったままで。汗をかく。
安心する。
13時30分、リハへ。太股への触っている感じがやや復活した気がする(が、後で確かめるとちょっと違うので場所とか毎回の感じに左右されている感じ)。左膝は伸びる。踏ん張り感と腹筋はない。腰の痛み軽減のための座布団を車椅子に敷いて貰う。リハに関しては、昨日に比べて一番できない感があって、結構気分的にきつかった。
14時30分、病室に戻る。そのまま車椅子でPC。オープン状態だが、同室の方々は昼寝。メール等々。
15時40分、立つ練習。その後腰の状態を見て貰う。赤くなっていて、床ずれ一歩手前とのこと。今日から強制的に寝返り実施となる。また、そのままベッドで安静状態にさせられる。デイルームに行けず。スマホで以前録画しておいた映画を見る。映画を見るタイプではない。字幕もないし。スマホの画面割れとるし。枕を挟んで腰を浮かせると楽(だがこれをやりすぎて他のところが痛くなることに後で気付く)。
17時30分、ベッドを起こす。外は薄暗い。と思ったら10分しないうちに暗くなった。今日もいろいろあったが、痛さや動けなさ等々のストレスは昨日落ち込んだ分、今日はどうだろう。昼間のリハはかなりテンションが低かったがその後は少し持ち直した。体調も関係しているのか。
17時40分、夕食。
御飯100、鯵の蒲焼きと大根おろし(醤油付)、マセドニアンサラダ、葱とワカメのスープ。以上で418キロカロリー・糖質62グラム。25分で。gooからの去年の出来事メールを見る。ああそうかと思う。
18時、ヨメさんが来る。不安やら諦めやらいろいろな思いをぶちまけると愚痴にしかならない。会話ができない。30分じっと外を見たり手元を見たり。この辺りから翌日にかけてが気分的な「底」だったと後になって思う。
19時30分、横になる。体温36.8度。30分後、寝返りのローテを始める。
21時30分、寝る。
43日目:11月2日(木)手術7日目
6時、起床。睡眠時間約4時間。案の定あまり寝れず。寝返りのローテは2時間毎にきっちりして貰ったが、やはり気になった。22時の左向きへのチェンジ後は左足が痛んで24時前にナースコールで向きを変えて貰った。後で考えたら脚の枕がそのままで、脚が捻れ状態になっててかたからではないかと思われた。後、4時の右へのチェンジ時も、かなり左の腰から脚が痛かった。ただ、右向きになると、右側の首と額関節が痛かったりしてかなり無理しているようにも思われた。それからこの時、手術で取った右腕の点滴のラインが結構痛かった。左脚には全体的な「麻痺」感覚がある。右も同じだが感度自体が鈍い。
6時10分、採血。当然1回でOK。体温36.2度。安堵する。
7時10分、朝食。
黒糖パン75とはちみつ、鮭の塩焼きとほうれん草(醤油付)、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で588キロカロリー・糖質70グラム。30分で。
8時40分、横になる。腰が痛い。
9時40分、身体を起こす。
9時10分、I先生回診。尿にバイ菌が少しあったとのこと。ただ状態はいいので抗生剤とかの処置をせず様子見とのこと。
10時10分、腰が痛くなって、再び横になる。さっきと反対側の半身の状態。
10時30分、起きあがり「脊髄内腫瘍」のページを見始める。病院系HPから闘病記Blogへといろいろ見始める。結構シビアなのが多い。漸く種類とか発生率とか手術の諸々のこととかそういうことを理解し始める。それができるようになったということか。どんな形でもいいから社会復帰しなければならないと本気で考えなければならない状況に追い込まれてきたからか。今まで少々甘かったか。いろいろ考えながらページを開ける。
11時20分、シャワー。
11時40分、終了。そのまま車椅子へ。
11時50分、昼食。
御飯100、牛肉巻き、卵豆腐、大根煮。以上で427キロカロリー・糖質56グラム。15分で。車椅子に乗ったままで。
12時30分、ベッドに足を上げる。頭0度足36度で新聞。
13時10分、T先生リハ。途中外来対応で30分程休憩。平行棒に捕まって立つ。身体の感覚はなくても腕だけで兎に角立つ。左の腰の骨が出っ張っているところの痛みは、ここを起点にして力を入れることが多いことも関係しているのではという指摘。
14時40分、終了し病室へ。
15時40分、立つ練習。平行棒の簡易器具で30秒を3回。接地感はないものの、全くできなかったときに比べたらまずまず。ただ痺れは日に日に亢進している気もする。動かしたり力を入れたりしたときの痛みも。良かったり悪かったりを繰り返しながら、やや良い方向ではなくあまり良くない方向に来ていることはうすうす感じる。ベッドに戻る。昨日今日とデイには行っていない。身体の状態を元に戻すべく自粛。
17時40分、夕食。
御飯100、豚とキャベツの炒め物、ほうれん草のお浸し、豆腐の酢味噌かけ、バナナ。以上で453キロカロリー・糖質67グラム。20分で。
18時20分、横になる。ぼんやりと考え事。
18時30分、ヨメさんが来る。今日は面会パスしてとお願いしたのだが。
顔を合わせるな否や缶珈琲とお菓子をおいてすぐ帰った。こちらのきつい状態を分かってくれていることに感謝する。
19時、起きあが珈琲を飲む。
缶珈琲が暖かかった。染みた。
19時20分、ネットで脊髄内腫瘍の闘病記見たり、日本シリーズ見たり。思えば術後、思うようにならないことが多く、こうも状態が悪いとどうしていいのか分からないのは確かで。痺れも痛みももう諦めて何とか少しでも取り戻しておかないと次へ行けないのは分かってはいるのだが、今は1日ごとに調子が変わっているし。ヨメさんに何もしゃべれないのは事実としてある。それでも、今日少しだけ思ったのは、痺れとか痛みとか、気にはなるがそれに囚われてはいかんのかもと。続くというかそれ込みで先に進まないかんのだと。続くのは仕方がないというか想定内で考えていかんと。
走るとかそれどころではないのは分かってはいたが、もっと回復の設定レベルというか求める生活レベルを下げないと厳しい。
手が痛い。相変わらず手術の時に措置した左の点滴のライン。
20時、犬たちの写真が届く。元気でほっとする。
21時、ベッドに横になる。そのまま就寝。
44日目:11月3日(金)手術8日目
6時、起床。睡眠時間約5時間。寝返りのローテは自分でやったり定期的にしてもらったり。
7時10分、朝食。
南瓜パン75、肉団子、コンソメスープ、リンゴ、牛乳。以上で506キロカロリー・糖質64グラム。30分で。
8時40分、横になる。
術後はこれが多くなっている。
9時、起きあがる。
9時10分、I先生回診、左の腰は床ずれもさることながら座骨神経痛様かもしれないとコメント。終わってからPC。
10時30分、O先生来られる。
10時50分、下腹部を洗って貰う。
11時50分、昼食。
醤油飯100、揚げハタ中華餡掛け、南瓜煮物、胡瓜の酢物、蜜柑。以上で527キロカロリー・糖質67グラム。25分で。今日は車椅子に乗らず(看護師さん忙しそうだったので)。汗をかく。安心する。
13時50分、「シャワーを」と言われるが昨日済ませたと応える。忙しそうだが、やはりナースコール使わないとなかなか来て貰いにくい(当たり前か)。ベッド上では、だいたい2時間ぐらいで腰が痛くなってしんどくなる。車椅子ならもう少し長くなるかと思い、時間を計ってみるが、だいたい3時間半から4時間ぐらいかと。
14時20分、車椅子に移動。平行棒の簡易器具で30秒を3回、立つ練習。
デイルームへ。
16時、病室に戻る。そのまま車椅子。
17時40分、夕食。
御飯100、親子煮、豚肉しゃぶしゃぶサラダ、ほうれん草炒め、スタミン。以上で552キロカロリー・糖質63グラム。15分で。
18時10分、ベッドで休む。
18時50分、ベッドを起こす。
20時、下剤。明日はどうなるか、と思う。
21時30分、寝る。
45日目:11月4日(土)
6時、起床。睡眠時間約6時間半。寝返りはOK。
脚の痺れと痛みは変わらず。夜中に一度、寝返りで左脚痛み始めるが、1時間半程まっすぐにすると治る。対応策が分かれば何とかなる部分もあると思う。これとは別に、痛みや痺れそのものをどうこうしようという気持ちは無視する。それとは別にこの日の痛みは、尻の骨に当たっている部分から左の腰全体に広がった感がある。身体のあちこちの痛みはコリみたいなものかもしれないが。プラス全般的な体力低下も感じる。上半身の筋力アップとか必要か。
6時30分、看護師さんの指示でストッキングを脱ぐ。体温36.3度。
7時10分、朝食。
ロールパン75プラスいちごジャム、ハム野菜炒め、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で600キロカロリー・糖質84グラム。30分で。
8時30分、横になる。看護師さんの指示。
9時10分、起きあがる。
9時30分、横になる。今度は自分で。腹痛も関係している。感じるようになったのは9時ぐらいだが。
10時、起きあがる。同時にI先生回診。痛み止めを試すように指示。
10時10分、脳外科総回診。
10時20分、腹痛が続くので見て貰う。いつの間にかおむつの中に失敗している。出した感覚がないので、戸惑う。処置して貰う。これが今後続くとなると、なかなか厳しい。前回はショックが大きかったが、今回は戸惑いの方が強い。終了後、身体の状態確認。
11時、起きあがる。読書。禅のコトバの本。万事休すは元々は休息万事だったらしい。ということは、もうおしまいではなく一旦リセットして位置から考え直すということ。他、ネットで「是非に及ばず」を引く。仕方がないとかやむを得ない、或いは、あれこれ考えるまでもないなど様々な解釈がある。
11時50分、昼食。
御飯100、豚肉の中華春雨、キャロットスープ(とあったがコーンスープだろう)、フレンチサラダ、バナナ。以上で487キロカロリー・糖質71グラム。20分で。今日も車椅子に乗らず(看護師さん忙しそうだったので)。
12時30分、痛み止め服用。
「ロキソプロフェン」(消炎鎮痛剤)とか。年末調整の書類を作成する。
13時30分、作成終了。
14時10分、車椅子に移動。この間にシーツ交換。
15時30分、平行棒の簡易器具で30秒を3回、立つ練習。ストッキングを履かせて貰う。
デイルームへ。
16時40分、病室に戻る。
そのまま車椅子。
17時40分、夕食。
御飯100、焼き豆腐海鮮餡、切り干し大根煮、キャベツ和え物。以上で454キロカロリー・糖質59グラム。15分で。72時間テレビ視聴。
18時20分、ベッドへ。この日は車椅子約4時間。やはりしんどい。
19時10分、ベッドを起こす。
21時、痛み止め貰う。
21時30分、寝る。
46日目:11月5日(日)
6時、起床。睡眠時間約7時間。痛み止めが良く効いた様子。長いスパンで睡眠が取れる。ただ5時ぐらい前から腹痛あり。おかしいなと思いつつ看護師さんに言うと、おむつが汚れているとのことで、処置して貰う。これはいつのかいつからか、と朝から憂鬱になる。おまけに腹痛は解消していない。
7時10分、朝食。
黒糖パン75とマーガリン、ハムサラダ(ノンオイル胡麻ドレ付)、トマトスープ、リンゴ、牛乳。以上で564キロカロリー・糖質61グラム。30分で。腹は痛くても、食べられないと言うことはない。
8時10分、腹が痛い感覚が、膀胱辺りのような気がするのでナースコールの前に、チューブを上げたり身体を横にしたりしてみる。どうすれば出るのかよく分からんが膀胱に滞留していたのは確かで、700cc出た後でやれやれと横になっていたら更に300cc程排出されていた。どうやって出すのかを追究する必要がある。それがコントロールできれば良いが。
9時40分、横になって休憩。
10時、起きあがる。I先生回診。右足の膝がぽんっという感じで上がる。痛みや痺れはどうしようもないが、運動感覚自体は少しずつ(本当に手術前の少しずつの100から10分の1ぐらいの「少し」)戻っているのかも。その後、脳神経外科総回診。タブレットで大学駅伝を見ていたので、何処が一位?青学は?と聞かれ東洋ですね青学出遅れてますと応える。そして看護師さんによる脚の機能的な部分の確認。
11時40分、車椅子に乗る。
11時50分、昼食。
ごはん100、鶏ソテー薬味ソースと白菜、肉団子汁、おろし和え、オレンジ。以上で373キロカロリー・糖質51グラム。15分で。この病室はカーテンを開けてオープンで食べるのが基本パターンらしい。郷に入れば郷に従えで儂も。今日はいもはナースステーション傍で過ごしているじいちゃんが介護付きで目のを前で食べている。自分で食べるのはもう一人隣のじいちゃんで、この人は点滴も取れて受け答えもはっきりしているので、恐らく退院間近のような気がする。斜め前のじいちゃんは完全介護が必要で、どうしても食べられず、今日から流動食になった。介護が筆よな人が多いから、カーテン開けた方がいいんだろうな。儂もゆっくりゆっくりいただく。今日の献立は、鶏ではなく魚にした方がよかったかもと前のじいちゃんを見ながら思う。
12時30分、再びお腹がしっくり来ないので、朝の要領で尿を出す。500ccぐらい出る。楽になる。きちんとカテーテルが入っているのだろうか。左の腰の痛みはそれほどでもない。車椅子の肘置き(名称不明)を持ってプッシュアップを数回。おならのにおいがするが、大丈夫かと不安になる。当然失敗した感覚はない(音も含めて)。不安なまま後で見て貰うことに。
13時50分、平行棒の簡易器具で30秒を3回、立つ練習。そのまま車椅子。部屋の見晴らしは悪くないので、このまま記録の入力作業。
15時、デイルームへ。
結構見舞いの人が一杯。
15時40分、病室に戻る。そのまま車椅子。戻る頃には、儂ともう一人の入院患者しかいなかったので、もう少しいても良かったが。
16時40分、ヨメさんが来る。書類書いたり、汚れ物交換したり。72時間テレビは見ていないらしい。珈琲をいただく。ヨメさんは完全に治ってから帰ってきて欲しいだろうが、そんなことを考えていれば何ヶ月先か何年先か。若しくはずっとそういうことができない可能性だってある。気持ちは分かるのだが、早く帰って復帰の道筋を考えたいと思うのは悪いことだろうか。
17時40分、夕食。
御飯100、おでん、蒸し魚餡掛け、野菜盛り合わせ(ドレッシング付)。以上で442キロカロリー・糖質57グラム。20分で。メインのおでんの選択は改善を要する。サブに時々出てくる煮物の方が旨い。
18時20分、ベッドへ。横になる。今日は6時間半。プッシュアップの回数を増やす必要有り。
18時50分、ベッドを起こす。72時間テレビを見ながらだらだらと。
21時30分、寝る。今晩は痛み止めはないがどうなるだろう。
入力完了日:11月4日、5日。
深夜、だいたい消灯後で日付が変わったぐらいから、身体が悲鳴を上げたかのようにギシギシと痛む。下半身はよく分からない。背中とか頭とか。看護師さんが替わった辺りだから2時ぐらいか、その後、急激に悪寒が始まる。対応した看護師さんは、毛布と電気毛布で対応。しかし、何で熱を測らないんだろうかと。結局別の看護師さんが対応したのが4時過ぎぐらい。39.9度。アイスノンで39.4度、結局座薬を処方されたのが5時ぐらいらしい。座薬を入れてからは程なくして震えが止まり。そして7時ぐらいになって漸く37.5度。夜中の不調時は、時計はおろか眼鏡は手元にないし補聴器もないし(座薬対応の看護師さんは手話で対応してくれたが)、時間が分からない不安さもあって一番苦しかった。身体も当然動かせないし動かないし。手術はもう絶対しないと決めた。
後でいろいろと計算すると、自分の時間の感覚(進み方)と実際の感覚は大体2~3倍ぐらいずれていた。結局ほとんど寝ていない。
7時に採血。眼鏡と補聴器をもらう。採血はさっきの毛布対応の看護師さんがしたが、失敗。2回目は別の看護師さんがしたがこれも失敗。一般病棟で採血レベルの簡単なことで失敗したことがなかったので、少々気分が塞がる。しかも2回目失敗した看護師さんから「痛いのは駄目ですか」と言われ。痛くても構わないという人がいるのだろうかと腹も立った。夜中痛みと悪寒できつかったこともある。「採血3回目ってありえないと思いますが」と反すのが精一杯。3回目、漸く成功。どちらも経験が少ない人だったのだろう。
朝は水分はOKだったので、ごくごく摂取したが、それでも満足できる感じではない。喉の渇きと動けなさとで不安な時間が続く。
8時ぐらいに別の看護師さんがラジオを持ってきてくれる。9時に身体を拭いて貰う。
10時にI先生が来られ、CTへ。休日もガンガン稼働している。結果を確認後、背中に付けていたドレンチューブを抜いて貰う。熱も落ち着いていたし、予定通り一般病棟へ、ということになる。30分ほどじっと天井を見て過ごす。
11時、よく知った看護師さんが2名迎えに来る。今日は個室に入る。個室はテレビが無料なので即付けて貰う。まだICUを出たからといって自由になるわけではない。明後日の昼までは完全安静状態で、食事の30分以外は身体は起こせない(だからベッドのリクライニングも自分ではできない)。これがかなりつらい。
11時40分、昼食。メニューを記録したりとかそういう気分ではないのでやっていない。本当に何を食べたか旨かったかほっとしたかよく覚えていない。手短に薬飲んで歯磨きまでしてからすぐに横になった。折角の差額ベッド料大枚分の個室だが外は見れても空ばかり。それより、動けないから全く意味がない。それでも手術後の対応になるのとここしか空いてないと病棟から説得されて、であるので仕方がない。
何より身体の状態は思わしくない。全体的に身体が痛いだけでなく、①身体の「姿勢に関する感覚」とでもいうか、脚がどの位置にあるのかが分からないとか曲がっているのか伸びているのか全然分からないとか、②「皮膚の感覚」という点で、下腹や脚に触っても触った感じではなく冷たいとかびりびり痛いとかそういう感じしかない。この2点がきつい。修正の仕方も分からないし、脚はまっすぐなのに、左は膝を立てて右は膝が外に開いている感が解消しない。この時点ではそのうち何とかなるだろうと思っていたが、手術して9日目のこれを打っている今日(11月4日)も全く変化がない(※)。脚はわずかに動く。この点は、ドクターを始め安心している空気は伺える。
※この項を入力しようという気になったのは「諦」めたからではある。「諦」めには時間がかかったが、前に進むには必要なことである。このことは11月7日「観」にて記した。
13時、ヨメさんが来る。安心感からいろいろと昨晩のことについて話す。40分後に帰る。その後はテレビを見たが、テレビを見ると右ばかり向くので、時々左向きになって窓から空を見ていた。点滴は全く痛くないが、ラインを取っているところは手の甲だった(手術室で処置した)。針を刺すときは大変そうだが、今は楽なので有り難い。で、夕食を取るときに少しだけ夕景を見て、再び天井を見る。20時の体温は38度。21時に
寝るが、24時に体温を測ると38.5度まで上がっていて、結局座薬を入れて貰う。座薬を入れる感覚すらよく分からない。いろいろ気がかりなことはたくさんある。
39日目:10月29日(日)手術3日目
6時、起床。テレビを付ける。前の日寝ていなかったからか、睡眠時間は約8時間。水300ミリリットルぐらい摂取。寝たままなのでストローで飲む。これができるだけでも有り難い。
テレビを付ける。個室なので音はあまり気にしなくていい。
7時、朝食。
暫定的に術後管理する上でI先生の指示があったのかもしれない。パンがおにぎりになっていた。別にこれはこれで旨い。
景色を名残惜しみつつ、リクライニングを倒して天井を見る。
9時、I先生が来る。傷口の確認と、点滴、投薬の指示。
今晩終了するらしい。経過は順調のようで、明日からは大部屋でOKらしいが、看護師さんが「空きが」と曰う。どうなるか。手術の経過そのものは悪くはないにしても術後の身体の状態はかなり良くない。脚の感覚異常は続いている。動かすこと自体はできているが、●脚がどの方向に動いているのかどれぐらい動いているのかは全く把握できない。他、●両足はもの凄く「冷たい」、●下腹部は感覚なし、●足の裏は痛い、脚の指はどこを触っているのかは分からない、●腰が痛い。特に寝返り時に左側。でこの黒丸の項目は、この日の様子について翌日にメモをとったものだが(まだ起きあがれないので)、これが全然回復していないのだなと、今(手術後8日目:11月4日)改めて感じる。
11時50分、昼食。
メモなし。
14時20分、ヨメさんが来る。駅伝見ていたこともあり、早めに帰る。
その後は覚えていない。
17時50分、夕食。
メモなし。
終了後は、日本シリーズを見たりスマホを見たり。
21時30分、最後の点滴開始。
22時30分、看護師さんの好意で、点滴を抜いてから就寝。
感慨深い。
40日目:10月30日(月)手術4日目
6時、起床。睡眠時間約6時間半。水300ミリリットルぐらい摂取。2人部屋。足を上げたままで新聞。
7時10分、朝食。
おにぎりメニュー。メモなし。
8時50分、I先生回診。術部のガーゼを取る。ふろOK、車椅子OKの指示。起きあがる(想像していたより早かった)。これから暫くは頭痛が出たら安静状態に戻らなければならない(髄液の漏れのため)、とのこと。
手術時のみ点滴をしていた左手がまだ痛い。
9時20分、シャワー(予想外に早い)。洗って貰うこと自体が痛い。
9時40分、終了。ベッドへ。
10時20分、部屋替えが決まる。
個室の景色はわずかだったがこれで終了。新しい部屋は「音がうるさいです」とのこと。結構「叫ぶ」方がおいでのようで。実際は全く気にならなかった。叫ぶ人がいるのと、看護師さんが「○○さん」と絶えず呼び掛けなければならない覚醒レベルの人が多いのが「うるさい」理由でもあることに後から気付いた。ここナースステーションのど真ん前だし。
10時50分、●立つ練習8秒できた(考えてみればこの日が立つことに関してはピークである廊下の手すりでこれができたということ自体)。身体の感覚は、またこのときは停滞していたわけでもないのかもしれない。その後デイへ。
11時40分、戻る。
ここから大部屋へ。窓際になる。有り難い。
昼間は暑いので敬遠される人もいるとか。動ける人なら行きたいときだけ移動というのもアリなんだろうか。動きに制約のある儂にとっては外が見れること自体が有り難い。何せこの9階生活長い。
起きあがれて気持ちが上向いているのか、脚の感覚は気になるものの、まあ少しずつという気持ちもある。身体を起こせることの有り難さ。車椅子にも乗り、シャワーもした。一気に絶対安静の制限が解除された。昨日の夜に点滴も終了した。本当に涙か出るぐらい嬉しい。ようやくごぞごぞ活動しようという気になっている。I先生に患部を確認してもらいながら、そういう大丈夫を一つずつ確認している感じ。昨日に比べて●「脚の冷たい嫌な感覚が太股の部分はなくなってきた」という当日走り書きを目にする。良くなりたいという気持ちだけでなく良くなっているという筈だという心的ファクターも介入している。実際に振り返ってみると、細かな場所の違いや当てる感覚の違い(針みたいなものかやや太めの筆みたいなものかといった物理的刺激と面積)、接地面等々で感じ方は随分異なるから、これも正しい部分有り、誤認の部分有りといった感じか。
11時50分、昼食。
メモなし。まだ記録とかできていないためか。それとも気分の問題か。後者も理由としては大きい。
12時20分、ワンセグでテレビ。
13時20分、リハ。この日はベッドで感覚の確認とストレッチ、車椅子への移動。
14時20分、終了。
そのままPCでいろいろ検索。
16時00分、尿を取りに来て貰ったついでで車椅子への移動をお願いする。以前に比べて大仕事になっている。完全介助での移動。わざわざナースコールで行くのはますます気が引ける。で、デイルームへ。●車椅子に乗ること自体も踏ん張りが効かなくてふわふわする。●脚の踏ん張り感は全くない。まずは腕の力だけで何とかしていくようにしないと。
それでも、絶対安静からこの時点で一気に何もかも解除になっていて、それで充分凄い(手術の跡が気になってきたのは、全身の違和感がなくなってきたからかもしれないとの走り書きもある)。腰の痛みは少なくなってきた。
17時40分、夕食。
因みにまだ座ってではなく、ベッド上でである。終わった後で、ややお腹が痛い。夜景が見えるのは有り難いが、お腹が痛いのが気になる。
18時10分、ヨメさんが来る。
18時30分、ヨメさんが帰る。記録メモを取り始める。
21時、カーテンを閉める。下剤を飲む。排泄関係はそれ自体が心配である。
21時30分、就寝。
22時30分、目が覚める。腹痛。下剤が効くには早すぎると思いながら、しばらく我慢する。
23時40分、我慢できず、ナースコール。腸ではなくて膀胱の方だった。少し箇所が違うと感じた(このこと自体は内臓の感覚が残っているのか)。導尿カテーテルのチューブが捻れていて、全然尿が出ていなかった。約800ccぐらい排出したとのこと(術後から生じたこの事態に今もちょくちょく悩まされている)。
41日目:10月31日(火)手術5日目
3時、目が覚める。腹痛。昨日と同じ辺り。導尿カテーテルの「折れ」を確認。脚を動かすとお腹が痛い。左の正常な感覚は戻っていない。右は動かない。背中は痛い。昨日と変わらずというより後退した感じもする。
6時、起床。起きあがれず。睡眠時間約3時間。
6時20分、悪寒がする。震えが止まらない。
6時40分、体温38.7度。座薬を処方して貰う。
7時10分、震えが治まる。
7時20分、朝食。
おにぎり食。
8時30分、新聞4日分読み始める。汗をかき始める(調子が戻ってきた証拠)。
9時、体温36.7度。
9時10分、I先生回診。今後熱が続くようなら抗生剤投与もとのこと。思わぬ不調に気が滅入る。程なくして新聞を読み終える。
10時、脳外科総回診。その後看護師さんに朝御飯の件(おにぎりからパンへ)とカテーテルの件(排出のチューブの位置を変更して貰う)を相談。後者は結局いろいろ言われて却下。
おまけに窓際のカーテンまで閉められ絶句。依頼する相手を間違えたと言うこと。
10時10分、浣腸。浣腸が入っているのかどうかも分からないのに加え、排泄できたのかどうかすら感覚がない。「膀胱直腸障害」にどう対応するか。もっと気が滅入る。直後、O先生が来られる。感覚とか運動機能とか尋ねられるが芳しい応えは出せず。大腿部を触って貰うもちくちくしてあまり良い感じではない。
10時30分、浣腸後の処置をベッドでしてもらう。入院当初の排泄はこれがもの凄く抵抗があったのだが、今はあまり抵抗がない。気分的なものではなく、本当に排泄の感覚がないので仕方がない。
10時50分、処置終了。放心状態で休む。
11時20分、立つ練習。昨日のようにはできず、膝から崩れる。デイルームへ。
ぼぉーっとする。
12時、ベッドに帰る。昼食。
車椅子に座ったままで。
大部屋オープンスペース状態。気にせずに。終了後、タブレット、記録など。良くならんでもいいかという気持ち、仕方がないかみたいな気持ちもあるが、それすら(最低限の生活維持)できないのではないかという不安も。気分の浮き沈みが激しいと感じる。昨日に比べて今日は沈下が激しい。身体を起こせているということより、体調不良と排泄の現実、立てないということが上回っている。
13時10分、リハ。リハ室へ。座ってバランスを取る、補助具を付けて立つ等。踏ん張り感がないのでどちらもふわふわしている。
14時20分、終了。来週の献立希望を書く。1回背中に激痛。1時間程休憩のつもりで、ベッドでごろごろする。
15時50分、尿採取の際に依頼して車椅子へ。
デイルームへ。
16時30分、疲れて戻る。デイルームではほとんどうとうとしていた。
16時40分、体温38.8度。即座薬。横になってじっとする。
17時40分、身体が楽になったので起きる。
17時50分、夕食。
終了後PC見るが腰が痛くて気力なし。
19時30分、横になる。体温36.8度。
21時15分、寝る。結局、術後で一番体調も足の感覚や動きも悪かった。兎に角熱が下がらん、力が入らん、脚も下腹も感覚が改善しない。また、全然立てない、車椅子さえ乗れない、という感じで気持ちまできつくなった。熱は下がったが、今までで一番しんどいように感じた。今晩熱が出たら連続4日だし、どうしたもんかと。でも起きあがらずに横になる時間を増やすぐらいで対策がない。点滴とか投薬(胃腸系以外の)もないし。ゆっくりやるしかないのは分かっているが。天気がいいのが救いか。
42日目:11月1日(水)手術6日目
6時、起床。起きあがれず。睡眠時間約7時間。昨日寝れなかった分寝れたが腰が痛い。尿検査とのこと。採取して貰う。
カーテンを開けて貰う。
7時10分、朝食。今日からパン食に戻る。
ロールパン75とマーガリン、ささみ牛蒡サラダ、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で634キロカロリー・糖質71グラム。35分で。頼んでいたおにぎり食は御飯100グラム(通常量の半分)と同じで、パンとそれを比べると約150キロカロリーぐらい違う、パン75グラムは御飯200とほぼ同じと考えられる。座っていると、左の腰が痛む。熱は下がっているが、今日は安静を心がけることにして横になる。
天気が良い日は窓の外は8時前には眩しくなってくる。
汗が出てくるのが体調のバロメーター。
今日時点で痛いところは、気になる順で●腰、●手術の跡、●股関節、●手術時頭を止めていたところ、●左腰から脚のラインになっている(これが日によって違うことに後で気付く)。
10時、腰が痛くなって、一旦横になる。左右半身の状態で休憩。
10時30分、車椅子に移る。
背中が痛い。
11時50分、昼食。
御飯100、豚肉の鍬焼きと白葱、胡瓜の酢物、キャベツの胡麻和え、柿。以上で364キロカロリー・糖質59グラム。25分で。車椅子に乗ったままで。汗をかく。
安心する。
13時30分、リハへ。太股への触っている感じがやや復活した気がする(が、後で確かめるとちょっと違うので場所とか毎回の感じに左右されている感じ)。左膝は伸びる。踏ん張り感と腹筋はない。腰の痛み軽減のための座布団を車椅子に敷いて貰う。リハに関しては、昨日に比べて一番できない感があって、結構気分的にきつかった。
14時30分、病室に戻る。そのまま車椅子でPC。オープン状態だが、同室の方々は昼寝。メール等々。
15時40分、立つ練習。その後腰の状態を見て貰う。赤くなっていて、床ずれ一歩手前とのこと。今日から強制的に寝返り実施となる。また、そのままベッドで安静状態にさせられる。デイルームに行けず。スマホで以前録画しておいた映画を見る。映画を見るタイプではない。字幕もないし。スマホの画面割れとるし。枕を挟んで腰を浮かせると楽(だがこれをやりすぎて他のところが痛くなることに後で気付く)。
17時30分、ベッドを起こす。外は薄暗い。と思ったら10分しないうちに暗くなった。今日もいろいろあったが、痛さや動けなさ等々のストレスは昨日落ち込んだ分、今日はどうだろう。昼間のリハはかなりテンションが低かったがその後は少し持ち直した。体調も関係しているのか。
17時40分、夕食。
御飯100、鯵の蒲焼きと大根おろし(醤油付)、マセドニアンサラダ、葱とワカメのスープ。以上で418キロカロリー・糖質62グラム。25分で。gooからの去年の出来事メールを見る。ああそうかと思う。
まだいくな1号が倒れたと聞き、ヒヤッとする。昨日のこと。幸い大事には至らず、病院にも行ったらしい。でも2号のときと同じように、どこまで治療するか迷う。もうそこそこいい歳だし、ヨメさんと意......
18時、ヨメさんが来る。不安やら諦めやらいろいろな思いをぶちまけると愚痴にしかならない。会話ができない。30分じっと外を見たり手元を見たり。この辺りから翌日にかけてが気分的な「底」だったと後になって思う。
19時30分、横になる。体温36.8度。30分後、寝返りのローテを始める。
21時30分、寝る。
43日目:11月2日(木)手術7日目
6時、起床。睡眠時間約4時間。案の定あまり寝れず。寝返りのローテは2時間毎にきっちりして貰ったが、やはり気になった。22時の左向きへのチェンジ後は左足が痛んで24時前にナースコールで向きを変えて貰った。後で考えたら脚の枕がそのままで、脚が捻れ状態になっててかたからではないかと思われた。後、4時の右へのチェンジ時も、かなり左の腰から脚が痛かった。ただ、右向きになると、右側の首と額関節が痛かったりしてかなり無理しているようにも思われた。それからこの時、手術で取った右腕の点滴のラインが結構痛かった。左脚には全体的な「麻痺」感覚がある。右も同じだが感度自体が鈍い。
6時10分、採血。当然1回でOK。体温36.2度。安堵する。
7時10分、朝食。
黒糖パン75とはちみつ、鮭の塩焼きとほうれん草(醤油付)、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で588キロカロリー・糖質70グラム。30分で。
8時40分、横になる。腰が痛い。
9時40分、身体を起こす。
9時10分、I先生回診。尿にバイ菌が少しあったとのこと。ただ状態はいいので抗生剤とかの処置をせず様子見とのこと。
10時10分、腰が痛くなって、再び横になる。さっきと反対側の半身の状態。
10時30分、起きあがり「脊髄内腫瘍」のページを見始める。病院系HPから闘病記Blogへといろいろ見始める。結構シビアなのが多い。漸く種類とか発生率とか手術の諸々のこととかそういうことを理解し始める。それができるようになったということか。どんな形でもいいから社会復帰しなければならないと本気で考えなければならない状況に追い込まれてきたからか。今まで少々甘かったか。いろいろ考えながらページを開ける。
11時20分、シャワー。
11時40分、終了。そのまま車椅子へ。
11時50分、昼食。
御飯100、牛肉巻き、卵豆腐、大根煮。以上で427キロカロリー・糖質56グラム。15分で。車椅子に乗ったままで。
12時30分、ベッドに足を上げる。頭0度足36度で新聞。
13時10分、T先生リハ。途中外来対応で30分程休憩。平行棒に捕まって立つ。身体の感覚はなくても腕だけで兎に角立つ。左の腰の骨が出っ張っているところの痛みは、ここを起点にして力を入れることが多いことも関係しているのではという指摘。
14時40分、終了し病室へ。
15時40分、立つ練習。平行棒の簡易器具で30秒を3回。接地感はないものの、全くできなかったときに比べたらまずまず。ただ痺れは日に日に亢進している気もする。動かしたり力を入れたりしたときの痛みも。良かったり悪かったりを繰り返しながら、やや良い方向ではなくあまり良くない方向に来ていることはうすうす感じる。ベッドに戻る。昨日今日とデイには行っていない。身体の状態を元に戻すべく自粛。
17時40分、夕食。
御飯100、豚とキャベツの炒め物、ほうれん草のお浸し、豆腐の酢味噌かけ、バナナ。以上で453キロカロリー・糖質67グラム。20分で。
18時20分、横になる。ぼんやりと考え事。
18時30分、ヨメさんが来る。今日は面会パスしてとお願いしたのだが。
顔を合わせるな否や缶珈琲とお菓子をおいてすぐ帰った。こちらのきつい状態を分かってくれていることに感謝する。
19時、起きあが珈琲を飲む。
缶珈琲が暖かかった。染みた。
19時20分、ネットで脊髄内腫瘍の闘病記見たり、日本シリーズ見たり。思えば術後、思うようにならないことが多く、こうも状態が悪いとどうしていいのか分からないのは確かで。痺れも痛みももう諦めて何とか少しでも取り戻しておかないと次へ行けないのは分かってはいるのだが、今は1日ごとに調子が変わっているし。ヨメさんに何もしゃべれないのは事実としてある。それでも、今日少しだけ思ったのは、痺れとか痛みとか、気にはなるがそれに囚われてはいかんのかもと。続くというかそれ込みで先に進まないかんのだと。続くのは仕方がないというか想定内で考えていかんと。
走るとかそれどころではないのは分かってはいたが、もっと回復の設定レベルというか求める生活レベルを下げないと厳しい。
手が痛い。相変わらず手術の時に措置した左の点滴のライン。
20時、犬たちの写真が届く。元気でほっとする。
21時、ベッドに横になる。そのまま就寝。
44日目:11月3日(金)手術8日目
6時、起床。睡眠時間約5時間。寝返りのローテは自分でやったり定期的にしてもらったり。
7時10分、朝食。
南瓜パン75、肉団子、コンソメスープ、リンゴ、牛乳。以上で506キロカロリー・糖質64グラム。30分で。
8時40分、横になる。
術後はこれが多くなっている。
9時、起きあがる。
9時10分、I先生回診、左の腰は床ずれもさることながら座骨神経痛様かもしれないとコメント。終わってからPC。
10時30分、O先生来られる。
10時50分、下腹部を洗って貰う。
11時50分、昼食。
醤油飯100、揚げハタ中華餡掛け、南瓜煮物、胡瓜の酢物、蜜柑。以上で527キロカロリー・糖質67グラム。25分で。今日は車椅子に乗らず(看護師さん忙しそうだったので)。汗をかく。安心する。
13時50分、「シャワーを」と言われるが昨日済ませたと応える。忙しそうだが、やはりナースコール使わないとなかなか来て貰いにくい(当たり前か)。ベッド上では、だいたい2時間ぐらいで腰が痛くなってしんどくなる。車椅子ならもう少し長くなるかと思い、時間を計ってみるが、だいたい3時間半から4時間ぐらいかと。
14時20分、車椅子に移動。平行棒の簡易器具で30秒を3回、立つ練習。
デイルームへ。
16時、病室に戻る。そのまま車椅子。
17時40分、夕食。
御飯100、親子煮、豚肉しゃぶしゃぶサラダ、ほうれん草炒め、スタミン。以上で552キロカロリー・糖質63グラム。15分で。
18時10分、ベッドで休む。
18時50分、ベッドを起こす。
20時、下剤。明日はどうなるか、と思う。
21時30分、寝る。
45日目:11月4日(土)
6時、起床。睡眠時間約6時間半。寝返りはOK。
脚の痺れと痛みは変わらず。夜中に一度、寝返りで左脚痛み始めるが、1時間半程まっすぐにすると治る。対応策が分かれば何とかなる部分もあると思う。これとは別に、痛みや痺れそのものをどうこうしようという気持ちは無視する。それとは別にこの日の痛みは、尻の骨に当たっている部分から左の腰全体に広がった感がある。身体のあちこちの痛みはコリみたいなものかもしれないが。プラス全般的な体力低下も感じる。上半身の筋力アップとか必要か。
6時30分、看護師さんの指示でストッキングを脱ぐ。体温36.3度。
7時10分、朝食。
ロールパン75プラスいちごジャム、ハム野菜炒め、味噌汁、オレンジ、牛乳。以上で600キロカロリー・糖質84グラム。30分で。
8時30分、横になる。看護師さんの指示。
9時10分、起きあがる。
9時30分、横になる。今度は自分で。腹痛も関係している。感じるようになったのは9時ぐらいだが。
10時、起きあがる。同時にI先生回診。痛み止めを試すように指示。
10時10分、脳外科総回診。
10時20分、腹痛が続くので見て貰う。いつの間にかおむつの中に失敗している。出した感覚がないので、戸惑う。処置して貰う。これが今後続くとなると、なかなか厳しい。前回はショックが大きかったが、今回は戸惑いの方が強い。終了後、身体の状態確認。
11時、起きあがる。読書。禅のコトバの本。万事休すは元々は休息万事だったらしい。ということは、もうおしまいではなく一旦リセットして位置から考え直すということ。他、ネットで「是非に及ばず」を引く。仕方がないとかやむを得ない、或いは、あれこれ考えるまでもないなど様々な解釈がある。
11時50分、昼食。
御飯100、豚肉の中華春雨、キャロットスープ(とあったがコーンスープだろう)、フレンチサラダ、バナナ。以上で487キロカロリー・糖質71グラム。20分で。今日も車椅子に乗らず(看護師さん忙しそうだったので)。
12時30分、痛み止め服用。
「ロキソプロフェン」(消炎鎮痛剤)とか。年末調整の書類を作成する。
13時30分、作成終了。
14時10分、車椅子に移動。この間にシーツ交換。
15時30分、平行棒の簡易器具で30秒を3回、立つ練習。ストッキングを履かせて貰う。
デイルームへ。
16時40分、病室に戻る。
そのまま車椅子。
17時40分、夕食。
御飯100、焼き豆腐海鮮餡、切り干し大根煮、キャベツ和え物。以上で454キロカロリー・糖質59グラム。15分で。72時間テレビ視聴。
18時20分、ベッドへ。この日は車椅子約4時間。やはりしんどい。
19時10分、ベッドを起こす。
21時、痛み止め貰う。
21時30分、寝る。
46日目:11月5日(日)
6時、起床。睡眠時間約7時間。痛み止めが良く効いた様子。長いスパンで睡眠が取れる。ただ5時ぐらい前から腹痛あり。おかしいなと思いつつ看護師さんに言うと、おむつが汚れているとのことで、処置して貰う。これはいつのかいつからか、と朝から憂鬱になる。おまけに腹痛は解消していない。
7時10分、朝食。
黒糖パン75とマーガリン、ハムサラダ(ノンオイル胡麻ドレ付)、トマトスープ、リンゴ、牛乳。以上で564キロカロリー・糖質61グラム。30分で。腹は痛くても、食べられないと言うことはない。
8時10分、腹が痛い感覚が、膀胱辺りのような気がするのでナースコールの前に、チューブを上げたり身体を横にしたりしてみる。どうすれば出るのかよく分からんが膀胱に滞留していたのは確かで、700cc出た後でやれやれと横になっていたら更に300cc程排出されていた。どうやって出すのかを追究する必要がある。それがコントロールできれば良いが。
9時40分、横になって休憩。
10時、起きあがる。I先生回診。右足の膝がぽんっという感じで上がる。痛みや痺れはどうしようもないが、運動感覚自体は少しずつ(本当に手術前の少しずつの100から10分の1ぐらいの「少し」)戻っているのかも。その後、脳神経外科総回診。タブレットで大学駅伝を見ていたので、何処が一位?青学は?と聞かれ東洋ですね青学出遅れてますと応える。そして看護師さんによる脚の機能的な部分の確認。
11時40分、車椅子に乗る。
11時50分、昼食。
ごはん100、鶏ソテー薬味ソースと白菜、肉団子汁、おろし和え、オレンジ。以上で373キロカロリー・糖質51グラム。15分で。この病室はカーテンを開けてオープンで食べるのが基本パターンらしい。郷に入れば郷に従えで儂も。今日はいもはナースステーション傍で過ごしているじいちゃんが介護付きで目のを前で食べている。自分で食べるのはもう一人隣のじいちゃんで、この人は点滴も取れて受け答えもはっきりしているので、恐らく退院間近のような気がする。斜め前のじいちゃんは完全介護が必要で、どうしても食べられず、今日から流動食になった。介護が筆よな人が多いから、カーテン開けた方がいいんだろうな。儂もゆっくりゆっくりいただく。今日の献立は、鶏ではなく魚にした方がよかったかもと前のじいちゃんを見ながら思う。
12時30分、再びお腹がしっくり来ないので、朝の要領で尿を出す。500ccぐらい出る。楽になる。きちんとカテーテルが入っているのだろうか。左の腰の痛みはそれほどでもない。車椅子の肘置き(名称不明)を持ってプッシュアップを数回。おならのにおいがするが、大丈夫かと不安になる。当然失敗した感覚はない(音も含めて)。不安なまま後で見て貰うことに。
13時50分、平行棒の簡易器具で30秒を3回、立つ練習。そのまま車椅子。部屋の見晴らしは悪くないので、このまま記録の入力作業。
15時、デイルームへ。
結構見舞いの人が一杯。
15時40分、病室に戻る。そのまま車椅子。戻る頃には、儂ともう一人の入院患者しかいなかったので、もう少しいても良かったが。
16時40分、ヨメさんが来る。書類書いたり、汚れ物交換したり。72時間テレビは見ていないらしい。珈琲をいただく。ヨメさんは完全に治ってから帰ってきて欲しいだろうが、そんなことを考えていれば何ヶ月先か何年先か。若しくはずっとそういうことができない可能性だってある。気持ちは分かるのだが、早く帰って復帰の道筋を考えたいと思うのは悪いことだろうか。
17時40分、夕食。
御飯100、おでん、蒸し魚餡掛け、野菜盛り合わせ(ドレッシング付)。以上で442キロカロリー・糖質57グラム。20分で。メインのおでんの選択は改善を要する。サブに時々出てくる煮物の方が旨い。
18時20分、ベッドへ。横になる。今日は6時間半。プッシュアップの回数を増やす必要有り。
18時50分、ベッドを起こす。72時間テレビを見ながらだらだらと。
21時30分、寝る。今晩は痛み止めはないがどうなるだろう。
入力完了日:11月4日、5日。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます