本日の東京は小雨模様で寒い~~。
2月の電気代が来ました。
今回は、
いつもとは違う意味で、
待ち遠しかった~~?
そう、怖いモノ見たさです(苦笑)
9260円。
高い!
とはいっても、
昨年の同時期にも同じいうに、
「過去最高」とアップしています。
2022年二月の電気代
「なんと6416円です。
これはプチプラ生活始まって以来!の
高値です。
昨年の二月は電気代 5696円」
これはプチプラ生活始まって以来!の
高値です。
昨年の二月は電気代 5696円」
昨年と比べると3千円アップ。
しかし、
この3千円は、
例年より厳しい寒さのなか、
二月ほぼ毎日朝から夜寝るまで
つけていたような気がします。
温度は20度から21度。
電気代値上がりしていますから、
これで3千円なら、
まだいいほうではないでしょうか。
一日百円の快適。
昨年は、
手先が白く痺れるなどの症状が出ましたが、
今年はそれもなく、
寒い中でもまずまずの快適さでした。
「婦人公論」4月号に
フェミニスト
上野千鶴子さんが寄稿しています。
早速、
読んでみましたが~~。
それにしても、
結婚を、
「花嫁」とのタイトルに
私自身は違和感を感じます。
編集部が書いたにしても、
それをご本人がOKしたということなわけで。
私でも、
「花嫁」と言われると
かなりの抵抗があります。
いや、やめてと言います(’笑)
「文春砲」なるものへの反撃とあります。
「~大切な人を介護し見送った経験を率直に綴る」
本文によると、
「婚姻届け」を出したのは、
「赤の他人では、死亡届けを出すことも、
万一のときの入院同意書に
サインすることもできない」
「資産管理も、預貯金の解約~~も」難しい。
「さんざん嫌な思いをしたあとで、
これは家族主義の
逆手を取るしかないと思った」
とあります。
これはある程度、
死を前にした友人を持っている人なら
わかっていること。
日本が家族主義なのも、
骨身に染みてわかっていること。
だからこそ、
「おひとりさまの最期」に多くの人は
不安を持つわけで~~。
おひとりさまの食事。
厚揚げの胡麻、青のりかけ。
おつまみに。
「おひとりさまの老後」を読み返すと、
そこには、
「介護される側」のこと。
「どうせ、死ぬときは皆一人」
「認知症でも自宅で一人で死ねる」
→これは別の本ですが。
「大方の日本人は家族大好き」
「看取りたいは残された人のこだわり」
「死の瞬間に誰かがそばにいることは、
死んでゆく人にとって、
そんなに大切なことだろうか」
などなどの言葉が。
思うに、
このときの氏は、
「自分が死ぬときのことは考えても」
「大切な人を介護し、看取り、
死の瞬間に立ち会う」ときの悲しみは
頭になかったような~~。
いざ、ご自分が大切な人の死に
立ち会うと、
ここはもう、
「~自分が何もできない無力に
打ちのめされ、顔を覆って泣き続けた」と。
誰かが、
どんな時期でも
好きな人に巡り合い、
結婚し、
最期を看取り、
「何もできない無力さに号泣する」
できる、
ことはある意味恵まれた
素晴らしいことだと思います。
「家族大嫌い」
「経済力のある女性が結婚するのはおろか」
といい続けた氏ですら、
大切な人の最期に立ち会うと
「新派」、演歌っぽくなるんだなあと、
感慨しきり、です。
「死ぬ瞬間=死を受容する五段階」を書いた
著者のキューブラー・ロスは
自分の死を前にして、
「死にたくない、死にたくない」と
取り乱したそうです。
→拙ブログです。
理論と現実、感情は違う、
ということなんでしょうか。
私には、
考えさせられることの多い、
一件です。
死ぬまでは、
元気にあれこれ考えていきましょうかね。
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